#4 人か、豚か、フレンズか
ふれあいカフェ「にゃん楽亭」は各チホーにチェーンを持つ飲食店で、主に愛玩動物として人慣れしていたアニマルガールが、アルバイトとして勤務している。これは、この店がフレンズの社会参加・情操教育をになう訓練機関としての役割も持っているためである。
「サキ」は高校卒業後に、にゃん楽亭にアルバイトとして採用された女性である。島で働きながら通信制大学を卒業し、飼育員資格を取得した筋金入りのジャパリっ子で、年齢こそ私と同じだがパーク勤務歴は私より遥かに長い。
私とサキは、研修期間に受けたフレンズの飼育に関する講習で出会い、年齢や故郷が近かったこともあって意気投合し、時折お互いの担当している子についての相談もしていた。パークにおいて最も親しくしている人間の友人である。
彼女は喫茶店の従業員ではあるが、突発でアニマルガールが発生した際、正式な担当が決まるまで、臨時でその子の飼育を担当する事がある。トンちゃんの発生時点の一時保護も彼女が担当し、私はそれを引き継いだ形だ。
今日はチホーアーケードの喫茶店で彼女と会う約束をしている。もちろん、それはトンちゃんのことについて相談するためだ。
* * *
「やっ」
「久しぶり、サキ。元気にしてた?」
「まあ……ね。最近店の方にサポートロボットが導入されて、その試験運用で、スタッフがオペレーションを覚える必要があって、もうてんてこ舞い。……必要なものではあるんだけれどね」
「例の『ビースト』?サファリゾーンの屋外作業にLBが投入されてるのは知ってたけど、市街地でも運用するんだ……」
サンドスター物理学の応用範囲は広い。今のジャパリ島はアニマルガールの研究のみに限らず、人工知能、材料工学、電子機器の小型化、量子コンピュータなどといった先端技術の実験の場としても利用されている。
「ビースト」は元々、職員の間で囁かれる未確認生物「ラッキービースト」の噂話を源流とした、パークのマスコットキャラクターだったのだが、昨今では人間工学の観点からサポートロボットに愛嬌を持たせるため、そのデザインにも採用されることが多くなってきている。
「なんでも、会話用AIを積んでパークガイドとしての機能も載せるって噂も聞いてるよ。いずれは、人間の職員がみんなとってかわられる日が来るかもね」
「ふうん……」
アニマルガールの「飼育」に人間が介在しない世界。今まさに、アニマルガールとの向き合い方に悩んでいる私にとっては、複雑な話だ。それは誰も傷つかずに済む「優しい世界」なのかもしれない。
けど――
「……ところで、今日はトンちゃんのことで何か相談でも?」
見計らったように先に核心を突かれて、私はハッとした。そうだ、まだ見ぬ未来のことばかり考えても仕方がない。
「うん、それが……」
* * *
これまでの経緯を聞いたサキは考え込んでいた。
「そう……トンちゃんがそんなことを…」
「決してふざけて言ったわけではないと思う。でも、私が彼女の言葉をしっかり聞こうとしなかったから、その真意が解からないままになっちゃって……」
「とはいっても、トンちゃんと付き合ってる期間はきみの方が長いからね……私から言えることもそんなにないと思うよ?」
「……けど、私一人で考えても、出せる答えには限界があると思うからさ。君からのトンちゃんへの見解を聞ければ、私にとっても何かヒントになるかなって」
「そうだね……じゃあ……」
サキはしばらく頭を抱えたが、やがて手を組んで話し始めた。
「まず大前提として、トンちゃんは自分を『ブタ』と認識してるのかな?」
想像もしていなかった答えに私は呆気にとられた。トンちゃんが、自分を「ブタ」だと解かっていない?
