彼女がギロチンに掛けられるまで⑯

 革命の準備を進めているアリアの下へと向かうために、私は馬車を待つ。大が付かないそこそこの商人なんかが使うのと同じ、乗り合い馬車だ。直前に変更した。迎えにこさせた連中が懐柔されてたりする可能性があるからだ。

 護衛にはアレックスが付いていた。

 彼は、私を見てこう告げる。


「何だか嬉しそうですね」


「そう?」


 と、私はすっとぼけてみせる。


「そうね――これでとうとう、長く続けてきた私たちの戦いも終わりだから」


「いやあ、それは違うでしょう」


 くすくす、と。

 笑いをこらえるように、アレックスは言う。


「例の『鬼人』と呼ばれる彼でしょう? この間、お会いして、何となく分かりました――ああ、この人だな、と」


 めちゃくちゃ可愛いその顔に、ちょっと意地の悪そうな表情を浮かべて言う。


「彼に恋をしているのでしょう?」


 この子までそんなことを言い出すのか、と私はちょっと呆れる。とはいえ否定したところで意味はないだろうから、私は余裕な笑みを浮かべ、冗談めかして彼に言う。


「ふふ――もしかして、妬いてるの?」


「そんなところですね」


 と、真顔で言ってくるアレックス。

 何となく「そ、そんなことはないですよ!」とか顔を赤くして否定してくるのを予想していた私は、ちょっと黙る。

 一瞬。

 私は、彼に対して、何かを言ってあげるべきなのだろうか、と思う。

 彼の姉である彼女の――偽物として。


「おっと――来ましたよ」


 判断を決めかねているところに、迎えの馬車がやってきて、私たちの前で止まる。


「さ、行きましょう」


 そう言って、扉を開けるアレックスに対し、


「そうね」


 とだけ告げて、馬車に乗り込もうとした。

 ばあん、と。

 音がした。

 とっさには、何の音か判断できなかった。

 すぐに分かった。

 火薬の音だ。

 炸裂した火薬が、空気を振るわせる音。


「が……っ」


 と、呻き声を上げ、彼が後ろ向きに倒れる。

 胸の辺りから血が出ていた。

 致命傷だ。

 悲鳴を上げているような余裕はない――そんなことをして、時間を浪費するわけにはいかない。

 一瞬で判断した。

 アレックスは助けられない。助けない。

 彼は私の護衛だから。役割を果たしたから。

 だから、私は逃げないと――


「動かぬよう」


 ――それでも、遅かった。


 かちん、と。

 音。

 今度は、何の音かすぐに分かった。

 撃鉄の上がる音だ。

 脚を止める。止めざるを得ない。

 本物はこんなに怖い音なのか、と私は思う。


「動けば、撃ちます故」


 馬車の中。

 一人の老人が、何かを構えて立っている。

 その武器を、私は知っている。

 漫画やアニメやラノベで知ってる。

 そういうので出てくるものと比べると、あまりに粗雑で不細工な作りだけれど――その先端から立ち上る硝煙で、同じものだと分かる。

 拳銃。

 別に驚くことではない。ありそうなことだ。

 いまどき、拳銃くらい異世界にだってある。

 ただ、状況があまりに最悪なだけだ。

 私は、拳銃を持つ老人を見る。

 一部の隙もない燕尾服。

 ザ・執事らしい佇まい。

 にこやかで紳士な笑み。

 その老人を、私は知っている。

 彼には名前なんて存在しないことを。

 国王に仕える名前のない執事で――拷問官。

 彼は言う。


「少々手荒になって申し訳ありませんが――我々と一緒に、王宮へ来てもらいます」


「……何で、私がここにいると?」


 こちらの内部に間者がいる可能性を踏まえ、念のため、予定していたルートは直前に変えた。待ち伏せできるとは思えない。


「いや、全然知らんかったが」


 そう答えたのは、拳銃を構える老人ではなく――行者台に座っている男。

 目の前のぴしっ、とした身なりの老人に比べると、随分と貧相な男だった。酒場の隅っこで飲んだくれてそうなモブっぽい中年男。

 第七国王だった。

 全然気づかなかった。

 何で行者台にいるんだよ、と私は思う。

 しかも何でそんな似合ってるんだ嵌りすぎだろ。


「ここ数日間、ひたすらこうして行者の振りしてぐるぐるぐるぐる道を回り続けてだな――どっかで拾えりゃ儲けもんだと思ってたが、いやあ、俺もまさか遭遇できるとは思わんかった」


