1周目

1周目①.プロローグ。異世界転生の。

 異世界に転生した。美少女に轢かれて。


 俺はどこにでもいる平凡な引きこもりで、引きこもりなので急に車道に飛び出した猫や子どもや美少女を見かけることもなく、猫や子どもや美少女を助けるために交通規則を無視して車道に飛び出すこともなく、そもそも車道どころか歩道だって歩いておらず、というかそもそも歩いてすらいなかった。


 何たって、引きこもりだ。

 そりゃ、家でゲームしてたに決まってる。


 だというのにその美少女は、俺の家の、俺の部屋の、俺の好きなツンデレキャラのポスターが貼られた壁を、容赦なくぶち抜きつつ吹っ飛んできて、強制的に俺の引きこもり生活を終了させ、そのついでに俺の人生もさくっと終了させたのだった。


 あと少しで中ボス倒せたのに。


 で、死に際。

 かすむ俺の視界の端。落ちてきた瓦礫の直撃を受け、粉々に砕けたテレビとゲーム機の姿が映る。これで俺の操作していたキャラクターが中ボスを倒す機会は永遠に失われた。


 そして、視界のちょうど正面。

 消えた壁の向こうに見える赤い塔を背後に。

 どおん、と。

 ずっと遠くから、何かの爆発音が響く中で。

 瓦礫を押しのけ、この惨状の元凶が現れる。

 恐ろしいことに無傷で。


 すっく、と立ち上がる人影は仁王立ち。

 ばさり、と黒髪を宙になびかせながら。

 ずずい、と張られた胸は、ぺったんこ。


 一言で言うと、美少女。

 あるいは、セーラー服の美少女。

 もしくは、めっちゃツンデレっぽい美少女。


 そんな元凶もとい美少女を、俺は見ていた。

 こちらの視線に気づいたらしい。

 美少女が、ようやく俺に視線を向けてくる。


 お互いに、瞬きを一つ。


 カーテンを閉め切った暗く不健全な部屋は、美少女の直撃で半壊していた。

 見れば四分の三くらい天井が無くなっていて、外からの健康的な明かりが、容赦なく射し込んでいる。ひどくまぶしい。


 彼女は四分の三の中。

 光が射し込む場所に立っていた。

 そして。

 俺は残る四分の一の。

 光が届かない暗い場所で死にかけていた。


 でも悪くないな、と俺は思う。


 美少女を飾るように、その周囲で、光の粒子がきらきらしている。要するにただ光を反射してるだけの塵や埃なのだと知ってはいたけれど、分かっていてもそれはひどく綺麗で――最期に見る光景としては、なかなか悪くない。


 惜しむらくは。

 その美少女が倒れ伏す俺を見て、何だか泣きそうな顔をしていたことだろうか。


 おい、と俺は思う。ふざけんな。

 何でそんな顔すんだよ。

 ゴミでも見るような目で蔑んで見りゃいいのに、と思う。

 別に俺はMではなかったが、それでもそうしてくれれば、我々の業界ではご褒美です、とでも言って笑い話にしてやることができたのだ。


 でも。


 そんな顔を、美少女にさせたら――俺が死んでるのが悪いみたいじゃないか。

 美少女ってやっぱ卑怯だよな、と。

 そんな風に思いながら。


 俺は目を閉じる。


 するともう目は開けられなくなって、どうにかして開けられないかな、と思っている内に、意識の方がのろまな俺を置いてきぼりにして『悪いけど、僕、田舎出て都会に行くよ!』と、お前本当に俺の意識かよ、と笑ってツッコミたくなる快活さでどこか遠くへ去って行った。


   □□□


 体感的にはその直後。

 遠くへ行っていた意識が戻ってきて『都会とかやっぱクソだわ。田舎最高。また僕と一緒にやろうぜ!』と、お前本当に俺の意識かよ、と笑ってぶん殴ってやりたくなる白々さで言ってのけた。


 俺の方はというと、永眠のつもりで惰眠を貪っていたので、意識の呼びかけに対して、適当に手を振って返す。「あと三分。いや五分。あ、十分延長で」と言ったところで意識が顔を赤らめて『何だよ起きろよー。せっかく僕がお前のためにらしくないスカート履いてきてやったんだぜー』と告げ、「お前僕っ娘なのかよっ!?」と衝撃の事実に驚愕し俺は飛び起きる。


