#2 パークの人々

 「フレンズ」は「動物」でもあり、同時に人間でもある。彼女らをどう扱うべきか、人間の社会は未だに決めあぐねている。

 何をもって彼女たちの「死」を定義するか、その幸せを人間の価値観で推し量ることはできるのか。……同じ人間に対しても答えを出せないこれらの問い、未知の存在であるアニマルガールにおいては、なおさら難問だろう。

 現在、「ヒトに類する知性を持つ特殊動物保護に関する法律」により、彼女たちを「人間として尊重すべき状態」は「アニマルガールとしての肉体を維持可能な間」とされていて、故意に彼女たちのアニマルガール化を解除する行為は、国内法においては殺人と同等の扱いを受けることとなる(なお、アニマルガールが自分の意志を持って動物に戻りたいと意思表明した場合は、映像・音声などの記録を残し、苦痛を伴わない形でアニマルガール化を解除することが許されている)。

 動物に戻った彼女たちのその後は、法的には通常の鳥獣と同じ扱いとなる。……とはいえ、共に過ごし心通わせた思い出のある飼育員の気持ちは、そう簡単に割り切れるものでもなく、動物に戻ってからも自分のことを覚えていてくれると信じ、引き続き飼育を続けていく人も多い。

 しかし、「彼女たち」と再び会話することが叶わないという現実は、飼育員たちの心に影を落とす。二度と「言葉」を使ってお互いの絆を確かめ合えないということ、通常動物にまで過剰に人間性を投影してしまうこと、これらが精神的な負荷となり、心を患ってしまい、飼育員を辞めて島を去る者も少なくないという。

 トンちゃん(私の担当することになったブタのフレンズの愛称)の飼育担当となって一年半。就任当時の気持ちを包み隠さず言えば、私はこの状況を「身の丈に合わない重責」と嘆いていた。「もし他の動物の担当ならばここまで悩むこともなかっただろう」と。

 だが、他のスタッフとの面識も生まれた今からすると、それは自分の「悲運」を特別視し過ぎていただけのように思う。このジャパリパークにおいて、アニマルガールと関わる人々は、誰しもがその心に大きな不安と悲しみを抱えているのである。


* * *


 パークにおける獣医師に「スギタ先生」という方がいる。彼女は獣医学の他、新興学問分野であるサンドスター物理学を修めた、パーク内においても数少ないアニマルガール専門の獣医である。

 一度、アニマルガールの健康管理についての講習を受けた日に、たまたま食堂で彼女と相席し、お話を伺ったことがある。始めて近くで見た彼女の容貌は、目の下に大きな隈を作り、横に流して縛られた櫛の通らない黒髪は、彼女の日々の多忙さを物語っていた。

「特医(特殊動物獣医師)は、その少なさの割にパーク中から常に求められる役割だからね。到底、私一人で賄いきれるものではないし、そろそろ後進の育成に移りたいとは思ってるんだけど、今も隙間なくスケジュールが入ってるし、急患もあるから時間を割くことができないんだ」

 彼女は広大なパーク内に数多く存在するフレンズの健康管理の総責任者である。だが、特殊動物獣医師はまだ数が少ないため、アニマルガールが大怪我をしたり、重度の健康被害が発生した時は、彼女自身がヘリに乗って駆けつけることも多い。間違いなく彼女は、このパークにおいて「最も多くのフレンズの命を救った人間」である。

「同時に、このパークにおいてアニマルガールの『死』に、一番多く関わったということでもあるけれどね」

 彼女はコーヒーをスプーンで混ぜながら自嘲気味に笑った。

「……最近では、彼女たちを救うためではなく、助かる見込みのない子のプラズム体解除時の臨床データを取るために駆け付けることもある。まるで、自分がアニマルガールにとっての死神にでもなった気持ちになるよ」

 世間の認識以上に、アニマルガールの生態には謎が多い……というよりも、彼女たちの存在そのものが謎に近い。そんな中にあって、彼女の仕事はまるで夜の暗がりで落とした針を探すような、途方もない困難を伴う物なのである。

