1周目③.地獄へようこそ。


「では、バットさん――転生目標の達成を女神様にお伝えします」


 と、天使さんは言って、しばし目を閉じる。

 そして。


「――繋がりました。すぐに来ます」


 そう、天使さんが言った直後。

 しゅるしゅる、と。

 俺たちの周囲に、空から、光の雨が幾条にも降り注いだ。


「うわあ……」


 と、その荘厳な景色に、思わず見とれる俺。

 ぽかん、と。

 間の抜けた顔で口を開けっ放しにしていたことに気づいて、慌てて口を閉じる。

 すげえな、と代わりに心の中で思う。

 そして。

 その光の景色の中。

 降りてくる、女神さ――


「ん?」


 と、俺は疑問の声を上げる。


「え?」


 と、天使さんも疑問の声を上げる。


 ひひーん。


 と、アレクサンドリアがいななく。


 ぽすっ、と。

 俺たちの前に降り立つ、女神――と書かれた紙を顔面の部分に貼り付けられた、


「……案山子?」


「おいこらあの女神ぃっ!」


 絶叫し、その案山子を蹴り倒す天使さん。

 そのまま、倒れた案山子を小さな脚で、げしげし、と踏みながら叫び声を上げる。


「バットさんがっ! あの引きこもりの駄目人間がっ! 今、こうして立派になってっ! ついに、魔王を倒したってのにっ! そんな記念すべき時に、あの駄神は一体何をやってんですかっ! ふざけんなっ! ふざっけんなぁっ!」


「お、落ち着いて下さい天使さん……」


「貴方はなぜ落ち着いてるんですか!?」


「いや、まあ、ちょっとはショックですけれど。でも、よく考えて見れば女神様にとっては俺なんか転生者その1なんでしょうし」


 というか、正直、ちょっとほっとした。

 転生の間での、あの意味不明なまでの好感度の高さからすると、俺が魔王を倒したと聞いたらテンション上がり過ぎて何かいろいろなことをすっぽかすんじゃないか、と戦々恐々としていたのだ。