「……いや、だって、サキはトンちゃんに何の動物か教えてあげたんでしょ?そうでなくても、私だって彼女にその話は何度も説明してるし」
「もちろん、情報としては彼女も、自分が『ブタという動物から生まれたアニマルガール』だとは把握しているはず、そこは私としても異論はないよ。けど……、やっぱり……」
サキ自身も、話しながら頭の中の情報を整理しているようだ。会話に挟まるインターバルは、私にも考える時間を与えてくれる。
「やっぱり、『伝聞』と『体験』の与える自我への影響は、別格なんじゃないかな。彼女は今、『自分はブタ』という理性と、『自分はブタではない』という本能に揺れ動かされて、自分のありように悩んでる。そんな感じがする」
「『ブタではない』……?けど、本能で言うなら、それこそトンちゃんは……」
「いや、そうとも限らないんじゃないかな。だって、動物だったころも、アニマルガールになってからも、彼女を育ててきたのは『人間』なんだから」
――その時初めて気が付いた、というわけではない。だが、私達がつい忘れがちな一つの事実。「アニマルガール」とは、サンドスターと反応した動物が、「人間の姿」を取った存在だ。
彼女たちの行動や価値観は、その動物の特性が人間社会に最適化された形で形成される。パークにいるなら誰もが知っている常識だ。だが、私はこのことと真正面から向き合ってきたのだろうか?トンちゃんの悩みとは、願いとは即ち――
「『人間』に、なりたい――?」
「……あくまで、可能性だけどね。」
そう、あくまで可能性の話ではある。だが、視点を変えたことで、私がこれまで悩んでいた彼女の言動への疑問が、連鎖的に繋がっていくような感覚があった。
「元々トンちゃんは家畜動物の生まれということもあるけど、その原型が一枚のステーキ肉……筋肉の切れ端であることからも、肉体に占めるサンドスターの割合が非常に高い子なんだ。だから、『動物』としての自意識が他の動物の子と比べて希薄でも、特段おかしな事ではない」
そうだ、そんな彼女に負い目を感じて……私達がブタの食用家畜としての側面を説明をするのを避けてきたから……。
「私達が彼女に伝える話と、彼女に残されたおぼろげな記憶は食い違い、彼女は今の自分の存在に近い、私達を『同種』と認識するようになった。だから彼女は、自分がブタであるのか、それとも人間であるのかを知るために……」
――――――
あるいは――
自分がブタであるということと決別するために――
「…………」
たった一つの仮定で、私の中での疑問は一本の線に繋がってしまった。だが、それを納得するのは、とても悔しく、悲しい事のように思えた。私達は、人間は、彼女達を大切に思い、近くに寄り添おうとするほど、彼女たちを悩ませ、残酷な二択を迫ることに繋がる。
「そんなの……あんまりにも、救われない……」
「そうだね、けど……」
サキは私を励ますように、笑いながら説明した。
「……これはね、トンちゃんに限らず、人に育てられたペットのアニマルガールに時折起こる話でもあるんだ。自分を動物ではなく人間と認識して生まれてくる子……大体の子は、人に大切にされてきた経緯を持ってるから、姿が変わったことを肯定的にとらえるけどね。トンちゃんも、決して人間の姿を嫌っているわけではないと思うよ」
だが、それを話し終わった時、一瞬だけ彼女の瞳に悲しみの灯りがともったような、そんな感覚に襲われた。
「サキ……?」
彼女は私の反応に、意外そうに一瞬ぴくりと眉を動かした。そして、短い沈黙の後に何かを決心したように口を開いた。
「……逆の子もいるんだ。『人間になんて、なりたくなかった』って子が、ね」
にゃん楽亭は、主に愛玩動物として家畜化された動物たちを飼育するふれあいカフェだ。そして、店で飼育されている動物は、「本土の動物愛護センターにおいて収容・保護された動物」を引き取ってきたものだ。
これは、本土において殺処分を待つ愛玩動物や外来生物を、パークの広大な敷地や生産能力をもって積極的に保護し、本土の生態系の保全並びに、商業活動やフレンズの社会参加・情操教育を行おうという複合事業の一環でもある。
「彼らは、元々の動物からしてヒトの社会との親和性が高く、アニマルガールになった時もすぐにパークに馴染んでいく。だけど、それは動物である間に私達が深い信頼関係を築けた場合だけ――」
サキは机に置いたこぶしを握り締めた。彼女の前に置かれているティーカップがかすかに揺れているのを感じる。
「つい先日、自分達を灰にしようとしていた『人間』を信用して、一緒に歩んでいけなんて、虫のいい話なのかもしれない。でも、どんな形であれ……、私は……あの子の……」
