99周目⑦.違和感の正体は。


 そして、次の一瞬がやってきた――直後。


 ぱきん、と。


 チェーンソーのけたたましい音の合間を縫うように、乾いた音が鳴った。

 仮面が割れる音。

 先程の一撃で入ったヒビから割れて砕け。

 残骸となって、床に落ちる――その瞬間。

 相手はチェーンソーを振りかぶってきた。


 たぶん、この瞬間を狙っていたのだろう。


 まあそりゃ、本当に真っ向勝負したなら、勝つのは間違いなく俺だ。これくらいは仕掛けてくるに決まっているだろうと思っていた――そして、思っていた以上は、通用しない。


 舐めんな、と俺は思う。


 そう何度も、不意を突かれてたまるか。

 目前の脅威であるチェーンソーに対して極度に集中させ研ぎ澄ませた意識は、仮面が落ちた程度で揺らいだりしない――その程度の雑な不意打ちは通じない。

 俺の勝ちだ。


 ――が。


「師匠――」


 背後からの声によって、不意を突かれた。

 フォルトだ。

 おいまだ隠れてろ、と叫びそうになって。


「――足下!」


 と続くフォルトの言葉の意味を理解するより反応するより――さらに早く。


 魔王がチェーンソーを手放した。

 完璧に不意を突かれた。

 ちょっと意味が分からなかった。


 ごとん、と。


 床に落ちるチェーンソーを信じられない思いで見ながら、まさか降伏するつもりかと思って、そんな感じじゃない、と即否定し――倒しちゃっていいのかこれ、と思って、いいからもう倒しちゃえよやっちゃえ、ともうやけくそぎみに即肯定した。

 距離を詰めるための一歩を俺は踏み出、


 がくん、と。


 いきなり体勢が崩れ、何が起こったかわからず、とっさに俺は先程フォルトに言われた言葉に従って足下に目をやる。


 足下にロープが張られていた。

 信じられないほど古典的な罠。


 でもいつの間にこんなものが、と疑問を抱いたところで、俺の視線がロープを辿る。その両端で、よっこらしょ、と一生懸命にロープを引っぱっている、えらくちっこい人型の「変なの」数匹を発見する。


 ――え、何こいつら。


 と、死ぬほどどうでもいい思考を思わず巡らせてしまった隙を突いて、魔王がまたどこからともなく何かを取り出して構える。


 拳銃。


 当然、銃口は俺を容赦なく狙い、魔王は引き金を躊躇いなく弾いた。


 瞬間の中で。

 俺は、飛んでくる銃弾を視認した。

 ただの銃弾は今の俺に通用しない。

 ただの銃弾であるわけがなかった。


 金属バットを握り締める。


 今の崩れた体勢でできるのか、と思考が弱音を吐きかけ――やるしかないだろうが馬鹿、と活を入れてその弱音を押し潰す。

 全力で床を踏み込んだ。

 轟音が一つ。

 砕けてひび割れ破片を散らす床材。

 不安定な姿勢の中、踏み込みで生じる膨大な運動エネルギーが明後日の方向へと向かって俺自身の身体を吹っ飛ばしそうになるのを、体裁きで必死に制御し、腕の動きに乗せて併せ――金属バットを振り抜く。


 とっさに展開した俺の障壁を容易くぶち抜き、纏っていた分厚い迷彩を瞬時に吹っ飛ばしながら音速を超えて飛んできた銃弾を、


 かきん、と、


 それを遥かに超えた速度のスイングで、明後日の方向へと打ち返す――さすがに、ピッチャー返しとまではいかなかった。


 直後。


 無茶苦茶なスイングで掻き回された空気が荒れ狂って講堂の中で暴れ回り。

 続けて、天井に着弾した銃弾が大爆発を発生させて講堂全体を揺さぶった。


 机と椅子と各種残骸と足下の「変なの」が、巻き上げられ、もみくちゃにされ、そこかしこへと吹っ飛んでいく。


「わぁお。でんじゃらす」


 とまるで危機感のない声を上げつつ、しかし迅速にフォルトが頭を引っ込めるのと同時に、


「ぎゃーんっ!?」


 いう天使さんの悲鳴。何か直撃したらしい。


 その中で――俺は魔王に向かって行く。


 平然と銃を放り捨て、こちらから見えないように後ろ手で何かを構えている相手を見据え、金属バットを振りかぶって――その瞬間。


 仮面に覆われていた相手の顔を俺は見た。 

 迷彩に覆われていた俺の顔を相手は見た。


 『――え?』


 と、二人して間の抜けた声を上げて。


 ぴたり、と。

 俺は金属バットを頭上に振りかぶったまま。

 魔王はバールのようなものを構えた状態で。

 お互いに動きを止める。


 意外なことに、というべきか、あるいは当然に、というべきなのか分からないが、魔王は女だった。


 何かこう――変な女だった。


 黒髪が何かこう、ぼさっとしていて、寝癖が、ぴょんぴょん、と立っていて、やる気があるんだかよくわからない眠そうな目をしていて――それからなぜだか、眼鏡を掛けていないことに強烈な違和感があった。


