第31話 目指した理想

「スーラ! ……スーラ!」


 あれから、何度よびかけたのだろう。

 だが、いまさら交渉などするつもりは、もちろんユウリにもなかった。

 確かめたかったのは、スーラの存在だ。

 彼女は、闘争のなかで磨り減り、消え失せてしまうのか。


 ――そんなことで、スーラの存在した長い時間が終末を迎えてしまうのか。


 だが、長い長い戦いは、そんな戦いの意味すらも怒濤のように押し流してしまう。

 暴れ、這いずり、叩き付ける。

 オルトースを止める、手立ては――。



「ユウリ! ……見つかった……ぞ! やつの、情報層がっ……!」


 そのとき、背後からベリテーの声がした。

 だが、振り向いたユウリは、絶句した。


「……ベリテー! その、身体は……!」


 身体から『精神』を拡散させ、その粒子ひとつひとつを端子として、オルトースの身体を探り続けていた、ベリテー。もはや、立ちつづけることすらもかなわず、彼女は砂のなかに倒れ伏していた。

 反射的に駆け寄ろうとするユウリ。

 だが。


「来るな!」


 ベリテーは、鋭く制止した。


「なぜ!」


「いまから……オルトースの中の、スーラの居場所を教えてやる」


 まるで、ベリテーの身体が蒸散していくようだった。まるで有色のガスのようになったベリテーの『精神』は、オルトースの身体にまとわりつき続けている。


「……そう、ここだ」


 オルトースの胸部の、ある一点で、ベリテーの精神とオルトースの精神が、激しい干渉を起こし、するどく爆ぜた。ベリテーが指し示した箇所に、剥きだしの素体が見えた!


「……スーラの精神が崩壊していくとともに、全身にちりばめられた……スーラのダミーもまた、崩れ去った。いま、スーラの精神が存在するのは……あそこだけだ……」


 ベリテーは、砂になかばうずもれながら、絶え絶えの言葉でそう言った。

 そして、彼女は、消え入りそうな声で、その者の名を呼んだ。


「――トウカ」


 その声をききつけて、隙をつくらぬように構えながら、トウカはベリテーのもとに走った。


「どうしたの、ベリテー」


 そう声をかけると、ごく短い時間のあいだだけ、ベリテーはトウカの瞳を見つめた。


「……すまない。ずいぶん昔に借りていたものを、ここで返そうと……思う」


 そう言って、ベリテーは、もはや素体が剥きだしになった腕を、トウカに差し出す。

 トウカは、その手を無言で迎えて、そっと握りしめる。

 そして、ベリテーは呟いた。


「……トウカという名だったんだな。私があこがれた、清き『精神』の持ち主は。長らく借りていた、きみの精神を……いま、返すよ」


「……えっ!?」


 ぱしん、という、小さな衝撃がふたりの手の間に走る。『精神』をやりとりする者の間に、経路ができたときの衝撃だ。


 ベリテーは、いまひとたびトウカの顔を見た。


 ――傷だらけの、顔だ。あのときの戦で刻まれた、傷跡。


 しかし、そのまっすぐな瞳は、十年を経てもなお、変わっていない。

 ベリテーには、それが嬉しかった。憧れが、憧れのままにいてくれたこと。

 そして、ベリテーは、わずかに残った『精神』を、すべてトウカに送り込んだ。


(私のなかにわずかに残った、全ての知識、全ての技。そして、トウカ……わたしと同じ、『機械』。このひとときだけ、きみの肉体に定められた、『人間』としてのリミッターを外そう)


 そして、送り込まれた『精神』が、すべてトウカに移されたとき。

 ベリテーだったものは、傷つき壊れた、ただの素体となって、砂のなかに崩れ落ちた。


(あのときの敵……だなんて、いまさら言わないわ。でも、律儀な人だったのね)


 トウカは、小さく祈りの言葉を呟く。「進化教会」のやりかたで。


(そう。いずれ人は、人の暮らしから『戦い』を切り離せる日が、きっと来るから。……いま、戦いに倒れたあなたにも、必ず救いは訪れる。だから、ベリテー。あなたの魂に、ひとときの安らぎがあらんことを!)


 トウカは、いまも暴れ狂うオルトースに向き直る。

 ベリテーから受け継いだ『精神』が、オルトースの急所を正確に教えてくれる。

 そして。


「……ベリテー。いま、私は、私の身体を完璧に制御できているような……気がするわ。これが、あなたたちが見ていた光景なのね」


 トウカに同化したベリテーの精神が、この肉体に備わっていた性能を、引き出してくれた。


「みんな! オルトースの中……スーラの居場所は、ここよ!」


 これまでになしえたことのない速度で、トウカが銃弾を撃ち込んだ。

 一弾倉、十発。そのすべてを速射する。放たれた弾丸は、オルトースの胸部の一点に、正確に集中した。

 むきだしになっていた素体の装甲に、大きな傷跡が入る。

 だが、銃弾だけでは、貫通には至らなかった。


「ガーシュイン、ゼムカ、キリア! 私が撃ったところを狙って!」


 トウカは叫んだ。あの分厚い装甲を砕けば、ユウリに託した弾丸を撃ち込める!


