99周目⑰.大失敗だ。


 唐突に、噴水が止まった。

 勢いを失った水柱が崩れ落ちていく中で。

 俺は、こちらを見つめるメガネに、言う。


「……哲学ゾンビって何だ? 賢いのか?」


 がくっ、と。

 メガネの奴が肩を落とす。


「違げーよ。てめー何で知らねーんだよ」


 ぎろりっ、と俺を睨んでくるメガネに、ちょっとびびりつつ俺は言う。


「何で知ってると思うんだよ」


「シュレ猫だの沼男だのシンギュラリティだの世界が五分前だったりシュミレーションだったりな仮説だの、そういうのって漫画だのアニメだのラノベだの見てりゃ自然と覚えるもんじゃねーの?」


「そんなこと言われても」


「ふざけんな。深刻な話してる私がアホみたいになったじゃねーか」


「何だよそれ。深刻な話なのか」


「割と」


 あーもー、とメガネはしばし額に手を呻いてから、俺に言う。


「掻い摘んで言うとだな、私には心がねーかもしんねー、ってこった」


「心が無い?」


「おうよ」


 俺は日頃のメガネの言動を思い返し、言う。


「いや、めっちゃ心あるだろお前。むしろ心の赴くまま馬鹿やってんじゃねえか」


「てめーが私をどう見てるのかはよーくわかったから、後で話し合う必要がありそうだけどそれは今置いておくとして……なんつーか、心がねーってのは人形みたいに無表情な無口っ娘ってわけじゃなくてだな。外見上は普通なんだよ普通」


「普通?」


「黙ってろ。つまりだな、私は、こうして普通にあんたと喋ったりキレたり笑ったりしてんだが、それは表面上でそういう風に動いているだけでだな」


「よくわからん」


「くそっ! つまりはアレだ! ツンデレと似非ツンデレは仮に見た目がまったく同じでも全然違うだろ! 別モノだろ!」


「ああうん、ちょっと分かった、かも」


「よーしその調子だ! つまりそれと同じだ! 私はあんたの知ってるメガネとは違う偽メガネかもしんねーってこった!」


「……え、何、お前偽物なのか?」


「違う」


「違うんじゃねえか」


「と、思う」


「思うって……」


「私としては――私は、ちょっとゾンビになっただけで私自身のまんまだし、ついでに言うと、ちゃんと心もあると思ってる」


「なら」


「でもさ、その言葉が嘘でも、あんたにはわかんねーだろ?」


 そんなのわかるに決まってんだろ、と俺は言い返そうとして――いや、わかるのか? という疑問が浮かんで、俺はその言葉を飲み込む。


「……ツンデレと似非ツンデレの違いならわかるぞ」


「それは、その似非ツンデレがどっか嘘くさいからだからだろーが。でもさ、本当のツンデレと寸分違わない似非ツンデレだったら、それ、気づけると思う?」


「……お前、何でそう思うんだ?」


「普通のゾンビってさ」


 と、メガネが言う。


「どんな感じか知ってる?」


「……自我がないんだろ。あーあーうーうー言ってて」


「およ? 知ってんのかよ? 何で?」


「……別に何でもいいだろ」


「あー、そーだ。そういやあんたって、何でか知らんけど、ネクロマンサーのスキル持ってんだっけ」


「どうでもいいだろ」


「ん? そういや他に、錬金術と擬似死者蘇生のスキルとか、いまいち似つかわしない変なスキル持ってたよな? ん?」


「……」


「おい……てめー、もしかして私を生き返らせようとしたのか?」


「そんにゃわけないだろ」


「うわあ……この男『にゃ』とかあざとい噛み方しやがったよ……」


「うるせえ! いいから話を続けろ!」


「へいへい……んで、前の世界にいたときに、ちょっくら私と同じゾンビの魔王と知り合って――で、その人、自我のある方のゾンビとして生まれ変わったわけだけど」


「ああ」


「それ、転生扱いになるっぽいんだよね」


「…………」


「というか転生した結果、自我のあるゾンビとして蘇るみたい――でも、私は違う」


「……でも、お前は、あーあーうーうー、としか言わない普通のゾンビじゃない」


「ものすごく高度なだけの、普通のゾンビだとしたら?」


「…………」


「自我がないのに、自我があるように振る舞えるような機能を持っているゾンビだとしたら? あるいは――自我がないのに、自我があると錯覚できる機能を持っているゾンビだとしたら?」


