第30話 託された心

「――ぶった斬ってやるわぁっ!」


 ああ、これが、歓喜というものなのね。

 真っ白になりつつある頭で、ナイマはそう考えた。


 手にした長剣は、かつて存在した小国の歴史のなかで、営々と鍛え上げられたもの。

 冶金学、材料物理学、鍛造技術、熱処理技術。一国の業の精粋でありながら、どこまでも優美な姿。原型がありえた時代においては、魂を託すに足る、とされたもの。


 それがどのような名であるのか。いや、もはや名などに意味はない。

 機能だ。

 『脊柱』において開発された技術は、史実をこえた切れ味を、この刃に与えていた。


 ナイマは、それを存分に振るった。

 素体たちの大群を、単騎、駆け抜ける。

 最良の刃とともに、縦横に。

 意志を奪われた素体どもは、たしかに気の毒ではあった。


(だけど……『取引』したんだもの、しょうがないわよねぇ!)


 切り下ろし、なぎ払い、小手を返し、跳ね上げる。

 そのたびに、素体たちの身体部品が宙を舞い、地に墜ちる。

 さながら切先を筆に見立て、絵図を描くかのように。


 それは、どこまでものびやかに続くのではないか。

 そのときまで、ナイマはたしかにそう思っていた。


 しかし。

 粋な遊びを留めるものは何か。それは、文字通り『無粋』なるものだ。

 いわば、数。


 多勢に無勢。衆寡敵せずとはよく言ったものだ。

 永遠に最高の運動を続けられる肉体はなく、永遠に利刃をたもちつづける武備もない。


 無粋なる『数』は、つねに暴力をもって押し迫る。

 十。二十、三十、四十、五十……。

 どれほど、ナイマは素体どもを切り伏せたのだろう。

 もはや、数えてなどいない。

 もとより、数えきれるほどの数でもなかった。


 『機械』であるナイマのことだ。素体たちに、ほんのわずかでも異なったIDが割り振られていれば、瞬時にして計数することなど造作もないことだ。

 しかし――。


「区別が、つかない。……どれもこれも、まるで同じ!」


 同質の群体による、絶えることなき圧力。



 ――ついに、ナイマの足が、止まった。



 素体のひとりが、消耗のきわみにあったナイマの刃をかいくぐり、その足を捕らえる。


「……ぐっ!」


 ナイマは、自らを捕縛する腕を、枯れ草のように切り払う。

 が、その一瞬の隙が、さらなる重圧をナイマに課す。

 素体たちの、腕、拳、足。まるで、それはナイマを絡め取る蔓草つるくさのように伸びてくる。


「……邪魔、邪魔っ! どいつもこいつも、全部が邪魔でしかないのよ!」


 狂乱が、ナイマの心を浸食していく。

 その蔓草は、どれほど払おうとも、もはや抗いようもないほどの数になっていた。


(……間に、合わな……)


 そのとき、乾いた破裂音が、鋭く響いた。


「な……に……」


 そして、遠くから、声が聞こえた。


「――ナイマ、ナイマ! 街のひとたちが、来てくれたよ! ……助けに!」


 最後のひとことに、ナイマはちょっとした怒りを感じた。


(助けに……ね。それじゃ話が違うわ、ルクトゥン。私は、『素体どもを足止めするために』ここにいるの。つまり、何も失敗していないし、助けてもらう必要もない)


 しかし、ここで素体どもの侵攻を真に止めるためには、『足』ではなく、『息の根』を、止めなくてはならない。

 もうひとがんばり。


「――うるぁっ!」


 無我夢中。まるで、脊髄反射と攻撃行動が、ダイレクトリンクしたかのような。

 ここまで数多の素体を斬ってきた刃も、さすがに鈍る。

 だけど……倒れ伏すその瞬間まで。


(ふざけた触り方をしてくる奴は、全員、ぶった斬る!!)




