第32話 かつての砂嵐
すべての『機械』たちを統べていたスーラが消えて、何年かが過ぎた。
『脊柱』もまた、オルトースの起動により、上層部が砕かれた。かつては雲をもつらぬく曲塔であったが、今ではもう、その面影はない。
+ + +
朝。自室のドアを開けて、私は『進化教会』の礼拝室に出た。
すきとおるような朝の光は、壁面のステンドグラスによって、あざやかに彩られていた。
私は、光のただ中に入る。描き出されているのは、花畑のなかでたわむれる少女。天国の花園のようだ。ここでなら、きっとどのような魂も、おだやかに遊ぶだろう。
そして、礼拝室から外に出る。
前庭には、洗濯物を干しているトウカの姿があった。
おだやかな風のなか、トウカは洗濯物を音たかく広げていた。
「あら、ユウリ。出かけるの?」
「うん。買い物のついでに、キリアにお昼を届けてくるね」
「ごゆっくり」
そこから通用門に向かおうとすると、トウカがなにかもの言いたげな顔をしているのに、私は気がついた。
「……どうしたの?」
そう訊くと、トウカは、いえね、と前置きしてから言った。
「ユウリも綺麗になったな、って思ったの。すこし前までは、真っ黒に日焼けして、鉄砲かついで飛んだりはねたりしてたのにね」
そう言って、目を細めるトウカ。彼女がこういう仕草をみせるとき、ふと、彼女に精神を託して消えた、ベリテーの面影を感じることがある。
「そう? 私は――変わってないよ」
あのとき担っていた銃は、ベーキズに託した。私を守ってくれた銃は、今は、べつの誰かを守っているだろう。
いまの私は、鎖帷子を着なくなった。いつも砂混じりだった髪は、あのときより、すこしだけ伸ばしている。
いまの私は、この街の警衛隊を辞し、いまはトウカとともに、この教会で暮らしている。
教会といっても、あいかわらずだ。親のない子供たちの面倒を見るところであったり、近所の女性たちの寄り合い所に使われたり。むかしと何ら変わるところはない。
――ただ、トウカは、あのときのスーラの言葉や行いを、毎夜、すこしずつ書き記すようになった。なぜ、そうなったのか。ひとつひとつ、丹念に、丹念に。
それはなぜか、と訊いたことがある。
トウカはこう答えた。「そうね。まあ、ひとりでいろいろ頑張ってくれたのに、だれからも忘れられてしまうってのは、ちょっとだけ可哀想かなって思ったからよ。いってみれば、私たちを作ってくれた……大恩人なんだから」と。
正直、スーラに対しては、私はまだ、わだかまりのようなものを捨てきれないでいる。
人間だと信じていたものは……人間ではなく、『機械』だった。
もちろん、私も。
孤独な人工知性であったスーラが、それでも、人間のみていた夢を継ごうとして産み出した、異形の世界。
しかし、どのように歪んだ世界であろうとも、そこには、あらたに生まれ出る魂があった。
(スーラ。私は、あなたに何度でも訊きたい。『これで、良かったのか?』)
トウカとともに、きっとこれからも考えていく。
……ベリテー、あなたが見たかった未来は、こんな感じだけど、どうだい?
私は洗濯をつづけるトウカに出発を告げ、通用門から外に出た。
街の外縁をはしる小川にそって、私は歩く。
川辺では、子供たちが遊んでいる。
よくみると、そのうちのひとりの女の子が、赤い布を見にまとって、木の枝を振り回していた。その女の子に追いかけられて、必死に逃げる男の子もいる。
どこでも見られるような、ちゃんばら遊びだ。
だが、女の子が真似している相手には、心当たりがあった。
ナイマ。
彼女はこの街の住人を守って、倒れたという。襲い来る『機械』を相手取り、精魂尽き果てるまで戦い抜いたのだという。
そんな彼女の物語は、いまでもこの街に残っている。
ただし、多分に脚色されて。
『紅衣の隻腕女剣士ナイマ、『脊柱』より来たれる軍勢に、勇猛果敢に立ち向かう』。
ありし日の彼女が、そんな大げさな題名を聞いたら、いったいどんな顔をするだろうか。
きっと、苦笑いするか、笑い飛ばすに違いない。
(そんな大立ち回りをするなんて、らしくなかったな、ナイマ)
いまでも、彼女の華やかな声を思い出すことがある。
そして私は、街の中心に着いた。
今日はここで、子供たちの衣服を縫うための端布を買っていこう。
今日は、いつもよりも賑わっていた。
他の集落から行商人の一行が着き、バザーを開いているのだ。
