彼女がギロチンに掛けられるまで②

 バット、というのがそいつの名前だ。

 軽く正気を疑う名前だと思う。「メガネ」とか名乗ってる私も他人のことは言えないのかもしれないが、でも、それにしたって酷すぎる。

 そいつが勇者一行に同行し始めた理由は、勇者の一存に因る。本人曰わく「彼は私のお兄ちゃんとなるべき人物」とのこと。ちょっと意味がわからない。

 その存在に対し、当初勇者一行の背後に付いている連中は「何か変な奴が現れやがった」と眉を潜め、説得するなり脅迫するなり謀殺するなりして、そいつを勇者一行から引っ剥がすために画策していたようだった。

 しばらくすると、その連中の認識は「何かとんでもない奴が現れた」に変わり、その対応を巡って大混乱になった。

 そいつについてわかっていることは何一つなかった。その出自は丸っきり不明。バットというのが本名であるかどうかもわからない。

 一つだけ確かなことは「強い」ということ。

 ただ、ひたすらに強い。

 音よりも早く動き、岩をも砕く一撃を受けてなお立ち上がり、素手の一撃で竜を殺し、蹴り一つで城壁を破壊する――そして、携える金属の棒のような武器を振り回せば、空気を焼き大地を砕く。

 人類最強と言っても過言でもない勇者一行と比べても遜色ない程に強い――あるいは、それ以上に強い、どこにも所属していない謎の存在。

 曰わく「黒髪の鬼人」。曰わく「万象砕き」。かの「漆黒の災厄」たる黒騎士を一騎打ちで破ってからは「災厄殺し」などとも呼ばれている。アホみたいだが、しかし「バット」とかいう脱力するような名前を聞くよりもヤバさは伝わる。

 ただの人間である――魔物以上の怪物。

 各勢力はどうやら様々な方法で暗殺を企てたらしいが、全て失敗に終わった。背後から放たれた弓矢は腕の一振りで弾き飛ばされ、宿で彼の料理にのみ混ぜ込んだ毒物は何の効力も及ぼさず、禁呪による呪いですら「痛てっ」で済まされた。。

 そんなあれこれの噂は、私の耳にも入ってきており、それらの噂を聞いて「ああ、なるほど」と納得した。

 もちろん、転生者だ。私と同じ。

 そんなこと、直接会って「視る」までもなくわかっていた。

 問題はそいつがどういう奴か、ということであり、例えばそいつが異世界転生してチートもらって舞い上がって美少女を囲ってヒャッハーしているような奴だったりすると困る。絶対会ってもろくなことになりそうもない。絶対に手籠めにされる。私は美少年や美少女を手籠めにしたいのであって、チート野郎に手籠めにされたいわけではない。全力でご免被りたい。

 だからできることなら、関わり合いになりたくなかった。ただでさえこっちは面倒な問題を抱え込んでいるのだ。これ以上の厄介事は必要ない。

 そうもいかなくなったのは第七国王――要するに、私の本物ではない父が勇者一行に同行するように言ってきたせいだ。


「ま、ちょっと行って来いよ。んで、あの連中の手綱握ってこい。勇者なんてのは、ありゃあただ『魔物を殺すためだけ』に育てられたどこにでもいる田舎の娘っこだし、あの中じゃ比較的マシな聖女の奴もまだまだ青臭い小娘に過ぎん。お前なら楽勝で掌握できんだろ」


 などと、玉座の上で頬杖を突きながら平然と私に告げる第七国王。

 割と――いや結構にアレ過ぎる発言だが、残念ながらこれが平常運転だ。

 アーサー・ハーツスピア。

 第七国王として大冠するなり、圧政と粛正の嵐で国民を震え上がらせ、今も尚、鬼畜の所業と悪逆非道の限りを尽くしている狂気の王。

 そう言ってみれば、何かこう逆に「悪の帝王」的な凄そうな奴に思えるが、残念ながら当人にその貫禄はあまりない――いや、実際にはまったくない。

 はっきり言ってこの男、どこにでもいる中年のおっさんにしか見えない。立派な髭も生やしてないし恰幅が良いわけでもない。逆に、何かこう、その瞳に狂気の色を湛え一睨みで臣下を震え上がらせるような「これぞ悪役」的なオジサマってわけでもない。ぶっちゃけ村人Dとかそのくらいのモブキャラに見える。何かこう、いるだろう。昼間っから酒場にいるようなちょっと駄目男な感のあるモブ。攻略のヒントでも何でもない、ただの雑談をするためだけに置かれたようなモブキャラとかそんな感じだ。着ている服が貴族の服装ではなく平民の服であることが、その印象に拍車を掛ける。「王たるものがそんな下賤な者の格好をするとは何事か」と王に申し立てて処刑されたという誰かは間違ってはいなかったのでは、と私は思う。

