そしてギロチンの刃が落ちるまで。
私には、よくわからない。
私によく似ていた彼女のことも。
私を拾った悪逆非道な彼のことも。
やっぱりよくわからない。
私と似ていた彼女が死んだ日。その前日。
夜中に、第七国王に呼ばれた。
もしや気が変わったとかで私が殺されることになったのか、それともちょっとアレなことか、と内心びくびくしながら王座に向かったところ、先客がいた。
彼女だった。
王座の第七国王と向かい合っていた。
私は迷った。
王に呼び出された以上、ちゃんと顔を出さないと「てめーこのやろー」とか言われて殺されかねない。とはいえ、明日死ぬ彼女とはどうにも顔を合わせづらかった。
迷った末に、私は近くの柱の影に隠れた。
ちょっと意味がわからない。
何だって、そんな馬鹿なことをしたのか。
とっととその場から立ち去るべきだった。
「ねえ、お父様」
と、彼女が言う。
「お父様は、私を殺すんでしょう?」
聞くんじゃなかった、とその瞬間に思った。
でも、すでに遅かった。
出て行くことも、立ち去ることもできずに、私はそのまま柱の後ろで二人の会話を聞いていた。
「そうだな」
と、第七国王が頷く。
「お前は役立たずだ――だから死ね」
おいふざけんな、と理不尽な怒りが湧いた。
それでも貴方は父親なのか、と怒鳴りたくなる感情を必死で宥めていると、彼女が言った。
「ええ――それで構いません」
平然と、そう言った。
「それだけのことを、私はしてきました」
何だよそれ、と私は思った。
そう思ってたならどうして、もっと――。
「ねえ、お父様」
ちょっと小首を傾げて、彼女が告げる。
「最後に一つだけ、お願いが」
「言ってみろ」
「今だけでいいですから――昔みたいにしても、いいですか?」
「しょうがねえなあ」
と、第七国王は言った。
「冥土の土産だ――好きにしろ」
その言葉を受けて。
とんとん、と。
軽やかな足取りで、彼女は国王に近づく。
王座の第七国王に跪くようにして――その膝の上に、ぽふ、とその頭を乗せた。
第七国王の手の平が彼女の髪をそっと撫で。
くすくす、と。
くすぐったそうな声で、彼女は笑った。
「ねえ、お父様」
甘えたような。
ただの少女のような声で、彼女は言った。
「昔はいつも、こうして下さいましたね」
「まだ、役に立つと思ってたからな――役に立つ奴は好きだよ。俺は」
「今は違うのですね」
「ああ。役立たずになったからな」
「知っておりますよ。アメリはそんなこと、ちゃあんと、知っております」
それでも、と彼女が告げた。
「嫌われた今でも、アメリは、お父様が好きですよ」
「そうか」
「大好きですよ。お父様」
「……そうか」
それ以上は、もう無理だった。
私は目を閉じて、耳を塞いだ。
彼女の姿を見ていられなかったし。
彼女の声を聞いていられなかった。
そのまま、柱の影で蹲って――どれぐらい、時間が経っただろう。
げし、と。
いきなり誰かに蹴られた。
慌ててそちらを向くと、第七国王が私を見下ろし、呆れたように言ってくる。
「んなとこで何やってんだお前は」
「いえ、別に……」
と、私は言葉を濁して、それから言う。
「その……彼女は?」
「とっくに部屋に戻ったよ」
「……あの、もしかして、今のを見せるために私を呼んだんですか?」
「俺は悪党だが、そこまで悪趣味じゃない――そうじゃなくて、明日アメリの奴を殺すから、その後の段取りの確認をだな」
「貴方は」
一瞬、続く言葉を躊躇した。
それ以上はやばいって、と感情が言った。
やめとけギロチンだぞ、と理性も言った。
「何故、ここまでするんですか」
けど、それを無視して言った。
「だってあの娘は、貴方の好きだった人の、忘れ形見でしょう?」
言わずには、いられなかった。
「貴方は復讐のためにこうなったのに――これじゃあ、本末転倒じゃないですか」
ああ言ってしまった、と私は思い「よしお前ギロチンな」とか言われたらどうしよう、と震えていると「お前さ」と第七国王は言った。
「俺がこうなったのは、前の王がアメリの母親に毒を盛ったからだと思ってんだろ」
「違うんですか」
「違うよ」
第七国王は大したことでもなさそうに言う。
「毒を盛ったのは、俺だ」
一瞬、時間が止まったように感じた。
「……どうして?」
