99周目⑩.お待たせ。

 もちろん怒られた。まあ当然だ。


「とりあえず正座な」


 と言われ、俺とメガネは学園長と飴のお姉さんの説教を受けた。


 俺は必死に状況を説明し説得し懇願し頭を床に擦りつけて、何とかフォルトだけは見逃してもらった。というか、実際のところフォルトは俺に抱えられていただけで特に何もしていない。


「ここは俺に任せて先に帰れ」


 と言って、心配そうな顔でこちらを見ていたフォルトを俺は帰らせた。

 なんか今生の別れみたいな気分になった。


 ちなみに、メガネの奴も口八丁で自分を見逃してもらおうとしていたが「お前、発煙筒投げたじゃろう?」と学園長に笑顔で言われて無理だった。

 俺もメガネの肩を、ぽん、と叩いて言った。


「お前だけ逃げられると思うなよ」


「裏切り者ぉっ!」


 と、言ってきたがそれはお互い様だ。


 そんなわけで、学園長&飴のお姉さんによる代わる代わるの説教が一時間ほど続き、メガネの奴が正座したまま気絶し、俺の意識もだいぶ朦朧としてきたところで、遅れてやってきためっちゃ美人で眼鏡掛けたエルフの女性が「まあまあその辺で」と取りなしてくれた。女神かと思った。どこぞのキス魔に見習って欲しかった。


 ぐったりとした足取りで歩く廊下の窓から見える空は、もう夕暮れ時の赤色だ。


「実を言うとだね」


 うーんうーん、と何やら呻いているメガネを背負って歩く俺に、エルフの女性が言ってきた。


「さっき君とうちの助手が一緒になって走っているところは見ていてね――もっとも声を掛ける間も無く、笑いながら遥か廊下の向こう側へとすっ飛んでいったけれど」


 そのときのことを思い出したのか、くつくつ、と笑って、エルフの女性は言う。


「うちの助手があんなに楽しそうに笑っているのは、初めて見たよ」


「俺の知ってるこいつは、そういう奴です」


 俺は「ろりばばあ……あめもじょ……」とか背中で呻いてる奴のこと思って言う。


「何かいつも馬鹿なこと言ってて、楽しそうに笑ってて、どんなときでも平然としてて――まあ、要はアホです。愛すべきアホです」


 べし、と。

 呻き声と共に放たれた手の平が俺のこめかみを一撃した。起きているのかとメガネの様子を窺うが、何やらまだうーうー言っている。まるで狙い済ましたような一撃だな、と俺は思いつつ、話を続ける。


「でも逆に言えば俺は、こいつのそういう姿しか、知りません――知らないんです」


 鋼鉄みたい、と。


 メガネのことを、誰かがそんな風に評していたことを思い出す。

 そのときは、一体誰のことを言っているのだ、と思ったものだったが――今考えてみると、メガネは本当にそう見えていたのかもしれない。

 それを俺には見せなかった、というだけで。


「俺はこいつのそういうところに随分と救われましたが――こいつにとっては、辛かったのかも」


「それはないよ」


 と、エルフの彼女は言う。


「君がうちの助手に救われていたって言うなら、うちの助手だって君に救われていたんだろうよ。たぶん」


「そうでしょうか」


「見てればわかるよ――ま、本人に聞いてみるといい。もうとっくに目を覚ましてるからさ」


「え?」


 と、言って俺はメガネの奴を見る。


「お、起きてないよ」


 と、メガネは言った。

 完璧に起きていた。

 俺は先程言った一連の言葉を思い返し、それを全部メガネに聞かれていたことに気づいて、明後日の方へと顔を向ける。

 すげー恥ずかしかった。


「それじゃあ、私はお暇しようか」


 と、エルフの彼女は俺たちに告げる。

 いやそんな無責任な、と俺は思った。

 たぶん、メガネの奴も思っただろう。

 けれども彼女は容赦なく踵を返した。


 去り際に、言う。


「えっと、その、あれだ。私は、こういう状況には不慣れなもので、何と言っていいのかわからないが――」


 そこで一旦振り向いて、眼鏡の奥から俺を真剣な目で、じっと見つめて告げた。


「――うちの助手を頼む」


「いや誤解ですって」


 と、メガネが気絶した振りをやめて即座に否定していたが「いや分かってる――ちゃんと分かってるから大丈夫」と言って彼女は去っていこうとして――途中でまた立ち止まり振り返って、