 だから、死ぬほど恐ろしい男だと私は思う。

 何が恐ろしいって、そんな冴えない印象にも関わらず、噂の通りこの男は悪逆非道な狂気の王なのだ。その姿に油断していると次の日にはギロチンに掛けられて首を跳ね飛ばされる。

 言って良いことと悪いことを頭の中で選別しながら、私は口を開く。


「お父様。お言葉ですが、勇者一行には第二国の騎士団長様が参じております。彼を出し抜くことは容易とは言えませんよ」


「色仕掛けでもすりゃいいんじゃねーか。乳の一つでも揉ませてやりゃお前の言いなりになんだろ」


「第一国の貴族連中が相手ならともかく、あの方には通用しませんよ。それ」


「まあそうだな。ありゃ本気の本気で真っ当な騎士サマだからな。……っても、あの爺さんも長く続かねえさ」


「……どういうことです?」


「おいこら、わかってるのにわかってねえ振りすんの止めろや――あの爺さん、どう考えたって勇者一行のお荷物だろ。ぶっちゃけ雑魚過ぎる」


「強ければいいってもんじゃないでしょう」


「だが、あいつらは魔王を殺すために編制された勇者一行だ。そして、あの爺さんは老いぼれだろうが『他人を守る』ために人生捧げてきた騎士サマだ。頭脳労働担当ってわけでもないのに魔物と戦えない爺さんを囲っておく理由は勇者一行にはねえし、他の連中にひたすら『守られる』ことに真っ当な騎士が耐えられるもんじゃねえさ」


「……お辛いでしょうね」


「だから、とっとと止めりゃいいのにまったくしぶとい爺さんだくそ死ね――まあそういうわけで、頭がキレて弁も立つお前が参加すりゃ、あの爺さんのすることなんざ後ろで『そうですな』とか何とか頷くだけだ。そうなったら、あとは若い連中に任せて自分は引き下がるべきだってのはちゃんと理解するさ。そんなことも分からないような恥知らずの馬鹿共とは違うからな――っていうか、お前、ここまでちゃんと最初から理解してんだろわざわざ説明させんな時間の無駄だろうがボケ」


「……」


 まあ、その通りだ。

 認めたくはないが、私には、この鬼畜野郎な父親の考えがよく分かる。

 実際には、血の繋がりもなんにもない、赤の他人だって言うのに。

 結局のところ、と私は思う。

 こんな風に、目の前の男と同じことを、とっくに考えている時点で、私も結構な鬼畜だということなのだろう。本質的には、私はこの男と同じ側の人間なのだ。

 だから、まあ――


「……っていうか、色仕掛けっていうんならよ。あいつに仕掛けろよ。例の意味わかんねえ化け物」


 ――そんなことを言われるのも、割と予想通りだった。


「『鬼人』ですね」


「おうよ――強いだの化け物だの言うがよ、そいつもただのガキなんだろ? なら、簡単だ。お前よく見りゃそこそこ可愛い顔してんだからよ、ちょいと本気出して色目使ってやりゃあ、コロッ、と言うなりになんだろ。」


「……勇者様も、かの聖女様も、息を忘れる程の美しい女性だと聞いていますが。そんな彼女たちと一緒に過ごしている彼を、お父様の言われる『そこそこ』可愛い顔で何とかできるもんでしょうか?」


「お前男って奴がわかってねーなー。……いや、わかっててワザと言ってんのか?」


「……」


「男を騙したけりゃ――それも、特に青臭え若造を騙したけりゃあな、振り向いてくれない高嶺の花になんかなるよりも、手に届く場所で咲いてる普通の花の方になった方がいいんだよ」


「……」


「そりゃ男だってちっとは考える。若造でも若造なりに高嶺の花に棘があることは理解できる。だけどやっぱり馬鹿だからな――普通の花にだって毒があるってことまでは、なかなか頭が回らねえもんだ」


