彼女がギロチンに掛けられるまで⑤

「私のお母様は、それは素敵な人だったわ」

 

 ぱしゃん、と。

 水飛沫の音を立てながら、私と似ていた彼女はそう言った。


「賢くて綺麗で、それに優しい人だったの」


 ぺったんこな胸を張って。ふふん、と得意げに。にゅう、と悪戯っぽい笑みを浮かべて。

 私に向かって、こう告げる。


「――貴方と、一緒ね」


 私はというと、気恥ずかしさで縮こまっていた身体を、さらにもう一段階小さくして、こう答えた。


「……私みたいな奴と、貴方のお母様とを一緒にしないで下さい」


 ぽちゃん、と。

 前髪から垂れた雫が、水面で跳ねる。


「またそんな風に自分を卑下して」


 と彼女は嘆息すると、じとり、と私の身体を見下ろしてこう告げる。


「――どう足掻いたところで、ここでは貴方のないすばでぃは隠せやしないのよ」


「すみません。目付きがやらしいんですが」


 と、私は腕で自分の身体を抱きかかえるようにして、彼女の視線から身を隠そうと無駄な抵抗を試みる。

 何がどういう状況なのかというと、要するに、二人でお風呂に入っていたのだった。

 お風呂というか、この王女様のためのプライベートな浴場で、豪華で広くて何かの拍子に、かぽーん、と音が鳴り響くような、まあそんな感じ。

 私からすれば、ちょっと苦手な状況だった。

 お風呂に入ること自体は好きなのだ。

 ざば、とお湯を浴びれば、汗と一緒にいろんな嫌な気持ちが流れていってくれるように思える。ぽかりと湯船に浸かりながら、頭の中で考え事をするのだって好きだ。身体が温められているせいか、比較的悪い考えが思い浮かばないところが良い。ときどきおかしなことや楽しいことを思いついて一人で笑うこともある。その様子を不気味だと言われることもない。

 しかし、そこに他人が一緒にいるとなると、途端にそっちが気になってダメになる。

 いや、だってそうだろう。

 何で、素っ裸で他人と同じ空間に居られるのか。おかしいだろ恥ずいだろ何が裸の付き合いだふざけんな、と私は思う。

 だから「一緒に入りましょう」と王女様からのお誘いを受けた当初、私はそれを断ったのだ。全力で。

 彼女はこちらの襟首を掴もうとしてきたが、私はそれも振りほどいて全力で逃げた――が、眼鏡を人質に取られ、それを追いかけようとして、まんまと誘い込まれたところで襲いかかられ、服をひん剥かれ、ぐいと浴場へと連れ込まれ、ばしゃんとお湯を頭から浴びせられ、よいではないかと身体を洗われた後、ぽいと湯船の中に投げ飛ばされた結果、私は全てを諦め現在に至る。

 プールを連想させる湯船にたった二人で浸かりながら、私と彼女は、ひたすら他愛のない話をする。


「まったくもお、なんで顔はこんなにそっくりなのに、ここはこんなに違うのかしらねえ。ほら見て私の大平原」


「貴方はもう少し恥じらいを覚えて下さい」


「違うわ。これはただの対価よ。私の身体を見せるから――貴方の身体を見せなさい」


「止めて下さい」


「ちょっと触らせてくれないかしら?」


「止めて下さい」


「ちょっとだけ――ちょっと揉むだけだから」


「止めて下さい」


「止めない」


 と言って彼女は、ばしゃり、と湯を撒き散らして私に襲いかかり、ばっしゃばっしゃ、と抵抗するこちらを無理矢理抱き締めてきて、どばっしゃん、と私たちはもつれ合うようにして湯船の中に二人してひっくり返った。

