_周目②.白い塔の異世界。
とりあえず、バイトを探すことにした。
「……お兄ちゃんて、バイトできんの?」
求人雑誌を読んでいる俺を見て、妹はそう言った。こちらを小馬鹿にするような口調ではなくて、心の底から案じているような口調だった。むしろより深く俺の心は傷付いた感じだったが、気づかない振りをして俺は言う。
「できるに決まってるだろ。舐めるな」
「大丈夫? そもそも電話掛けられる?」
「たぶん」
「もう不安しかないんだけど」
「そうは言っても、やらないわけにもいかねえだろ。このままじゃただの穀潰しだし、それに俺にだって欲しいものはある」
「欲しいものって?」
「服」
「服!?」
と、妹は愕然とした顔をして叫ぶ。
「お母さんが買ってきた服しか着なかったはずのお兄ちゃんが服が欲しいだと!? そんな馬鹿な!?」
「いや、ただ単に、引きこもってる間に服がくったくたになってて、まともに着れる服がほぼ無くなってるってだけなんだが……正直、ほぼ一張羅のままだし、このままだと服を買いに行く服が無くなりかねんぞ」
「お母さんに言って買ってきてもらえばいいじゃん」
「いいわけないだろ。服ってのはだな、ちゃんと試着してサイズの合ってる服を買うもんなんだぞ」
「私の知ってるお兄ちゃんはそんなこと言わない! 一回りも二回りも大きいだっぼだぼな服を着てへっちゃらなのがお兄ちゃんだもん!」
「何言ってんだお前」
「一体誰の入れ知恵だ!? まさか女!? 女なのか!? でもそれは本当に女なのか!?」
「何言ってんだお前。いやマジで」
そりゃ性別で言えば女だが、そういうアレじゃなくて弟子だ。というか、何で女じゃない可能性があるんだ。どんな状況だ。俺を何だと思ってるんだこの妹は。
「それにあれだ。せっかく元の世界っぽいとこに戻っ……じゃなかった外に出てきたんだから、漫画とかラノベとか買って読みたい。そのための軍資金をだな」
「あ、やっぱお兄ちゃんだ」
妹はほっとしたように言い、妹の中で俺は一体どんな兄なんだろう、と少し思う。
■■■
と、言うわけでバイトの面接に行った。
こてんぱんにされた。
いや、何て言うかもう、本当に酷かった。
具体的にはあまり思い出したくないのだが、とりあえず高校中退したことをすげえ馬鹿にされた。引きこもっていたことも馬鹿にされた。最終的に人間性そのものを馬鹿にされた。何で面接を受けに来ただけでそこまで言われなきゃならないんだろう、と俺は首を傾げた。
そんなわけで、むしゃくしゃして帰った俺は「ただいま」と言うなり、そのまま自分の部屋へと直行し、ふて腐れて布団被って寝た。このまま扉に鍵掛けてもう一度引きこもろうかな、とちょっと本気で思った。
だが「ただいまー」と学校から帰ってきた妹が、とんとんとん、と階段を上り、とてとてとて、と扉を開けて俺の部屋に入ってきて、布団を被って丸まっている俺に向かって「おーい、今夜はカレーだってさ」と言ったので俺は布団からもぞもぞと這い出した。カレー食いたかった。
そんなわけで、カレーを待っている間に居間でテレビの番組表を眺めていたら、引きこもる前に好きだったラノベがアニメ化されていた。まじかよ、と思った。もう引きこもっている場合ではなかった。アニメ見たかった。
と、言うわけで俺は立ち直った。
もう一度、別のところで面接を受けた。
今度は、特に何も言われなかった。
終始、大人の対応をしてもらった。
特に何も言われないまま不採用だった。
きっつかった。
あーあーあーあー、と俺は思った。
こりゃたぶんもう駄目だな、と思った。
また引きこもりになるなこれ、と思った。
