彼女がギロチンに掛けられるまで⑫

 まず最初に用意したものは、人里離れた場所に建てられ、使われることなく放置された屋敷だった。


『気をつけろよ。メガネ』


 と、いつもの定時連絡でアリアに言われたことを思い返す。


『今の「首輪切り」は、以前とは違う』


 それなら、万全を期すだけだ。

 用意された屋敷で、私は準備を始めた。一番働いてもらったのは元四天王の「魔導王」ソルシィで「お姉様のためなら喜んで!」と作業をこなす彼女は、でもまだちょっと無理している感じがあった。たぶんきっとまだ、彼女の師匠だった、ズ・ルーの死について、折り合いが付いていないのだと思う。それはそうだ。そんな簡単に折り合いの付くことじゃない。もしかしたら一生、折り合いが付かないかもしれないようなことだ。

 準備を終えたところで、私は、この屋敷で第七国のおける奴隷交易に関係する主要人物が集まって会議を開く、との噂を流した。

 胡散臭い噂話だ。

 さすがに相手も間抜けではないから、噂が本当なのか、ちゃんと裏を取るだろう。

 だからそっちに罠を張る。

 噂と並行して、屋敷を改装したり、人を出入りさせたり、貴金属の調度品を運び込んだり、食料を買い込んだり――そうやって、噂の信憑性を高めるための材料を、あちらこちらにばらまいておく。

 例えばズ・ルーとかならそれでも通用しないだろうが、この相手はそのレベルではない。

 なんせ自分が正しい、と信じている奴だ。

 裏を取って、胡散臭い噂話が実は本当だったという根拠を見つけてしまったら、その考え方からきっと抜け出せない。

 だから。

 今現在――こうして屋敷の一番上の階の、一番奥の部屋に陣取っている私の耳に、夜中だというのに、階下から響いてくる音が聞こえているのは、当然の結果でしかなかった。

 音は玄関の辺りから始まって、そこから多少右往左往しながらも、ほぼ真っ直ぐにこちらへと向かって来ている。

 途中に仕掛けられたソルシィお手製の魔法的トラップが次々と発動する音と、それを侵入者が強引にぶち抜いて突破してくる音。

 勇者が城に乗り込んできたときの魔王ってこんな気持ちかな、と私は思う。

 私は待つ。

 魔王みたいに、椅子に座ってじっと待つ。

 扉が開く。

 勇者みたいに、相手が私の前へと現れる。

 けれども。

 私は魔王ではないし、彼は勇者ではない。

 だから――


「ご機嫌よう。『首輪切り』さん」


 ――勝つのは、私だ。


      □□□


 私はケインズの葬儀に参列した。

 葬儀の参加者は、驚くほどに少なかった。

 私と、老齢のメイドと奴隷の女の子、あとは神父と墓場の管理者だけ。一国の経済を牛耳っていた男としては、あまりにも寂しい最期だった。


「王女殿下」


 葬儀が終わって、彼の棺桶に土が被せられた後、メイドの彼女に挨拶された。


「この度は、我が主のためにご足労いただきき、大変ありがとうございました」


「あの……」


 私は彼女に何かを言おうとして、上手く言葉が出てこなくて、代わりに質問する。


「……貴方は、これから?」


「私は、奴隷の教育施設で働かせてもらうことになっております。坊ちゃまが、生前からそのように手筈を整えていてくれましたから。ちなみに、この子も一緒です――ね?」


「あい」


 と返事をする女の子。焦点の定まらないような目が、私の方へと向けられる。私は、何だか心の中を覗かれているような気持ちになって少し落ち着かなくなる。


「坊ちゃまが」


 と、彼女が言う。


「それほど、良い人間ではなかったことは存じております」


 そんなことはない、とは私は言わなかった。

 そんな嘘には意味がない。

 この葬儀が、その証拠だ。

 だから、


「でも、貴方にとっては、そうではなかったのでしょう?」


 と、私は言う。

 意味のない嘘を吐く代わりに、そう言う。

 こうして、自分が死んだときのために、彼女の居場所を用意していたのがその証拠だと、そう思う。


「……姫様は、お優しいのですね」


 私の言葉に対し、彼女が笑ってみせる。

 笑みと一緒に、その顔に深い皺が寄る。

 棺の中で眠る彼と共に、長い年月を過ごす中で一つ一つ刻まれてきた、彼女の皺。


「坊ちゃまは、とんだ悪党でしたよ」


 笑顔のままで、彼女がそう告げる。


「王女殿下が見ていたのは、どこまでいっても坊ちゃまの一側面でしかありません。私は、貴方が知らない坊ちゃまのことも知っています。貴方が知っている坊ちゃまよりも、ずっとずっと汚い部分も、ずっと悪い部分も、ずっと陰湿な部分も。あるいは、貴方には見せなかったであろう弱い部分も、間抜けな部分も、全部――そしてもちろん、優しいところも」