「ひゃうあっ!?」


 と、目の前で可愛らしい悲鳴が聞こえた。


 とっさにあの美少女のことを思い出したが、目の前にいたのは美少女ではあったけれども別の美少女だった。黒髪じゃなくて金髪。しかも染めたような不自然な色ではなく、どう見ても天然モノの綺麗な色。

 俺は少なからず困惑して、


「えっと……おはようございます。えっと、その、こんにちは」


 と、とりあえず挨拶をしておく。

 金髪なのだし外国人かもしれないが、言葉は通じなくとも、仕草や表情からこちらの誠意が伝えられれば問題ない。文化の違いまでは諦めるしかない。明らかに挙動不審でしどろもどろな挨拶になっていることも同じく諦めるしかない。


「こ、こんにちは」


 と、相手はちゃんと日本語で返してくる。外国人特有のあの独特の訛りがない。もしかしたら、日本生まれなのかもしれない。でも何だか気弱な声だなと思う。

 彼女は、しばし怯えたような顔を浮かべていたが、わざとらしく咳を一つしてひどく真面目な顔をしてから、とすん、と腰を下ろす――宙に。

 何もない宙に、まるでそこに、何か見えない椅子があるように腰掛けたのだ。

 空気椅子の可能性を考えるが、体勢から考えてそんな感じでない。

 なんだそれどんな手品だ、と驚いて目を瞬かせる俺に、彼女は告げる。


「さて転生の間にようこしょ聞きなさい人の子よ私は死と転生を司る女神です貴方の世界で言うところの死神とでも言うべきでしょうかつまり貴方は死んだのでちゅまずはそのことをちゃんと認めるように」


 何だ。ただの女神か。

 そりゃ日本語くらい喋れるわけだ。宙に腰掛けることだってそりゃできるだろう。


 ……。

 …………。

 ………………女神?


 ちょっと意味が分からず、俺は目の前の彼女に尋ねる。


「えっと、女神?」


「はいです。女神」


 と、心なしか嬉しそうに自称女神が頷く。

 俺は今すぐショートしそうになる思考を、何とかかんとか働かせる。

 引きこもり生活の中、無料で読めるからと読み漁っていたネット上の小説のことを思い返す。その知識と、目の前の自称女神の存在と、そう言えば俺確か死んだよなという記憶が結びついて、頭の中で一つの単語が、ぷかり、と浮かぶ。


 ――異世界転生。


 まじかよ、と俺は思う。まじかよ。


 そう思って周囲を見渡す。

 成る程、確かにそれっぽい。


 視界の果てまで続く材質不明の白い床。

 視界の果てまで続く正体不明の白い空。

 光源が見当たらないが、何故かある光。


 取り立てて描写するものが特にない、何というか手抜き感溢れる雑な空間。

 転生の間(笑)という文字が頭に浮かんだが、それを言葉にしたら目の前で何かちょっと嬉しそうな顔をしている彼女が泣き出しそうな気がしたので黙っておく。なんか、説明がやけに神経質そうで早口な辺り、しかも微妙に噛んでいる辺り、この女神、人生に疲れてる感じがある。親近感がちょっと沸く。優しくしてあげたい。


 俺は両手を挙げて驚いた振りをする。


「な、なんだってー。お、俺が死んだっていうのかー」


 必死で驚愕の事実を聞いた風に様子を装うとしたが、どこまでも棒読みにしかならなかった。中学二年生の頃、漫画のキャラの格好良い台詞を真似していた奴を厨二厨二と笑っていた自分が恨めしい。自分も同じことをしていれば、こんなときのための演技力を磨けたかも知れないのに。

 が。


「そうです! 認められないかもしれませんがこれは事実なのでしゅ貴方は貴方の世界に生じたかの凶悪なバグによっちぇその命を奪われたのです!」


 目の前の女神は、こちらの棒読みの台詞を受け、きらきらと目を輝かせ、それはそれは嬉しそうな顔で語り出してきた。

 やべえ、と俺は胸を詰まらせた。

 なんか不憫過ぎる。


「しかしご安心を! 貴方は本来ならば死ぬはずのない運命であったにも関わらず狂わされた貴方の運命を補正するために貴方をこことは別の世界へと転生させましゅ! さあ転生の儀を!」


