_周目

__周目①.ただいま。

 落ち着け、と俺は自分に言い聞かせる。


「…………天使さん?」


 とりあえず、俺はそう呼びかけてみる。

 返事はなかった。

 ぽん、と可愛らしい音を立てて、どうやら中の人がいるらしいテンプレ通りの天使が現れることはなかった。

 アレクサンドリアも召喚しようとしたが、結果は同じ。

 一応、メガネの奴にも「おーい。メガネー」と呼びかけてみたが、まあ、さすがに来るわけがなかった。

 何となく予想はしていたが、ちょっとショックだった――状況がわからない。

 そう言えば、と今更に俺は気づく。

 いつもなら真っ先に送り飛ばされるはずの転生の間とそこで待つ女神様が出てこなかった――その時点でいろいろとおかしいと気づくべきだった。

 考えるまでもなく、あのとき美少女に何かされたのだろうが、一体何をされたのかがわからない。


 魔法は使えない。

 スキルも使えない。

 天使さんも出て来られない。

 金属バットがあるのが唯一の救いだ。


 正直なところ、不安な要素しかなかった。

 だが、と俺は思う。

 とりあえず、ここは異世界であるはずだ。


 俺の気にいっていたツンデレキャラのポスターは美少女によって無残に破られたし、俺の部屋は美少女の直撃によって容赦なく崩壊したし、俺のいたあの世界も美少女がどうこうした結果もうとっくに滅びているはずだ。


 とにかく情報収集だ、と俺は思う。

 まず、カーテンと窓を開けることにした。

 何でって、そりゃ部屋の中に明るい日の光が欲しかったし、嫌な空気が籠もっているから換気がしたかったからだ。ぶっちゃけ暗いし臭い。自分の部屋であることは十分承知しているが。そして外の様子も見たい。


 俺はカーテンに手を掛ける。


 窓の外でゾンビがうようよしているとか、世界が崩壊しているとか、そもそも窓の外がないとかそういう可能性もあるにはあったが、どっちにしろ開けないと何もわからない。

 

 カーテンを開ける。


 ぱ、と光が部屋に差す。

 特に異変もなく、特に美しいわけでもない、ごくごく平穏な風景が広がっていた。

 窓の外から見える通りを見てみると、普通に買い物帰りの主婦や、犬を散歩している人や、走っている人がいた。とりあえず、世界が滅びかけているとかそういうことは無さそうでほっとした。


 俺は次に窓へと手を掛ける。


 一応、見た目や挙動を確認してみたが、ゾンビでも無さそうだしロボでも無さそうだった。人間によく似た別種族という可能性はあったが、まあそこは考えても仕方がない。


 鍵を開け、窓を開く。


 清々しいかどうかは正直微妙だが、ともかくも新鮮な空気が入ってくる。

 窓の外から聞こえる音へと耳を澄ますが、特に誰かが死んでいる阿鼻叫喚の叫びとか、あるいは人ならざるものの咆哮とか、そういうのも聞こえない。


 よかった平和そうだ、と俺は安心するが、そうなると転生目標が何なのか掴めなくて、ちょっと途方に暮れる。また一定時間いないと駄目とかそういうのだろうか。美少女に、すぐに行く、と言ってしまったのだが。


 テレビでも付けようか、と思ったが、そう言えばこの古いテレビは今の放送が映らないのだと思い出す。ゲーム専用のテレビなのだ。

 何はともあれ、と俺は思う。

 部屋の中にいつまでもいても駄目そうだ。

 さっさと外に出よう。

 俺は部屋の扉を開けて外に出ようとして、


 ――がきんっ、べちんっ。


 と、鍵が掛かっていることを忘れていたため、そのまま真っ正面から激突した。

 地味に痛かった。

 いつもなら扉にぶつかったくらいじゃ痛くないのに、というかむしろそのまま扉をぶち破れるのに、と思う。その場合はその場合で「こいつやべー」とか思われていろいろと面倒なことにはなるのだけれども。