 まさかの運任せだった。

 ふざけんな、と私は思う。そんなもんに自分の命運を賭けるとか正気か。

 しかし、正気であろうとなかろうと、こいつが賭けに勝ったのは事実だった――そして私は、それに負けた、ということだ。

 呆然としている私の前で、第七国王は「痛てて……」と自分の尻をさすり、


「いやあ、しかしあれだな。行者の連中も大変だな。こうやって行者台に座ってっとケツが痛くてたまんねーわ。どうしてんだろ」


「……下に藁とか敷いてクッションにするんですよ」


「あっ、あーっ! そうか! そうだよなあ! いや、言われてみれば当たり前だけど、全然気づかんかったわアホだな俺!」


「……どうして」


「ん? どうして俺がお前の反乱に気づけたかってか? 俺、気づいてねえよ?」


「……はい?」


「いやあ、お前、本当に徹底して上手いことやりやがったのな。たぶん俺だと気づけんかったわ――でもほら、居ただろ。ルーズヴェルトとかいうキザったらしい奴。あー、えっと、本当の名前は何だっけ?」


「ズ・ルー」


 謀略王。


「そうそう。あいつがな、俺に伝えてきたのよ。閣下の娘に反乱の兆し有り、とな」


「あ」


 あのキザ野郎、と私は思う。

 とんでもない爆弾を残していやがった。

 いったいどの時点で、と考え、そう言えば私が話を持ちかけたときに第七国に手紙を送ろうとしていたな、と思い出して、ぞっとする。あの時点で、もう私を潰すための手を打ってたわけか。

 いや、でもしかし――


「なら――何で、今になって?」


「そりゃあ、その後ですぐにお前から聞いたからな。あいつが魔物だって――だから、共倒れになってもらうためにお前を泳がせといた。敵の敵な敵なんざ、一緒に潰し合ってもらうのが一番だ」


 ああ、そのせいか――と思った。

 さすがのズ・ルーも、初見で自分が魔物だと看破されるとはさすがに思っていなかったのだろう。そりゃそうだ。実際、チートが無ければ、最後の最後まで気づけたかどうかもだいぶ怪しい。

 そして、チート無しで仮に気づけたとしても――その前に、私は第七国王によってギロチンに掛けられていただろう。


「ほら――お前がズ・ルーに殺されそうになったとき、あの『鬼人』とかいう奴に伝えたろ? アレックス通して」


 と、第七国王は言う。


「あれさ。俺、本当はもっと早くに気づいてたんだけど、わざとアレックスに伝えるの遅らせたんだよな――間に合わなくなるようにさ。んで、お前がズ・ルーにぶっ殺されたところに、怒り狂ったあの『鬼人』が到着してズ・ルーもぶっ殺してくれて万事解決、と行くかと思ったんだがよう――」


 へっへっへ、と第七国王は品の無い笑みを浮かべて言う。


「――いやあ、まさか間に合うとはなあ。まじびびったわ。何なのあいつ? おかしくね? すげえ格好いいじゃねえかよ――お前、まじであいつに惚れたんじゃね?」


「……彼とは、そういうんじゃないです」


「おっ、随分と可愛いこと言うようになったじゃねえかおい――んじゃ、あいつ後で殺しておかないとな――っと、んな怖い顔すんなよ。冗談だよ冗談。あんなバケモン相手に出来るか。触らぬ神に祟り無し、さ」