「て、転生だってー。そ、そんなことが可能なのかー」


 やっぱそうくるのか、と思ったが口には出さない。出せるわけがない。もしここで口に出せる奴がいたとしたら、そいつは人間じゃない。俺がぶん殴ってやる。


「さあ女神たる我が呼び声に答えよ糸を紡ぐ原始の蚕よ!」


 と、何か唱え始めた女神。

 正直、全力でツッコミたかったが、そんなことはできない。

 それは鬼畜の所業だった。

 そんなこちらの内心の葛藤を他所に、女神の呪文詠唱は続く。


「過去から現在を通り未来へと続くその線に生じたほつれを正すため今ここに絶たれた運命の糸を新たなる糸へと紡ぎ合わせ新しき糸の物語をつみゅぎゅ……っ!」


 あ、舌噛んだ。

 ああ、めっちゃぷるぷるしてる……。

 あああ、泣きそうな顔してる。めっちゃ泣きそうな顔してるってかこれ絶対泣く。


 俺は、顔を真っ赤にして震える女神の様子に狼狽える。


 ずっと昔。まだ小学生だった頃、親戚の子どもが何かの拍子に泣き出してしまったときのことを思い出す。あのときは恐る恐る頭を撫でてやったら泣き止んで大人しくなったな、と思う。でも、ここにいる俺は今や引きこもりで、残念ながら目の前の相手は女神で、外見上同年代くらいの美少女なのであって、頭を撫でるとかできるわけがない。できる奴はできるのかもしれないが、俺にはできない。


 ただ、ひたすらおろおろしつつ、とりあえず尋ねてみる。


「あの……だ、だだだ大丈夫ですか」


 俺は噛んだ。


「だ、大丈夫でしゅっ!」


 女神も噛んだ。


「い、いいい痛くありませんか」


 俺はさらに噛んだ。


「い、痛くなんしぇありましぇんっ!」


 女神も噛み噛みだった。


 それが女神の涙腺にとどめを刺した。

 ぽろぽろぼろぼろ、と。

 女神が涙を流し始める。

 あーあーあーあー、と。

 俺は内心で頭を抱える。


「ううう……、いいですよいいですよ。どうせみんな、私が真面目な話してるのに『あーはいはいアンタ女神ね異世界転生ねわかったわかった面倒臭い語りとかいいから早く転生させてくれよチートとっととよこせ。ほら早よ。早よ』とかそんな風なことばかり言ってぇ……。もうちょっと、様式美とかそういうの理解してくれたっていいじゃないですかぁ……」


 そんなことになっているのか異世界転生。

 まあ、スポーツとか観光地とかでも、流行になって人数が増えると、途端にマナーが悪い人間が増えたりするもんな。人数が増えると変な奴も増えるのはしょうがない。そういうもんだ。たぶん。


「人間の前でふんぞり返って偉そうにするだけの簡単なお仕事だって聞いてたのに……ドヤ顔しかったから、女神になったのに」


 意外と俗な理由だった。


「なのにみんな、私のこと駄神駄神駄神駄神って馬鹿にしてぇ……私だっていろいろと大変なのにぃ……」


 そういって地面に「の」の字を書き始める女神に、俺は声を掛ける。


「あの……」


「何ですか! どうせ君も、私のことを駄神って言うんでしょう!? いいですよいいですよ! そんなこと言うんだったら、人外の最弱キャラに転生させたり、チートなだけで到底使えそうにないゴミスキルを付加したりしてやりますから! でもどうせ上手い使い方見つけ出してやっぱり無双したりハーレム作ったりするんでしょう! それで私のことドヤ顔で嘲笑うんでしょう!? 知ってるんですよそんなこたぁっ!」


「いや俺、そんな頭良くないし……俺も、どっちかというと駄目人間だし……そんなんで異世界に飛ばされたら死んじゃいます。駄目だなんて言わないから、ちゃんとしたチート下さい。普通に無双出来る奴」


「……詠唱中に『厨二乙』とか言わない?」


「言いませんよ」


 まあ嘘ではない。心の中で思いはするが。心の中で全力でツッコミは入れるが。


「……本当に?」


「ほら、ゆっくりでいいですから、さっきの呪文詠唱の続きを始めて下さい」


「……駄神って言わない?」


「お願いします。女神様」


 すると、女神は涙で潤んだ目でこちらを上目遣いに見、頬を染めて言ってくる。


「――好き」


「すみません。貴方ちょろ過ぎませんか」


「何でもしてあげる。何でも言って?」


「じゃあお願いですから自分をもっと大切にしてくれませんか!? 俺みたいな引きこもりにそんなこと言ったらあはんうふんな展開待ったなしですよ! 貴方すげー可愛いんですから!」