「どうして、と言われてもな」
「だって――好きだったんでしょう? 愛してたんじゃないんですか?」
「惚れてたよ。あいつは本当、最高の女だった。世界中探したって、あいつみたいな女はきっと見つからない――そう錯覚するくらいにゃ惚れてた」
「それなら――何で?」
「そうすれば前の王を潰す口実ができるからな――そのために、一芝居打った」
「そ――」
感情と理性が一緒になって「え?」と間の抜けた声を上げたままに凍り付く。理性がそれでも何とか動こうとして「え?」と再び凍り付いた。
ちょっとどころではなく意味が分からない。
「――そんなことのために?」
「そうだな」
「貴方は、何なんですか?」
「王様」
ただのな、と第七国王は笑う。
「だから『そんなことのために』一番大事なものだって差し出す――分かるか?」
「分かりたくも、ないです」
「だよな」
「……その人は、そのことを?」
「知ってたに決まってんだろ。そもそもが、あいつが最初に出した案だからな」
「嘘でしょう?」
「言ったろ? 最高の女だったってな。馬鹿みたいに頭が切れて、とびっきりの美人で、めちゃくちゃ優しい奴で――それでいて、えげつないことをさせたら俺でもどん引きさせてくる、化け物みたいな女だったからな」
すっ、と。
そこで第七国王は私を見て、目を細める。
「お前とちょっと似てるよ」
「…………」
不意に思い出す。
そっくりだ、と私を見て彼が言ったことを。
彼女と似ているという意味だと思っていた。
でも、とその先を私は一瞬考えようとして――余計な思考だと切って捨てた。
「まあ、あいつの方が全部上だけどな。頭も顔も性格もえげつなさも」
「……私はアメリ様に似てますからね。そう感じることもあるでしょう」
「いや、アメリとお前は顔以外、全然似てねえよ。まるで違う」
全然違う、と第七国王は笑う。
「アメリは、お前よりもちっとだけ弱いし、お前よりもちっとだけ優しい」
「……それは似ているのでは」
「いんや、それが全然違うんだ――お前、例えば、こんな奴と会ったらどうする? 素晴らしい理想に燃え、それを声高に掲げて、剣を振るう、素敵な若造だ」
これは何かのカマを掛けられているのだろうか、と私は今更に思いながら、慎重に当たり障りのない言葉を選ぶ。
「……まずは話をしますね。とにもかくにも、そこからです。場合によっては、とんだ理想論ってことも有り得ますし」
「だろうな」
と、第七国王は頷いて、
「でも、同じことを、アメリは出来ない」
「そんなことは――」
「あるんだよ。言っておくが、相手の理想論に気づけないってわけじゃねえぞ? アメリは頭が良いんだ。ちゃんと気づける。気づくことはできるが――たぶん断れない」
「……」
「アメリは、弱さを隠すには優しすぎる。そして優しさを押し通すには、弱すぎる」
「……」
「だから耐えきれなくて、壊れた」
「……」
「最初の娘でなけりゃ、もう少し馬鹿に生まれてくりゃ、俺の娘に生まれなけりゃ――そうじゃなかったかもしれんが、そうじゃなかった。そういうこった」
「私は」
と、私は第七国王を見つめた。
たぶん睨み付けるような目で。
「同情しませんよ。彼女にも――貴方にも」
第七国王は私の顔を見た。
それから、へっへっ、と笑ってこう言った。
「やっぱあいつと似てるよ。お前」
□□□
アレックスが生きていた。
アリアに付き添われ、ゾンビみたいな足取りで地下から脱出した私に、
「姉上!」
と、めっちゃ可愛い顔に笑みを浮かべて寄ってきた彼の姿を見たときは、そりゃ驚いた。絶対に死んだものだと思っていた。
「旅の魔法使いに助けていただいたのです」
と、アレックスが言うが、どう考えても並の治癒魔法で治る状態ではなかったはずだ。何者だそいつは。
その魔法使いとやらがいれば、今の私も一発で全快すんのかな、と思ったが、いないものは仕方がない。私はアリアからもらった魔法薬をがぶ飲みにして、ぼろ雑巾みたいになってる身体を何とか誤魔化す。
よし、と私は伸びをして気合いを入れる。
すぐにでも柔らかいベッドで三日ほど惰眠を貪りたいところだったが、まだ、やるべきことが残っていた。
クーデターは秘密裏に実行されたらしい。
