99周目⑯.デート。


 デート当日は、何事もなくやってきた。


 買ったばかりの服を着て、切ってもらった髪に櫛を入れて、歯を磨いて、その他諸々の身だしなみを整えて、財布とハンカチとちり紙を持って、前の日にいつもよりちょっと念入りに磨いた靴を履く。


 今日ばかりは、金属バットも置いてきた。


 待ち合わせの場所は、学園前で。

 時刻は、約束の時間の一時間前。

 メガネの奴は、先に待っていた。


 めっちゃ綺麗だった。


 全体的に白と淡色で、清楚とかそういう言葉がどっかに貼り付いていそうで、だから露出は控え目で上品なんだけれど、でも野暮ったい印象はなくてちゃんと身体のラインだって出ていて、つまりは年齢=彼女いない歴の男を殺すアレな服装で、


 ええと、その何て言うか、あれだ。


 クラスメイトの地味で大人しい女の子の私服姿が予想外に可愛かった感じというか、つまりはそういった男子のアホな理想そのまんまだった。


 しかも、眼鏡掛けてない。メガネなのに。


 ほとんど、美少女と言えそうな感じだった。

 でもなんか、美少女って感じではなかった。

 理由はわからないが、それとは何か違った。


 白のスーツを着てくるべきだった、と俺は思う。薔薇もくわえてくるべきだった。

 正直、回れ右してダッシュで逃げ出したい気持ちは強かったが、勇気と気合いと根性をありったけ振り絞って近づいていき「よう」と片手を挙げて声を掛ける。


「おーす」


 と、メガネの奴は持っている鞄を雑に振り回しつつ、いつも通りに気の抜けた声で応じてきて、実は人違いだったらどうしよう、と思っていた俺は少しほっとする。


「いや、すげーなお前。シンデレラか」


「ふっへっへっへー」


 とメガネは、スカートの端を人差し指で摘んで聞いてくる。


「どーよ綺麗?」


「綺麗に決まってんだろ――一体どこの誰かと思ったぞ。人違いじゃねーかとどっきどきだったぜ」


「おーよ。気づかれねーかと思ったぜー。よくぞ私だと見破ったな」


「まあな」


 そりゃまあ、めっちゃ綺麗だし、眼鏡も掛けていないし、いつもは寝癖でぼっさぼさの髪も丁寧に整えられているし、薄く化粧もしているのか唇の辺りがちょっと艶っぽいし、分かるか分からないくらい微妙に穏やかな花っぽい香りがしてるし――つまりは、ほぼ原型を留めていない感じだったが、それでも俺にはメガネだと分かった。


 そりゃそうだ。

 なんせ、こんなに綺麗だってのに――なんかいまいち萌えない。

 そんな変な奴が、他にいるわけがない。


「そういうあんたは」


 と、メガネは俺の格好をじろじろと見てから、びし、と親指を立てて言う。


「良い靴だな!」


「髪型と服装は」


「いや普通」


 俺はちょっと落ち込んだ。普通て。


「……これ、いつも履いてる靴なんだが」


「知ってる。ちょっと古くなってるよな」


「放っておけ」


「でもさ――」


 と、メガネは言う。


「――ほんとに、素敵な靴だと思うよ」


 その言葉に、何だかひどく気恥ずかしくなって、俺は言う。


「靴はわかったから……服装は、その、変じゃないか?」


「安心しろ。あんたにしちゃ普通な格好だから。どうせフォルトちゃんに手伝ってもらったんだろ?」


「察しがいい奴だな……」


「そりゃわかるっての。あんたのことだから、白いスーツに薔薇をくわえたとんでもない格好で来るかと思ってたぜ」


「何言ってるんだ。そんな格好で来るわけ無いだろう」


 危なかった、と思いながら俺は言う。


「……ってか、そういや悪かったな。待たせてたみたいで」


 そう言うと、メガネは手を横に振って、


「んにゃ、どう考えても時間前だから。全然、まったく気にせんでえーよ。ってか、あんたも早過ぎでしょ一時間前とか」


 と微笑んだ後で、それから「はっ」と気づいたような顔をしてから、腕を組み胸を張りつん、と鼻先を明後日の方向へと向けながら、俺に告げる。


「――お、遅いじゃない! もっと早く来なさいよ男の癖に! まったくもお!」


「……いや、お前、何でいきなりそんな似非ツンデレ風に言い直した?」


「だってあんた好きでしょーがツンデレ」


「似非ツンデレとか反吐が出る。やめろ」


「うっわ面倒くせーなこの男は……」


「それよりも眼鏡はどうした眼鏡。メガネだろお前」


「だってあんた眼鏡野暮ったいって言ってたし……それにまあ、今じゃ伊達だし」


「おい。……おい、ちょっと待て」


「まあ、それより、これからどうする? 予定より、大分早いけど……まあとりあえず、ここにこのままいたら誰かに冷やかされるし、とにかく歩いてみっか――ちなみに私、今現在金欠な」