「…………」


「つまり、ここであんたと一緒にいる私は」


 と、メガネが言う。


「ただの死体が動いて、死人の完璧な物真似をし続けているだけなのかもしんない」


「…………」


 俺は沈黙し続けていて、メガネも沈黙していて、ついでに言うと噴水の水も沈黙したままで――そのまま、時間だけが過ぎていく。

 俺は息を吸って、吐いて、それから告げる。


「……なあ、メガネ」


「おう何だ」


「怖くないか?」


「ちょー怖い」


「そうか。じゃあ手え貸せ」


「頼むわ」


 と言って、メガネが差し出してきた片手を、ぎゅう、と俺は握る。思った以上に華奢なその手は、微かに震えている。

 その手の先の、ピンク色が塗られた爪のことを俺は思う。何で爪をピンク色にしなければいけないのかはちょっと理解できないが、でも、つまりそれはデートのために塗ってきたということで――俺のために、塗ってきたということだ。


「……もし、私が偽物だとしたら」


「だとしたら?」


「あんたがその手でしなきゃいけないのは、こうやって私の手を握ることじゃなくて――今すぐ、私の首をねじ切ることだと思わねーか?」


「偽物かどうかなんてわかんないんだろ?」


「まーな」


「じゃあ、できるわけねえだろ。本物だったら大惨事じゃねえか」


「そりゃな」


「それに、もし偽物だとわかっても」


 と、俺は言う。


「それでも無理だよ。俺はお前が好きだ」


「いまいち萌えなくても?」


「いまいち萌えなくても」


「てめーこんにゃろー」


「……というか、今のお前の首をどうやってねじ切るんだ。もう取れてんだろそれ」


「そりゃそうだ――でも、そーか。それでも私が好きかそーか」


 ふっへっへっへっ、とメガネは笑う。


「なら、後顧の憂いはねーな」


「あ?」


「バット」


 と、メガネが俺をじっと見つめて言う。


「好き」


「…………おう」


 その瞬間に。

 例の猫が、ひょい、と立ち上がった。

 むんむん、と鼻を鳴らした後で縁から飛び降りると、悠々とした足取りで公園を横切り、何処かへと向かって歩いていく。丸々太った猫は、そこだけ妙に細い尻尾を、左右にぷらぷらと揺らしどこかへ去って行く。


 次の瞬間に。

 メガネも、ひょい、と立ち上がった。

 その直後に。


「おっと」


 何も無いところでメガネは唐突に躓く。

 その拍子に首がころん、と落っこちそうになるのを、ほいっ、と空いた両手でキャッチする。その様子が妙におかしくて俺は笑い、


「おいおい、気をつけろよ」


「ふっへっへっへっ」


 と、笑いながら。

 メガネが自分の生首を両手に抱えたまま、

 ふわり、とスカートを翻しつつ振り向き、

 振り向きざまに、生首を突き出してきて、


「――ほい」


 そのままキスされた。


 夕日の、最後の赤い光が吸い込まれる。

 空が、夜の青色に染まり切っていく中。


 ぱっ、ぱっ、ぱっ、と。


 沈んでいく太陽を追いかけるように。

 公園の照明が、順々に点灯していく。


 俺は驚き目を見開いていて、

 メガネも目を見開いていて、


 唇を重ねたまま、互いに視線を合わせる。

 そして――。


「ん?」


 と、メガネが不意に声を上げた。


「んー……んん?」


 と、メガネはこちらに突き出していた生首を手元に戻し、それを首の上に設置してから俺にこう告げる。


「ちょっと待って。ごめん、もう一回。今度は生首じゃないバージョンで。差分で」


「いや、その……もう一回ってお前な……」


「いいから」


 と、こちらの肩をがっしりと掴んで言う。


「さあ――来い」


「待て。俺がするのか」


「当たり前だろてめー。女の子にキスさせといて自分からはしねーとかいう選択肢があると思うなよ。おら来い。どんと来い」


「わ……わかった」


 と言って、俺は震える手をメガネの頬に当てて、それを見てメガネはこう告げる。


「手つきがキモい」


「うるせえ行くぞ」


 そのままキスした。

 唇を重ね合わせ、再び互いに視線を合わせ。


 ……。

 ……。

 …………?