アリアが少数の精鋭を率いて侵入し、第七国王をピンポイントで確保した。軍隊がこっちの味方である以上、そりゃそうなる。第七国王の私兵もそれなりには居ただろうが、それなり程度の戦力でアリアを止められるわけがない。
本来ならば、ちょっとした国民向けの演出として、反旗を翻した軍隊が王宮をぐるっと囲むとか、そういう派手なことをする予定だったのだ。だから、そのための準備を進めていた。
でもそれでは間に合わなくなる、とアリアは判断したのだろう。実際、あと一日遅れていたら駄目だったと思う。本当にぎりぎりだった。
だが。
ぎりぎりだろうと何だろうと、私は生き残ったわけだし、革命は成功した。たぶん後から軍隊に王宮前で騒いでパフォーマンスしてもらうだろうが、実質的に、これで革命は終わりだ。
私の勝ちだ。
と、いうわけで。
負け犬相手にドヤ顔してやらねばなるまい。
私はアリアとアレックスに付き添われる形で王座の前までやってきた。その王座にどっか、と座る――縄でぐるぐる巻きにされ、頭にたんこぶを一つこさえた貧相な中年男の姿。
私は告げる。
「ご機嫌如何ですか。お父様」
「まあ最悪だな」
「それは良かったです」
「良い笑顔だな……」
「それと――そちらの執事の方も」
「その説はどうも」
と、近くの床に転がされている老人が答える。縄でぐるぐる巻きにされた執事兼拷問官。ちなみに、たんこぶは二つ。一つはアリアの分で、も一つは私の分とかたぶんそんな感じ。
私は告げる。
「素敵な格好ですね」
「ありがとうございます」
あーあーあーあー、と第七国王が呻く。
「ちくしょうめ。引っ捕らえた時点で『やった! これで勝った!』と思ったんだが、そうそう上手くはいかねえもんだな……もう、ここまで準備整ってやがったか」
「そこ、把握してなかったんですか?」
「してねーよ――ああ、そうだよしてなかったよ。完全に油断してお前ら相手に後手に回った形だよ。ズ・ルーを潰すこと考え過ぎて、お前を泳がせ過ぎた結果だよ。アレックスに情報伝えんのもうちょい遅らせれば良かってめっちゃ後悔してるよ――さあ、これで満足かおら」
「何か隠し球があるのかと。何かこう――超強力な魔導兵器持ってるとか」
「ねーよ」
「実は私たちの仲間に間者を仕込んでいて、ここから大逆転を狙っているとか」
「お前、俺を過大評価し過ぎてねーか?」
「私は」
と、第七国王に私は言う。
「全て、あなたの手の平の上だと思ってましたけれど――私が、貴方に革命を起こすことも含めて」
「…………」
不意に黙り込む第七国王を私は見下ろす。
その口元が、吊り上がっているのを見る。
なんせ「そんなこと」のために最愛の人間を犠牲にできる男だ。
当然、自分自身も例外ではないのだろう。
本当なら、と私は思う。
本当なら、今ここでこうしているのは、私と似ている彼女だったはずだ。それが――父である悪逆非道な王を倒した、救国の英雄にして女王となることが――彼女の果たすべき役割だったのだろう。
でも。
彼女には、それができなかった――できなかったのだ。
だから、と私は思う。
だからこの男は、私を用意したのだ。
彼女の代わりをさせるために。
「どうせあれでしょう――私のことも本当は殺すつもりはなかったとか、そういうことなんでしょう? 右往左往する私を見て笑ってただけってことですよねどうせ」
「いや全然。本気で殺すつもりだったが」
「え、まじですか?」
「それで死ぬなら、それまでの奴だからな。そんときゃ、また別の奴を探してくる予定だった。ま、一回で上手くいって良かったよ」
「…………」
「お前はやっぱ俺を過大評価し過ぎだよ――他人を手の平の上で転がすことなんざできるもんじゃねえし、できると思っても大抵はくそつまんねえことでご破算になるもんだ。今の俺みたいにな」
「心に留めて置きますよ」
「おーよそうしろ――っつうわけで、お前の勝ちだ。煮るなり焼くなりギロチンに掛けるなり好きにしな」
「しませんよ」
「お。何だ優しいなおい。そんなんで革命が成し遂げられると思ってのか? 悪いこと言わねえからギロチン掛けとけって」
「私も所詮は王女です。革命なんてお題目を掲げても、国民からすれば王族間の権力闘争の結果でしかないですからね――むしろ、王女も貴方と同じか、と思われかねません」
「ってことは、罪を憎んで人を憎まずってことか。わー、嬉しいなー。このご恩は復讐で返そうと思います」