「ただし節度は守るようにー!」


 と叫んだ。


「だから違いますってー!」


 とメガネは俺の背中で叫び返した。


「あーもー……。どいつもこいつもこんちきしょーめ」


 と背中でぼやくメガネに、俺は告げる。


「何でお前気絶した振りしてんだ」


「いやうん。タイミングがね? こう、なかなか切り出せなくて……ね?」


「あのなあ」


「いーじゃねーか。減るもんじゃねーし」


「いや増えるんだよ。恥ずかしい過去が」


「増やせ増やせもっと増やせ。私が爆笑してやっから」


「やめろ――というか、お前、起きてるんだから降りろよ」


「えー歩くのやだーもうちょっとー」


「子どもかよ……というか、さっきから背中にえらく柔らかい何かが当たってて、俺としてはすごく気になってるんだが」


「もちろん男子の大好きなアレですわ。運賃代わりにくれてやる。楽しめ楽しめー」


「降りろ」


「ちぇー」


 と言って俺の背中から降りたメガネは、「さーて」と言って眼鏡と首の位置を直すと「そんじゃ、やることやんぜ」と俺を見る。


 何をだ、と一瞬眉を潜めて。

 決まってるか、と俺は思う。


「手料理」


「おーよ。作ったげる」


 と、メガネは俺に言う。


      □□□


「事情は分かった――とりあえず、無事で良かった」


 無事であることと「今晩ちょっと他所でメシ食ってくるから心配しないように」という旨の連絡をしたところ、フォルトはポニテを揺らしつつ一つ頷き、それからこう続けた。


「ふぁいと。明日は赤飯炊く」


 誤解されているようだったが、もういちいち誤解を解いて回るのも面倒だったので諦めた。


 とりあえず、スーパーに買い出しに行った。


 もちろん、この世界にはスーパーマーケットがある。それはまあ別にそこまで驚くことではないのだが、何故か、元の世界で見知ったものと同じような食材が並んでいる。醤油だの味噌だのも売っていた。数は少ないものの、当たり前のように商品棚に置かれている。

 まあ、これも魔法のおかげだろう。

 あるいは、かつて召喚された転生者だの召喚者だのが伝えたとかそういう。


「さー。ぶちこめーぶちこめー」


 と、メガネの奴は俺の持っているカゴにぽんぽんと食材を放り込んでいった。正直、適当に放り込んでいるようにしか見えなかったが、たぶんちゃんとメニューは考えているのだろう。そういう奴だ。


 買い出しを終えてスーパーを出たときには、もう日は完全に落ち切るところで、周囲の色は赤から青に変わっていた。


 ぱっ、ぱっ、ぱっ、と。


 街灯の光が点いていく中を、食材を詰め込んだレジ袋を持って二人で学園に戻る。

 警備員の人に慣れない様子でメガネが許可証を見せて手続きをし、学園に入る。

 食材の詰まったレジ袋を抱えながら、俺たちが向かう先は学園の研究室で、何でかというとメガネはそこに住んでるからだ。

 そしてひたすら研究ばかりしている。

 つまり、外に出てこない。

 俺は言う。


「引きこもり」


「ブーメラン」


「甘いな。今の俺には職がある」


「嘘ぉ!? まじで!?」


「お前、そのリアクションは相手を傷つけるやつだぞ……」


「何の仕事?」


「ソフトクリーム屋だ」


「そふとくりーむ」


「ワンコイン。さらに二枚ほど追加料金を払えば、コーンフレークとウエハースとお好みのソースを追加してパフェにできる」


「ぼ」


「違う。夢と希望が詰まってるんだ」


「いやどっから出てきた。夢と希望」


「えっと、その……どっかからだよ」


 へん、と鼻で笑われた。

 俺はちょっとだけ凹む。


「そんな凹むなって。今度食いに行くから」


「いや、たぶんお前もう食ってると思うぞ。前に一回、保冷剤入れて、あのエルフの人が持ち帰ったはずだ」


「そっちじゃなくてパフェの方」


「ああ」


「夢と希望が詰まってんだろ。期待してる」


「……おう」


「そして私の料理にもせいぜい期待してろ」


 そんなこんなで辿り着いた研究室は、何となく頭に浮かんでいたごっちゃごちゃなイメージとは違って、綺麗に片付いていた。


「だって魔法で収納できるし」


 とのことで、便利なもんだな、と俺は思う。

 ちなみに、俺も前にその手の魔法を試してみたことがあったが、そのときは入れたものが取り出せなくなった。よりにもよって魔王城への道を切り開くためのキーアイテムだった。あのときは本当に大変だった。もう二度とやらない。