 違和感。


 そこで俺は、不意に気づく。

 ずっと纏わり付いていた、違和感の正体。

 えっと……うん、あれだ。


 その――なんか、いまいち萌えない。


 恐る恐る、俺は相手に尋ねる。


「……メガネ?」


「……バット?」


 恐る恐る、相手が俺に尋ねてくる。


 ふつふつ、と。

 喉の奥の腹の底から言葉が湧き出て。

 ぱくぱく、と。

 どうにも上手く言葉にならず消える。

 すうすう、と。

 何とか呼吸を整えて言葉を整理して。


 そして、お互いに何かを言おうとした瞬間、


「見いいいぃーつっけたあぁっ!」


 どばん、と。

 半開きになっていたはずの講堂の扉を、魔法によって盛大に吹っ飛ばしつつ、


「さあて、俺たちからこっそこそ隠れてた可愛い子猫ちゃんたちよお! どうかせいぜい、このウィザード殺しのウィザードな俺様の前で可愛い声で鳴いて喚いて――」


 と、テンプレ通りなゲスっぽいことを言って、一人のゲスなウィザードが現れた。

 たぶんテロリストの一味なのだと思う。そしてたぶん、その中でもゲスな輩なのだと思う。だってなんかもういかにもゲスっぽい。

 目の下に隈があってゲスっぽい。

 話し方が下品で耳障りでゲスっぽい。

 武器であるらしい両手の短剣を舌で舐めていてもうめっちゃゲスっぽい。

 そんなゲス・オブ・ゲスな彼は、


「存分に楽しませてくれ、よ、な……」


 と、途中で口ごもった。

 しばし考え込むように沈黙した後、言う。


「えっと……なんか、すみません」


 と頭を下げ、


「なんかこう、自分、空気読めてなかったみたいッス。もうちょっとしてからまた来ますんでよろしくお願いします――えっと、じゃあ、お邪魔しましたごゆっくりー」


 と、壊れた扉をはめ直し、ゲスなウィザードは出て行った。


「…………」


 さらに、しばしの沈黙を挟んだ後で。


 とりあえず、俺は言う。


「ええと、その……お前、メガネか?」


「うん、まあ……」


 と、どこからともなく取り出した眼鏡を掛けつつ、メガネが俺に聞いてくる。


「……えーと、バット?」


「おう」


「おい――おいこら」


 と、メガネが言う。


「てめー何いきなり襲いかかってきてんだ。しかも透明とか。モンスター映画かよ」


「うるせえよ。お前入ってきたときの格好よく思い出してみろ。どう見ても不審者だろむしろ殺人鬼だろホラー映画だったろ」


「うっせ。こんにゃろてめー、女子の顔面に一発かましてきやがって。めっちゃ怖かったぞ仮面が無かったらどうなってたと思ってやがんだ」


「んなもんわかるわけねえだろ。そんなん言うなら一発で女だってわかるように、もっとカラフルでふりっふりで可愛いらしい格好してろよ。せめて仮面やめろ」


「ふざけんな。そんなナメた格好で戦えるわけねーだろおっかねーだろせめて頭部ぐらい守らせろや――ちくしょうてめー、仮面も糸も、フライパン号までおシャカにしやがって。修理めっちゃ大変なんだからな」