「けど、一番辛いことは、心通わせ、仲良くなれたフレンズの最期に立ち会えないことだ。……私が駆けつけた時、そこにいたのは『フレンズ』ではなく『動物』だった。そんな経験すらも、もう両の手では収まり切らない」

 スギタ先生は目を泳がせた。彼女はジャパリリゾート建設計画初期、島内に建設予定の動物園に勤務するために採用された獣医だった。しかし、彼女はアニマルガールとの邂逅を通し、通常動物と全く異なるアニマルガールの健康面を管理する特殊動物専門の獣医師の必要性に、いち早く気が付いた。

 看病を通して仲良くなったアオツラカツオドリに別れを告げ、彼女は獣医師を休職し、国内のサンドスター物理学の研究学部に再入学した。そして『サンドスターの形成するプラズム生物の形態維持のメカニズム』という論文をもってこれを卒業して、僅か二年でパークへ帰ってきた。

 ――だが、彼女が一番仲良くしていた、彼女を出迎えてくれるはずの「フレンズ」の姿はそこになかった。地下深くから土中に染み出してきたセルリウム由来の風土病によって、彼女はアニマルガールの姿を保てなくなったのだ。代わりに生まれた一匹の海鳥は、呆然と立ち尽くすスギタ先生を見て、不思議そうに首をかしげていた。

「……けど、アニマルガールで無くなったとしても、その動物は紛れもなく生きているんだ。『フレンズ』を失うことを悲しむのは、あるいは私たちのエゴなのかもしれないね」

 スギタ先生は何かを振り払うように溜息をついた。食事を済ませたスギタ先生はトレーを持って立ち上がった。

「なんにしても、あなたは『飼育員』であって私とは違う立場なんだから、いずれ来る『その時』に後悔しないように、最善を目指して行動すると良いと思うよ」

 彼女は私の皿に視線を移す。豆腐サラダのドレッシングは、とうに水気を失っていた。

「あなたも、あなたの『フレンズ』もね」


* * *


 このジャパリパークにおいて、アニマルガールと関わる人々は、誰しもがその心に大きな不安と悲しみを抱えている。パークで推進されている絶滅動物再生計画に関わるカコ博士もその一人だ。

 彼女は幼い頃に両親を事故で亡くしていると聞く。絶滅動物の再生は、彼女の「失われたもの」への満たされぬ郷愁を投影したものではないか、そうスタッフの間では囁かれている。

 私もその噂に乗せられ、彼女のアニマルガールへの姿勢に、人間の弱さやエゴイズムを感じ、少なからず嫌悪感を抱いた一人だった。その認識が変わったのは、ナカベチホーの古生物研究所隣接の博物館を訪れた時の話である。

 私は、トンちゃんの希望で恐竜の化石を見学しに来ていた。だが、正直なところ彼女とこの空間にいることには居心地の悪さを感じていた。彼女は恐竜にばかり興味を示して、他の古生物にあまり関心を持たなかった。そのことに安堵する卑怯な心根に、私は自己嫌悪を感じていた。

 そこに、青いロングヘア―を揺らして歩く、一羽のアニマルガールが通りかかった。彼女はリョコウバト。かつては北米の空を支配していた鳥類だが、電信・銃火器・鉄道網……ヒトの文明の力を結集し絶滅へと追いやられた、悲劇の動物種である。

 トンちゃんは、彼女がアニマルガールであると気付いて、すぐ寄っていって楽しそうに話を始めた。私はというと、気まずい気持ちが先行し、楽しそうに話す二人の元に歩み寄る足取りにも、重たさを感じていた。

「ほら、この人がわたしの飼育員さんだよ!」

「はじめまして、リョコウバトと申します」

「は、はじめまして……」

 屈託のない笑顔での自己紹介。トンちゃんと最初に会った日のことを思い出し、私はつい目を逸らしそうになってしまった。それを誤魔化すために、私は咄嗟に世間話を考えた。

「……リョコウバトさんは、どうしてこの博物館へ?」

 口にした瞬間、これは失言だと気付いた。ナカベチホー古生物博物館。ここに展示されている標本は前史時代の化石だけではない。有史以降、人間の手で滅ぼされた動物の剥製や骨格標本も多数展示されている。

 ドードー、ジャイアントモア、フクロオオカミ、メガネウ、ステラーカイギュウ、オオウミガラス、そして「リョコウバト」。彼女がここへ来た理由、それは人間たる私の踏み込んでいい領域なのか……?