「――無論、きっちり幽閉はさせて頂きますが。しんみり余生を過ごして下さい」
「くそめ」
と、何やら舌打ちをしてくる第七国王。
子どもかこのおっさん、と思う。まあこの男なのだから仕方がない、とも思う。
でも何にせよ。
これで、終わりか。
そして、始まりだ。
ここからきっと、アホみたいに忙しくなる。
ああでもその前に。
あいつに。
あのいまいち萌えない奴に、料理を作ってやらないとな、と。
そう思った。
そのときだった。
とん、と。
背中に、ひどく軽い衝撃。
何だろう、と思って振り向くと、そこにはいつの間にかアレックスが立っていた。
女の子みたいなその顔が、でも今は、何かちょっと怖い顔をしていた。
あるいは、何だろう――泣きそうな顔?
その手に持っているもの。
ナイフ。
刀身には、何やら黒い粘性の何かが塗られていて、それと混ざり合って一緒に滴っているのは鮮やかに赤い何か。
ぽたり、と垂れるそれ。
血。
そこで、ようやく、背中の焼け付くような痛みを認識することができた。
痛かった。
それでも、何とか立っていようとして、でも駄目だった。
倒れる。
「メガネ!」
と、アリアの叫び声。
直後に、彼女の剣が振るわれる。
アレックスは抵抗しなかった――そのまま切り倒される。
ぱっ、と。
私よりもずっと盛大に血が飛び散って、その血の中に、女の子みたいに華奢な彼の身体が沈む。
からん、と。
アリアが剣を放り投げて、倒れた私の身体を抱き上げる。
「メガネ! 待っていろ! 今、治療術師を呼んで――」
「無駄、ですよ……」
ごふ、と血を吐きながら、アレックスが言った。その顔に、何だか泣きそうな笑みを浮かべて。
「……例の毒を使いましたから」
不意に、思い出す。
あの拷問官の嘘。
『大抵は刃に塗り込んで使いまして――いかなる治癒魔法をも無効化し、体内に入れば、それから一日と待たずに対象を殺傷する』
転がっているナイフに塗られている、私の血と混じった黒い粘性の何か。
「……『黒い毒』」
「ええ」
と、頷くアレックス。
なるほど、と私は理解する――もう駄目だ。
「何故だ!」
アリアがアレックスに向かって、叫ぶ。
「お前、どうしてこんなことを……!」
「……どうしても許せなくなって」
と、アレックスが言う。
「姉上の偽物が」
「アレックス。お前……」
と、アリアが絶句する。
そしてその代わりに、私は彼に呼びかける。
アメリ・ハーツスピアとしての言葉を捨てて、尋ねる。
「……気づいていたんですか?」
「もちろん、知ってましたよ。影武者さん」
とアレックスは私を、姉上、とではなくそう呼ぶ。
「そして、僕が知ってることには、貴方も気づいていたはずです」
「ええ。ちゃんと気づいてましたよ」
驚いたような顔をするアリアに、ちょっと申し訳ない気持ちになりながら、私はそう言った。
「さすがですね。それだけ聡い貴方なら、ちゃんと分かっているんでしょう?」
「ええ」
「僕が、姉上に虐待されていたことも」
「ええ。知ってました」
と、私は言う。
「だから貴方は、私が偽物でも、味方をしてくれてるんだと思ってました――私を殺すチャンスなら、幾らでもあったわけですし」
「馬鹿な人ですね……それならとりあえず殺しておけば良かった」
「貴方みたいな可愛い男の子を殺すなんて、考えつきもしなかったですね」
「ははは」
と、アレックスは引きつったように笑って、その拍子に傷口が開いて、ごぼり、と血が吹き出る。
「貴方はやっぱり怖いですね、おまけに酷い。怖くて、酷くて――その癖、優しい」
姉上と同じだ、と彼は言う。
「……あのとき、僕は死んでおくべきでした。そうすれば、こうはなってなかった」
「悲しいことを言いますね。貴方は」
「そういう貴方は優しいですね」
ああ、とアレックスが呻く。
「あの魔法使い――僕を助けたあの方は、まるで女神みたいに美しい方でしたが」
でも、とアレックスは言う。
「もしも、これを予想していたなら、彼女は悪魔ですね」
不意に。
私は思い至る。
どう考えても致命傷だった傷を蘇生できるような存在に――一つ、心当たりがあることを。そういう何かを「視た」ことがあったことを。ついでにキスされた。
でも、と私は思う。
それなら――何のために?