「やだ……可愛いだなんて、もうっ」


「何でこの数秒で俺の好感度こんな上がってるんです!? 何があった!?」


「大好きな君には最高級のスキルを付与してあげましょう。異世界転生なんてもはやヌルゲーなくらいのチートになれますよ!」


「神様ってのは公平であるべきでは!?」


「公平? あはは。そんな言葉が神様の辞書にはあるわけないですよ。人類みな平等。ただし、お布施の料に応じた階級あり。あと異教徒は除くが神々のモットー」


「控えめに言ってクズですね!」


「――えっ」


 と、女神はこちらの言葉にちょっと傷ついたような顔をする。


「あっ……」


 と、美少女を傷つけたことに罪悪感を感じて焦る俺。


「いや、その、別にそんなつもりじゃ……」


 などと、しどろもどろになる俺から、女神は拒絶するように顔をちょいと背ける。

 ただし頬を赤らめて。


「今の……なんか、ぞくっときたかも。ちょっと目覚めそう……」


「好感度が下がらない!? うわ何だこいつ面倒くせえ!?」


「もっと……罵ってくれてもいいですよ?」


「これ絶対駄目なルートだ! リセットした後で前の選択肢からやり直します! こんな序盤でこんな厄いヒロインのルートに確定されるのは嫌だ!」


「あはは、ゲームじゃあるまいし、現実にリセットボタンなんかないですよ」


「何でそこは常識的なんですか! 異世界転生とか非現実的なこと言ってる癖に!」


「ごちゃごちゃ言わずに転生しましょうよ。きっと楽しいです。れっつごー!」


「呪文詠唱は!?」


「ああ。あれですか? 気にしなくてもいいですよ。本当は別に無くてもいいんです。呪文詠唱ってやっぱロマンですよね」


「さっきまでの俺の同情を返せぇっ! 駄神って言わせろ!」


「べ、別に君なら、駄神って言っても……いいですよ?」


「…………」


 俺は何かを言うことをそこで諦めた。

 話を先に進めることにする。


「……分かりました。とにかくまずは転生します」


「どうします? どんなチートが欲しいですか? 何でもありますよ?」


「おすすめは」


「身体能力全振りですね! しんぷるいずざべすと! 物理こそ最強ぉっ!」


「じゃあそれで」


「躊躇ないですねー。もっと尖った能力とか欲しくないんですか?」


「いや、俺馬鹿なんで。ゲームしてて詰まっても頭使って戦うとかじゃなくて基本レベルを上げて殴るだけですし……だから馬鹿は馬鹿らしく普通に脳筋がいいかなと」


「そんな君も……す・て・き」


「はいはい」


「オプションで最強武器もあげちゃいますよ。絶対に壊れない上に整備不要で、各種対魔法機能付き! 何にします? やっぱりスタンダードな剣? 玄人好みの槍? それとも見た目重視で大鎌? それとも渋いところでハンマーとか? それとも弓で遠距離双?」


「金属バットで」


「意外とバイオレンスなとこ突きますね」


「いや、元野球部なんで」


「野球少年だったんですね! 素敵!」


「ベンチウォーマーでしたが」


「ベンチを温めてる君も素敵!」


「はいはい」


「じゃあ、君にチートを授けましょう! その……ちょっと、唇貸して下さいね」


「はいは――え?」


 と疑念を抱いた瞬間には、女神の瞳がほんの目の前にある。


 そのままキスされた。


 女の子的な甘い香り。

 俺の方は驚いて目を見開いていて。

 女神の方はそっと目を閉じていて。

 なるほど、やっぱり美少女はどれだけ駄神でも美少女なのだな、とか思う。


 とん、と。

 顔を赤らめた女神に突き飛ばされる。

 それと同時に。

 すっ、と身体が落下する感覚。


『では行くがいい! 異世界の転生者よ!』


 と、その声だけ聞けば威厳に満ちていると言えなくもない女神の声。


『その力で世界を救いちゃま……っ!』


 ああ。

 また噛みやがったあの女神。


 落下する感触が不意に消える。

 自分が目を閉じていたことに、そこでようやく気づき、目を開く。

 青空。

 と、こちらをのぞき込む馬の顔。


 そのままキスされた。


 動物園的な馬糞の香り。

 俺の方は驚いて目を見開いていて。

 馬の方はかっと目を見開いていて。

 なるほど、天国から地獄とはこういうことを言うのだな、と俺は思う。


 ひひーん、と。

 俺からセカンドキスとファーストキスの余韻とを華麗に奪い取ったその馬は、続けて舌でこちらの顔を舐め回し、ぶるるん、と鼻を鳴らし、唾液と鼻水とで顔があっという間にべちゃべちゃになる。