「小旅行で近くに寄ったものですから。私の飼育を担当してくださったカコさんからも、一度ここへ来るようにと言われてたんですの」

 リョコウバトはにっこりと笑いながら答えた。私は気まずい気持ちも忘れて呆気にとられてしまった。カコ博士が、彼女にそんなことを?


 アニマルガールの「飼育」業務とは、彼女達の身の回りの世話や健康状態の把握、プラズム生物の調査研究のためのデータ収集、悪意を持った来園者からの保護と言ったものだ。しかし、もう一つの側面として「彼女たちがヒトを脅かす敵性の動物種となり得るか」を監視する役割もある。

 つまり、彼女たちの「フレンズ」としての姿が、人類を欺くための擬態ではないのかと疑うこと。それも、飼育員の仕事の一環なのである。しかし現実は、フレンズを心から信用し、疑いを持つことを避けたがる飼育員の方が多数派だ。

 ……私自身も、トンちゃんが私に敵意を持っているとは思っていないし、思いたくもない。だが「自分が彼女たちの立場だったら、真実を知った時に大きなショックを受けるに違いない」とは考えてしまう。私に限らず、人為絶滅種や食用家畜のアニマルガールの担当者の大半は「たとえ殺されても文句は言えない」ぐらいは考えているのではないだろうか。

 ここに向かってくるまでの順路で、壁にかけられていた絵画を思い出した。空を覆うリョコウバト。これを猟銃で撃ち落とすハンター。絵の横に立てられたパネルには、リョコウバトを巡るヒトの歴史が、仔細に渡って解説されている。カコ博士が彼女に「この博物館に来るように」と言ったというのは、つまりはそういうことなのである。


「あなたは……ヒトを憎く思わないの?」

 私の質問を受けたリョコウバトは、夢中でトリケラトプスの化石の周りをぐるぐる回るトンちゃんから私に視線を移した。

「……あまり、よく解からないんです。私に限ったことは無いんですが、絶滅種のフレンズは死んでから時間が経ってますし、遺骸も断片的だったからですかね、生きてた間の記憶が残ってないことも多くて」

 トンちゃんは肉食恐竜の鋭い歯を眺めながら身震いしていた。彼女も、パーク内で提供された肉料理がその原型であるため、生前の記憶をほとんど有してはいない。そのことが私の罪悪感をぼかし、かろうじて彼女に笑顔で接する事ができているのだ。

「カコさんも私達に同じことを聞きました。あの人、不器用で、人と話すのが苦手で、いつも申し訳なさそうにしていて……」

 リョコウバトが言葉を止める。ガラスケースに並んだ卵をじっと見比べるトンちゃん。沈黙に釣られるように私はリョコウバトの方を見た。彼女の輝きのない視線は、私の瞳を真っ直ぐに射抜いていた。

「……失礼かと思いますが、今のあなたはカコさんと同じ表情をしてるように思います。とても、孤独で、悲しそうで……」


 私は、カコ博士が両親を事故で失ったという噂話を思い出していた。私には彼女との面識はない。彼女がどんな人間であり、一体どこを目指しているのか、私には解からない。彼女の推進する絶滅種の復活計画、それはヒトの贖罪意識か、失ってしまったものへの郷愁か、彼女自身の科学者としての知的欲望ゆえか……。