「すみませんお父様。私、一応、これでも立場上は王女なんですが。どちらかと言えば高嶺の花では」


「…………」


 と、鬼畜外道な王はしばし黙った。


「男ってのは馬鹿だからな――高嶺の花だろうと何だろうと、『手に届く』って勘違いしたらもう、実は届かないってことに気づかないもんさ」


「お父様。明後日の方向を向いて言っても説得力がありませんよ」


「やかましい――いいから、とにかく上手くやれ。お前の狡い頭を全力で使って、そいつのハートを上手いこと鷲掴みにしてこい。そして俺を楽させろ。失敗したらお前殺すからな。さあ行け」


「わかりました」


 と、私は気のない返事をしてみせたが、たぶん失敗したら本気で殺されるんだろうな、と思う。この男はそういう奴だ。

 でもまあ。

 実際、上手いことコントロールできれば、チートな転生者の力というのは魅力的ではある。そのための手段が色恋沙汰だと途端に不安度が増すが、それしかないならば、まあ仕方がない。

 せめて噂の「鬼人」とやらが美少年であってくれればな、と思った。


      □□□


 そして、私はそいつと出会った。

 予想はしていたが、残念ながら美少年ではなかった。ちくしょう。

 その第一印象は、


「何かいまいち萌えない」


 であり、あんまりにも萌えなさすぎて、思わず言葉が声に出た。

 やっべ、と思ったが後の祭り過ぎた。

 ぶっちゃけ、その時点で、こちらが立てていた攻略プランは軒並み崩壊した。さらに、こちらに対して相手の方も「え、なんで」とか言ってきたので余計にこじれた。

 その反応からして、どうやら相手の方もこちらに対する印象は同じだったということは容易に理解できた。つまり相手からしても私はどうもいまいち萌えないということらしい。成る程成る程。

 まあ、あれだ。

 私だって一応のところ女ではあるわけで。

 その――かちん、と来た。

 結果、素が出た。

 完全に個人的な見解であることは自覚しているが、私は素の自分で誰かと話すのは良くないことだと思っている。だから私は、どんな誰と話すときでも大なり小なり猫を被ることにしている。

 そんなわけで、転生してからも転生する前も、そこまで素で誰かと接したのはたぶん始めての経験だった。自分でも素の自分のエキセントリックさにちょっとびっくりした。なんせ「てめーこんにゃろー」から始まって「私に萌えろぉっ!」と最終的に人前で脱ぐ寸前まで行ったのだ。

 アホ過ぎる。

 まさか「いまいち萌えない」と認定されただけでここまで自分を見失うとは思わなかった。滅茶苦茶恥ずかしい。

 というか、絶対にどん引きされた。

 やっべどうしよう、と私は思う。

 このままだとあの鬼畜な第七王に殺される。


「……私はもうダメです。後は貴方に任せます。アリア様」


『いや落ち着けメガネ』


 夜。

 私の言葉に対する返事を出してくるのは、私の前に置かれた箱。

 その箱は闇の中、微かな光を放っている。

 光っているのは外側にびっしりと刻まれた魔法陣。実際には箱の内側にも大量に刻まれているというが、そちらは確認しようがない。

 それは遠距離で会話ができる魔法道具で――まあ、つまり電話のようなものだ。

 もっとも、元の世界の電話とは違い、こちらではちょっとした戦略兵器の一種で、つまりは一般的なものとは言い難く、遥かに使い勝手は悪い。

 連絡先は固定だし、連絡を取り合うためには相手側もこの装置を起動させる必要がある――当たり前だが、音を鳴らして知らせてくれるような高度な機能は持っていない。というか、結構な勢いで魔力を消費するため、常時起動状態にしておくのは無理があるのだ。