「金なら俺もないぞ――いや、待て。それよりお前、今、いろいろな根底を揺るがしかねない事実を明かしただろさらっと流すな」


「デートなんだし」


 とメガネが言って、不意に俺の手を取って、軽く引く。その指先の爪が控えめなピンク色で「あ、こいつ何か爪に塗ってやがる」と俺は思う。


「手ぇくらい、繋ごーぜ」


「……そうだな」


 とだけ答える俺を。

 メガネは、ぐい、と引っ張り歩き出す。

 人目から逃れるために歩き出したわけだが、休日であるせいか、通りには存外に学園内の宿舎に住んでいる学生や職員がたむろしていて、結局やっぱり人目についた。


「うわあああっ!? ソフトリーム屋のおにーさんが綺麗な女の人と歩いてるぅっ! しかも手繋いでっ!」「マジでっ!? やべーぞ浮気だ浮気!」「っつうか、あれって――」「ちくしょう生首おねーさんに言いつけてやる!」「誰か学園長を呼べぇっ!」「呼んだかの?」「うわあ学園長!?」「ちょっと見て下さいアレ! アレ!」「なんじゃなんじゃ一体何が――ああ、うん。よし、ちょっと見張っておれ。儂、今から刀取ってくる」「ちょっと学園長何する気ですか!?」「うん? あの女の敵をじゃな? こう、さくっ、と」「止めろぉっ!」「いや! やって下さい!」「そうだやれっ! 学園長! 生首おねーさんを泣かせる奴は許せん!」「――あの女の人って、生首のねーさんじゃねえッスか?」「え」「……あれ?」「何を言っとるんじゃお主。密偵の癖にそんな勘違いを――メガネぇっ!? マジかあれメガネなのかっ!? 嘘じゃろおっ!?」


 とか何とか、背後で騒ぐ声が聞こえるが、何か言ったら負けなので俺は無視する。


「いやー……ははは、野次馬すげーね。どんどん集まってきてるしあれ」


「やめろ気にすんな。気にしたら負けだぞ」


「気にしなさ過ぎも問題でしょ。……よっしゃ、ちょっと腕貸せ」


「腕?」


「ほい」


 と言い、メガネは俺の腕に抱き付いてきた。

 位置的に、えらく柔らかいアレが当たった。

 あ、まじででかいのなこいつ、と俺は思う。


「よっしゃああああああっ!!」「きゃああああああっ!!」「あ、やべっ! 興奮しすぎて鼻血出てきた……私なんかもう、死んでもいいや……どーせ一緒彼氏なんてできないだろうし」「いやそこは死ぬなよ……その、こんなときに言うのも何だけどさ、俺、お前のことがさ……」「うーん。ありゃあ、ねーさん。何か企んでるッスね……ま、別にいいや。恋路のお邪魔は俺の主義にゃ合わねえッス」「おいこの研究馬鹿の巨乳エルフ! お主んとこの助手が今すげーことになっとるぞ!! ちょっと来いすぐ来い今すぐ来い!」「いや……その学園長、その、そっとしといてやりません?」「やかましい黙っとれこの朴念仁っ!」「ぼっ――」「そうだそうだ!」「お前はさっさとあのポンコツ女王ちゃんと一緒になれ! ソフトクリームのおにーさんを見習え!」「えっと……」


 などと、背後の野次馬連中が大盛り上がりしている中、俺はと言うと野次馬が盛り上がるのに反比例してむしろ冷静になるかと言われると当たり前だが冷静では全然無くておいちょっと待ておいちょっと待ておいちょっと待てと内心で連呼する。

 互いの呼吸が聞こえるような距離で、メガネが俺に囁く。


「次の角を左――その脇にある細い道に速攻で潜り込む」


「え?」


「――撒くぜっ!」


 と言っていきなりメガネは俺の腕から身体を離すと、ちぎれるんじゃないかという勢いで手を引いて駆け出す。

 慌てて俺もメガネの速度に合わせて走り出し、背後の野次馬たちが「逃がすなぁっ! 追いかけろぉっ!」と叫び、逃げながらメガネは何が楽しいのか「ふっへっへっへーっ!」と転げ落ちそうになる首を押さえながら爆笑していて、俺は心底呆れながら縦横無尽に街の繁華街をアーケードを並木道を裏道を塀の上を壁の穴を獣道を走り回って駆け抜け時折メガネを抱きかかえて飛んだり跳ねたりする。