「……それでその後は、私が『首輪切り』を討伐するのを待った、っということですか。また、共倒れになるのを期待して」


「何言ってやがんだ。『首輪切り』みたいなガキんちょが、不意撃ち以外でお前を殺せるわけねえだろ。楽勝だったんだろ?」


「そうですね」


 うっかり死にかけた、とはちょっと言えなかった。思ったよりも、この男は私を過大評価しているらしい。


「ま、でも」


 と、第七国王はわざとらしくため息を吐く。


「それもここまでだ――吐くこと吐いてもらってギロチンな。じゃ、しゅっぱーつ」


 と軽い口調で言う第七国王に、私は言う。


「待って下さい――」


 溢れる血に沈んでいるアレックスを私は目線で示す。ぐったりと力を失った身体。ぼんやりと宙を見上げている目。今にも消えそうな呼吸。

 でも――まだ、生きている。

 こうして、私が逃げられなくなった以上、このままでは彼は無駄死にだ。

 そんなことを、させたくなかった。


「お願いです――アレックスを、助けてあげて下さい」


 私は、それに続く言葉を選ぶ。


 人質に使えるかも。

 彼を助けてくれれば何でも話します。

 伝令役の彼は私より情報を持っている。


 そんな言葉を、私は用意する――意味がないとは、理解しながら。

 だが。


「何で?」


 と、第七国王は私に言った。

 それはあまりにも軽い口調だった。

 とっさに私は、だって、と告げてしまう。


「彼は――貴方の息子なんでしょう?」


 言ってから、その言葉に何の意味もないことに気づく。

 なぜなら。

 彼はすでに、娘を殺しているのだから。

 そして実際、何の意味もなかった。

 第七国王はこう言った。


「――だから?」


 そして、ぱしん、と鞭を一つ入れる。

 私を乗せて、血だまりの中にアレックスを置き去りにして――馬車が、発進した。


      □□□


 この国で、乞食は奴隷よりも惨めな存在だ。

 奴隷には価値が付いている。

 乞食には価値が付いていない。

 元の世界であれば「それでも生きているだけで価値がある」と言い張れただろうが、ここはファンタジーの世界だった。社会福祉の観念はさほど発達していない。人間は幸福を得る権利を持っていない。転生者だからって容赦はしてくれない。

 小さな子どもであれば、ひっ捕らえられて施設に収容されてご飯を与えられて、奴隷としての教育を施される。その方が生産的だからだ。奴隷という形ではあっても、子どもたちは生きていく術を手に入れることができるし、何より国庫が潤う。元の世界における倫理感がそれを認めることを邪魔するが、この世界にはこの世界のルールがある。変えたければ、それこそ世界と戦う必要があるが、そんなしんどいことはしたくなかった。それよりもお腹が空いていた。

 でも、私は元の姿のままで転生したので、そこまで小さな子どもではなかった。施設の前まで行って、奴隷にして下さい、と言ったら門番の人に「帰りなさい」と言われた。ちょっと身体が大きいだけなんです、と主張したが「……帰りなさい」ともう一度言われ「これをあげるから」と彼の昼食らしいパンをもらった。たぶん良い人だった。

 転生するなら、ちゃんと赤ん坊からのスタートなら良かったのに、と思った。その場合、その辺の野良犬に食い殺されていたかもしれない、と考えて自分を落ち着かせようとした。全然落ち着かなかった。わあ、と叫んだ。道を歩いていためっちゃ強面の人に怒られ「これでも食ってろ」とその場で買った果物を投げ渡された。たぶんめっちゃ良い人だった。

 私は乞食で、だから価値は付いていなくて、すごく惨めで、お腹が空いていて、もうすぐ死にそうだった。

 私の異世界転生は外れだったのだな、と思った。意外とよくあることなのかもしれなかった。もう一度転生できないかな、と思ったが、私には自分がもう転生できないことが「視え」ていた。酷い話だった。もうぶっちゃけ泣きそうだったし、実際、何度か道の隅っこで泣いた。