 そんなわけで、あらかじめ取り決めていた通りの日付と時間に、私はその装置を作動させた。

 装置から聞こえる凛とした声の主は、第七国第二王女にして第七国最強の騎士。

 アリア・ハーツスピア。

 私にとっては、本物ではない妹ということになる相手で――そして、共犯者。


『ええと……何だどうした。何があった』


「例の『鬼人』をこちら側に取り込む計画ですが……失敗しました」


『ああ成る程。流石は噂に名高い「鬼人」――こちらの計画を読んできたか』


「いえまったく。あれはただの馬鹿です。愛すべきが上に付くレベルの馬鹿ですよ」


『ええと……』


 装置を通した向こう側、アリアがこめかみに手を当てる気配。


『じゃあ、なんだ? 何でお主失敗した?』


「いや、いまいち萌えなくて」


『すまん。お主の言っていることがよくわからん。妾はお主ほど頭が良いわけではないのだ。一から説明してくれ』


 そう言われて、かくかくしかじか、と私は事情を説明した。

 ほほう、と彼女は相づちを打って聞き、ええと、と聞き終わってから言った。


『それは、失敗どころか大成功なのでは』


「え? どこがです? だって確実にどん引きされましたよ。華麗にフラグをへし折った形です」


『いや、まあ、確かにいつものお主のことを考えると信じられないはっちゃけ具合ではあったようだが――しかし、あれじゃろ。そのはっちゃけ具合は、何て言うか親密な相手同士だからやる感じのあれじゃろ?』


「初対面の相手との間に親密も何もないでしょう?」


『そうじゃの――だからまあ、妾もちょっと驚いておる』


 そこで、彼女は装置の向こうでくすり、と笑みをこぼして、私に告げた。


『初対面の相手だと言うに――お主、随分とそいつに、心を開いたもんじゃな』


 その言葉に私は、はっ、とする。

 確かに、彼女の言う通りだ。私はそうそう簡単に他人に心を開く人間ではない。素の自分を頑なに出そうとしないのもそれが原因の一つだ。それが賢さでも何でもなく、単なる臆病さの表れでしかないことは自覚しているが、自覚したところで直せるようなものでもない。

 そんなザ・コミュ障な私が、それにも関わらずあの男相手にあそこまではっちゃけたのは――いや、あの男によってはっちゃけされられた理由に私は思い至る。


「そうか、チート」


『うん?』


「気をつけて下さい。彼は恐らく、会話をした相手に本音で語らせるとかそういう特殊な力を持っているのかと」


『いや、ええと、そういうことではなくてじゃな……』


「やられました――馬鹿っぽく見えるのは全て偽装で、実際には、私はものの見事に彼に懐に入られたわけですね。私はそれなりに狡いですし、相手の実力を見る目はちゃんとあるつもりでしたが、実は井の中の蛙で、上には上がいた、ということですか。成る程」


『おーいメガネー? 戻ってこーい』


「しかし、向こうがこっちより上だと分かっていれば、幾らでもやりようがあります。私だって一応のところ女です『いまいち萌えられない』とか言われて黙ってられませんふざけんなあんにゃろう絶対眼鏡に萌えさせてやる」


『……まああれじゃな。妾は応援しとるよ』


 何やらちょっと諦めたような気配を滲ませ、でも、何だかちょっと楽しげな声で、装置の向こうの彼女は言う。それからちょっとだけそこに別の感情が加わった声で、こう付け加えた。