 慌てて立ち上がろうとしてまた転び、何が面白いのか不意に笑い出した彼女はそれでも私を離さなくて、何だか私もおかしくなって思わずちょっと笑って。

 そこで、彼女に喉を咥えられた。

 湯船に温められた身体の内側が、一瞬で冷えたような錯覚。

 喉の皮膚に彼女の犬歯が軽く食い込み、彼女の舌がちろちろとその表面を撫でる。肉食動物に咥えられた小動物ってこんな感じなのだろうか、とちょっと思う。

 このまま喉を食い千切られるかもしれない。

 そう思い、覚悟を決めたところで、彼女は私の喉から口を離した。

 互いの呼吸が感じられる距離で向かい合う。


「私がまだほんの小さな子どもだった頃に、お母様が殺されたの。毒を盛られて」


 私と同じ顔の彼女の唇が、言葉を紡ぐ。


「それからお父様は革命を起こして王位に就いて、当時の王だったお祖父様を処刑して――そうして、今のお父様になったの」


「……それで、貴方もこうなった?」


「そうね」


「私は」


 殺されるかもしれない、と思いながら。

 それでも、私は彼女に告げる。


「同情は、しませんよ」


「そう」


 彼女は、私の冷たい言葉に対して、ひどく優しい声で言った。


「ありがとう」


 どうしてそういうことを、と私は思う。

 どうして優しい声なのか、と私は思う。


「私はもう上がるから――貴方は、もう少し居るといいわ」


 そう言って彼女は私の身体から離れると、湯船から上がった。

 彼女の身体から足下への石床へと、纏わり付いていたお湯が零れて落ち跳ね回って。

 彼女は、振り向かずにこう告げた。


「――ごめんね」


      □□□


「それでだな」


 と、かの悪逆非道な王は私に告げる。

 つかつかつかつか、と何故か玉座の周りをせわしなく歩き回りながら。


「どうなんだ。その、例の『鬼人』とは」


「順調ですよ」


 と、私は言う。

 まあ嘘ではない。仲が良いか悪いかで言えば、割と良い方だと思う。少なくとも、顔を見合わせた瞬間に、殴り合いに発展するような間柄ではない。

 ただし残念ながら、お互いにお互いに対して萌えない以上、色恋沙汰に発展する気配は微塵もない。一緒に過ごす内にそういう感情が芽生えるのでは、とも思ったがそんなこともなかった。


「良好な関係です」


「そうか」


 かつん、と。

 悪逆非道な王は足を止め、それから、どっか、と玉座に腰を下ろす。


「それで、どんな奴なんだ?」


「噂通りの実力の持ち主です。魔物との戦いでも対魔物戦に特化した勇者と同等、純粋な戦闘能力ではもはや並ぶ者はいないかと」


「『あの』グランドマスター以上だと、お前は思うか?」


「おそらくは」


 と私は頷く。


 グランドマスター。

 魔王軍四天王が一柱――武を司る「覇王」。

 四天王の中でも、智略を司る「謀略王」ズ・ルーと共に魔王軍の双璧を成す古豪。

 暗黒騎士団が魔王城へと近づこうとする者を遊撃する少数精鋭部隊だったのに対し、グランドマスター一派は完全な軍事集団であり、対国家レベルの戦闘能力を有するガチ過ぎる武闘派集団であり、控え目に言って魔王軍最強の集団である。

 大規模な洗脳能力によって民衆を即席の兵兼肉の盾に変えるキング。

 空間魔法によって大規模な部隊を瞬時に展開可能なビショップ。

 魔王軍最速のスピードで敵軍を偵察し翻弄し奇襲するルーク。

 三日三晩飛び続けられる不眠竜を駆り笛を鳴らし伝令役を務めるナイト。

 一夜にして強大な戦力を展開し高速の進軍を可能とするポーン。

 禍々しい鎧にその身を包み、かの「漆黒の災厄」以上の剣技で「触れずと切れる」魔剣を振るうクイーン。

 そして――グランドマスター。

 純粋な戦闘能力だけなら、かの「魔王」をも凌ぐと言われる――「最強の魔物」。

 四天王最強の連中がいきなり出てくるとか、ちょっと何それふざけんな、と言いたくなるところだが、判断としては確かに正しい。力量がいまいち分からない正体不明の相手に対しては、戦力を逐次投入するよりも、自分が持ちうる最大の戦力をぶつけるべきだ。さもないと、順調にレベルアップした勇者にさっくりトドメを刺されることになる。低レベルの内に潰しておくのがどう考えたって良いに決まっている。

 もっとも、何にだって例外はある。

 現状がそうだ。

 勇者一行がキングを倒しビショップを倒しルークを倒しナイトとレースをして熱い友情を結んだ後再戦を約束しポーンを倒し先日、クイーンの鎧をバットの奴が砕いて中から出てきた鎧に人格を支配されていためっちゃ可愛い少女剣士を助けた結果「覇王」一派も残るは当のグランドマスター本人を残すのみ、という惨状になっている。

 だいたいバットのせいだ。

 全然そうは見えないが、バットの奴はそれくらいの化け物なのだ。魔物相手ならば勇者もバットと同等以上ではあるが、人間相手だとただの美少女に過ぎないという致命的な弱点がある。バットにはそれすらない。