いや考えても仕方ないか、と私はそれ以上の思考を中断する。
あれはきっと、そういうものではないから。
死ぬ前に、そんなこと考えたって仕方ない。
「昔」
と、アレックスがつぶやく。
もう、ひどく小さくなってしまった声で。
「子どもの頃、僕は病気がちでよく寝込んでいて――そんなとき、姉上はずっと僕の隣で手を握ってくれていたんです。それから、自分で作った昔話と子守歌。正直、どっちも上手くなかったけれど、でも、僕を元気づけるために一生懸命になって」
だから、とアレックスが言う。
「姉上のために騎士になろう、と。姉上の治める国を守る、騎士になりたいと」
「ええ」
「姉上が僕を虐待したのは、奴隷を殺したくなかったからですよ」
「ええ、知ってます」
「姉上が奴隷をどれだけ殺しても僕を殺さなかったのは、僕のことを好きでいてくれたからですよ」
「それも、知ってます」
「ごめんなさい、影武者さん。貴方のことは嫌いではなかった。殺したくなかった」
ぽつん、とアレックス。
「でも、それでも僕は、姉上ことが好きだったんです」
「ええ……」
と返した私の言葉に、もう返事はない。
何だよ、と私は思う。
私と似ていた、一人ぼっちだった――一人ぼっちだったと思い込んでいた彼女。
何だよ。
ちゃんといたんじゃないか、あんたのことが好きな奴。
しかも、こんな可愛い男の娘とか。
すげー羨ましい。
それから、気を抜いた瞬間に失神して、そのまま気が付くとあの世に立っていそうな痛みの中で、言う。
私を抱きかかえている彼女に。
自分が切り伏せて死んだ弟を見て、呆然としている彼女に。
「アリア様」
「メガネ。待っておれ。今、助けるから」
と、いつもの気丈な顔を泣きそうに歪めて、彼女は言う。
「絶対、何か方法があるはず……っ!」
「アリア様。私はもう、駄目です」
「駄目なわけあるか! そんなわけない!」
と、彼女は叫ぶ。
「お願いだから!」
泣き声混じりで、絶叫する。
「お願いだから、置いていかないで!」
ああそうか、と私は今更に気づく
この子は、私より年下の女の子なのだった。
その存在感があまりに強すぎるから、妹、という感じがどうにもせず、気づけなかったけれど。
縋り付いてくるその女の子を、ぎゅう、と私は抱き締める。腕の中でわあわあ、と泣いている彼女は、ぶるぶる、と震えていて、思った以上に華奢に感じられる。
「アリア様」
それでも。
「それでもお願いします」
私は言う。
腕の中で震えている女の子に、言う。
「私の代わりに、そしてアメリ様の代わりに、この国を、お願いします」
これは呪いだな、と私は思う。
あるいは、魔法じゃない魔法。
私は、こんな女の子に、呪いを掛けるのだ。
きっと地獄に堕ちる。今さらだけど。
私の腕の中で、呪いに掛けられた女の子の震えが止まる。泣き声が止まる。
彼女が、アリア・ハーツスピアが言う。
「――分かった」
呪いに掛けられたのに。
なのに私に笑いかけて。
「後は妾に任せろ。メガネ」
あーあーあーあー、と。
ずっと黙って成り行きを見ていた第七国王が、頭を抱えて呻く。
「……つまんねえ結果になったなおい」
「すみません」
「やれやれ。お前、あんだけ死ななかった癖に、こんなことでくたばるとはなあ」
そうですね、と私は苦笑しながら頷いて。
「ねえ、お父様」
ちょっと小首を傾げて、私は告げる。
「最後に一つだけ、お願いが」
「言ってみろ」
「私と一緒に、死んでください」
「……しょうがねえなあ」
と、第七国王は言った。
「――可愛い娘の頼みだ、聞いてやるよ」
□□□
「良い天気ね」
と、彼女は私に向かって微笑んだ。
彼女が死んだその日の、朝のこと。
「今日は素敵な一日になりそう」
私はというと、昨晩の出来事が頭から離れなくて、ちょっとまごついていた。
彼女に何と言うべきか、わからなかった。
言う資格があるのかも、わからなかった。