 死にたくないな、とそれでも思った。


「こいつあ驚いた――そっくりだ」


 と、そんなときに、私の前で立ち止まったその辺の酒場から酒瓶片手に酔っ払って出てきたような、えらく貧相な男に言われた。というか実際に、その辺の酒場から酒瓶片手に酔っ払って出てきた。


「なあ――お前、俺の娘にならないか?」


 と、まるで良い人みたいなことをその男は言った。

 たぶんではなく、絶対に違うだろうけれど。

 男の顔を一目見て分かった。

 何たって、男の顔に浮かんでいる笑みは最高に悪人面だった。何というか、心の奥底からにじみ出ているような悪人面だった。ただし、絶対にラスボスとかじゃなく、やられ役その1とかそんな感じのしょぼい悪人面だった。

 まあなんにしろ、良い人なわけがない。

 絶対にろくでもないことになる、と思った。

 でも、選択肢は「はい」か「このまま野垂れ死ぬ」の二択だった。そして私は、このまま野垂れ死にしたくなかった。

 頷くしかなかった。


「よっし――じゃ、お前、俺の役に立てよ」


 と、男は言った。

 私はとりあえず、貴方は誰なのか、と尋ねておいた。


「王様」


 と、貧相な男は言った。

 まじかよ、と私は思わず口に出して言った。

 もう――なんかいろいろと、酷すぎだった。


      □□□


 やっぱり拷問されるらしい。

 うわあ、と思った。

 王宮の正門をぐるっと回って裏手に辿り着くなり「んじゃ、あとよろしくな。俺、馬車返してくっから」と第七国王は私と執事兼拷問官の老人を降ろし、「はいよっ」とノリノリで馬を操って去っていった。


「では、行きましょう」


 と、老人が私に促す。

 私は自分の手首を見下ろす。そこには、がっちりと手錠を掛けられていて、そこに結びつけられた鎖の端は、老人がきっちりと手に持っていた。


「申し訳ありませんが、ちゃんと付いて来て下さい――あまり抵抗はなされぬようお願いします。死体を運ぶのは、この歳ではいささか骨が折れますので」


 私は一瞬、今ここで背後からこの老人の頭をかち割って逃げることができるだろうか、と考えた。たぶん無理だ。老骨と言っているのは嘘ではないだろうし、バットや勇者一行みたいに化け物じみているわけではないにしろ、この老人は十分に達人だ。「視る」以前に立ち振る舞いで分かる。

 素直に従った。従うしかない。

 従わなければたぶん殺される。たぶん、そういう命令を受けているのだろうし、その命令を実行するのを躊躇うような相手ではない。

 王宮の裏から入っていった先、鍵の掛かった鉄製の扉が一つあって、そこの鍵を開けると地下へと続く階段となっていた。壁に彫られた魔法陣に老人が手をかざすと、魔法の灯火がぽ、ぽ、ぽ、と点いていく。


「暗いのでお気を付け下さい」


 と、老人は私に告げて先に進む。

 かつん、かつん、と。

 靴の音を響かせて、魔力の灯りでぼんやりと照らされている階段を下っていく。めちゃくちゃ雰囲気がある。狙っているのかもしれない。

 向かう先は、もう間違いなく拷問室だ。

 うわあ、ともう一度思う。

 たぶん絶対に十八禁な展開になるよな、と私は思う。あんなことやこんなことされる。死んだ方がマシだったと思う目に遭わされるかもしれない。なんかこう、薄い本みたいに。

 駄目だ――めちゃくちゃ怖い。

 手錠を掛けられた両手が、かたかた、と震えていることを自覚する。かつん、と靴音が鳴る度に、恐怖の感情が積み上がっていく。

 でも、どちらにせよ、もう遅い。こんなときこそ使うべきだった短剣は、もちろん回収された。さっさと自決しときゃ良かったな、と回収されたときに思って、何でそれを思い付かなかったんだろう、と少し思った。