「サキ……」
* * *
彼女は目元をハンカチで拭いながら、整いきらない声を出した。
「ごめん、取り乱しちゃって……」
「いや……私こそ今日はトンちゃんのこと相談させて貰ったんだから、サキの相談や吐き出したいことは、いつだって乗るよ」
「…………」
「……それが君の負担を和らげるかもしれないし、もしかしたら、私の知りたいことに繋がってるかもしれないから……」
「……そう、かもね。みんな、悩んでるんだもんね」
サキは顔を上げて、私と目を合わせた。目の周りは赤く腫れあがっていたが、それでも彼女は微笑みの表情を作っていた。
「……トンちゃんの引継ぎの後にね、私が開店を手伝っている支店の動物から、アニマルガールが産まれたの。本土で提携してる自治体の愛護センターから、引き取ってきたイエネコ……私はその子の担当になった……」
……この話は初耳だ。トンちゃんの担当以降、私とサキとの連絡は専らスマホのメッセージアプリばかりで、お互いにあまり深い話をしてこなかったし、忙しくて関わることのほぼない時期もそれなりにあった。
「その子は、『もう人間に振り回されるのは沢山だ』って、私の元から逃げて行って……。しばらくパークを転々としていたみたいだけど、今ではサファリゾーンの方で暮らしてるみたい」
ジャパリパーク・サファリは、ジャパリ島にできた自然領域だ。元々は無生物の島だったジャパリ島に、人間が「原産地のバックアップ」として人工的に産みだした再現生態系がベースとなっている。しかし、サンドスターや地殻変動の影響で、その成長は私達の予測できない領域に入っている。一部地域では、特定特殊生物「セルリアン」の出現といった問題も発生している。
「管理センター管轄のLBの定期連絡で、無事ってことは解かってる。給餌に関しても拒否したりはしてないみたいだし、周辺の生態系に与える影響もないみたい。それに、元々野山で生き抜いた時期のある子だから、生存能力は高いんだと思う」
もっとも、彼女がその肉体をフルに利用して狩りをすれば、周辺動物を根こそぎ狩り尽くすことも出来てしまう。それでも彼女が給餌に甘んじるということは、人間社会との妥協、現実的な落としどころをそこに見据えているのだろう。
「……あの子は、人間の影響下を出ることはできない……けど、もしあの子の願いが『自分を縛る人間から、自由になりたかった』なら、ある程度その願いはかなったのかもしれないし、それを私は喜ぶべきなのかもしれない。……けど」
「…………」
「たまに、あなたが羨ましくなることがある。身勝手な願いとは解かっていても……、私は彼女に、私達と共に歩む道を、人間の『輝き』を、教えてあげたかった……。あの子の……『フレンズ』に、なりたかった……」
言葉が出なかった。私の知らない間に悲しい体験をしていたサキのことを思うと、私は彼女の友人としてとても恥ずかしい気持ちになった。だが、それでも彼女は、私に対する行き場もない気持ちを表に出すことなく、笑顔で接してきた。にゃん楽亭のフレンズ達は、そんな彼女のことが大好きなのだ。私も、そんな彼女を友人に持てたことを誇りに思う。
「……ごめんね」
「謝らないでよ。サキ」
私は、彼女の苦境を察せなかった自分の不明が後ろめたい。そんな彼女から謝られてしまっては、とても居心地が悪いのだ。
「……じゃあ、あの子の話、聞いてくれてありがとう」
サキは笑った。例え泣き腫らした顔であっても、彼女の笑顔は相手を安心させる魅力がある。彼女を知る者の中に、彼女の悲しむ顔を見たい者なんて、誰一人としていないはずだ。
「私も、話してくれてとても嬉しいよ」
彼女が動物を、アニマルガールを慈しみ、大切に育んでいこうという姿勢に嘘はない。彼女のもとを去ったというアニマルガールだって、彼女のことをもっと知ることができれば、人間に対する考えが変わるかもしれない。たとえそれが、私の友人贔屓のエゴだとしても、いつの日かそのアニマルガールがサキの笑顔に迎え入れられ、『フレンズ』になれる日が来る事を、私は彼女の友人として望むばかりである。
「……トンちゃんのこと、頑張ってね」
「うん。ありがとう、サキ。また会おうね」
――このジャパリパークにおいて、アニマルガールと関わる人々は、誰しもがその心に大きな不安と悲しみを抱えている。ふれあいカフェ「にゃん楽亭」の店員である「サキ」もまた、そんな悲しみを抱えた一人なのである。
* * *
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