そんな私に、彼女は言ったのだ。
「そんな顔しないで――ほら、笑って」
ぺしぺし、と。
彼女は、私の頬を叩いて言った。
「今日からは、貴方が私よ」
「貴方は」
と、私は余計なことを言う。
「それでいいんですか」
「別にいいの――」
と、彼女は微笑む。
「――だって私は、お父様が望んだアメリ・ハーツスピアになれなかったから」
そんなことはない、とは言えなかった。
その言葉には、きっと意味がないから。
それでも言ってあげるべきだったかもしれないけれど――でも、言えなかった。
「だから、お願いね」
「私は――それでも貴方ではありませんよ」
「いいえ」
と、彼女は首を横に振って言う。
「貴方は、私よりもずっと上手く、アメリ・ハーツスピアとして生きていけるわ」
そんなことを言う彼女に対して。
私は一つ、言葉を告げる。
告げた言葉を聞いた彼女は、不思議そうな顔で小首を傾げてみせた。
「……それは?」
「私の名前です。本当の名前」
「あら、くれるの?」
「あげませんよ」
実は、ちょっとだけ気にいっている名前だ。
あの、ろくでもない母の付けてくれた名前。
母がくれたものの中で、唯一、好きなもの。
「ただ、何となく、貴方に教えてあげたくなっただけです。冥土のお土産です」
「そう」
と、彼女は微笑む。
苦しくなるほどに、それは優しい笑みで。
それを振り切るために、私は告げる。
「さよなら。アメリ・ハーツスピア」
「さよなら」
と彼女は言って、それから私の名前を呼ぶ。
その瞬間。
私は、アメリ・ハーツスピアとなったのだ。
私が彼女に掛けられた呪い。
魔法じゃない、魔法だ。
□□□
頭上のギロチンの刃を見上げながら、思う。
私は彼女の代わりを上手にやれただろうか。
私と似ていた彼女にちょっと聞いてみたい。
彼女はきっと地獄に堕ちただろうし。
たぶん私も、地獄に堕ちるだろうから。
そんなとこあるわけない、とは思うけれど。
王宮の一番目立つ場所で、公衆の面前で、物騒極まりないギロチンに掛けられながら、そんなことを思う。
私の傍らには第七国王がいて、その側にさらに控えてギロチンの設置を行うのは例の老人。老人が使った拡声魔法を通じて、第七国王が悪逆非道的なことを言う度に、こちらへ向けていろいろなものが飛んでくる。
からーん、と。
なかなか腕の良い人間がいるらしく、飛んできた包丁が足下に当たって良い音を立て、「あぶねっ! 死ぬとこだったっ!」と第七国王が悲鳴を上げて後退する。「やべーやべーお前意外と好かれてんのな」と第七国王が言い「貴方が嫌われてるだけですよ」と私は言い返しておく。
どうしてこの男と一緒にこんな茶番をやっているのか、というとアリアのためだ。
悪逆非道の王を打ち倒すために立ち上がった王女は、その儚い命と引き替えに悪逆非道の王を討ち果たした――という筋書きは悲劇的でドラマチックではあるが、その結果として繰り上がりで女王になったらアリアが困る。棚ぼたで地位を得たとか言い出す輩の一人や二人は絶対に出る。
だから、私は今ここでギロチンに掛けられる――悪逆非道な王の手によって、その儚い命を散らされた哀れな王女になる。
そして、そんな姉の意志を受け継いで立ち上がったアリアは、悪逆非道な王の首を打ち取って、新たな女王となる。
そういう筋書きだ。
何とも陳腐な筋書きだが、それがアリアの助けになるなら何でもいい。
なんたって、私は全部丸ごと彼女に押しつけてしまうわけだし――せめて、これくらいはしてやらないといけないだろう。
これが私の、最後の仕事だ。
「やれやれ」
と、私同様に余命僅かとなった第七国王は、飛んでくる投擲物に注意しつつ、眼下で叫ぶ民衆を見て呻く。
「随分と嫌われたもんだね俺も。こりゃ殺されるしかねーわな」
「自業自得です」
「ちっ、死にかけてるのに可愛くねーな」
「死にかけてますからね」
と、私は言う。
ぶっちゃけ、もう身体が動かない。