 忙しいからと言って、こんな風に案山子を送り込んでくるとは思わなかった。

 私情よりも神様としての仕事を優先している辺り、ああ見えて、実は常識的な女神なのかもしれない。

 ただ単に、俺のことなんて本当はどうでもいいだけなのかもしれないが。


 あとは、まあ、何と言うか――


「――その、天使さんが俺の分まで怒ってるので怒るに怒れないというか……」


「ああああもおおおおおおっ! 最後の最後で台無しじゃないですかもおおおっ!」


 と叫んで、天使さんはさらに案山子を攻撃しようとしたので、俺はアレクサンドリアを召喚してその口に彼女を押し込む。


「にゃああああああああああああっ!?」


 と、いつも通りに咀嚼される天使さん。

 いやまあその、彼女の気持ちは痛い程に分かるというかむしろ当事者なのだが、だからと言って案山子に罪はない。


 俺は案山子を起き上がらせようとし――


「ふえええええええん……」


 と、めっちゃ可愛い泣き声。

 もしや、この案山子もヒロイン候補なのか、と俺はちょっと戦慄したが、そんなことは流石になかった。


 声の主は、案山子ではなかった。

 ただ、案山子の下敷きになっていた。


「いやいやいや!? 大丈夫ですか!?」


 俺は慌てて案山子を起き上がらせ、下敷きになっていた相手に声を掛ける。


「ふえええ……ありがと転生者さん……」


 と、泣き声混じりでお礼を言いながら。

 ぱたぱた、と羽をはためかせ。

 ふわり、と浮き上がる声の主。

 天使だった。

 天使さんとは違う、でも、瓜二つな。

 小麦色の肌の天使。


 そして、その大きな瞳から。

 ぼろぼろ、と大粒の涙が零れまくっていた。


「ふえええ……転生者打撃群の運用で忙しいからって、ママの命令で案山子持って来たら、いきなり攻撃されて下敷きにされて上からストンピングされたあああぁ……」


「うわあ」


 あーあーあーあー、と俺は頭を抱える。

 やったのは天使さんで俺は何もしていないのだが、状況的にたぶん連帯責任だ。

 というか、ぶっちゃけもう謝るしかない。

 俺は地面に伏せ手を付き、小麦色の天使に向けて頭を下げて、謝罪を――


「ごごごめ、ごめっ、ごっごっごっ……」


 パニくって俺はめっちゃ噛みまくった。


「ふえぇっ!?」


 小麦色の天使に、めっちゃ怖がられた。


 なんか、俺まで泣きたくなってきた。


 そこでちょうど、ぺっ、とアレクサンドリアが天使さんを吐き出した。

 吐き出された唾液まみれな天使さんと、案山子に潰されていた小麦色の天使の目が合う。


「モカ?」

 

 そう、天使さんが言って、


「あ、おねーちゃんだぁー」


 と、小麦色の天使は即座にに、ぱっ、と笑顔を取り戻して嬉しそうに言う。

 俺は唾液まみれな天使さんに尋ねる。


「え、天使さんの妹さんなんですか?」


「妹のモカエルです。モカと呼んでやってください。ちなみに、私の本名はミカエルと言います」


「ミカエルですか。素敵な名前ですね」


 テンプレ乙、という言葉が高速で俺の頭に飛来してきたが、どんなにテンプレ通りだろうと俺にとって天使さんはすでに割と特別な存在なので、そんな不埒な言葉は金属バットで明後日の方向へと打ち返しておく。

 と、そこで。


「ねーねー、『ご』の転生者さん」


 小麦色の天使ことモカエルことモカさんによる、素敵な笑顔によって心を抉る呼びかけを聞きつつ、俺は尋ね返す。


「はい、何ですか?」


「今、『テンプレ乙』って思ったでしょ?」


「思ってないです」


 思っていた。

 が、それを口に出したら傷付くのは天使さんなので俺は嘘を吐く。誰かを傷つける真実なんぞ要らないと俺は思う。


「言わなくてよかったねぇー」


 と、にこにこと笑ってモカさん。


「前におねーちゃんが担当してた転生者さんがねー。おねーちゃん見て『テンプレ乙』って指差して爆笑して馬鹿にしまくったもんだから、ぱっくん、って食べ――」


 その直後。

 モカさんが、その笑顔ごと。

 跡形もなく消し飛んだ――ように見えた。


 実際には消し飛んだわけではなく、横合いから叩き付けられた凄まじい衝撃によって遠い空の向こうに吹っ飛ばされていた。

 きらん、とか。

 そんな擬音が付きそうな勢いで、遥か遠くへと消えていくモカさん。

 

 俺は、停止した思考を何とか再起動させる。


 とりあえず、目の前でうねっている、モカさんを吹っ飛ばした物体を見る。


 見た感じ、触手っぽい何かだ。

 でも、触手よりも何かもっとおぞましいものにも見える。何か金属質な輝きを放ってもいて、有機物なのか無機物なのか、そもそも物質なのかもよく分からない。

 そしてその先端は、四つに裂けて開いたり閉じたりを繰り返していて、そこに覗くのは青い舌とずらりと並んだ乱杭牙。しゅうしゅう、と床に落ちて異音と煙と刺激臭を立てる唾液をまき散らしている。


 その触手っぽい何かを、辿ってみる。

 根元の方に行くほど細くなっていた。

 最終的に細いというか小さくなって。


 そして。

 その小さくなった触手っぽい何かは、どう見ても天使さんのワンピースの裾の中から伸びていた。


「…………」


 俺は何も言わない。


「…………」


 天使さんも何も言わず、その触手っぽい何かをしゅるしゅるずるずるぐじゅぐじゅめりめりべぎんごぎんっ、とワンピースの裾の中に戻した。


「……あの」


 とりあえず、俺は天使さんに尋ねる。


「モカさん、あれ大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫ですよ! 天使って結構頑丈なんです! あれくらいなら平気です平気! すぐに蘇生して戻ってきますよ!」