 唇を離して、でも、まだ互いに息の触れ合うような距離で視線を交錯させながら。

 違和感。

 何だ、と思い、これは、と思考を巡らせる。えっと、とその感覚を表す言葉を手繰り寄せようとしたところで目の前のメガネが、俺の違和感を的確で具体的な形にして口にした。


「――やっべ。なんかいまいち萌えない」


 やめろ、と俺は思う。いや本気でやめろ。


「え、ちょっ……まじで?」


 メガネは一瞬、茫然自失したような表情をし、次の瞬間には頭を抱えて絶叫した。


「はぁああああああああああああああああああああっ!? 何でっ!? どーしてっ!?」


「まあ当然の結果じゃねえかと」


「ふざけんなぁっ! だって今あれだっただろっ! なんかもう冗談みたいに雰囲気良かったじゃんっ! なんか奇跡みたいなタイミングで照明付いてたし! 世界が空気読んでたわ! これで萌えなかったらもう絶対萌えないじゃん! ふざけんなよ! ぶっちゃけ、キスどころかその先まで普通に行ってちょっとアレなシーンに突入する流れだったはずだろーがそうじゃねーの!?」


「いやそれはねえよ。人前だぞ」


「うるせえ馬鹿っ! 絶対そういう展開になるだろうと思って付けてきた、私のめっちゃ可愛くてえろい勝負下着はどーなる!?」


「そんなんどうすりゃいいんだよ」


「そこは思いっきり押し倒せよぉっ! 愛など要らねえ! その場の雰囲気に流されての若さ故の間違いでもいいからどんと来い! おらぁっ! 十八禁展開来い!」


「ねえよ」


「賢者きどってんじゃねーぞこんのふにゃちん野郎! それでも男かぁっ!」


「お前はもっと言葉をオブラートに包め。さっきから割と危ういこと言ってんぞ」


「くそが! てめーがそのつもりなら、こっちから襲ってやらぁっ! とりあえず脱ぐ! 脱いだげる! まずは私の勝負下着を見て恐れおののけぇっ!」


「やめろっての」


「止めるなあっ! 何でお前そんないまいち萌えないんだよふざけんな! そしてお前はちゃんと私に萌えろ! 私に萌えろぉっ!」


 もちろん止めた。

 転がり落ちそうになる首も支えてやる。

 ふーふー、と。

 息を荒げるメガネを無理矢理ベンチに座らせてやり、傍らに置いていたぬいぐるみをその手に押しつけてやる。


「ううう……」


 と、呻きながらぬいぐるみを抱き締めて。

 ぽたり、と。

 涙が一つこぼれて地面に落ちた、次の瞬間。


「うえ……うあ゛ああああああああああああああああああぁんっ!」


 と、メガネがいきなり号泣し始めた。


「失恋したああああああああああああっ! お互いにお互いのこと好きで好きでめっちゃ好きで好感度MAXでなんか外堀りも埋まりまくってるしああよくわかんないけどたぶんこれ恋なんだなと思ってたのにいざキスしたらやっぱいまいち萌えなくて実はなんか恋じゃなかったとかいう意味わかんない理由で失恋したああああああっ! めっちゃ頑張って可愛い格好したのに! めっちゃ可愛くてえろい勝負下着付けてきたのにもおぉっ! すげー勇気出して手ぇ繋いだり! 後からめっちゃ恥ずかしくなりそうな打ち明け話とかもしたのに! それなのに失恋したああああああっ! うあ゛ああああああああああああぁっ! うあ゛ああああああああああああぁんっ!!」


「そ、そんなに泣くなよ」


「泣くよぉっ! 泣くしかないじゃねえかよおおおっ! 何なんだよもおおおおおおぉっ! すげー好きなのに萌えないってなんだよおおおおおおぉっ! 私とあんたって何なんだよおおおおおおっ! うあ゛あああああああああああああああぁんっ!!」


