【連載】皿の上で生まれたあなたへ
#1 着任
「昨年ジャパリパークで人気を博したイルカショーが、今年も帰ってくるようです」
画面の向こうのキャスターが、中華鍋の焼ける音とリズミカルな湯切りをBGMにして、ニュースを読み上げた。
私が、始めてジャパリパークを訪れたのは高校の卒業旅行。なんでも、友達の親御さんがパークの出資者だったらしく、顧客テストを兼ねて私達を「試験解放区」に招待してくれたのだ。
当時のジャパリ島は、現在のように商業施設が林立しているわけでもなく、サンドスターの研究や特殊動物飼育ノウハウの蓄積も無い、発展途上の島だった。スタッフのたどたどしい来園者対応、サポートロボの故障、アニマルガールの奔放さ……、私達は高校生ながらも苦笑いする場面が多かった。
そんな中で出会った「フレンズ・イルカショー」。私は、当然のようにその内容には期待していなかったのだが、気が付けばこの催しに心を奪われていた。
今、ラーメン屋のテレビで喝采を浴びている飼育員の女性。彼女は当時バンドウイルカのアニマルガールを担当していた飼育員だ。彼女は、アニマルガールを「通常動物飼育補佐」として採用することを提案し、実行した最初の人だ。
この試みは大成功だった。アニマルガールが「動物の代弁者」としての役割を担うことで、ジャパリパークの動物福祉の水準は飛躍的に向上したとされており、今ではすっかりこの飼育体制が一般化している。
もともと私はそれなりに動物好きではあった。しかし、アニマルガールを通した「動物との新しい関係」を知ったことで、すっかり動物の、アニマルガールの世界に魅了されてしまった。
特殊動物飼育員は狭き門だ。しかし、私は対策に対策を重ねて、在学中に必要資格を取得し、この度ジャパリパークからの内定を獲得するに至った。このことは素直に誇らしいのだが、ジャパリパークは世界中の天才が集まる場所でもある。動物研究所の副所長も飛び級を重ね、十代の内に博士号を取得した天才生物学者だと聞く。そんな中にあって、私なんかがどれほどの役に立てるのか、考えるだけでも不安になる話だ。
アニマルガールには「フレンズ」という呼称がある。これは「アニマルガールを通し、動物と人間を真に対等な隣人にする」という、パークの掲げる目標によるものだ。果たして私は、どんなアニマルガールの飼育を担当するのだろう。私は無事彼女たちと「フレンズ」になれるのだろうか。夢にまで見た未来の職場での日々に、私の期待と不安は膨らむばかりである。
「現在、ジャパリ島へのサンドスター降下量は年々上昇しており――」
どうやら、次のニュースもパークに関連する話のようだ。これも気にはなるのだが、引っ越しの荷造りもあるので早めに下宿に戻らなくてはならない。ジャパリ島に越したら、もうこの店に来ることも無いと思うと、一抹の寂しさも感じるのだが、迫りくる初勤務への実感を得た私は、意気揚々と肉厚チャーシューを口に放り込み、会計へと向かった。
「――専門家は、自然環境下において『生命活動を行っていない動物』がアニマルガール化する可能性も指摘しています」
* * *
私は、人間に対して過度に自罰的な考えに賛同するつもりはない。確かに、人間とは業深い動物だと思うし、これまで数えきれない動物たちに塗炭の苦しみを強いてきたと思う。だが「フレンズ」が生まれた現代、一人一人が関心を持っていけば、これまで以上に動物に優しい世界を作っていけるはずだ。飼育員としての私の仕事は、来園者にそうした気付きを得てもらうことにある。
今日、この子と出会うまでの間、私はそう思ってきた。……いや、そう思わなければ、自分の「優しさ」の矛盾に、罪悪感に、とれも耐えられなかったのかもしれない。
「よろしくね、飼育員さん!」
人を疑うことを知らないような、屈託のない笑顔を私に向けるアニマルガール。この動物を知らない人類は、世界中探してもそう多くはないだろう。
哺乳網鯨偶蹄目イノシシ科イノシシ属「ブタ」。食肉の生産に特化した家畜であり、この動物から誕生した少女こそ、私の担当するアニマルガールである。
この子の誕生はパークとしては完全なイレギュラーだった。そもそも、ジャパリパークは島内において食肉生産を目的とした屠殺施設は存在せず、食料・飼料は島外で生産したものを貨物船で搬入しているのだ。
アニマルガールという存在は「動物」であると同時に「人間」でもある。そのため、アニマルガールは発生時点から人権に準ずる権利が保障される。そうした背景もあって、人間に当てはめた時に人道に反する使役や殺害を伴う動物を、生体のままジャパリ島へ持ち込むことは、これまで忌避されてきたのである。
この子が誕生した原因は、近年のサンドスター結晶の純度の上昇だ。これまでのサンドスターは、動物の断片的な死骸からでは肉体を構成するプラズムを供給しきれず、発生前に反応が中断してしまっていた。だが、サンドスター結晶の純度上昇に伴って、ジャパリ島は「食肉加工された動物」すらアニマルガールにしてしまう環境に変化したのだ。
現在、動物研究所ではサンドスタープリントによる模擬動物細胞……人工肉の研究を行っており、人間用の食材の置き換えや、「ジャパリまんじゅう」という飼料を開発している。……しかし、それが実現するよりも先に、島内のレストランにおいて「ブタのアニマルガール」は誕生してしまったのである。
「誕生してしまった」?……まるで、生まれてきたのが間違いみたいな言い草じゃないか。アニマルガールの命に、貴賤があるというのか。他者のために死ぬ事を強いられた命は、幸せを望んではいけないというのか。
私達はブタの言葉を話すことはできない。だからこそこれまで豚肉を美味しく食べて来られた。けど、このジャパリパークにおいては、その逃げ道は通用しない。どうあっても生命と正面から向き合うしかないのだ。
そう、この子は一度殺されたんだ。それは苦しくはなかったのか、裏切られたと思わなかったのか、自由が欲しくはなかったのか……。
一度家畜として命を落としたこの子が、パークで二度目の生を受けることができたのは、巡り合わせの奇跡と呼ぶほかない。「他の子の担当なら」なんて言葉、これからは絶対に口にするものか。
――全うする。この出会いに感謝を込めて、彼女を誰よりも幸せな「フレンズ」にしてみせる。
卒業旅行の帰り道、パークガイドのお姉さんから受けた「あなたは、けものがお好きですか」という問い。これは私の夢の原点であり、これまで常に「はい」と答え続けてきた。今こそ、その真価が試される時なんだ。
笑え、朗らかに。彼女が孤独を感じないように。不安に苛まれないように。悲しい思いをしないように。たとえ私が欺瞞の水底で溺れることになったとしても、この子だけは絶対に幸せにするんだ。
「よろしくね、ブタちゃん。これから仲良くしようね」
* * *
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