「貴方は」


 するり、と。

 舌の先から滑り落ちるように、言葉が出た。


「彼のことが、好きだったのですか」


「ええ、もちろん好きですよ」


「その……男性として?」


「そういう関係になりたいと願ったこともあります。私が、まだ貴方くらいの歳だった頃のことですね。思えば、あれが私の人生における最初で最期の恋で――結局、それは叶いませんでしたが」


「……」


「でも、一世一代の恋が冷めても――私が、坊ちゃまを好きな気持ちは、ずっと変わりませんでした」


「そういうもの――ですか?」


「ええ――私がまだほんのちっちゃな女の子だったときに、もっとちっちゃな男の子だった坊ちゃまの世話を任せられた、そのときから――ずっとずっと、そうでした。いろんなことが随分と変わってしまいましたが、それだけは、何一つ変わりません」


「――そうですか」


「もしかして、姫様にも」


 と、そこで彼女はひどく悪戯っぽい表情になって、私に言った。


「そんなお相手が、いるのでしょうか?」


 そう言われて。

 ぱっ、と頭に思い浮かぶのは、何かいまいち萌えない奴のこと。

 恋か、と言われるとどうにも首を傾げざるを得ないのだが――その隣に、一緒に居たいとは少し思う。一緒に居てもいいのだろうか、と思う。

 女の子の手を引いて去っていく彼女の後ろ姿を見送りながら。

 私は思った。


      □□□


「それにしても」


 やってきた相手を私は見る。

 例の、ネク、とかいう名前の女の子は連れて来ていない。まあ当然だ。こんなところにあの子を連れてくるようなイカれた奴だったら、こっちとしても「うっわどうしよ……」と思い悩むところだった。


「また随分と、素敵な姿になったのね?」


 と、私は余裕たっぷりにそう告げる。

 だが、内心、相手の変わり様に、ちょっとどころじゃなく驚いていた。

 とりあえず、左腕が無かった。

 ここに来る途中のトラップに引っかかって持って行かれた――というわけではなさそうだった。切断面を保護するための器具がはめてある。おそらくは、過去の戦闘で失ったものなのだろう。

 さらには右目に眼帯をしていた。もちろんただの厨二病とかじゃないだろうから、まず間違いなく潰れている。

 立ち姿も何かちょっと歪になっていて、足に傷でも受けたのか、それとももしかしたら、内臓とかをやられているのかもしれない。

 どんだけシリアスな奴なんだよ、と私はちょっと思う。そこまでズタボロになってまで奴隷解放して、一体何になるんだよ、と思う。

 たぶんきっと。

 その理由を理解することは、私にはできないのだろう。


「アメリ・ハーツスピア」


 彼がその口を開く。

 前に聞いたときとは違う、しわがれたような声。喉まで駄目になっているらしい。

 ぎょろり、と。

 眼帯に覆われていない左目が、私を見た。

 そのどろどろに濁った左目を見返す。内心の怯えを悟られないよう願いながら。

 彼が言葉を続ける。


「これが最後だ――僕の側に付く気は?」


「あら――まだ、私を誘ってくれるのね?」


「同じ、転生者だから」


「そう」


「例の『鬼人』だって、同じだ」


 と、目の前の彼からバットの異名が出てきたことに、私はちょっと意外な気持ちになる。もちろん、よく考えれば、全然意外ではないのだけれども。


「彼も転生者なんだろう? 聞いた話だと、無敵の肉体を持ち、全てを砕く棍を振るい、天馬を駆って魔物を討つ正義の戦士だと」


「…………そうね」


 は? 誰それ?