「あのさ……」


 と、俺は躊躇して、たぶん大分躊躇してから、それでも言う。


「うっ、ひぐっ……何だよう゛」


 涙でぐっちょぐちょになった顔を手でこすり、余計にぐっちょぐちょにしているメガネが言ってくる。とりあえずハンカチを渡しておく。速攻で鼻をかまれた。予想通りではあったので後悔はない。


「その、俺、ずっと思ってたんだけど……」


「うえ……何を?」


「もしかしたら全然まったくそうじゃなくて、ただの勘違いかもしれないけど……」


「ひうっ……だから、何を?」


「その……俺とお前ってさ、もしかして、そのひょっとして何だけれども――」


 俺はとっさに顔を明後日の方へ背けようとして、いかんこれじゃツンデレってまた言われるな、と思って絶対に赤くなる顔を見られることを覚悟しちゃんとメガネの顔を見ると、向こうも泣き顔で酷い有様だったので思ったよりも気が楽になって、


 思い切って言う。


「――友達、なんじゃないか」


 即座に後悔した。


 言った瞬間になって、あ、これ絶対怒鳴られるパターンだと気づいた。

 てめー、から始まって、こんにゃろ、と続いて、次に、ここまでしておいて友達かよふざけんなこのツンデレやろー、とか何とかいっそう酷く泣き喚きながら罵倒が飛んでくることを俺はその一瞬の中で予想し、


「ともだち」


 予想は外れた。

 メガネはぴたり、と泣き止んだ。

 舌の上で、ころん、と飴玉か何かを転がすように、メガネはその単語をつぶやき。


 それから。

 それから――何て言えばいいのだろう。

 そのときのメガネの表情を何て言えば。


 嬉しそうな、という言葉がたぶん近くて。

 楽しそうな、という面もたぶんあって。

 可笑しそうな、という感じもあって。

 何か眩しいものを見たような、そしてそれをちょっと怖がるような。あるいはそこには寂しい、とか悲しいとかいう切なげな感情も混じっているのかもしれなくて――いやどんな表現でもやっぱり全然違う、あるいはそのどれもであるような。

 どんな言葉で言い表しても、微妙に違うものになる――そんな表情で。

 そんな表情で、メガネは。


「友達かぁ……っ!」


 と言って。

 両手を広げて、俺に抱き付いてくる。

 その直後。


 ぱっ、と。

 止まっていた噴水が、再び噴き出し始めて。

 きらきら、と。

 水飛沫が散って俺とメガネの周囲で煌めく。


 世界が空気を読んでいるのかもしれない。


 転げ落ちそうになるメガネの生首を、俺はまたもや支えなければならなくて、つまりはまあ抱き合うような形にならざるを得ない。


 そうかそうか友達か、と。


 メガネが、俺の腕の中で笑っている。

 どうして笑っているのか、本当に嬉しいだけなのか、俺に気を遣ってるだけなのか、ただ単にヤケクソなのか、何かもうよく分からなくなっていて。


 ただ、ああこれはヤバいな、と思って。


 思った瞬間には、胸の奥から沸き上がってくるその感情に耐えきれず、今度は俺の方が泣き出していて、当然、メガネはそれを見て俺をからかう。


「何泣いてんだこの泣き虫」


「友達が泣いてたら、一緒に泣くもんだろ」


「今は笑ってる。あんたも笑え」


「時間差で来るんだ――ちょっと待ってろ」


 そう、何とか言い返す俺の中に、今、こうして存在しているこの感情は、やっぱり上手く言葉にできる何かではない。

 ただ、それは恋とかじゃない。

 だってこうして抱き合っていても、やっぱこいつにはいまいち萌えないのだから。


      □□□


 翌日。


 フォルトに聞かれた。


「師匠――二号とのデートは成功した?」


「いや、失敗だったな。大失敗だ」


「そっか……それは残念だった。頭、撫でるか?」


「大丈夫。それに良いニュースもある」


「?」


 不思議そうな顔のフォルトに、俺は告げる。


「俺、友達が一人できたんだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る