歩くこともできず、ギロチンまでは拷問官の老人に運んでもらう必要があった。
端から見ると、私を処刑台に連行する処刑人に見えただろうし、ギロチンの用意もしたし、今も紐を握っているわけで――つまるところ悪逆非道な王の手先として、彼も後々殺されることになる。
が、本人は大したことでもなさそうに「もう歳ですからな」と言って微笑んできた。最後まで食えない老人だった。
さて。
後は――ギロチンの刃が落ちるだけだ。
未練はもうない、というと嘘になるが。
「あのさ」
と、第七国王が私に告げる。
ちょっと心配そうな声で。
「あいつ来たりしないよな。お前の彼氏」
「……『鬼人』のことだったら来ませんよ。割と最強ですが万能ではないので。あと、彼氏じゃないです」
「またまた。……あーくそ、本当は、一度言ってみたかったんだけどな。その、何て言うか『お前なんぞにウチの娘はやれん』的なことをだな」
「どんな夢ですかそれ」
「そんで『娘が欲しければこの俺を倒してみせろ!』とか」
「瞬殺されますよ貴方」
「そうだった。やっぱ無しで。彼氏に『パパを大事にしてあげて』と力説しとけよ」
「――だから違いますって。ただ、ちょっとばかりお互いにお互いのことが好きってだけで」
「彼氏じゃねえか」
「いや、キスもしてないんですって。ちょっと手を繋いだことがあるくらいです。あとちょっと手料理作ってやる約束してて」
「紛う事なき彼氏だろ」
「でもいまいち萌えないんです」
「もうわけわかんねえよ」
はー、だか、あー、だかわからない溜め息を吐いてから、第七国王が私に言う。
「なあ……お前さ、気づいてっか?」
「何をです?」
「お前さ、そいつの話するとき、めっちゃ楽しそうな顔すんだよ」
「……そうですか?」
「そうだよ」
してやったり、という顔をする第七国王から私はぷい、と顔を逸らす。頬が赤くなっていたら絶対からかわれる。
「さようなら。お父様」
「ああ。地獄でまた会おうぜ」
「いや、貴方とまた会うのは嫌です」
「反抗期だなおい」
と、第七国王は苦笑し、それから老人に合図を出して、自分はまた民衆へ向けて悪逆非道な言葉を放ち始める。
そう言えば、とそこで不意に思う。
バットの奴の本当の名前を、私は知らない。
普通なら「視る」だけで一発なのだが――バットの奴はちょっと特殊なのだ。
42回も転生してる時点でまともな奴ではないのだが、まあ、それでも最初「視た」ときは正直ちょっとびびった。
やべー奴かと思った。
が、蓋を開けてみれば何てことはなかった。
ただの、いまいち萌えない、良い奴だった。
ふっへっへ、と。
思わず笑ってしまい、第七国王の言う通りじゃねえか、と自分で自分に呆れる。
名前聞いときゃ良かったなと思う。
私の名前も教えておけば良かった。
だからどうなった、というわけではないけれど、まあ何となく――何となく、だ。
ギロチンの刃を見上げる。
その向こうの、雲一つ無い、青く澄んだ空。
ああ前に死んだときと同じだな、と思う。
でもあのときほど寂しくはない、と思う。
本当のことを言えば。
バットに言ってやりたいことは山程あった。
なんせ、幾らでも出てくる。
お前もういい加減私に萌えろよ、とか。
やっぱりてめーには萌えない、とか。
私が死んだら絶対泣くだろ、とか。
手料理作れなくてごめん、とか。
魔王はちゃんと倒せよ、とか。
私もう寂しくないよ、とか。
美少女って何だよ、とか。
馬から離れろよ、とか。
この先頑張れ、とか。
ありがとう、とか。
ばいばい、とか。
バット、とか。
好き、とか。
まあ、とにかく、そんな感じのことを。
半分くらい照れくさくて言えなそうだ。
ふっへっへ、と私はもう一度だけ笑う。
そして。
ギロチンの刃が、落ちてくる。
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