 そこでふと気づいて、自然と片手に持っていた金属バットを見下ろす。これは、その、どうなのだろう。平和そうな世界でこんなものをぶら下げていたら「こいつやべー」と不審者扱いされるんじゃなかろうか。たぶんされる。

 少し不安だったが、金属バットは部屋の中に置いていくことにした。何かあったら即座に取りに戻ろう、と心に決めておく。


 鍵を開け、扉を開く。


 廊下を出て階段を下りて、玄関へと向かおうとしたところで、居間に人の気配。

 俺は、そこで何故か居間の扉を開けた。

 たぶん、いつもの癖だ。

 召喚扱いで転生したときには、大抵その辺に召喚者がいる。その人に話を聞いて、召喚した理由を聞けば、大抵それが召喚条件とイコールだ。それに、良くも悪くもその異世界での身の振り方はわかる。たまに即攻撃されたりもするが。

 だから扉を開けた瞬間、俺はこう思った。


 何で気づかなかったんだ――この馬鹿。


 俺の部屋があるこの家は、つまり俺の家だ。

 だから、誰がいるかなんて、決まっている。

 ああ、と俺は扉を開けたままの格好で思う。

 金属バットを置いてきて、本当に良かった。


 居間にいた人間は三人。

 驚いたように、こちらを見返すその顔に、当然ながら俺は見覚えがある。


 そりゃだって、家族だ。


 見るからにうだつの上がらない父。

 口うるさくやかましい母。

 そしてそれから、


 一瞬の中で生じる痛み。

 記憶の断片。

 声。


 ――お兄ちゃんの、嘘つき。

 ――この、引きこもり野郎。

 ――そのまま、そこで死ね。

 ――大嫌い。


 目を閉じ。

 一瞬の痛みに耐え切って。

 目を開く。


 それから――くそ生意気な、妹。


 もう会えないはずの俺の家族がそこにいた。

 俺は何かを言おうとして、でも言葉を見失って、結局、一番無難な言葉を選んだ。


「た、ただいま……」


 次の瞬間「――セイっ!」と呼ばれて母親に抱き締められる。久々に――本当に久々に本名で呼ばれた。


 セイ。

 かりが、せい。

 名字が「刈蛾」で、名前が「正」。

 俺の本名。


 母が、俺を抱き締めながら「セイ……っ、あんたやっと出てきたんだね……っ!」と言って泣いている。

 その言葉に、そういや引きこもりだったな、と俺は異世界転生する前の自分の立場を思い出す。

 ところで、念のために言っておくと、俺の母は別に美人ではないし若作りでもないし合法でもない。漫画やアニメやラノベとは違う。歳相応の容姿で、普通の容姿で、つまりはごく普通に顔に皺が寄ってる母親だ。

 だから、抱き締められたところでただ単に恥ずかしいだけというか、正直ちょっとやめて欲しいというか、そういうところがうざったいんだよというか、つまりそんな感じだった。

 でも。

 今は、ちょっと振り解けそうになかった。


 がたん、と。

 父が立ち上がって、それから俺に背中を向け、自分の目元を手の平で覆う。こちらに向けた肩が震えていた。――父が泣いているのを見たのは、たぶんこれが初めてだった。


 それから――妹は。

 ぐずり、と。

 目元の涙を、ぐい、と拭いながら俺を睨む。

 いや、実際は睨んでいるわけではないのだけれども、何て言うか俺の妹は目付きが妙に悪くて、睨んでいるようにしか見えないのだ。


 妹は別に美少女ではなかったが、セーラー服を着ていた。その襟元に、拭いきれなかった涙が零れて染みを作るのを見ながら、ああそうかこいつ中学生になったんだっけ、と俺は思い出す。ずっと引きこもっていたから、結局、一度も見ないままだったけれど。