それらを眺めたり、いくつか買い物をしたりしながら、私はベーキズ翁の作業場をめざした。
キリアは、いまそこで働いているのだ。
バザーを抜けると、人通りもまばらになる。
賑わいも薄れ、おだやかな雰囲気だ。
そのせいか、ここには大きな診療所がある。
診療所の正門にさしかかったとき、柵のむこうに見知った顔を見た。
ルクトゥンだ。
「ルクトゥン、きょうも忙しそうだね」
私がそう声をかけると、ルクトゥンは「もちろんよ!」と笑いながら、眼鏡のずれを直した。
彼女は、ここで医師として働きながら、ときおり『脊柱』にも出向いている。
医師……といっても、街のすべての人間が、みずからの正体が『機械』であることに気づいているわけではない。
私たちにとっての「病」とは、私たちの精神が、そのような状態をみずから産み出していたに過ぎなかったのだ。素体の寿命がつきない限り、私たちは、死なない。
病気。なぜ、そのようなものまで模擬されていたのか。それに答えうる者……スーラは、もはや存在しない。だが、さまざまな苦しみは、ひとを彫琢することもあれば、押しつぶすこともある。それはたしかに人の営みに陰影をもたらす。
ルクトゥンは、そのような『機械』の秘密を知り得ぬ人たちの苦しみを取り除こうとしている。その一方で、いまも『脊柱』に遺された知識を得ることに心を砕く。
彼女も、彼女のやりかたで、あのできごとに関わり続けているのだ。
(……尊敬、するよ)
口に出すのは恥ずかしいが、私はそう思っている。
だが、ルクトゥンは、どこまでも明るい。
私が弁当の包みを手にしているのを目ざとく見つけると、彼女はすこし意地の悪い笑みをうかべた。
「……あれ、それは、キリアに届けるの?」
「そ、そうだけど……」
「あなたたちって、いっしょに旅をして、一緒に戦ったんだよね。そのわりには、なかなか関係が進まないじゃないの。いい加減、じれったいわ」
ルクトゥンにからかわれても、私としては反論しようがない。
なにも言えずにいると、ルクトゥンは小さくため息をついた。
「巨大な龍に立ち向かえた勇敢な戦士が、好きな男の子にはなにも言えないの? 短い言葉くらい言っちゃいなさいよ。それだけで済む話なのに」
「……それができれば、とっくにやっているよ」
「ほら、そんな男の子みたいな口のきき方して。もっともっと可愛くなれるわ、あなたなら」
「……ん、頑張ってみる」
「楽しみにしてるわね!」
そう言って、ルクトゥンはにっこりと笑う。そして、思いついたように呟く。
「――私、ここに来て、よかった」
挨拶したのちに、ルクトゥンは建物のなかに戻っていった。
ルクトゥン。初めて『脊柱』のなかで出会ったときは、つかみどころがなくて分かりづらい人物だと思っていた。知り合うと、いろんな面が見えてくるものだ。
そして、私はベーキズ翁の作業場に着いた。
石造りの建物のなかでは、いつものように、作業機械の音が響いている。
入口から、なかを窺う。
すると、ベーキズ翁とユウリのほかにも、めずらしく客の姿があった。
その客とは、ガーシュインだった。きょうは、つくづく思い出に縁のある日だ。
あの旅路のなかで、ずっと私たちを守ってくれた、赤銅の騎士。
私はガーシュインに声をかける。
「久しぶりだね」
「……ユウリか。あの頃とは、だいぶ姿かたちが変わったな。やはり、『精神』とは流転し、変化していくものだと実感する」
ガーシュインは、その大柄な身体を、室内の小さな椅子にあずけていた。いつ壊れても、おかしくなかった。表情をもたぬ彼の、理屈っぽい言葉を聞くと、いつも懐かしくなる。
「そういう言葉遣いは、全く変わらないんだな」
「私は『精神』をもたぬ人工知性だ。もしもおかしな発言をしだしたら、どうか私に人工知能技師を紹介してくれ」
「心当たりはないよ。ところで、キリアとベーキズ翁は?」
「奥だ。きょうは、私の剣の研ぎを頼みに来た」
奥の間をのぞく。
そこには、ベーキズ翁と、キリアの姿があった。
ベーキズ翁は、数年前より、すこし小さくなったような印象がある。しかし、作業に臨むかれの姿は、まだまだ元気そうだった。
「……ユウリか。いつもありがとうな」
作業の手を止めて微笑むベーキズ翁に、私もつられて笑みを浮かべる。
「いえ。ここに遊びにくるのは、昔から好きだったから。……キリアは?」
「ほれ、そこでエンジンをいじっておるよ」
ベーキズ翁が指さした先を、私は見た。