 42回も転生してる奴に対して今更過ぎるが、やっぱあいつチート過ぎる。

 グランドマスターがいくら魔王軍最強と言ってもバットの奴の敵ではないだろう。

 直接「視た」わけではないから確かなことは言えないが、さすがに、あのいまいち萌えない男以上ってことはないだろう。そんな奴がいるとかちょっと想像を絶する。

 

「――彼は強いです。ただ強いだけとも言えますが、それで十分過ぎるくらいに」


「そうか――それで、他にはどうなんだ?」


「え?」


「だからその、見た目とか、性格とか、まあそういうんだよ。どんな男だ?」


 と、何やら貧乏揺すりを始める第七国王。王たるものにあるまじき行為ではあったが、この男の貧相な外見には何かこうしっくり来ていてちょっと困る。


「――変な趣味持ってたりしねえだろうな」


「ええと、まあ普通かと。なんか美少女美少女言ってますがそれくらいです。強いて言えば、馬が好きですね」


「変な奴じゃねえか」


「そうでしょうか」


「お前、もしそいつ変なことされたら即座に言えよ。その化け物を始末する良い口実だ。ギロチンに掛けてやっから」


「ギロチンの刃が通るかどうか、割と微妙なところですが」


「まじかよ。やっぱやめとくわ」


「それがよろしいかと」


「なあ、お前さ」


「はい」


「前より綺麗になってるぞ」


「それはまあ、以前より人と会う機会も増えてきましたので。多少は身だしなみに気を使う必要が出てきましたから。この後も予定がありますし」


「…………そうかよ」


 と、悪逆非道な王は頬杖を掻きつつ、何故か一つ嘆息してみせた。


      □□□


 謁見の間から出て、しばらく歩いたところで、声を掛けられた。


「――アメリ王女」


 ぎょっ、としてそちらを見る。

 一人の老人が立っていた。

 ぴしり、と一部の隙もなく整えられた燕尾服で細い身体を包んだ、ザ・執事らしい佇まい。顔に浮かんでいる、にこやかで紳士的な笑み。

 声を掛けられるまで、存在にまったく気づかなかった。

 私はぞっとしたものを感じつつ、それを何とか表に出さないように努めて言う。


「こんにちは――私に、何か?」


「王より、こちらを預かっております」


 と言って、彼が差し出してくるものを見る。

 一本の、鞘に収まったひどく小さな短剣。


「その……これは?」


「御守りのようなものと考えて頂ければ」


「ああ」


 要するに自決用のアレか、と私は思う。

 何も考えずに受け取ろうとしたところで、


「――鋼鉄をも引き裂く代物です。お気を付け下さい」


 と告げられ、何でそんな切れ味良くしてるんだよ、と思いつつ、おっかなびっくり私は受け取る。

 手に取ってみると、やはり小さい。それこそ、首を掻き切る程度のことにしか使え無さそうだ。


「感謝します――と父にお伝え下さい」


 わざわざこんなもったいぶったことをせず、さっき会ったときに渡せばいいのに、と少し思いつつ、私は老人にそう言う。 


「承りました」


 と老人は頷き、それから、


「アメリ様」


「……何でしょう?」


「あまりご無理を成されぬよう――王は、貴方の身をご心配しておられます」


 と、実際に心配げな声で彼は言う。でも、何となく微妙に含みのある気配があった。こちらに釘を刺すような、そんな気配。

 単に気のせいかもしれなかった。

 なぜなら、私はこの老人のことを知っているから。

 第七国王に仕えている、名前の無い執事。

 そして。

 第七国で最も恐れられている――拷問官。


      □□□


 扉を開けると、香水の匂い。

 頭がくらくらするような、扇情的で、蠱惑的で――言ってしまえば下品な匂い。


「おう、これはこれは……第一王女殿下」


 と、こちらを見て声を上げる男。

 ケインズ・ボンガ。

 商人から成り上がった、第七国の経済を牛耳る男。

 背は低く、手脚は短く、そのくせに胴だけは妙に長い。全身に、しかし不均等に付いた贅肉はだらしなく、丹念に採寸されて仕立てられたはずの豪奢な服が、はち切れんばかりに押し上げられて台無しにされている。蛙のように大きく裂けた唇に咥えた葉巻は、味なんぞ知らんとばかりに違う種類のものが三本。頭頂部に僅かにへばりついた髪はぐねぐねと曲がりくねっていて、その癖、色だけは妙に黒くて存在を主張している。