「フライパン号?」


「フライパン号」


 と言って、ぷすん、と止まったままの「何か」の脚を指差すメガネ。


「ネーミング……」


「文句あっかコラ。乙女の武器はフライパンと相場が決まってんだよ」


「チェーンソー持ち出してる奴が乙女?」


「おーよ乙女だ! 美少女だ! 萌えろ!」


「いや、だからお前には――」


 と。

 自然に、本当にごく自然にそう言いかけて。

 不意に、ぐ、と込み上げてくるものがあって、それに耐えきれなくて俺は言う。


「なあ、おい」


「おーよ。どした?」


「悪い――ちょっと抱き締めるぞ」


「へ?」


 ぎゅう、と。

 間の抜けた顔をしたメガネを、抱き締める。


「うひゃあっ!?」


 と、メガネの奴が変な声を上げるが知ったこっちゃない。


「リア中爆発しろっ!?」


 と、こちらの様子をこっそり窺っていたフォルトがここぞとばかりに瞳を輝かせてそう叫んでいるが、別にそういうんじゃない。


「お……おおう……ちょっと見ない間に、随分とえろい奴になったじゃねーか……そんなに私のないすばでぃーが恋しかったか?」


「そういうんじゃねえよ」


「まーたまた。えーと、その……こりゃあれだろ? ちょっと見ない間に、あんたもついに、私と眼鏡に対して萌えられるようになったってこったろ?」


「お前にも眼鏡にもいまいち萌えない」


「てめーこんにゃろ」


 と、抱き締められているメガネが、持っていたバールのようなもので、ばっしばっし、と俺の背中を引っぱたく。


「でも――」


 と、俺は言う。


 何でお前魔王になってるんだ、とか。

 今まで一体何やってたんだよ、とか。

 そもそも何で生きてるんだよ、とか。


 聞きたいことは山ほどあったが、そんなことはどうでもいい。今はどうでもいい。


「――生きててくれて、良かった」


「……そりゃどーも」


 メガネの奴は。

 何だかひどくくすぐったそうな顔をして目を逸らし、でもすぐにこちらに視線を戻して、それから言った。


「………つーか、女の子をこんな強く抱き締めんな。潰れる潰れる。窒息するっつーの。あと金属バットがごりごり当たってめっちゃ痛い」


「あ……わ、悪い」


 と、言って俺はメガネを離す。

 おー痛てて、とか言ってるメガネに尋ねる。


「……というか、お前、テロリストじゃないんだよな?」


「違げーよ。学園関係者。ちょいとここの研究者の人に召喚されてさ。そのままそこで助手として働いてる。えっと、知ってる? めっちゃ美人でグラマーでしかも眼鏡なエルフの」


「ああ、あの人……ってか、例の七不思議な引きこもり魔王ってお前かよ」


「誰が引きこもりだ誰が。ってか何であの人のこと知ってんだよ狙ってんのか私が許さねーぞ」


「違う。あの人はウチのソフトクリームを買っていってくれる常連さんでだな」


「例の公園でソフトクリーム巻いてる意味不明な勇者ってお前かよ……ってかさ、感動の再会に水を差すようで悪いけど」


 落ち着いて聞けよ、と前置きしてから、メガネは俺に言う。


「私さ、実は死んでるんだよね」


「いや生きてるだろ」


「いや死んでる。現在進行形で」


「……は?」


 意味が理解できず、俺は思わず聞き返す。


 と。


「あのう……」


 と、ゲスっぽいウィザードが扉を開けて顔を出し、こちらの様子を見て、


「すんません……もうちっと待った方がいいッスかね……?」


「いやもうお構いなく」


 と、俺は言う。

 隣でうんうん、とメガネも首を縦に振る。


 ゲスっぽいウィザードはぱぁっ、とゲスい表情を取り戻し、


「どうかせいぜいこの俺様の前で可愛い声で鳴いて喚いて――存分に楽しませてくれよなひゃははーっ!」


 どばん、と再び扉を吹っ飛ばしつつ告げる。

 何というか、たぶん悪い人ではなさそうだが、少なくとも今は敵だ。


「綺麗な花を咲かせてくれよ――真っ赤な真っ赤な、内臓の花をなぁっ!」


 とゲスく叫びつつ。

 両腕に持った短剣をこちらに投げつける。


「死ねえっ! ひゃっはあああっ!」


「うい」


 と。

 一本は、金属バットで。

 もう一本は左手で弾く。

 それと一緒に、派手な両腕の動作に隠れて、こっそりと魔法によって操られ投げつけられた、透明化の魔法が付加されたナイフは念のために歯で受け止め――ばきん、と噛み砕いておく。

 べぎょっ、と。

 同じタイミングで、メガネが投げつけたその辺にあった椅子の残骸が、ゲスなウィザードの顔面にえげつない音を立てて直撃した。


「げすぅっ!?」


 と、ゲスい感じの呻き声を上げてひっくり返って倒れるゲスなウィザード。


「やー……この初見殺しをこうもあっさり見切られちゃ、俺にはちっと勝ち目ないッスねー。降参、降参ッスー」


 と言って、両腕を上げてくる。


「つーかさ」


 と、メガネが言ってくる。


「さっきからこっちちらちら見てるあの娘は何だよてめー。まーた美少女コマしやがったなこのヤロー」


「あれは弟子だ」


「弟子ぃっ!? あんなめっちゃ可愛い弟子がいるとかふざけんな私によこせ!」


「やるわけねえだろうが。あれは俺の弟子だお前みたいな女に弟子はやれん帰れ」


「仲良いんスねー……夫婦かな?」


『いや、こいつには何かいまいち萌えない』


 と、俺とメガネは声を揃えてゲスいウィザードの言葉に答えて、彼は「あ、そッスか……」と黙り、フォルトが「リア充爆発しろ!」とまた言った。天使さんは――さっき何か残骸の直撃を受けたせいで「きゅーん……」とか言いながら伸びていた。


 俺は肩をすくめ、それからメガネに言う。


「あのさ」


「んー、何」


「その……覚えてるか。約束」


「ああ」


 にぃ、と意地悪く笑って、メガネは言う。


「食べたいんだ? 私の手料理?」


「別にお前の手料理なんて食べたくねえよ。でもほら、約束は約束だからな」


「ツンデレ」


「うるせえ」


「ふっへっへっへっへっへっへー」


 と、メガネの奴は何か上機嫌に笑って。


「あっ」


 こつん、と。

 陥没した床につまずき、思いっきりバランスを崩して転びそうになったところを、


「何やってんだおい」


 と、俺はとっさにメガネの奴を支えて。

 直後。

 ころん、とメガネの首が落ちた。

 ごつん、と音を立て床に落ちて。


「痛ぁっ!」


 と生首が悲鳴を上げるのを、俺は見下ろし。


 ……。

 ……。

 ……。


「ぎゃああああああああああああああっ!!」


 と、俺は絶叫した。

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