 いや、誰だそいつは。まじで誰だ。

 美化され過ぎだろう、バットの奴。

 やべーなおい。

 本物見たら、がっかりされそうだ。


「あと、貴方とは恋仲だと聞いた――智略の王女と最強の鬼人が奇妙な恋をしたと」


「あら――そんな噂が立っているの?」


 くすくす、と表面上笑い飛ばしつつ。

 おいふざけんな、と私は内心で叫ぶ。

 どこのどいつだ――そんな根も葉もない噂を立てやがった奴は。まじでどこのどいつだ。名誉毀損でギロチンに掛けられたいのか。


「彼も――「鬼人」もここに?」


「どうかしら?」


 と、含みのあることを言ってはみるが、もちろんバットの奴はいない。今回は、あいつには何も伝えていない。

 なんせこれは第七国の問題で、相手は人間で、しかも相手は転生者だ。バットの出る幕はないし、出させるわけにもいかない。

 でも。

 もし、こいつとバットの奴とが出会っていたら――どうなっていただろうか。

 バットの奴は馬鹿だが良い奴だし、こいつはちょっとアレだが良い奴だ。案外、仲良くやれていたのかもしれない。

 もし、そうだったら。

 こんな風には、なっていなかっただろうか。

 でも――それはもう、意味のない仮定だ。


「僕たちは、手を取り合えるはずだ」


 と、「首輪切り」は言う。


「転生者同士で力を合わせれば――この間違った世界を、変えていけるはずだ」


 と、絞り出すような切実な口調で告げる。


「そうだろう? アメリ・ハーツスピア?」


 そして、その言葉に。


「そうね」


 と私は頷いて、微笑み、彼に手を差し伸べ、


「なら仲良くしましょうか。お互いに――」


 そう言って立ち上がる。

 それをスイッチにして。

 ぱ、と。

 魔法陣が「首輪切り」の足下に展開する。

 私は告げる。


「――全力でやり合いましょう?」


 ぱ、ぱ、ぱ、と。

 さらに、一つ二つ三つ、と魔法陣は重なり合って――炸裂。

 それと同時に。

 部屋の左右の壁にも魔法陣が生じて、そこから鋼鉄の人型が。ずるり、と現れる。いわゆるゴーレム。挟み打ちをする形で「首輪切り」に襲いかかって、


「――残念だ。アメリ・ハーツスピア」


 ずるり、と。

 左右から襲いかかろうとしていたゴーレム二体が、冗談みたいな鋭利な断面で斬られ、崩れ落ちる。

 普通の剣でそんな風に切れるとは思えないから、おそらくは何らかの魔法が施された魔剣――まあそれは良い。魔剣だろうとナマクラだろうと、どっちにしろ、斬られたら死ぬのは同じだ。

 問題なのは、「首輪切り」の動き。

 まるで同時に斬ったように見える――凄まじい速度の剣技。

 だが、実際には違う。


「貴方を殺す」


 そう「首輪切り」は私に告げ。

 その姿が消える。

 消えたような速度で「首輪切り」が動く。


 ――時間加速。


 それが彼の能力。

 ある程度の時間、自身の時間を何倍にも加速させて動くことができる――そういう能力。割とありがちではあるが、確かに、単純に強力な能力ではある。

 特に、ぱっと見ただけではどんな能力なのか――そもそも能力を使っているかも分かりにくいところが怖い。

 今みたいに派手に使えばともかく、例えば、剣を振るうときに一瞬だけ時間を加速するみたいな使い方をされると、ただの高度な剣術にしか見えないだろう。真剣なんぞ持ったこともないであろうただの転生者が、凄腕の剣士として、ここまで戦ってこれたカラクリが、これだ。

 そして――けれども。

 ただ、それだけの能力だ。

 そこそこ強力な能力で、使い方も悪くない。

 でも、それでも。

 バットより遅いし――弱い。


「っ!? ……がっ!?」


 びぃん、と。

 間の抜けた音と共に、相手の動きが止まる。

 何てことはない――ただの糸だ。

 部屋中に張り巡らされた細い糸――とはいえ、人体を切断するほど鋭利なわけでも、頑丈なわけでもない。しかし、簡単に千切れるほどヤワなものでもない。

 べきり、と嫌な音が響く。

 たぶん、肋骨か何かが折れたのだろう。そりゃそうだ。通常の何倍もの速度で動いている以上、真っ正面から糸に突っ込んだらそうなるに決まっている。

 そして。

 動きが止まったところに、私は懐から取り出した瓶の蓋を、ぽんっ、と抜いて「首輪切り」の身体へと中身の液体をぶちまけている。タイミングはばっちりで、ものの見事に「首輪切り」はそれを引っ被った。


「――何だ!?」


「毒」


 と、私は簡潔に告げる。


「とても強い毒で、皮膚から急速に侵入してしまうの。早く解毒しないとそのまま死んでしまうわ――可哀想に」


「……っ!」


「申し訳ないのだけれど、私は解毒剤を持っていないの――このお屋敷の中に隠してあるのよ。貴方が大人しく剣を納めて捕まってくれたなら、ちゃんと助けてあげるわ――どうかしら? 降参する気は?」


「ないっ!」


 と、糸を剣で引き裂きながら叫ぶ相手に、


「そう――残念ね」

 

 私はそう告げて、

 ぱしり、と両手で耳を塞いだ。

 ぎゅう、と目を思い切り瞑る。

 かぱっ、と口を大きく開いて。

 そしてそれから、

 とすん、と椅子に座り直した。

 それが次のスイッチで直後に、


 ぼんっ、と。


 実際には、そんな可愛らしい擬音どころではない、身の竦むようなありとあらゆる破砕音と共に――屋敷が、丸ごと爆砕した。

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