「それは良かった――で、何です今の」


「何のことです?」


「誤魔化せていませんよ」


「やだなあもう何言っちゃってるんですかバットさん。中の人なんていませんよ」


「ああ……そういう……」


「違うんです! 私と貴方の仲じゃないですか! 信じて下さいバットさん!」


「天使さん。俺、信じることと、目を逸らすことは違うと思うんです……」


「わあああんっ! 全部あの駄神のせいだあああっ! うわああああああん!」


 と泣きながら絶叫し、やけくそで案山子に向かって再び襲いかかろうとした天使さんをアレクサンドリアが空中でキャッチし、そのままもぐもぐと咀嚼した。


      □□□


 結局。

 別に、天使さんに中の人がいてもいいのだ、ということを納得してもらうまでに説得を試みること十三回、アレクサンドリアが咀嚼すること四回を必要とした。


 ちなみに、モカさんは途中で「ふえええ……」などと言って戻って来た。無傷で。


 モカさんは立て直された案山子の頭の上に、ちょこん、と腰掛けて言う。


「それじゃあ、ママの力を拝借できるこの『案山子型簡易女神』を使って、転生者さんを元の世界に返すよー」


「『ママ』ってのは女神様ですか」


「そうです。天使は一部例外を除けば、あの駄神に創られた存在ですからね」


「……天使さんはそう呼ばないんですか?」


「呼ぶわけないでしょう」


「ううん、おねーちゃんも昔は呼んでたよー。『ママ、ママ』って、精神的にも肉体的にもべったべたでちょー可愛かったよー」


「また吹き飛ばされたいですか? モカ?」


「ふえええ……」


 としばし涙目になった後で、モカさんはつと俺を見て、言う。


「一応、確認だけするよー。転生者さん」


「はあ」


「本当に行く?」


「はい」


「死んじゃうよー?」


 と、モカさんは言う。


「ホントの、ホントに、死んじゃうよ?」


 勝ち目なんてない、と。

 天使さんに言われたことを、俺は思い出す。

 それでも。


「――お願いします」


 と俺は言う。


「……うん、わかった」


 と、モカさんは言って、ぱたぱた、とこちらに飛んできて俺の額に人差し指で、ちょんっ、と触れる。


 直後。

 俺の足下に展開する複雑怪奇な魔法陣。

 天使さんが言う。


「これで――貴方は元の世界に戻れます」


「はい」


「えっと、長かったような短かったような時間でしたが、貴方と一緒に旅をできたのはなかなか楽しかったです。最後だと言うのに、思ったよりも慌ただしい感じになってしまい申し訳ありませんが……これで私のナビゲーターとしての役割も終わりです。この先の最後の戦いには、貴方だけで行くことになります。ですから――」