 ……。


 …………。


 いつのまにか、怒濤のような素体たちが、まばらになっていた。

 街からやってきた人間たちの撃つ、大口径の銃の音も、そろそろ止みそう。


「…………あ」


 いつのまにか、空を見上げていた。吸い込まれそうなほど、青い。

 もう、だれも、なにもしてこない。白茶けたような、ふっと湧いた空虚な時間。

 こういう時間を、ただぼんやりとして過ごすことは、したくない。

 空白は……埋めたくなる。


 だけど。


(やられた、のね)


 ナイマは、自分の右手を掲げようとして――止めた。

 指も、前腕も、滅茶苦茶にへし折れている。握っていた剣は、いまはもう、どこへやら。

 痛覚センサーは、もはや正常に作動していない。

 この身体に、わずかでも正常な部分は、残っているのだろうか。


 その時、目の前におおきな翳りが生じる。


「……ごめんね、ナイマ。……待たせすぎちゃったね」


 あらわれたのは、眼鏡をかけた、端正な顔。ルクトゥンだ。


「……べつに……待ってた……わけじゃ、ないわ。わたしは、わたしの……仕事を、果たした……もの」


 自分の音声が、ひどくノイジーに聞こえた。

 ルクトゥンは、ナイマの傍らに膝をつき、倒れ伏した身体を抱き起こそうとした。


「やめて……よね、病人じゃないんだから」


 反論は無視された。ルクトゥンに、されるがままに抱き起こされる。ぼやけつつある視界に、ふたたび地平線が見えた。

 そして、それをさえぎるような、幾人もの『人間』の姿。

 そのなかから、ひとりの若い娘が、おずおずと近づいてきて、そっと跪いた。


「……ナイマさん。あなたが、私たちの街を守ってくれました。もう、どんなにお礼を言っても、言い足りません」


 その娘は、浅黒く日に焼けた、引き締まった貌をしていた。だが、そのまなじりには、大きな涙がうかべられていた。……しんきくさい話だ。


「べつに……お礼を言われることじゃ……ないでしょう」


「いいえ」


 そして、顔を伏せる娘。


 『人間』の若者は、いつも、こうだ。

 捨て置けばいいようなものにも、こういう、無防備なやさしさを見せてしまう。

 それが、なんとなく不憫に思えて、ナイマはそっと右手を差し出した。あちこち壊れて、ごみのようになった右手を。


 だが、娘は、そんな汚れた手を、まるで宝物のようにそっと手に取った。

 そのとき、ナイマは、なにか納得できたような気がした。

 だから、つい、戯れを口にしてみた。


「……ふうん。じゃあ、お礼に、あなたの『精神』を……いただくわ」


 ああ、この言葉を、わたしは何度言ってきたんだろう。ナイマはそう思った。

 よき民をたぶらかす、悪魔のような、わたし。


 しかし、その娘は、涙ながらの笑みをうかべて、はっきりと、こう言った。


「はい。あなたに私の心を、持てる感謝のすべてを捧げます。――ありがとう、ございました」


 ……そうじゃ、なくて。

 つい、苦笑いがこぼれてしまう。素直すぎる子は、きらいよ。


 でも、もういい。もうこれで十分。

 ――この娘の『心』は、もらったわ……キリア。またいずれ、あなたの『心』をもらいに行く。



 だから、さよなら。



+ + +


 まさしく、圧倒的だった。


 オルトースの振るいつづける両の龍爪は、止むことを知らぬ暴風のようだった。

 ガーシュインとゼムカは、いったい何度、大地に叩き伏せられたのだろう。


「……このっ、……このぉっ!」


 トウカも、たえまなく射撃と移動をくりかえす。


「くっ!」


 キリアは、おそらくもっとも消耗を強いられているはずだった。

 ガーシュインやゼムカのような装甲も持たず、ひとたび直撃を受けたなら、その小さな身体はばらばらにされてしまう。

 一瞬後の死の恐怖。それをいくたびも乗り越えて、倦むことなく果敢に斬り込み続けた。


 そして、ユウリ。

 キリアを守るべく、オルトースが腕を振り上げた瞬間を狙い、牽制を続ける。


 ここにいる全ての者にとって、もはや時間の流れすら曖昧だったはずだ。


 だが、オルトースもけっして無傷ではなかった。

 その巨体に刻まれた傷跡は、もはや数え切れない。

 その獰猛な外観を構成する『精神』も、ひどく薄れつつあった。


 爪を、牙も失いつつある。


 だが、その闘争にかける狂熱だけは、尽きることがなかった。

 当初はどこか人間の知性を感じさせていた部分はもはや失われた。


 ユウリの相対するものは、まさしく、神話の獣性そのものだった。

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