 だが、リョコウバトと話していると、カコ博士の違う一面が見えてきた気がする。あの人の本当の望みは――

「カコさんはいつだって、私達のお母さんのような存在で……。あの人がたまに見せる笑顔は、本当に可愛らしいんですよ。いつも周りに見せている悲しげな顔より、ずっと似合ってると私は思うんですけどね」

 頬を赤らめながら語るリョコウバトは、どこか自慢げだった。彼女の表情からは、カコ博士がフレンズから深く愛されていること、そして彼女自身も自分の生み出したフレンズを心から愛していることが、ひしひしと伝わってきた。

 カコ博士は、絶滅種のアニマルガールに人類の罪業を伝えた上で、その判断を「フレンズ」にゆだねている。これはアニマルガールに対する「監視」の方針には反している。だが、結果論ではあるものの、アニマルガールはカコ博士とフレンズとなる関係を選択した。

 私は、トンちゃんを幸せにするためなら、どんな欺瞞にも耐えきってみせると覚悟していた。だから、彼女が人間社会で生きる上で、知ってしまえば苦しむ事となる事実を、可能な範囲で排除してきた。

 だが、それは私が根本で彼女を信用していなかったということに他ならないのではないだろうか。彼女の人生の選択肢を減らすことで、自分が傷つくことを避けていた、そんな弱さの表れであったのではないか。

「私がトンさんの立場だったら、あなたがその顔を見せるたびに、とても悲しい気持ちになると思います。早くあなたのわだかまりを解いて、もっと仲良くなりたい、そう思うんじゃないかな、って」

「そう……かな?」

「私は、私達は、カコさんにずっとそれを望んでいるんです。苦しまなくていい、もっと仲良くなりましょう、って……」

 寂しげな笑顔で話すリョコウバト。きっとリョコウバトは、その願いをあきらめている。……カコ博士の立場を考えれば、それも道理だ。私達は、彼女たちの仲間に取り返しのつかないことをしてしまった。そんな後悔の中で彼女たちに見せる笑顔が、一点の陰りもないものであるはずもないだろう。彼女たちの願いと、私達の思いの断絶は、暗く、深い。

 このジャパリパークにおいて、アニマルガールと関わる人々は、誰しもがその心に大きな不安と悲しみを抱えている。パークで推進されている絶滅動物再生計画に関わるカコ博士も、やはりその一人なのだ。


「……あら、カコさんの話をしていたら、帰りたくなってきてしまいましたわ」

「ホームシックかな?」

 トンちゃんにからかわれたリョコウバトは、少し照れたような面持ちでくすくすと笑っていた。

「いえ、帰巣本能ですわ。長くホートクの友人の元に居たので、セントラルにはあまり帰れてませんでしたしね」

 彼女にとって、人間という存在がどんなものであっても、「カコ博士」のいる場所こそ「安心して帰ることのできる場所」なのだろう。彼女の語ったカコ博士との関係は、ぎこちなさこそあるものの、信頼と誠意を通した確固たる絆、即ち「フレンズ」のあるべき関係であるように感じた。

「それでは、ごきげんよう」


 私の中で、何かが変わろうとしている。それが私にとって、この子にとって、幸せな結果に繋がるのかはわからない。けれど、私は彼女と共に前に進みたい。

「……トンちゃん」

 首長竜のぬいぐるみを抱えながら、彼女はこちらを振り向いた。

「なあに?飼育員さん」

 ――この子は、今日までヒトの業から隔絶され、ヒトを親しむべき隣人と認識して生きて来た。だから、これから私はとても残酷な現実を突きつけていく事になるのかもしれない。だけど――

「さっきの子……リョコウバトさんの元の姿も、この博物館に展示されてたんだよ。気が付いた?」

「えっ?本当?」

「うん。まだチケットで入場できるみたいだし、もう一度恐竜以外の場所もじっくり見てみよっか」


 止まることの無い悲しみの歯車は、ここに噛み合った。何があなたにとっての幸せに繋がるのか、今はまだ誰にも解からない。けれど私は、あなたにも選んで欲しい。自分自身の幸せのために、懸命に考え、生きる道を。


* * *

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