 そこで魔方陣が一際強い光を放って輝く。

 俺と天使さんの間を隔てて。

 光の壁を、作り出す。


 しばし、天使さんが沈黙してから、言う。


「……なんか今のタイミング絶妙でしたね」


「あ、それ言っちゃうんですか」


「良い仕事をする魔方陣です。……む」


 と、天使さんは魔方陣を見て、


「……この魔方陣、どうも『空気を読む効果』が付与されてあるみたいですね。どうりで良い仕事するわけです。さすがはモカ」


「何ですかその無駄に凄すぎる効果」


「頑張って付けましたーっ! えっへんっ、もっと褒めて褒めてーっ!」


 と胸を張るモカさんを天使さんの出した触手が一撃し、きゅーん、と気絶させる。


「ちょっと褒めるとすぐこれです」


「天使さん、妹さんに厳しくないですか?」


「愛情表現です。ツンデレです」


「それはツンデレじゃないです。ふざけたこと言うと怒りますよ。天使さん」


「……いや、マジで怒られても困りますが」


 そして。

 天使さんは、俺を見て。


「後は――」


「後はもう、何もないですよ」


「いえ。まだ一つだけ」


 ぱたぱた、と。

 天使さんは、俺の目の前までやってきて。


「ちょっとそのまま」


「え?」


「いいですから。そのまま」


「は、はい」


 と、ちょっと緊張して身を固くする俺。

 何となく目を閉じてみる。


「何やってるんですか。目を開けて下さい」


 と、天使さんに呆れたように言われて目を開けると、彼女はちっちゃな手で俺の靴の紐を結び直しているところだった。


「靴紐。解けそうになってましたよ」


「…………ああ、成る程」


 きゅ、と。

 靴紐を結び終わって、俺の顔の高さまで再び飛んできた天使さんは、楽しげに八重歯を見せて、俺に言う。


「もしかして、キスされると思いました?」


「……ちょっとだけ」


「残念。私と貴方との間に、そんなフラグは立ってないです」


 やれやれようやくか、と溜め息を吐くように魔方陣が起動を始め、強烈な光が視界を覆い出す中で、天使さんが片手を振って言った。


「では、いってらっしゃい――バットさん」


 視界が、溢れ出る光に埋め尽くされた。

 まったく。

 本当に良い仕事をする魔方陣だよな、と俺は思って。

 

 そして。


      □□□


 光が消えて。

 俺は、元の世界へと、戻ってきた。


 道の端に、打ち棄てられた車がちらほら。

 ひび割れたアスファルトの路面の真ん中で。

 見上げれば、空を引き裂く高層ビルの群れ。

 その向こうには、太陽の日差しが――


 ――?


 太陽を背に、何かが降りてきていた。

 最初は小さな黒い点だったのが、どんどんどんどん、と大きくなっていってその尋常でない巨体が、巨大な翼が、鎧のような美しい鱗がはっきりと見えて、それが何であるのか俺は理解する。


 ――竜。


 そこで気づく。

 降りてきているんじゃなく――墜ちている。

 気づいたときには、もう目の前で。

 俺が何もできないままでいる内に。


 真横のビルの壁面に、竜が激突した。


 窓ガラスが一斉に砕け散って降り注いできて、俺は反射的に悲鳴を上げ、ほんの五センチ程度、身を竦めて。


 竜の尻尾が、その五センチを通り抜けた。


 のたうち回る竜の尻尾による一打ちが、打ち棄てられた車を丸ごと押し潰し、あるいは冗談みたいに、ぽーんぽーん、と宙に跳ね飛ばし、金属が潰れる耳を覆いたくなるような異音が後に続く。


 そして最後に。

 ばしゃり、と視界が赤黒く染まる。


 血。


 一瞬、自分の血かと思ったが、違う。

 目の前、ビルに激突して動かない竜。

 それを見上げる。


 竜ならば、見たことがあった。

 異世界で――仲間と共に力を合わせて、ようやく倒せた強敵だった。

 そのときの竜は、けれども、今目の前にある存在と比べるとただの蜥蜴だった。


 見ただけで分かる。


 その身に内包している膨大な力が――対峙する者の戦意を根こそぎにする、圧倒的な存在感が。

 そして。

 それにも関わらず、竜は死にかけていた。

 いかなる聖剣も弾き飛ばしそうな、美しい虹色の鱗に包まれたその身体は、その半分以上が、ぐちゃぐちゃに抉り取られていた。

 墜落しただけでは、ここまでにはならない。

 まるで、素手で破壊されたような傷だった。


『――やあ。そこの少年』


 と。

 死にかけた竜が、口を利いた。

 ごぼり、と血を吐きながら。

 頭上から。

 びりびり、と響く重低音と。

 竜の血の飛沫が降ってくる。


『君も、僕と同じ転生者だね?』


「転生者? ――貴方も?」


『そ。もっとも、ここまでだけど、ね』


 ごぼり、と。

 再び、竜が血を吐く。

 血を吐きながら、俺に告げる。


『後は頼むぜ、少年。それから――』


 ふっ、と。

 その命が消える、その寸前に。

 まるで呪いでも掛けるように、竜は告げた。


『――僕らの地獄へ、ようこそ』

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