「まかせておけ!」


 ガーシュインは、巧みなフェイントを織り交ぜながら、的確に弱点を狙った。

 スーラによる制御が薄れたことで、オルトースの凶暴さは際だったが、逆に、心理戦での隙は増えつつあった。

 ゼムカは、弱点を狙うガーシュインの援護に回った。

 ガーシュインの頭上に振り下ろされる爪を、長剣ではじき飛ばす。


「――させんよ!」


 ゼムカの作り出した隙をついて、ガーシュインは離脱する。互いの鈍重さを補いあう、二人の連携だった。


 そして――キリア。

 ゼムカとガーシュインが離脱して、オルトースの狙いが定まらぬその一瞬に、その懐に飛び込んだ。


「これで……どうだっ!」


 ありったけの力をこめて、キリアは短剣を弱点に突き立てた。

 キリアのナイフが、その出力を最大限に発揮し、刀身を発光させる。


 その正体がなんなのか、いまのトウカにはよくわかっていた。ベリテーからうけとった知識だ。


 ――単分子素材で構成された刀身。その刃の部分には、超硬微粒子流体が磁力モーターにより高速流動し、振動剣とは比較にならないほどの切れ味を発揮する。


 マグネティック・ブレード。『脊柱』の技術で作りうる、最良の刃。


 そして、今。キリアのナイフは、まるでオルトースの装甲に沈み込むように切り裂いていく。

 身をよじって、逃れようとするオルトース。しかしキリアは、しがみついて離れない。


「……あと、少しだ!」


 突き立てたナイフをこじり立て、抉りぬく。

 そして。


「――開いた!」


 オルトースの装甲板が大きく剥離し、内部構造が露出した。

 ついに、オルトースの中枢……スーラの情報が保存された、情報層に至った。

 そして、そこから離れながら、キリアは叫んだ。


「――ユウリ! 今だ!」


 トウカから受け取った弾倉は、すでに対甲銃に装着してある。

 ユウリはボルトのハンドルを起こし、引く。

 ベーキズ翁が造った八ミリ炸裂弾が、いま、装填された。


 目前では、オルトースがのたうち回っている。

 ベリテーの情報にもとづき、トウカが示した目標は、一つではない。

 オルトースの身体に存在するすべての弱点が、正確に割り出された。

 最高の効率で、滅ぼされる恐怖。オルトースがまさに今、感じているものだ。


(――なにもかもが、終わりに近づいている)


 奇妙なほど、時間の流れが遅く感じる。

 この感覚がいつから始まったのか。ユウリは知っている。

 自分が、ひとたび肉体を捨て『精神の領域』に入ったときからだ。

 『人間である』という規定が、かつては自分のなかの時間の流れを定めていた。


 しかし、いまは違う。


(私は、この肉体が『機械である』ということを……知ってしまった)


 機械の知覚によって「刻める」時間は、人間よりもはるかに細かい。

 肉体も、いまや一切の欺瞞なく、正確にコントロールできる。

 ユウリは、いま『機械』の知覚で、オルトースの内部、その情報層を狙っていた。


(……そうだ。そこだけは、認めなければいけない。私は『機械』であり、原初の知性……スーラによって産み出された被造物だ。そして――)


 着弾を予想し、ただ一点の解にむけて。


(――そして、私は、私を産み出したものに『人間』として抗うものだ!)