「あまり怯えずともよろしいですよ」


 と、先を歩く老人が割と無茶なことを言う。


「女性相手に、そこまで手荒なことをするつもりはありません。こちらの聞きたい情報を話してさえ頂ければ、すぐに解放致します」


「ギロチンとか言ってましたが」


「あれはただの冗談です」


 絶対に冗談じゃねーよ、と私は思う。

 間違いなくあれは本気で言っていた。

 そういう男だ。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、老人は言葉を続ける。


「王はあれで、貴方のことをなかなかに気にいっておいでです――貴方が、かの『鬼人』に心惹かれているご様子に、ちょっとそわそわしていましたよ。『なあ――どんな奴だと思う?』と、私に84回ほどお聞きになりました」


「……だから私が、今ここで裏切って持っている情報を話せば、父は私を許すと?」


「裏切るのではありません。ただ、元の形に戻るだけです。血が繋がっていないとはいえ――父と娘が殺し合いをするなど、あって良いことではありませんから」


 成る程、と私は思う。

 嘘だな、と私は老人の言葉に対して思う。

 この老人が言っていることは、もっともらしく聞こえはするが、実際にはそのほとんどが嘘っぱちだ。

 あるいは、その中には幾分かの真実も含まれているのかもしれないが――おそらく、私は何をどうしたところでギロチンに掛けられる運命だ。

 準備自体は、ほぼ整っている――後は、アリアがどれだけ早くクーデターを成功させられるかだが、それまでに私が生き残れるはちょっと微妙だった。

 一応、尋ねてみる。


「……もし、私が話さなければ?」


「そのときは待ちますよ。待つことはそれほど苦ではありません。年の功ですね」


 かつん、と。

 そこで、長く続いた階段を下りきって、広間に出る。


「さて――着きましたよ」


 処刑宣告を聞いたような気分で、私は階段の最後の一段を下りつつ、広間をぐるりと見渡す。生活用の設備が幾らか見えた。どうやら、この広間には看守なんかが寝泊まりできそうな設備が整えられているようだった。

 そして。

 広間の奥。階段から向かって正面。

 そこに、嫌な感じの扉があった。

 その嫌な感じは的中していたらしく、老人は私を連れて、その扉に手を掛けた。


「こちらになります。お入り下さい」


 と、私の心の準備なんて知ったこっちゃないと言わんばかりに、彼は扉を開けた。

 私は予想していた。

 扉を開けた先。

 血やら何やらで赤黒く濡れた、禍々しい拷問器具の数々が鎮座していることを。

 けれでも。

 私の予想は外れた。


「鎖は外しますが――申し訳ありません。手錠は付けたままとさせて下さい。痛むようでしたら、薬をご用意しますので」


 と、老人が私に言う。

 さっき妙に優しげな口調だ。

 どうしてなのかと、たった今、その意味が理解できた。


「食事は、朝昼晩の三食を私がご用意致します。他の後用事もそのときに済ませて頂ければ――それから、お話があるときも、そのときにお願いします」


 ええ、と私は頷く。

 自分でも驚くくらい、乾き切った声が出た。


「それ以外はご自由にこの部屋でお過ごし下さい――まあ、何もない部屋ですが」


 そう。

 老人の言う通りだった。

 部屋には何もなかった。

 本当に何にもなかった。


「貴方のお気持ちが、いずれ変わることを祈っております――それでは」


 そう言って、老人は扉を閉める。

 暗闇が視覚を塗り潰した。

 光が一切存在しない空間にだけ存在する、正真正銘本物の暗闇だ。

 おまけに音が聞こえない。

 どうやら、静音の魔法が使われているらしい。扉の向こうで響いているはずの、かつん、かつん、という靴の音が聞こえない――今はそれが、ひどく恐ろしかった。

 成る程、と私は思う。

 確かにこれは手荒とは言い難い。

 私は傷一つ付けられていない。指一本触れられていない。老人は紳士的だった。


 だからこれは、最も凶悪な拷問なのだろう。

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