 どことなく好意のオーラを感じる。寄りにもよって馬だが。


「おおい」


 と、声。


「あんた、そんな道のど真ん中で寝てちゃ危ないよ」


 ひひーん、と。

 眼前でいなないている馬がしゃべった――わけではなく、その馬につながれた手綱の向こう。見覚えのない、しかし、ゲームやら何やらで馴染みだけはある物体。

 馬車。

 それに乗って、手綱を引く中年の男性。


「さ。どいたどいた。あんたにゃ悪いが俺ものんびりしてられる身分じゃないんでね。ちっとそこを通らせとくれよ」


「は、はい……」


 と、俺はしどろもどろにうなずき、服の袖で顔を拭ってから、わたわたと転がるようにして道を開けようとして盛大にすっ転ぶ。立とうとして、また転ぶ。

 何だこれ?

 身体が、上手く動かない――引きこもり生活が長かったせいだろうか?

 何とかかんとか道を開けると、男性は手綱を一つ打ち鳴らし、馬がこちらに熱い視線を飛ばしながら走り出して、馬車が動き出す。

 上半身を起こして、道の向こうへと走り去って行く馬車を見送って、そこでようやく、周囲の景色に意識が向く。


 遥か遠くまで広がる広大な大草原。

 草原を切り裂いて引かれ続く街道。

 ひどく澄んだ色の青空と、高い雲。


 その広大な世界の隅っこに――俺。

 手には台無し感がある金属バット。


 すげえ、と俺は思う。

 まじで異世界転生だ。

 ちょっと、感動した。


 が。

 直後、現実的な問題があると俺は気づく。

 思わず、その場に膝を抱えて座りこんだ。


「もう駄目だ……」


『ちょっと貴方何言ってるんです!?』


 と、いわゆる頭の中に直接響く声。

 女神とは違う声だ。

 何やら舌っ足らずだが、はきはきしており流暢で、俺や女神のように言葉の途中でどもったり噛んだりする奴らとはまるで違うなめらかな発音。


「誰?」


『ナビゲーター役の天使です。ほら、こう、転生者に同行していろんな説明を行う役回り的な……何となく分かるでしょう?』


「うん。何となくわかった」


『最近の転生者の子は理解が早くてよろしいですね。――で、何が駄目なんです? いきなりギブアップとかされてもちょっと困ります』


「ああ、やっぱり魔王とか倒さないと駄目な感じなんだ……」


『転生者には転生目標なるものが設置されています。まあ、別にその世界で生きていくならどうでもいいんですが、でも、達成してもらわないと私のナビゲーター役としての評価に傷が付くので』


「評価とかあるんだ……」


『そんな些細なことはいいんです。で、何が駄目なんです? ちょっとこの天使なおねーさんに相談してみて下さい。ナビゲーター役としてこれまで何百人という転生者を異世界に放り込んできたこの私が、貴方の悩みに見事答えてあげますよ」


「歩きたくなくて」


『何ですそれ予想外!?』


「そもそも、何で道のど真ん中に転がってるんですか。いきなり馬車にはねられそうになってるし。いくらなんでもハードモード過ぎやしません?」


『どこがハードモードなんですか!? 異世界転生の旅の始まりと言えば、王様の前か、あるいは、こういう街と街との間にある道のど真ん中でしょう!? 産卵直後のドラゴンの巣に放り込まれたとかじゃあるまいし、ここは普通に異世界のファンタジーな情景にわくわくするべきところですよね!?』