キリアが、そこにいた。
二輪車の車体から下ろされたエンジンの上蓋をあけて、なかの部品を黙々と磨いていた。
「キリア」
私はかれの名を呼んだ。返事がない。
なんだか少しだけ、いらっとした。
「……キリア!」
今度は大きな声で呼んでみた。すると、彼はびくりとして振り返る。
「なんだ、ユウリか。びっくりしたよ」
そう言って振り向いた彼の顔は、数年前よりも、すこしだけ大人びてきた。
だけど、まだまだ子供っぽいところもあって、ついつい「目の離せない弟」のように思ってしまうのだ。
「おつかれさま。二人にお昼を持ってきた」
私は、部屋の奥のテーブルに、持ってきた包みを広げた。
朝、教会の厨房で焼いたばかりのパン。そして、羊肉の串焼きだ。串焼きは、バザーの屋台で買ったもの。
しばしの休憩。ベーキズとキリアの昼食。私も傍らの椅子に座った。ガーシュインは、あいかわらず小さな椅子にちょこんとすわっている。
「ガーシュインよ、おまえさんの剣は、もうすぐ研ぎおわるぞ。もとのつくりが良い剣だ。だいじにすれば、長く使えるぞ」と、ベーキズ。
「そうか。かつて、オルトースの爪にも耐えた剣だ。だれが作ったかは知らないが、私にとっては誉れの一品だ。感謝する」
「いやいや。わしの作ったものも、誰かにそう言われてたら嬉しいがのう」
そう言って、ガーシュインとベーキズはひとしきり笑い合った。
私は、ふと気になって、ガーシュインに訊いた。
「ガーシュイン、あなたは、いま何をしている?」
その質問に、かれはすこし困った様子で、甲冑を慣らした。
「ふむ、もはや『脊柱』にこもって『人間』の来訪を待つことは、できなくなった。目的があれば、いくらでも待機していられるが、無目的というのは困る。だから、今は地下空間のメンテナンスや警備をしている」
「そうか」
「地下空間の設備も、設定を変えてやれば、『地上の者』たちの素体を補修できることがわかった。かつてのおまえの仲間に、ルクトゥンという者がいただろう。彼女がそれを使いたいと言っている。いまの私は、その手伝いといったところだ」
「そう。いい目標ができたと思う。……ゼムカは?」
その名を聞いて、ガーシュインは小さくノイズを発する。
「ゼムカか。もはや、かれの守っていた脊柱上層は、完全に崩壊してしまった。私としては、かれにも手伝ってもらおうかと思ったのだが、……姿を消してしまったよ」
「……そうか」
ゼムカ。ともにオルトースに立ち向かった、白銀の騎士。
「かれの、たったひとつの目的は、上層を守ることだった。だが、その目的は、いまや完全に失われた。いまのかれに残るものは……剣のみか。いまごろ、どこかで傭兵でもしているのか、どうか……」
「無事でいてほしいよ」
すこし、しんみりとする。
そんな雰囲気を変えたくて、私はキリアに話しかけてみた。
「キリア、さっきのエンジンは、何に使うんだ?」
その問いに、キリアはにっこりと笑って答えた。
「隣の集落から手に入れた、二輪車のエンジンだよ。壊れたまま、長いこと放っておかれていたようだけど、直せば使える。そうしたら、警衛隊に譲ろうかと思っているんだ」
楽しそうに語るキリアの横で、ベーキズがのんびりと言う。
「いや、わしは銃砲職人じゃから、エンジンや二輪車、四輪車のことはよく分からん。じゃが、キリアはこれらの整備に向いとるようじゃな。ほんとうに、若いものはなんでもすぐに覚えて、自分のものにしてしまうなあ。たいしたもんじゃて」
ベーキズに誉められて、キリアはすこし恥ずかしそうだ。だが、その顔には、「やりたいこと」にまっすぐぶつかる者の、明るい表情が浮かんでいた。
(スーラ。……見てみろ、キリアはすこしも薄っぺらくなんか、ないぞ)
そう、心の中だけで呟く。
真実、キリアは変わった。『精神の領域』でなにもかも失い、オルトースとの戦いで、怒りをぶつける相手さえもなくした。
それからしばらくの間、かれは気の毒なほどに憔悴しきっていた。
だが、ここで翁の弟子として手伝いをしているうちに、かれの顔に明るさが戻り始めたのだ。
そして、いま。
キリアは、ベーキズから銃砲職人の技を学びながら、独学で車両整備を身につけようとしていた。
――時間は、止まらない。キリアもまた、歩き出した。
そんなかれが、いまはとても眩しく見える。
だけど、いまは近くで見ているだけで、いい。
……私なんかのわがままで、かれを縛りたくはないから。