 対甲銃の引鉄を絞り――放つ。



 そして。しごく原始的な化学反応により、薬莢内の火薬に点火されたとき。

 この世界の命運は、とある一方向に定まった。



+ + +



 オルトースの装甲に生じたわずかな空隙に、ユウリの放った炸裂弾は滑り込んだ。

 弾体は、その質量によって脆弱な内部構造を破壊しつつ進入し、スーラの『精神』をおさめた情報層の至近で停止する。


 そして、ごく短い時間ののちに。

 弾体は炸裂し、オルトースを制御する情報層を、引き裂いた。


 巨龍・オルトースの巨体が、ついに揺らいだ。

 制御中枢が破壊されたことで、その活動は停止した。

 表層を覆っていた『精神』の薄膜はすべて消え失せた。


 神話的な外見は失われ、その素体が明らかになる。


 くすんだ灰色の装甲は、そこかしこが破損していた。

 幾十、幾百の斬撃に耐えた両腕には、無数の亀裂があった。

 絶え間なく撃ち込まれた銃弾に耐えた頭部は、知覚器官のほとんどが破損していた。


 いま、オルトースであった『機械』は、鈍く重い地響きとともに、砂塵のなかにその身体を横たえた。



「……終わったか」と、ガーシュイン。


「まさか、私が生き残るとは思わなかったよ」と、ゼムカ。


 トウカは、すこし離れたところで、さみしそうな顔で立っていた。トウカの足下には、ベリテーの素体が倒れていた。その素体は、もう、動かない。


 キリアは、ユウリの傍らにいた。なにも言わず、ただオルトースであったものを見つめている。

 ユウリは、ゆっくりとオルトースに近づいた。


「……スーラ」


 そう、呼びかけてみる。

 だが……返事は戻らない。スーラの『精神』は、オルトース内部の情報層とともに砕かれたのだ。

 それは、ユウリにもよくわかっていた。


(スーラ……本当に、これでよかったのか?)


 心の中で呟く。

 孤独に苦しみ、たったひとりで造りあげたものを崩しながら、ただ一戦で……燃え尽きる。

 残るのは、私たちという、あらたな墓標だ――。

 そう考えて、ユウリがうつむいたとき。



 ――違うわ。



 たしかに、そんな声がユウリの耳に届いた。


「えっ?」


 驚いて面を上げると、そこには、消えかかったスーラの姿が現れていた。

 誰もが声を上げられずにいるのを見て、スーラは肩をすくめて見せた。


「……さきに言っておくけれど、私の敗北は、もう決まったこと。いま、あなたたちに見せているデータは、オルトースのなかに、わずかに残った補助情報層をつかって現界させているもの。オルトースの動力炉が止まってしまった以上、じきに消え失せるわ。……でも、『ひとことだけ言い残せるように』って、私以外のみんなが……容量を譲ってくれたの」


「……スーラ、こんな結末で、ほんとうに良かったのか?」


 ユウリは訊いた。スーラは、ためらいなく頷いた。


「構わないわ。……私自身は、ただの人工知性にすぎない。だから、どうなろうが構わなかった。ただ、私を産み出してくれた『人間』たちが、ここにいたっていう『証』を、遺したかった。でも、前に言った『人間たちの墓標になりたい』っていうのは、今にして思えば、違っていたのかもしれない」


「なら、いまのスーラが抱く願いは、なんだ」


 ユウリがそう訊くと、スーラは、長く長くあたためてきた雛を放つように、ゆっくりと語り始めた。


「……私は、やっぱり……かつての『人間』に、滅びてほしくはなかった。滅びてしまって、私ひとりになったことも、認めたくは……なかった。もしも『人間』が滅びなかったら、いったい、どんなふうになっていたんだろう――。そう、思ったの。でも、過去のできごとを再生するだけでは、それは、墓標をつくることとなにも変わらない。欲しかったのは……人間の、未来。そして、それを作り出していける存在……あなたたちよ」


「しかし――そうだとしたら、なぜ、特定少数を……キリアを、犠牲にしようとした! スーラが夢見た『人間の未来』というのは、そうやって、いわれなき犠牲を許容するような、粗雑な存在か!」


「粗雑じゃないわ。……だって、だからこそ、こうやって『私』を倒したのでしょう? この世界……いままで『私』がつくってきた世界は、『私』という、たったひとつの核があるがゆえに生じた、いびつな世界。でも、これからは違うわ。あなたたちは、あなたたちの意志で、新しい世界をつくっていける」


「だが、私たちは、けっして血肉のある『人間』にはなりえない。それは、もはや定めだ。人間の模造品が蠢き続ける世界だけが残るなんて――」


 しかし、スーラはその言葉を言下に否定した。


「模造品などではないわ。血肉によって成り立つ存在ではなくなっただけ。もう、あなたたちを「模造品」などという者は、存在しなくなるわ。あなたがたは、あなたがたの意志に基づいて、生きていくだけのこと……」


 そして、スーラの精神は、崩壊を始めた。


「……あなたがたの……「これから」の記憶に……祝福を……」


 スーラの精神……この世界をつくりあげた孤独な精神は、いま、散華した。

 ユウリは、スーラの思想を真に理解することができたのか。

 その自信を、ついに最後まで、得ることができなかった。


 そして、ユウリがその場を立ち去ろうとしたとき。

 かすかに聞こえる、幼子の声を聞いたような気がした。



「ねえ、わたし、がんばったよ……。

 わたしは、お人形さんをつくったんじゃないよ……。

 みんなが見たかった『未来』をつくれる、

 『人間』を、つくったんだよ……

 だから……また会えたら……誉めて……ほしいな……」



 いま一度、ユウリはオルトースの骸に向き直った。

 キリア、トウカ、ガーシュイン、ゼムカも、同様だった。


 そして、トウカは呟く。


「……スーラ。あなたの示した理想は、けっして消えはしないわ。私が、言葉にする。あなたの理想が……これから、長い長い歴史のなかで、正しく試されていくために」

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