アニメ見たかったなというかあのラノベってヒロインCに刺された主人公どうなったのかなめっちゃ気になってたから読みたかったな、と思いながら、とぼとぼと歩いていると、ソフトクリーム屋があったのでソフトクリームを買うことにした。もちろん、親から渡された小遣いだ。何だか悪いことしてる気分になった。
しかも、ワンコインじゃなかった。
注文してからそのことに気づいた。何でソフトクリームがワンコインじゃねえんだ、と理不尽過ぎる怒りが込み上げてきた。どう考えても理不尽過ぎるので押さえ込んだ。
アグレシッブな髪型と格好をしたお店の人が俺に手渡したソフトクリームは、普通のバニラ味だったが美味かった。成る程、これがワンコインじゃないソフトなのか、と俺は理解する。素朴な味わいのワンコインなソフトクリームも捨てがたいが、この手間暇掛かった感のある味も素敵な感じだ。これがワンコインじゃないソフトクリームの実力か、と俺は思った。
と、そこでソフトクリーム屋に貼られている紙に目が止まった。「アルバイト募集中」とあって「急募」とも書かれていた。
「すみません。バイトしたいんですけれど」
と、反射的に口にしていた。
口にした瞬間に、いや何言ってんだお前、と自問自答したが後の祭りだった。
「ふーん」
と、極めて攻撃的な髪型と格好をしたお店の人は俺をじろり、と睨み付け、
「君、ソフトクリーム巻けんの?」
と言ってきて、俺は正直びびっていたが後に引くわけにもいかず「巻けます」と答えた。
「ちょっと巻いてみ」
とお店の人は言って、カウンターの中へと俺を招き入れた。金属バットを持っていないことに不安を感じつつ、中に入り、機材の前に立ち、震える手を深呼吸して落ち着かせ、
巻いた。
「やるじゃん」
とお店の人は俺が差し出したソフトクリームを受け取り、それから、こう続けた。
「いつから来れる? 学校の許可は?」
「えっと……」
と、俺はそこで嘘を吐くべきかどうか迷ったが、どうせ隠したところでたぶんバレるだろうしな、と諦めた。
「すみません。実は俺、高校中退してて」
「ふうん。じゃ、明日から来れるよな?」
「え。大丈夫なんですか」
「は? 何が?」
「えっと、その、高校中退」
「随分前に大学を卒業した俺にも、どうもいまいち、よくわからねえんだけれど」
と、彼は言った。
「最近の高校って、ソフトクリームの巻き方まで教えてくれんの?」
「……いえ、そんなことは」
「ねえんだろ? じゃ、明日からだな」
「…………よろしくお願いします」
■■■
と、いうわけで。
「服買ったぞ」
と、俺はバイト代で買った服を着て、学校から帰ってきた妹に見せてみた。
「さあどうだ」
「普通だ……」
「泣いていいか?」
と思わず言わずにはいられない俺に対して、何やら愕然とした顔で妹はつぶやく。
「普通だ……お兄ちゃんが普通の格好してる……そんな馬鹿な! こんなのお兄ちゃんじゃない!」
「なあ、本気で泣いていいか?」
「だってさ……本当、何があったわけ?」
「まあその、いろいろあったんだよ。洗濯の仕方教えてもらったり、靴の磨き方教えてもらったり、服の選び方教えてもらったり、リア充になるおまじない掛けてもらったり、あとはちょっと友達ができたり」
「友達?」
「おう」
「お兄ちゃんに友達?」
「………………」
俺は黙って二階に上がり自分の部屋に入り、布団を敷いて被ってふて腐れて寝た。
とんとんとん、と妹は二階までやってきて、とてとてとて、と俺の部屋に入り布団の前に座って物言いたげな視線を俺に向けてくる。
さすがに大人げなかったので、もぞもぞ、と布団から這いだして妹に尋ねる。
「どうした?」
「……友達ってどんな人?」
「すげー奴だよ。頭が良くて、根性もあって、おまけに捻くれた振りして優しい奴だ。特技は……手品だな。首が取れるんだ」
「はー。すごい人だね」
「あと、何かこう、いまいち萌えない」