そして、食事が終わり、私は作業場に残る三人に、別れを告げる。
「では、トウカによろしくな」と、ガーシュイン。
「明日も頼むぞ。わしは羊肉より鶏肉がいいのう」と、ベーキズ。
キリアには、帰りがけに頼み事を、ひとつ。
「キリア、トウカからのお願い。トウカの二輪車だけど、またここに持ってくるから、整備をお願いね」
「うん。任せてくれ」
あのとき、すこしでも早く『脊柱』にたどりつくために、トウカははじめて二輪車に乗ったのだという。それ以来、トウカはいたく二輪車が気に入ってしまったようだ。『脊柱』付近に停めたその車体を、トウカはわざわざ引き上げて、自分のものにしていた。
……私も、そんなトウカにそそのかされて、こわごわと二輪車に乗ってみたことがある。が、クラッチとかいう所を操作したとたんに、恐ろしい勢いで前輪が跳ね上がり、そのまま転倒したことを思い出すと、どうしてもふたたび乗る気にはなれないのだ。
それはさておき。
私はキリアに挨拶をした。
「仕事、頑張ってくれ」
「ありがとう。美味しかったよ。……また、教会にも遊びにいくよ」
そう言いながら、キリアはやさしい笑みを浮かべた。
その穏やかな微笑みひとつで、鼓動が跳ねる。立ち上がったかれは、もう、私より背が高い。
弟のように思っていたはずなのに、最近は、なぜか直視できない。
見つめていると、心がざわめいてしまうから。
「……楽しみにしている」
かろうじてそれだけを告げて、私は、ぎこちなくその場を立ち去った。
――キリアが、私を訪ねて来てくれる!
思わず、ぐっと拳を握った。自然と口もとが緩む。
きょうは、いい日だ。
……だけど、きっとルクトゥンからは「また逃げたのね」と言われてしまうだろう。でも、それは我慢する。私には、速攻は似合わない。
そして、私は『進化教会』へと戻る。
礼拝堂では、子供たちがなにやらいろいろと遊んでいる様子だった。
「あ、ユウリ姉ちゃんだ!」
ひとりの子供がそう言うが早いか、私は足なり腰なり、体中を子供たちに捕まえられてしまった。
「ユウリ! もうお昼はトウカと食べちゃったよ!」
「お姉ちゃん、お人形の首がぷらぷらしてるの。直して」
「ユウ姉、分からない字があるから、教えて」
私は、子供たち全員の頭をつかまえて撫でつけながら、引きはがした。
「みんな、バザーで端布を買ってきたから、服を縫ってあげる。あとで背丈を測ってみよう」
だが、子供たちは、なにか微妙な表情を浮かべた。
「どうしたんだ」
「……ユウリ姉ちゃん。服を縫ってくれるのは嬉しいんだけど、姉ちゃんの選んでくる布って、へんな柄ばっかりだからな」
その子に同意するかのように、ほかの子供たちが、みな頷いた。
「変って。そんなに変かな……」
わたしは、バザーで買ってきた布を、机の上に広げて見せた。
どうだ。かわいい布だ。私はそう思う。
しかし、子供たちは、気の毒そうな目で私を見つめていた。
……そうか、駄目なのか。
そのとき、トウカが礼拝堂に入ってきた。
その手には、トウカ愛用の皿がある。かつてキリアと出会ったときに使っていた、花畑で遊ぶ猫の皿だ。そこには、子供たちのお菓子が乗せられていた。
トウカは、テーブルに近づき、わたしが広げた布を目にして、言った。
「どうしたの、みんなで変な顔して。……あら、なにこれ、変な柄ねえ」
――変じゃないと、思うんだけど!
+ + +
かつて、『脊柱』の領域に吹き荒れていた砂嵐は、すでに止んで久しい。
よく晴れた日には、集落から『脊柱』を望むことができた。
だが、『脊柱』は、あのとき砕かれたのだ。
世界を統べた者、スーラはすでに存在しない。
もはやこの世界を支えるものは、どこにも存在しない。
世界を支えた『脊柱』は、失われた。
しかし。
これからの世界を支えるものが存在することを、すでに私たちは知っている。
簡単なことだ。
人間が、人間を支えるのだ。
人間。だが、私たちは、そのまがいものに過ぎない。
しかし、いずれ私たちは、新しい「何か」「誰か」を産み出すことが、できるはずだ。
スーラ、あの孤独な知性は、わたしたちをそう作ったと言っていたから。
私は、それを信じる。
いずれ、私たちが産み出した「誰か」にバトンを渡すそのときまで。
――ひととき、この世界を支えよう。
「了」
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