『――妾としては、ちと寂しいが、の』


      □□□


 どおん、という音と共に、石像の群れが一斉に崩壊していく。

 それを私は見ている。

 たぶん、バットの奴がポーンのコアを倒したのだろう。単騎で。

 やはり、尋常でない強さだ。

 一目『視た』時点で分かっていたが、化け物じみている。

 なんたって、魔物を滅ぼすことに特化しまくったような勇者が、魔物と対峙しているときと同等の戦闘力を素で有する。

 同じく勇者のパーティである聖女も聖騎士も魔法使いも強い――この世界で最高と言っていい力を持っている。

 だが、あいつはそれ以上だ。桁が違う。他の連中が最高レベル99の世界で戦っている中、一人だけ最高レベル9999の世界で戦っているようなそんな感じ。

 ただ身体能力を高いだけでも、その強化の度合いが尋常でない。ただの金属バットの一振りが、最上級魔法にも匹敵する威力を有する。何と言うかもう笑うしかない。


「よっと」


 という声が上から聞こえた。

 直後、があん、と前方の地面が爆発したようになって、私はまた土を引っ被る。

 ちくしょう、と毒づきつつ土を払う私に、その原因を作った奴はとことこと気楽に歩いて戻ってきて言う。


「終わったぞー」


「終わったぞじゃねーだろ! もう少し静かに戻ってこいや土まみれじゃねーか!」


「わ、悪い」


 と、こちらの文句に対して、ちょっとしょげたような顔でそいつは謝ってくる。

 そういう奴なのだ。こいつは。

 ちなみにここで、何だよてめー何もしてねーくせにふざけんな、などと言ってこの男が私を本気で殴ってきたら、私は何もできないまま一瞬で肉塊に変わる。

 うるせーちょっとやらせろ、とか言って無理矢理ちょっとアレなことをしようとしてきても当然、抵抗するなんざできず十八禁展開に突入するしかない。

 あるいは仮に、あーじゃあいいや俺もう世界滅ぼすわー、とか言ってこいつがこの世界を滅ぼそうとしたら、あるいは滅ぼせるかもしれない。

 基本的に、こいつは脳筋を極めに極めまくったようなどうしようもなくチートな奴なのであって、その気になればその戦闘能力だけで何もかもどうにでもできるのだ。

 しないだろうけれど。

 あの後、しばらく一緒に旅して分かったのは、こいつはやっぱりただの馬鹿だということで、そしてそれほど悪い馬鹿ではないということだった。何度「視て」も何かこちらの精神に作用してくるチートとかなかった。第一印象の通りの、愛すべき馬鹿だった――いまいち萌えないが。


「そんな怒るなって……ほら、あの石像軍団倒して来たんだからよ」


 と、いまいち萌えない男が、文句を言う私に首を竦めつつそう言ってくる。


「その、ほら、あれだ……少しくらい、誉めてくれたっていいだろ?」


 はっきり言って「少し」どころか、国家総動員で英雄扱いされて然るべき偉業だと思うのだが、その辺りこいつはちゃんとわかっているのだろうか? 

 絶対に分かっていない。

 私はふむ、と考え、一応言ってみる。


「じゃあ、私の胸揉ませてやるか」


「それは要らね」


「てめー」


 分かりきっている返答だったが、それでも言われると腹が立つ。いや、まあ、本気で揉むとか言われたら困るのだが。それにしたってその反応は如何なものか。せめてもう少し恥ずかしそうに断るとか、そういうの無いのか。

 自分を一瞬で殺せるような相手に対して、そんな風に考えているのは、もちろん、迂闊どころの話ではない。はっきり言って自殺行為にも等しい。

 しかし、最初に素を丸出しにしてはっちゃけ過ぎたのが悪かったのか、この男と話していると、何だかどんどんどんどん肩の力が抜けていってしまう。アホになる。

 いつもの私であれば、こんな歩く災害みたいな奴に対して文句なんか絶対言わない。土まみれにされようが何されようが、極力刺激しないよう、にこにこ笑ってやり過ごすことができるはずなのに、それができない。

 あまり良くない兆候だ。

 そのことは自覚している。

 でも、こうやって対峙しているとやっぱり肩の力が抜けてしまう。

 こんなに肩の力が抜ける相手は、元の世界でもいなかった。

 何なのだろう。こいつはあれか。マイナスイオンでも放出してるのか。癒し系か。全然まったくこれっぽちも萌えない癒し系って何だよそれ。

 そんなことを思いつつ、私は片脚立ちになって背伸びをし「ちょい失礼」と言ってそいつの頭にぽん、と片手を置く。


「よーしよし」


「なあ……何かこう、言いようのない苛ただしさを感じるんだが」


「うるせえ撫でポだっ! さあ私に惚れろっ! そして萌えろぉっ!」


「無茶を言うな無茶を――おい馬鹿っ!?」


 不意に。

 片脚立ちを続けていた私は、バランスを崩した。

 そのまま、すっ転びそうになって――


「――あっぶね」


 ――転ぶ寸前で、目の前のいまいち萌えない癒し系に、両肩を掴まれ支えられる。

 相手の手の、意外なくらいに堅くがっしりとした感触にちょっと驚く。

 ぱちり、とお互いに瞬きを一つ。

 そのままの姿勢で、至近距離で見つめ合って数秒後。

 私は、軽い戦慄と共に告げる。


「おい……おい、どーいうことだ何でこんなベタ甘なシチュエーションなのにドキドキしねーんだ。何であんたそんな萌えねーの?」


「うるせえ」


 と、いまいち萌えない男は私を放し、ぷい、と拗ねたように顔を背けてみせた。

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