 もしかして、学校に行く前だったのかもしれない――だとすると悪いことをした。


 俺を睨んだまま、妹が言う。


「……いや、遅過ぎだって」


 ぐずり、ぐずり、と。

 睨んだままで泣きながら、妹が俺に言う。


「――おかえりなさい。お兄ちゃん」


      ■■■


「夕飯は、家族で一緒に外に食べに行こう」


 父がそう言った。

 ただ単に部屋から出ただけで何もそこまで、と俺は思ったが、そんなことを言い出せる雰囲気ではなかった――そんなことを言える権利も、たぶん無かった。

 夕方、仕事を早めに切り上げて戻ってきた父は、俺を車の助手席に座らせた。後部座席には母と妹。

 俺は居心地が良いような悪いような微妙な気分のまま、馬車に比べると遥かに早く快適な乗り物の窓から、戦闘時に比べるとずっと緩やかに過ぎ去っていく外の景色を眺める。


 そうしながら、日中、外を出歩いてわかった幾つかの点を俺は思い浮かべる。


 まず気づいたのは、靴のことだ。

 例の、竜討伐したとき作ってもらったあの靴。何故だか玄関に置いてあった。

 何でだ、と思って妹に靴のことを尋ねると、


「それ、高校の入学祝いで買ってもらった靴でしょ。めっちゃ高い奴。高校デビューするんだって馬鹿なこと言って――そんで、そもそも靴が指定靴だったとかで嘆いてたじゃん」


 いや、そんな記憶はない。

 高校デビューしようとしたのは本当だが。

 そして、完璧に失敗した。


 それから自転車。

 これも、持っていた記憶がない。

 家の裏手の隅っこに置かれていて、ちょっと埃を被っていたが、どう見ても外見は俺のアレクサンドリアにしか見えなかった。


「…………アレクサンドリア?」


 と、小声で呼びかけてみたが、返事は無かった。ぶるり、と身を震わせたりすることもなかった。


 ベルを鳴らしてみた。

 ちりーん、と鳴った。

 ただの自転車だった。


 あとは一応、服もそうだ。

 前にいた異世界がファンタジー感の薄い世界だったせいで、ぱっと見た感じ普通の服っぽかったが、確かに美少女に八つ裂きにされたときに着ていた服だ。

 それなら一緒に八つ裂きにされておくべきなのかもしれないが、転生したときは、肉体が復活するのと一緒に服も復活するのだ。「なんで?」と以前女神様に聞いたところ「裸でいいんですか?」という答えが返ってきた。確かにその通りだった。


 それから、俺は外を歩いてみたが、そちらの結果はというと芳しくなかった。

 なんせ俺はずっと引きこもっていたわけで、周囲の街並に変化があっても、それが異世界としての変化なのか引きこもっていた間の変化なのか判別が付かない。結局分かったのは、この世界が、俺が元々いた、あの滅びた世界とほとんど同じだということくらいで――何だあれ。


 ぱちり、ぱちり、と。

 瞬きを一度二度して、俺は思考を中断した。

 父の運転する車の助手席の――その窓から。

 見たこともないものが、見えた。


 ――何だ、あれ。


「お兄ちゃん? どした?」


 と、心配そうに聞いてくる妹に、


「なあ」


 俺は、窓の外の「それ」を指差し、尋ねる。


「あれってさ……最近できたんだっけ?」


 妹は。

 一体、何を聞いてくるのだこの兄は、というような奇妙な顔をして、言う。


「最近って言えば最近かもだけど……そこまで最近ってわけじゃないよ。だって、お兄ちゃんがまだ小学生の頃だし」


「そうか――それもそうだったな。」


 と、俺はまたちょっと不安そうになった妹の顔を見て、とっさに話を合わせた。


 でも、これで確信した。

 ここは、やっぱり異世界だ。

 だって――そりゃあ、そうだろう。

 あんな変てこなものが、あるわけがない。


 窓の外。

 高層ビルやら何やらの向こう側にある「それ」を見て、俺はそう思う。


 白い塔が、建っていた。

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