「でも、俺インドア派なんで」


『身体能力全振りしておいて!?』


「あと、気持ち悪いんであんまり話しかけないで下さい」


『気弱な声でえらくサドいこと言いますね貴方!? ――ちょっと女神様、興奮しないで下さい何が「ずるい私も!」ですかちょっと黙っててください!?』


 ぎゃあぎゃあ、と何やら頭の中でわめき散らされて、俺は頭を抱える。


「いや、今のはそういう意味じゃなくてですね。こう、脳をかき回されてるみたいで、本当に気分が悪くなるんですよ」


 頭に直接語りかけてくる何者かの声とか厨二心をひどく熱くさせる要素ではあるが、こうして実際にやられてみると本当に頭の中でぐわんぐわんと響いている感じで割と不快感が凄まじい。心を病みそうなので止めて欲しい。ただでさえこっちのハートはガラス製で、しかもヒビ割れまで走っているのだ。


「もう駄目です。スタート地点が王城でなかった時点でもう終わりです。頭を撫でただけで惚れてくれる萌え萌えな召喚術士の女の子も、何故か俺を気に入ってパトロンとなってくれる尊大な貴族の美少女も、年下趣味で俺に好意を抱いてくれる年上のメイドさんも、一緒にこの世界に召喚されたツンデレ美少女もいない。これだと俺みたいな惰弱は生きてなどいけません」


『女神様が王城召喚コースじゃなく街道放置コースにしたのはそのせいですか……』


「人生と同じで、最初の時点で俺の負けは決まりました。俺は街にもたどり着けないまま、いずれモンスターに襲われて死ぬことでしょう」


「だ、大丈夫ですよ!」


 ぽむ、と。

 可愛らしい音と共に、手の平サイズの大きさの女の子が肩の上に現れた。

 ふわふわな金色の巻き毛に包まれたちっちゃな頭。その上に浮かぶ光の輪。華奢な身体の背中には一対の小さな羽。シミ一つ無い真っ白なワンピースに身を包む。


 成る程。

 確かにどう見てもこれは天使だ。

 テンプレ乙、という言葉が頭に浮かぶが口には出さない。別に本人だって好きでテンプレ通りの姿をしているわけではあるまいし。

 それにいくらテンプレ通りだろうと、可愛いは正義だと思う。


 そして、そのテンプレ通りな天使さんは、ぺちぺち、と小さな手で俺の頬を叩きながら、頭の中に響く声ではなくちゃんとした肉声で言う。


「今の貴方は転生チート持ちなんですから! レベル1で体力と力と防御と素早さが全部999とかそんな感じですから! 冒険者ギルドとかに登録すれば即座にすげーって言われますよ! 三日でS級冒険者とかになれます! 即勇者です!」


「例え全能力が999で、全ての技と魔法が使えたとしても、勇気がなければ勇者にはなれないと思います。心技体、全て整ってこその強さです」


「格好良いこと言ってるけれど別に今勇気とか強さとか要らないですよ!? ただ単に歩けばいいんですよ!? そのくらいは頑張りましょうよ!」


「努力とか今時流行らないです」


「いや、歩くくらいはしましょうよ」


「ハーレムの女の子たちからちやほやされて、異世界の偉い人たちからは『あいつすげえ、何者だ!?』『大した奴だ』『彼こそがこの世界の救世主なのですね』とか何とか褒められたい――しかし、そのために血のにじむような多大な努力しなければならないのでは、本末転倒です。故に、理想はこうです。『異世界の女の子や偉い人たちにちやほやされる。何もせずに』」


「限度ってものがあると思うんです」


「究極的には、歩くことはおろか、言葉を発することも、それどころか肉体を動かすことも、あるいは思考する意識すら必要なく、そもそも存在することすらせずに、みんなからちやほやされることが理想です」


「そこまで行ったらもう完全に人間止めて精神的だったり概念的だったりするなんかよくわからない何かになって確実にイロモノ枠です。馬鹿言ってないで、とっとと歩きましょうよ。日が暮れてしまいますよ」