 どうやったらここまで、と言いたくなるような、不快感の塊のような男だ。

 おまけに、片手で自身にしな垂れかかる美女を抱き、膝の上に乗せた奴隷の美少女の、その頭を撫でてやっているとなれば、これはもう、絵に描いたような悪役と言って良い。

 狙ってやっているのかもしれない。

 美女と、目が合う。全身に無数のキラキラとした宝石を身につけている割に、服装自体はほとんど半裸と言っていいくらいに薄着の彼女は、こちらを見ると哀れむような視線を向けてきた。私は自分の格好を考え、確かに、端から見ると自分の方が平民に見えるだろうな、と思う。

 あー、と呻き声が聞こえ、それは膝の上の美少女の口から、涎と一緒に垂れ流されている声だった。こちらも貴金属とドレスで飾られた美少女は、こちらはたぶん、薬漬けにでもされたのか、まともな思考が残っているようには見えない。どう見ても末期で、ここまで壊れた精神が治る見込みは絶対にない。

 すごく綺麗な女の子なのにな、と私は思う。

 そして、それ以上の思考を、意識して打ち切る。


「ああいや、これは失礼。お恥ずかしいものを見せましたな。ほら――失せろ」


 と言って美女を押しやり、美少女を床に転がす。美女が不満げな声を上げ、こちらをにらみつつも去り、美少女は、だらん、と床に転がってそのまま動かない。あー、という声が聞こえるから生きてはいるだろう。生きているだけだが。

 起きろよ馬鹿、とケインズは美少女を軽く足の先で小突くが、うー、と声が返るだけだ。

 私は言う。


「……奴隷をそんな風に扱うのは感心できませんよ。家具にしろ美術品にしろ人間にしろ、金を掛けて手に入れた道具なら、それなりの扱いをするべきです」


 こちらの言葉を、ケインズは鼻で笑った。


「高い金を払って手に入れたものを、こうやってぶち壊すことが楽しくてたまらないイカれた奴もいるってことですよ。――俺みたいにね」


 そう言ってもう一度少女につま先で小突くケインズに、私はもう一度、言う。


「ケインズ様」


「『可哀想だからやめて』と素直に言ってもいいんだぜ? 王女殿下?」


「……それは、貴方の『モノ』です」


「真面目だねえ。前のあんたは、もっと自分の感情に素直だったぜ?」


「ケインズ様」


「おお、怖い怖い。そう怒らんで下さいよ。はは、俺の影武者も殺されちゃ叶わん」


「……」


「冗句だよ。冗句――ははは」


 これは。

 これは、駄目かもしれないな、と思いながら、私は尋ねる。

 この屋敷から逃げ出す算段を取っておいた方がいいかもしれない。

 先程もらった短剣のことは、頭の中から排除しておく。いざというときには必要かもしれないが、それはたぶん自決するときで、そんな状況になるのはご免被る。


「それで……例の話なのですが……」


「受けるよ。あんたたちを支援する」


 即答に。

 必死に無表情を保とうとして、失敗した。


「おいおい何だよ。何を鳩が豆鉄砲食らったような顔してやがんだ? そりゃ受けるに決まってんだろうよ。あんたは敏腕だ。小娘の癖に頭が切れるし度胸もある、そして何よりてめえの感情を押し殺して利益を取れる――なんせ、こうして俺のところに頭下げに来てんだからな。あんたがやるなら、革命は成功するだろうさ。それなら俺はそっちに乗り換える――当然だろう」


「対価は」


「あ?」


「何か、対価が欲しいのでは」


「要らん要らん。むしろこっちから支援させてくれ。未来の女王様に貸しを作れるなら安いもんだ」


「……」


「ん? ああ――ははっ、おい何だあんた、まさか俺が、あんたとそういうことしたがるとでも思ってたのか?」


 思っていた。

 その、何ていうか――薄い本みたいに。

 薄い本みたいに!