 野次馬の姿が見えなくなったところで頭に葉っぱを一つ乗せたメガネが「おっしゃあっ!」とガッツポーズをしてそのままぶっ倒れ、ああやっぱこいつはやっぱメガネだな、と抱き止めて葉っぱを取ってやりながら思う。


 そんなわけで、デートな一日が過ぎていく。


 時折エンカウントする野次馬連合の包囲網を回避しながら俺たちは街を歩き、投影魔法によって作品が上映される映画館に行ってメガネの見たがっていた映画を見て俺が号泣し、お洒落な店の敷居と金額の高さに心を折られた結果日頃から利用している大衆食堂で駄弁りながら昼食を取ることにしてウェイトレスのお姉さんに「あら、今日はなんか雰囲気違うのね。もしかして、二人でデートかしら?」などと言われて「まあ」「そんなところです」と答えて「まあ、そうなの。ふふ……素敵ね」などと言われ、デートなのだからと二人で手を繋ぎ勇気を振り絞って入ったゲーセン(魔法仕掛け)で不良に絡まれたりしないだろうかとおどおどしつつも「ふぉおおおっ! 超かわええっ!などと突如奇声を上げたメガネの「よし、バット! 行け! 取れ!」という言葉を受けて大量の硬貨を失いつつもぬいぐるみを獲得した。


 そんなこんなで一通り遊びまくって――あっという間に、もう夕暮れだった。


「やー楽しかったねー。デート」


 と、鞄を腕に掛け、眼鏡を掛けた猫っぽい生物のぬいぐるみを手で抱いたメガネは、もう片方の手で俺の手を引きながら実際、楽しそうに言う。


「でもほぼいつも通りだったな」


「よっしゃ、ならこのままちょっとアレなホテルにでも寄ってくか」


「ねえよ」


「てめーこんにゃろー朴念仁かー」


 そうメガネは笑って、でも、と続ける。


「でもさ、せっかくのデートなんだから――最後は、ろまんちっくなとこ行こーぜ」


「ロマンチックて」


「いいからこっち来いこっち」


「おい――引っ張るな引っ張るな」


 ぐいぐいぐいぐい、とメガネに引っ張られながら向かう先は公園で、その広場で、そこに立ち並ぶベンチの一つで、あれだ――こう、何ていうか、カップルたちが大量に沸いてイチャイチャするための場所というイメージがこびり付いて離れない場所であって、ろまんちっくな感じは確かにしなくもない。


 っていうか、ちょうどソフトクリーム屋が店じまいをしているところで、つまり、おじさんに見つかった。めっちゃ良い笑顔で親指を、ぐっ、と立ててきて何も言わずにパフェを一つ作って渡してくれた。スプーンは二つだった。


 公園のベンチへ、パフェを間に挟んで、俺とメガネは二人並んで座る。


 円形の広場のど真ん中には「ほーら綺麗じゃろ? ロマンチックじゃろ?」と言わんばかりに鎮座しその存在を主張する巨大な噴水があって、パフェを二人でぱくつきながらそれを眺めてみた。

 落ちていく夕日の赤を反射するそれは、確かに綺麗でロマンチックと言えなくもなかったが、じっと見ていたら三分で飽きた。仕方ないので、その縁のところで丸まっているえらい不細工な野良猫を見ていたが、丸まったままあまりにも動かないのでこちらも三分で飽きた。仕方ないので脳内一人しりとりを始めたが、一分とかからず飽きた。


 諦めて俺はメガネに話しかけることにする。


「なあ、メガネ。お前さ――」


「本当にさ」


 お前さ、に続く言葉を一切考えていなかった俺の言葉を遮って、メガネが言う。


「楽しかったなぁ」


「そんなに楽しかったか? 何か、あんまりデートっぽいことできなかったような気がするけれど……」


「大丈夫。楽しかったって」


 メガネは、ふっへっへっへ、と笑って、それから、俺に言う。


「あんたといるとさ、楽しい」


 もぞもぞ、と。

 それまで動かなかった噴水の縁の猫が、身じろぎする。


「前の世界でも、何か楽しかったし――今の世界でも、本当、すごく楽しい」


 赤い空には、青い色が混じり始めていた。

 夜がやってくる直前の、青と赤が混じ合った、いわゆる魔法の時間。

 その中で、メガネが言った。


「……ねえ、バット。ちょいと聞いて」


「何だ」


「私さ、もしかしたら、ゾンビかも」


「いやゾンビだろ」


「まあゾンビなんだけど、そうじゃなくて」


 とメガネは続ける。


「何て言うか、その――哲学的な」


「は?」


 何言ってんだこいつ、と思った俺に対し。

 ふっへっへっ、とまた笑ってこう告げた。


「――哲学ゾンビ、かも」

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