「まあそうですね。所詮、理想は理想です」


 諦めて立ち上がり、馬車の向かっていった先を見る。


「仕方ない。歩きましょう」


「どうも……歩かせるだけでここまで疲れたのは私のナビゲーター歴でも初めてです……ぶっちゃけ、もうとっとと噛み付いてやろうかと思ってました……」


「可愛いですね」


「何を言いますか。こう見えて私、噛む力は強いのですよ。ほら八重歯。がじがじ」


「めっちゃ可愛いですね」


 そんな、ちっちゃな八重歯を見せられても、可愛い、としか思えない。超可愛い。


「そう言えば」


 と、俺はふと思い出して天使さんに尋ねる。


「あの美少女も転生者なんですか」


「美少女て。どの美少女です?」


「えっと、天使さんが知ってるかどうかわからないですけれど、俺を轢き殺した」


「……ああ。あの」


 と、天使さんはそこでひどく微妙な顔になって言う。


「一応はそうなのですが、でも、彼女はその中でも例外中の例外です。どちらかというと転生者が生まれる、そのしわ寄せで生じた存在と言いますか……」


「しわ寄せ?」


「わかりやすく言えば、貴方がた転生者がチートだとして、彼女はバグです。――だってほら、チートにはバグが付きものでしょう?」


「まあ、確かに」


「彼女に興味が?」


「いやその、大したことじゃないんですけれど。ただ、ちょっと、その――」


 俺は頬を指で掻く。

 自然に、一つの言葉が口から滑り出る。


「――復讐しようと思って」


 あれ、と疑問に思う。

 何で、こんな言葉が出てきたのだろう?

 そんな俺の戸惑いを他所に、天使さんはあっさりと頷いてくる。


「ああ、そうですか」


「え、ちょっと待って下さい」


「何か?」


「それだけですか? だって今、俺、復讐するって言ったんですよ。何でとか聞かないんですか? それか、復讐は何も生まないって説得するとか、こう……」


「いやその……だって貴方、元いた世界滅ぼされてるわけですし……」


「え?」


 俺は絶句する。


「滅んでるんですか? 俺の元々の世界?」


「え」


 天使さんも絶句した。


「何で知らないんですか貴方」


「俺、引きこもってゲームしてたんで……」


「まじですか」


「まじです」


「いやいやいやいや……え、ご家族の方とかに何か言われませんでした?」


「えっと……」


 と、俺は自分の記憶を探ってみて、最後らへんの記憶が曖昧になっていることに気づく。転生して、記憶が混濁したのだろうか。それともあれか。あの美少女が色々と衝撃的過ぎたせいか。


 というか。

 自分のいた世界が滅んだとか割とショックが大きすぎて、受け止め切れない。

 落ち着け、と俺は自分に言い聞かせる。

 落ち着くべきではないのかもしれないが、でも今は落ち着くしかない。 

 

 自分の家族のことを思い出してみる。


 見るからにうだつの上がらない父。

 口うるさくやかましい母。

 くそ生意気な妹。


 引きこもってからは、ろくに顔も合わず、扉の外から話しかけられたって、ほとんど口を利かなかった。そして最後には――最後には、どうなった?


 かちり、と。

 記憶の回線が、一瞬だけ繋がる感触。

 その感触の中から。

 ころん、と転がり落ちてくる記憶の断片。

 扉。

 その向こうから投げられた言葉。

 妹の声。


 ――この、引きこもり野郎。

 ――そのまま、そこで死ね。


 ずきん、と。


 どこかが、ひどく痛んだ。

 頭でも、心臓でも、足の小指でもない。

 どこか。

 たぶん、心とかそんな曖昧な何か。


 その場で、俺は、再び、うずくまる。


「だ、大丈夫ですか?」


 と、慌てたように言ってくる天使さん。


「いえ、その……家族のことをちょっと思い出して……」


 と言うと、微妙に勘違いされたらしい。天使さんは俺を労るように、ぺちぺち、と肩を叩いてくる。


「た、確かにショックかもしれませんけど! ほら、でも今はこうして転生してチートを手に入れられたんですから! きっとこれからは良いことありますよ! ね!」


 俺の世界は滅んだわけで。

 ということは、父も母も妹ももう死んだということだ。そんな簡単に割り切れるものではない。

 でも。

 天使さんは本気で心配して励ましてくれているようで、正直ありがたかった。

 たぶんそれは、俺に途中で挫折されると自分の評価が下がるからとかそんな理由なのだろうけれども――それでも、だ。


 なんだ俺も相当ちょろい奴だな、と思う。

 これじゃ、あの女神を馬鹿にできないな。

 よし、と立ち上がる。

 俺は、それから、ちょっと覚悟を決める。


「あの、天使さん」


「は、はい!」


「ここは一念発起して、俺も、なけなしの根性を発揮してあれをやってみます」


「あれ、とは?」


「走る」


「貴方本当にどうして身体能力全振りとかしたんですか!? 完全に選択ミスじゃないですかそれ!?」


「だって女神様のおすすめですし」


「貴方はあれですか。おすすめされた商品を何も考えずにポチるタイプですか」


「それにほら、ロマンじゃないですか。能力全振りの一点特化」


「貴方それ女神様のこと馬鹿にできないですよね!? 完全に同類ですよね!?


