皿の上で生まれたわたしは
CarasOhmi
【短編】皿の上で生まれたわたしは
#0 皿の上で生まれたわたしは
簡単な変装を済ませ、わたし達は家を出た。他のスタッフに知られないように、一目にわたし達と解からないように。
「フレンズって、耳と尻尾を隠せば人間と変わらないよね」
わたしは笑いながら話しかけた。けれど、飼育員さんは何も答えない。気まずい沈黙は破られることなく、わたし達は目的地への歩みを進めていった。
――これは、わたしが言い出したこと。飼育員さんを責めるつもりはなかった。けれど、その時から飼育員さんの笑顔を見ることはなくなった。飼育員さんは、今まで通りに身の回りの世話も続けてくれてるし、わたしのことをとても大事にしてくれている。けれど、わたしの抱いた願いは、飼育員さんと築き上げた関係を壊してしまったんじゃないか、そう思えてならない。
わたしは、わがままで飼育員さんを困らせているんだ。解かってる。――けれど、わたしはそれを、どうしても知りたかったんだ。
* * *
「稟議を上げたけど、許可は下りなかったよ」
飼育員さんは、わたしの部屋に来てそう伝えた。わたしは肩を落とした。……もっとも、わたし自身もそれは、とても恐ろしい考えだと思っていた。まるで、自分を自分でなくしてしまうような……。このお願いをした時の、飼育員さんの愕然とした表情は今でも鮮明に思い出せる。むしろ、それが実現しないということに、安心する気持ちも大きかった。
――そうだよ。きっとこれは、考えずにいる方が、まっすぐ向かい合わない方が幸せなことなんだ。そうすれば、飼育員さんとずっと一緒に仲良く暮らしていける。わたしは、自分がフレンズであるってことに、こだわり過ぎているのかもしれない。今を楽しめれば、それでいいじゃない。
――そう、納得しようと思った。けれど、心の奥底から湧いてくる「それでいいの?」という疑問。「わたしが人間になったことには、何か意味があるんじゃないの?」「ただ何もせず、楽しいだけで終わっていいの?」と、繰り返し、繰り返し。
――いいじゃない。わたしは、飼育員さんと、これからも仲良く過ごしていきたいんだ。物語じゃないんだから、何もかもに意味があるわけないじゃない。わたしはこの今を、幸せに生きたいんだ。
――。
――本当に?
「…………うしても」
飼育員さんの声で現実に引き戻された。どうやら自分で思ってる以上に長く考え込んでいたみたいだ。向かい合った顔は俯いていて、その表情をうかがい知ることはできない。けれど、震えるその声からは、到底明るい顔をしてはいないことだけは、ひしひしと伝わってきた。
「どうしても、君がそれを望むなら――」
そう、この人はどこまでも真面目なんだ。この時になってようやく気が付いた。わたしの選択が、止めることのできない悲しみの車輪を動かしてしまった事に。
* * *
レストランの店内は明るく暖かかった。そこには休憩に出てきた研究所所員や、楽しそうに談笑する学生、お祝いをしている家族連れ、肉食のフレンズとその飼育員……様々な営みが繰り広げられていた。そんな中、一際浮かない表情でテーブルに着いたわたし達は、何かに急かされるように、駆け足で注文を済ませた。
飼育員さんは、どちらかというと口数は多い方だ。少なくとも、わたしの前では本当によくしゃべる人だった。色んな楽しいことを教えてくれたし、色んな所に連れて行ってくれた。色んな遊びもしたし、色んな美味しい物も食べさせてくれた。いつもの飼育員さんを知っていれば、今の飼育員さんを、とてもらしくないと思うだろう。
けれど、この人の根っこはとても真面目なんだ。きっと、わたしのお願いには誰よりも悩んだんだろうし、パークの規則を破ってまで、わたしをここに連れてきたことへの罪悪感もあるに違いない。その苦しみを思うと、胸が締め付けられる思いになる。
「ごめんね、飼育員さん。無理言っちゃって……」
「……いや、謝らなきゃいけないのは私たち、人間の方だよ」
目を逸らす飼育員さん。……違う。そうじゃないんだよ。わたしは責めているわけじゃないんだ。
「……わたしはね、ここに産まれて今日まで、自分が不幸だって思ったことはないよ」
それはわたしの本心。飼育員さんと過ごした日々はとても楽しかった。これからまた、あの楽しい日々が戻ってきて欲しい、そう思ってる。
「どんな動物も食べなきゃ生きて行けないんだもん。誰も人間だけ特別悪者なんて思ったりしないよ」
「けど人間は、君達を……」
「飼育員さん」
わたしは強引に話に割り込んだ。飼育員さんが自分を、人間を責める言葉を、わたしはもう聞きたくなかったんだ。
だって――
「わたしは、今はもう動物じゃないんだよ。飼育員さんと同じ、人間。だから……」
「……」
「わたしがここに連れてきて欲しいって言ったのは、知りたいからなんだ。この体になった今、この体でしか知れないことを」
思えば、飼育員さんはわたしの担当になってから、「それ」を食べるところを見たことが無い。それはきっと、わたしと一緒に居るために、タブーとして仕舞いこんだことなんだと思う。けれど、この人はわたしに隠さず教えてくれた。「食用家畜」という存在を。そんな、まじめで融通の利かない飼育員さんだから、わたしは――
「飼育員さん。わたし、あなたのことが大好きだよ。だから……」
「こちら、ポークソテーになります」
テーブルに、料理が運ばれてきた。わたし達が出会ってから、決して食卓に上がらなかった料理。ほかほかと湯気を立ち昇らせた肉料理を、しばらくわたし達は無言で見つめ、ナイフとフォークを手に取った。
「いただきます」
「……いただきます」
食器が合わさり音を立てる。柔らかい肉はナイフを飲み込み、短冊状に切り分けられ、わたし達の口元に運ばれていく。それは、嘘のように美味しかった。噛みしめるたびに、ジューシーな脂と肉のうま味が、口の中じゅうに広がる。それはまるで「この
「美味しいね」
「うん」
飼育員さんも、懸命にそれを頬張っていた。大粒の涙を零しながら。
――わたしには、フレンズになる前の記憶はほとんどない。レストランで産まれたわたしは、パークのスタッフに連れられて、この人の元で暮らすことになったんだ。
だから、わたしの頬を伝っていくこの涙も、動物としてではなく、飼育員さんとの日々が作り上げた悲しみなんだろう。
初めて食べた美味しいごちそう。人間の食卓の友「豚肉」。わたし達はそこに涙の味を感じるばかり。けれど、この味はわたしがわたしとして生きている限り、決して忘れることは無いだろう。今のわたしは家畜じゃない、
――この人は、今まで食べて来た動物が、自分たちと同じ人間になったことに何を思ったんだろう。わたしと過ごした日々に、自分たちが食べて来た動物に、何を思ったんだろう。それは、わたしが動物であったときには決して芽生えなかった疑問。今のわたしは、この人と同じものを食べて、同じ悲しみを知ることができる。それは、とても辛いことだけど、とても嬉しい事でもあるんだ。
飼育員さん、これでわたしも――
「これでわたしも、人間と同じになれたのかな?」
* * *
ここはジャパリパーク。
決して友達になれないはずのわたしたちが、唯一友達になれる世界。
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