_周目③.クラスメイト。

 634メートル。


 それが白い塔の高さ。

 赤い塔よりもさらに300メートル以上高い――割と非現実じみてる建築物だ。


 とりあえず、行ってみた。


 その途中で謎の襲撃を受けたり、白い塔に入ろうとしたらバリアが張ってあったり、そもそも白い塔はそこにあるはずなのに何故か決して辿り突けなかったりする可能性を俺は考えていたし、それをきっかけにして現状を打破できるのでは、と期待もしていたのだが、そんなことはなかった。


 特に何の問題もなく辿り付けたし、塔の内部にも普通に入ることができた。強いて言えば人が多かった。なんでこんなに多いんだ、と俺は思った。


 どこかに人知れず存在する怪物やら、亜空間へと繋がるワームホールやら、見るからに不思議と分かる美少女やらがいないだろうか、と人混みの中を見て回っていると、一緒に来ていた妹に言われた。


「お兄ちゃん。きょろきょろし過ぎ」


「そう言うな。俺は今、どこかに怪しい奴がいないかどうかを見ている際中でだな」


「うん、とりあえず鏡見よっか」


 と、妹に冷めた目で見られた。


 だって、元の世界では存在していなかった施設なのだ。

 絶対に何かあると思った。

 実は悪の秘密結社の本拠地(ロボットに変形する類の)だとか、重要人物(おそらく美少女)と出会うとか、何て言うか、こう、話を前に進めるためのイベントのようなものが。

 でも、そんなことはまったくなかった。


 仕方がないので、おみやげを買って帰った。


 おみやげはバイト先のソフトクリーム店のアグレッシブな髪型の彼――ちょっと信じがたいことに店主さんらしかった――に渡した。ちなみにそのとき素っ気ない言葉が返ってきたのだが、顔をよく見ると喜んでいて、もしやツンデレなんじゃないか、との疑いを俺は強めた。


 白い塔がただの観光施設でしかなかったことで、そしてそこで特に何も起こらず、普通にそこそこ遊んで楽しんで帰ってきてしまったことで、俺はあっさりと手詰まりになった。

 要するに、詰んだ。

 これがメガネの奴なら、それを踏まえて別の手を考えるなり、「こんなこともあろうかと!」と言って奥の手を出してくるなりするのだろうけれど、まあ俺には無理だ。こんなときにはいつも頼ってきた天使さんのナビゲートもない。アレクサンドリアにそっくりな自転車はやっぱりただの自転車で、何度話しかけても、ちりんちりん、としか呼び鈴は鳴らない。

 

 でも――何もしないわけにはいかなかった。

 とにかく何かをしないといけないのだった。

 そのまま何もできなくなりそうだったから。


 バイトが休みの日に、遠くまで行った。

 ちりん、としか鳴らない自転車に乗って、ひたすら遠くへと行ってみたのだ。


 なぜって、世界の果てがあると思ったのだ。


 この世界が、俺の居た元の世界とは違って、実はこの町と白い塔だけのハリボテじみた世界であるとか、そういうことを期待したのだ。

 でも、自転車を幾ら漕いでも世界の果てなんてものには辿り着くことができず、世界はちゃんとずっと遠くまで存在しているようだった。

 そのうち、自転車だけではもう埒があかなくなって、電車にも乗ったりしていろんな場所に行ってみたが、動物園にも神宮にも水族館にも公園にも図書館にも博物館にも空港にも海にも例の電気街にも同人誌即売会にもアニメや漫画やラノベやその他諸々の聖地巡礼にだって行けた。


 どこにでも自由に行けた。


 不安だった。

 何もかも全部忘れてしまえば、このまま普通に暮らすことができそうなのが。

 それができてしまえることが、怖かった。


      ■■■


 そんなある日のことだった。


「――刈蛾くん?」


 と、名前を呼ばれた。

 バイトの際中だった。

 ソフトクリームを巻いて「お待たせ致しました」と渡したときに、そのお客さんに、いきなり名前を呼ばれたのだった。

 俺は驚き、声を掛けてきた相手を見る。

 女の子。

 たぶん同年代。

 それから見覚えのある制服。

 誰だったかはどうにも思い出せなかったが、その制服を見て、自分とどういう関係であるのかの察しは付いた。


「えっと、ごめん」


 と、先に謝ってから、恐る恐る尋ね返す。


「俺は覚えてないんだけど……同級生?」


 相手の着ている制服。

 それは、俺の通っていた学校の制服だった。


「えー酷いよ」


 と俺の言葉に対して、相手はそれほど傷付いていないような声と、にぃ、という感じの笑みでこちらを非難してくる。


「クラスメイトだったのに」


「あー……えっと、ごめん」


「いたかぎぼたん」


「へ?」


「板鍵牡丹。私の名前」


「あー、えっと……」


 まるで記憶になかった。

 一瞬だけ、前の席に座っていた奴だろうかと思ったが、確か男だったはずだ。なぜか女になってるとかでなければ違う。

 とはいえ、嘘を吐く理由もないだろうし、たぶん本当にクラスメイトなのだろう。


 うわあ、と俺は内心で思った。

 よりにもよって元クラスメイトかよ、と。


 高校を退学し、引きこもるきっかけとなった出来事を思い出す。金属バットで前の席の机を一撃したときの記憶。


 やべーな、と俺は思った。

 厄介事の予感しかしない。


 SNSでここで俺が働いていることを拡散されたり、店長に昔の凶行をチクるぞと強請られたり、あるいはただ単に「お前なんでまだ死んでないの?」と批難されたりといった可能性が頭をよぎる。たぶん、そうなる可能性は低くない。