「はははっ、そりゃねえよ! 有り得ねえ! 俺みたいな平民上がりの成り上がりが、第一王女殿下に手を出したなんてことが知れたら、即座に打ち首さ。あんたは良い女だし、飾ればちゃんと上玉になるとは思うが、そこまでして欲しがるもんじゃねえよ」


「それはどうも」


「俺は自他共に認めるクズだがな――無能でもなければ、馬鹿でもない」


「……ええ、そう思います」


「だからここにいるし、こうして、あんたの革命に一枚噛むことだってできる。――完全に脳みそのぶち切れてる国王様とは、一緒に共倒れせずに済む」


「貴方のような人は」


 と、私は言う。


「きっと、最後の最後の最後まで、絶対に生き延びるのでしょうね」


「いや……そりゃ、どうかね」


 と、ケインズは言う。


「あんたは俺よか頭が良いんだろうが……でも、やっぱりまだまだ嬢ちゃんだな。まだ全然、経験が足りちゃいない」


「?」


「絶対なんざねえよ。俺たちにできるのは、どれだけ頭を絞ったところで予防だけ。明日にゃ、俺は誰かの前で、這いつくばって命乞いをしてておかしくない。……なあ、この感覚、わかるか?」


「……たぶん」


 と。

 そこでまた「あー」と床の上の少女が声を上げる。


「ちっ」


 とケインズはその美少女を見て舌打ちをし、


「おい――片付けろ」


 と言って、鈴を鳴らす。

 しばらくして現れたのは、す、とした佇まいの老齢のメイド。その首には、今この国で使われているものとは違う、古い奴隷の印。

 扉を開けて現れた彼女は、まず床に転がる少女を見、私の姿を認め、それから主であるケインズの方へと目を向けると、溜め息を一つ吐いて。


「坊ちゃま」


 つかつかつか、とケインズの前に歩いて行き、口に銜えた葉巻をむしり取り、まとめて灰皿に放り込む。


「おい何しやがんだ」


「お客様の前で煙草を吸うとは何事ですか。こんな可愛いお嬢さんに、煙の匂いが移ったらどうするのです」


「知るか――っていうかお前その嬢ちゃんウチの国の王女だからな――あ、おい勝手にカーテン開けんなよ! 窓開けんなって、おいっ!」


「何をおっしゃいます。暗い部屋で窓も開けずに閉じこもっていては不健康極まりありません。そんなことだから、先程の方も怒って帰られたのです。まったく、お客様が来たときはちゃんと開けて下さいとあれほど言っておいたじゃありませんか」


「いやこれはだな、こう、心理的な圧迫を掛けるためとかそういう」


「そんな難しいことは分かりません。何にせよ、明るく空気が澄んでいた方が良いに決まっています」


「……もう好きにしろ」


「ええ好きにします。ほらほら、貴方も寝てばかりいてはいけませんよ。前の持ち主に処分されそうになっていた貴方を、ご主人様が拾って下さったのですから。ちゃんとご主人様のために働くのですよ」


 そう、床に倒れた少女に対して呼びかけた後で。

 ぱんぱん、と手を叩いて一言。


「ほら立つ!」


「あい」


 と返事をして、少女が立った。


「何で!?」


 思わず叫ぶ私を尻目に。


「はいはい、今からお洗濯に行きますよ! どうか貴方も手伝って下さいな!」


「あー」


 などと会話しながら、高齢のメイドはすたすたと歩き出し、それに付いて少女がのそのそと出て行く。

 その様子を、信じられないものを見る目で見ながら、私は尋ねる。


「な、何であんなことが可能なんですか――魔法?」


「……魔法じゃない魔法だな」


 と、ケインズは言い、


「言っておくが」


 と人差し指を立てる。


「綺麗なガキだったから買ってやっただけだからな」


「……」


「いいか。それは街のゴロツキが子犬を拾っているのを見て良い人だと思うのと同じことで、単なる錯覚だ。ゴロツキはゴロツキに過ぎん」


「そ、そうですか」


 と私は頷く。

 たぶん、相手の言っていることが正しいのだと思う。思うが。


「……貴方の言う通りですね。


「あ?」


「私は頭が良いですが、まだ全然、経験が足りていない」


「……はっ。自分で言うかよ、それ」


「死にたくないだけですよ……ところで、近々、どこかに行くそうですね」


「ああ……どうも最近、きな臭いからな。護衛も大量に雇ってる」


「なら、それ二倍にして下さい」


「ふうん?」


 聞いてくれないかもな、と思ったが。


「わかった」


 と、ケインズはあっさり言って、それどころかこう続ける。


「なら――三倍にしとこう」


「……いいので?」


「そらそうさ」


 と、彼は肩をすくめて、こう続けた。


「俺も――死にたくはないからな」

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