「そんじゃーいっちょ作っかー」


 と、どこからともなく取り出したエプロンを、するり、と身につけながらメガネ。


「例の『かとらり』とやらは使うのか?」


「使わんよ。100パー手作りだ。喜べ」


 そうか、と頷き、俺は何となく手持ち無沙汰だったので言葉を続けた。


「何か手伝うか?」


「そんじゃ包丁で野菜切れっか?」


「野菜は無理だけどドラゴンなら」


「邪魔だ。座ってろ」


 座った。


 研究室の奥には給湯室があって、メガネはレジ袋ごと食材を持っていく。

 俺はすることがないので窓の外を見る。外はとっくに真っ暗になっていた。

 壁に掛けられている時計を見て、今日ももう終わりだな、と思う。

 本当に、随分と長い一日だった。


 待った。


 とんとん、と野菜を刻む音がした。

 ぐつぐつ、とお湯が沸く音がした。

 じゅうっ、と何かを焼く音がした。


 何だか、えらくそわそわした。

 ちょっとくすぐったいような。

 でも、嫌な感じじゃなくて――何だろう。

 どうも上手い言葉が見つからないけれど。

 とにかく何かこう、ちょっと良い感じだ。


 料理は思ったよりも早くできあがった。

 やたらと気合いが入っているようだったので、何時間も待たされたりするのか、と思っていたけれども、別にそんなことはなかった。時計の長い方の針が一周するかしないか――そんな程度の時間でメガネは給湯室から料理を運んできた。


「へいお待ちぃっ!」


 と、アホみたいな掛け声を放ってくるメガネに、俺は言う。


「まったくだ。待ちくたびれたぞ」


「ふっへっへっへっ――」


 と、メガネも笑い、その割にひどく慎重な手つきで机の上に並べられていく二人分の皿や食器。その上に、丁寧に盛りつけられている料理を俺は見る。


 特にびっくりするような料理ではなかった。

 炭化した料理が出てくるとか、あるいは逆に冗談みたいに豪勢な料理が出てくるとか、そういうことはなかった。

 何となく、そのどちらかと思っていたのだけれど――でも、目の前の料理はどちらでもなかった。


 というか普通の料理だ。


 元の世界の自分の家で毎日母親が作ってくれていたような、ごく普通の家庭料理。


「よし――じゃあ、食ってみ」


 と、エプロンを外し、自分も席に付きながらメガネの奴が俺に言う。


 俺はまあ礼儀だろうと手を合わせた。

 メガネの奴も、一緒に手を合わせる。

 いただきます、と。

 二人で言って。

 俺は箸を手に取る。

 メガネの奴が固唾を呑んで俺を見る。

 俺もなんだかちょっと緊張しながら。


 食べた。


 咀嚼する。

 見た目だけまともで、味は壊滅的というパターンも警戒していたが、杞憂だった。

 全然まったく、そんなことはなくて。

 俺は言う。


「普通だな」


「おいこらてめー」


 メガネが、ぎろり、と睨んできた。


「普通? よりにもよって女の子に作ってもらった料理に対して普通と言いやがったかてめーおい? ちょっと表出ろ――ぶっ叩いてその根性直してやる」


「いや、そうじゃなくて」


 と、俺はメガネに尋ねる。


「なあ、お前さ――こうやって、家族のために料理とかいつも作ってたのか?」


 まくしたてていたメガネが、不意に黙った。

 ちょっと面食らったような顔で、俺に言う。


「……違うよ」


「そうか? そうだと思ったんだけど――」


「何で?」


「何て言うか――その、自分の家で食べる料理って感じがしたからさ」


「お袋の味って奴?」


「いや、ウチの母親が作ってたのと味は全然違うっていうか、それよりずっと丁寧な感じだけど……でも、何か同じっていうか。その、つまり――」


 あれだ、と俺は告げる。


「――なんかすげえ、ほっとする」


「…………」


「美味いんだけどさ。でも、それよりももっとこう、あったかい感じがするっていうか。家族みんなで、馬鹿話しながら食べる感じっていうか。だから普通、というか――おい、メガネ?」


 ぽたり、と。

 涙が一つ、メガネの奴の目から零れ落ちた。

 ぽた、ぽた、ぽた、と。

 それが二つになって、三つになって――あ、と思ったときには、もう止まらなくなっていた。


 俺は慌てた。


「いや、その、悪かった――俺、そんなつもりで言ったわけじゃなくて」


「ちげーよばか」


 と、メガネは鼻声で言ってくる。


「これは、悲しいわけじゃ、なくてさ」


 ひっぐ、と。

 嗚咽混じりのぐじゅぐじゅな声で。

 ぽつり、ぽつり、とメガネが言う。


「私さ」


「ああ」


「ずっと、あんたに会いたくてさ」


「ああ、俺もだ」


「ずっと、手料理、食べてもらいたくて」


「うん」


「本当にさ、ずっとずっと――食べてもらいたかったんだよ?」


「そうか」


 ふっへっへ、とメガネの奴は笑う。


「――お待たせ。バット」

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