「俺は美少女じゃないですよ」


「そういうことでは――おい女神ちょっと黙ってろ興奮すんな座ってろ!」


 と、明後日の方へ向かって叫ぶ天使さん。

 先程も何やら話していたようだが、どうやらこの天使さんは女神と交信だかなんだかをしているらしい。


「まあ、見ていて下さいよ天使さん」


 俺は馬車が来ないことを確認してから屈み込み、地面に手をついて、クラウチングスタートの姿勢を取る。

 それを見て天使さんが呆れる。


「わざわざそんな本格的なやり方を……」


「だって、本当に久しぶりですし。やはり慎重にならないと。走ったら、死ぬかも」


「貴方どんだけ引きこもってたんですか」


「ちょっとスタートの合図を言ってもらってもいいですか」


「いいですよ。3、2、1……用意!」


「あ、ちょっと待ってください。靴紐が切れて……」


「うるせえです私に噛み付かれたくなければ走って下さいこの引きこもり!」


「えええ……そんな」


「いいから行って下さい! さあ!」


「ううう、じゃ、じゃあ深呼吸して……すー、はー……よ、よーし!」


「……って、あれ、ちょっと待ってください。今の貴方って身体能力全振り――」


 最初の一歩。

 びゅん、と。

 俺の身体が、草原の遥か先まで一瞬で進む。


 脚で地面を蹴りつけた瞬間、足下で何かが爆発したような轟音が生まれて、次の瞬間にはその轟音が景色と共に遥か背後に流れ去っていって、代わりに全身を空気が叩き付けてきて泡を食って混乱し、当然、次に出した脚は着地点を見極め切れずバランスを失ってずるりと滑った。


 二歩目でコケた。


 美しい大草原の一部を爆発させるように吹っ飛ばしつつ、腕やら脚やら尻やら背中やら後頭部やら顔面やらを普通なら即死する速度で打ち付けながら、どかんぼかん、とバウンドして遥か遠くまで吹っ飛ぶ俺の身体及びその肩に乗った天使さん。


「うぎゃああああああああああああっ!?」


 と俺は混乱と激痛とで悲鳴を上げ、


「みっきゃあああああああああああっ!?」


 と天使さんも絶叫しながら目を回す。


 盛大にというか壮大にというかあるいは凄絶にというべきか、とにかく史上稀に見るコケ方をした後、俺の身体はぼてっ、と地面に落ちた。


 場所は街道のど真ん中。

 目を開ける。

 青空。

 と、こちらをのぞき込む馬の顔。

 そのままキスされそうになったので、目を回している天使さんを引っ掴んで盾に。


「にゃああああああああああああっ!?」


 天使さんが馬の唾液と鼻水の犠牲になっている間に、俺はゆっくりと立ち上がる。


「……おおう」


 馬の背後から声。

 行者台に座るのは、先程のおっさん。

 どん引きしたようすでこちらを見て、


「あんた何か? 何が何でも道行く馬車の前に立ちふさがらなけりゃならん呪いにでも掛かったのか?」


「いえ――そんな呪いがあるんですか?」


「いや、知らんが」


 と、行者は困ったように頬を掻いて、それから言う。


「あんた、乗るか?」


「いいんです? 金ならないですが?」


「客室じゃねえぞ。行者台の方だ――まあ、あれだ。なんか、このままだとまたあんたに道ふさがれそうな気がするからな。二度あることは三度ある」


「ありがとうございます」


 俺は頭を下げてから、「お助けーっ!」と叫んでいる天使さんを回収し、全身全霊をかけてゆっくりと動く。


「……何だその動き。動きが遅くなる呪いでもかけられてるのか?」


「いえ別に」


 と言いつつ、ゆっくり馬車に乗り込んだ。

 ばしり、と行者が手綱を操ると、馬車が動き出す。思ったより結構揺れるが、先程、結構どころじゃない上下運動をしたところなので気にならない。


 わあわあと泣きながら「本当に噛みますよ! 噛みますよ!?」と文句を言ってくる天使さん――何の反応もないところを見ると、たぶん行者には見えていないらしい――を無視しながら、たぶん次の街へと進んでいるはずの馬車に揺られつつ、これからのことを思う。


 これから始まる異世界転生の旅のことを。

 それから、あの美少女のことを。

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