「よくわからないけれど、それって、お兄ちゃんはその人に対していろんな意味で失礼なことを言っているじゃないかな?」
「大丈夫。お互いにいまいち萌えないから」
「お兄ちゃんとその人の関係がもうわからないんだけれど……本当にそれ友達?」
「うん。友達」
「そっか」
あー、と妹は呻き声を上げて、ぺたん、と床に腰を下ろして言う。
「そっか友達かー。つい最近まで引きこもりだったお兄ちゃんも立派になったなー」
「やかましい」
「何だか、まるでお兄ちゃんじゃなくなっちゃったみたい」
「そうかもな」
「え?」
「俺は、実は、お前のお兄ちゃんに似た、全然別の誰かだったりするのかもな――」
「……お兄ちゃん?」
「――っていう展開が、こないだ読んだラノベであってだな」
「やだ、もう……そんなタチの悪い冗談やめてよ。お兄ちゃん」
と言って、布団の上から俺をぺしぺし、と叩いてから部屋を出て行く妹に、俺は「そだな」と頷いてみせる。
でも――本当は、そうであるはずなのだ。
何たって、ここは異世界なのだから。
だからたぶん、あの妹は、俺の妹と随分とよく似ているだけの別人で――父も母も、たぶんそうなのだろう。
だとすると、俺とよく似ている奴も誰かもいるはずだが――でも、そいつはどうなったのだろう、と思う。
死んだのか?
あるいはもしかして、俺のせいで?
もしもそうだとしたら――俺は、とんだ悪党ってことになる。
そうでないことを祈るしかない。
あるいは、もっと別の可能性。
つまりはこの世界が俺にとっての本当の現実で、異世界でのあれこれや美少女の戦いやメガネとのことなんかは、全部夢や妄想だったとかそういうアレ。
なかなかにやばい発想だ。
端から見ると、それが一番正気な発想なんじゃないか、と錯覚してしまいそうなところが特にやばい。
でも、
「それは無いな」
と、俺は確信する。
俺は散らかっていたあれこれを片付けた部屋を見渡す。カーテンと窓が開け放たれて外の日差しと空気とが入ってくるのを確認する。そして、鍵が開けっ放しになった扉を見る。
それは、俺一人ではできなかったことだ。
何たって、俺は、異世界に転生するまではただの引きこもりだったのだ。身体能力に全振りしておいて、歩くことすら拒否するようなちょっとアレな奴だったのだ。
そんな奴が、こうやって普通に外に出て、バイトして、その金で服を買って、妹と馬鹿話ができるようになったのは――俺にチートをぽんと与え異世界に転生させてくれた女神様のおかげで、テンプレ天使の皮を被っている触手的な何かであるナビゲーターのおかげで、永遠のヒロインであるアレクサンドリアのおかげで、いろんなことを教えてくれた師匠のおかげで、俺を慕ってくれた弟子のおかげで、それ以外に出会ったたくさんの人々のおかげで、そしてもちろん、あのいまいち萌えない友人のおかげでもある。
そうでなけりゃ、俺は、こんな風に外に出ることはできなかったはずだ。家族とこんな風に普通に接することもできなかった。バイトなんて絶対無理だった。もちろんソフトクリームだって巻けなかった。
それを、自分一人の力で立ち直ったと考えるのは――恥知らずもいいとこだ。
だから、ここは異世界で間違いない。
俺の知っている世界に白い塔は存在しない。
とはいえ、問題は。
ここから抜け出す方法に皆目見当が付かないことだが――それはこれからどうにか考えていくしかないだろう。こういうのは、メガネの奴に任せたいところだが、いないのだからしょうがない。無い知恵を絞って、自分で何とかするしかない。
――あいつ、今、どうしているんだろう?
白い塔の異世界で、一人。
布団の中で天井を見上げながら、そう思う。
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