 そんなわけで、内心で冷や汗をだらだらと流している俺に、板鍵とかいう元クラスメイトの女子は聞いてくる。


「それで、その……何やってるの?」


「バイト」


「それはわかるけどさ」


「ソフトクリーム巻く仕事だ」


「そういうことじゃなくて」


「何で俺みたいのがバイトしてるかって?」


「言わないよ。そんなこと」


 そう言って板鍵は、むすり、とした顔をする。なかなか表情豊かな奴だな、と俺は思った。あるいはただ単に、いつも気楽そうにしている友人だとか、いつも無表情な弟子だとか、そもそも表情の存在しない自転車なヒロインだとかに慣れているだけかもしれないが。


「そうじゃなくてさ、その……引きこもってる、って聞いてたから」


「いろいろあってな。部屋から出てきた」


「そっか……そうなんだ」


「部屋に帰れと?」


「言わないってば。もう」


 板鍵はそう言って、それから不意に黙り、躊躇うような間を置いてから、言う。


「あのさ」


「うん?」


「刈蛾くんは、怒ってないの?」


「誰に?」


「私に」


「何で?」


 と、意味がよくわからず、俺は板鍵に対して聞き返す。


「お前、俺に何かしたのか?」


「ううん。別に何もしてない」


 そう板鍵は言って、それから、手に持ったソフトクリームを見下ろし「おっと、食べないと溶けちゃうね」と言って口にする。


「美味しい」


「ワンコインじゃないソフトだからな。さすがに一味違う」


「何それ」


 板鍵は、にぃ、と笑って。


「ね、刈蛾くん――」


 それから、その笑みを引っ込めて言った。


「――何もしなかったんだよ。私は」


      ■■■


 長期休暇が近づいてきているらしい。

 妹が「休みだっ! でも受験勉強だあっ!」と騒いでいたし「これから忙しくなる、すげえ忙しくなるぞお」とバイト先のアグレッシブな店長も度々口にしていた。

 と、言うわけで。

 長期休暇に向けて、バイトが増えるらしい。


「新しい人ですか?」


 と俺が尋ねると、店長は首を振って、


「うんにゃ、高校生でさ。連休とかの忙しいときに手伝ってもらってんだ。だから君にとっちゃ先輩だな」


 俺はそこで板鍵のことを思い出して、まさか、と思って聞いてみた。


「……もしかして、女の子ですか?」


「悪いな。現実はそう甘くねえんだ」


 と、店長は笑って俺に言った。なるほど、どうやら予想は外れたらしかった。


 そんなわけで俺は、臨時ではあるがバイト歴からすると先輩という微妙にややこしい相手と顔を合わせた。


 その瞬間に、妙な感覚があった。


 反射的に、メガネの奴か、と思い掛けたが相手は男だった。なぜか男になってるとかじゃなければ違う――いや、例え男になっていたとしても、メガネの奴ならもっとこう、何て言うか、いまいち萌えないはずだ。

 それとは違う、何というか――既視感?

 次の瞬間、そいつが放った言葉で、その感覚は確信に変わった。


「――刈蛾?」


 またかよ、と俺は思った。

 板鍵じゃなかった、と思ったのも束の間だ。


「ええと……もしかして、クラスメイト?」


「お、おう……」


 と、何だかそわそわしながら、そいつは俺の言葉に頷いた。何だろう――板鍵とは違って、やっぱりどこか見覚えがある。

 が、その見覚えをはっきりと思い出すことはできなかったので、諦めて聞いてみることにした。


「その、ごめん……誰だっけ?」


 すると、何だかちょっとショックを受けたような顔を相手はした。

 もしや、と俺は思う。

 あれか、俺の前の席に座っていた奴か。

 俺が、むしゃくしゃして振り下ろした金属バットによって何の罪もない机を粉砕された被害者。確か男だったはずだ。

 やべーな、と俺は思う。

 これ絶対いじめられるパターンだ、と戦々恐々としていると、相手は「お、俺だよ」と手の平を自分の胸に当てて「おうそかける」と名前を口にする。


 あれ、と俺は思った。

 前の席の奴の名前と違うような気がした。

 戸惑っている俺に対して、そいつはメモ用紙に自分の名前を書いて俺に見せる。


 押鼠駆。


 やっぱり違う、と俺は思った。

 でもじゃあこいつ誰だ一体何者だ、と俺が視線で問うと、そいつは何だか情けない顔をして「お前、覚えてねえのかよ……」と呻いて、それから消え入りそうな声で俺にこう言った。


「その、俺さ……お前の前の席の、その前の席に座ってたんだけど……」


「あ」


 と、思わず間の抜けた声が出た。

 そうか、と思う。そうだった、と思う。

 俺の前の席の奴に、消しゴムの滓を毎日投げつけられていた、前の前の席の奴。


 それが――目の前のこいつなのだった。

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