第29話 共闘

 ユウリとキリア、トウカが地上に降ろされたとき、大きな地響きとともに、ガーシュインとゼムカが落下してきた。巻き起こる、激しい砂埃。



「……飛び降りたのか」


 ユウリが聞くと、ガーシュインは言った。


「いや、あれで私のイオノクラフト出力は限界だ。この身体が重すぎて、落下の勢いを殺すことしかできなかったのだ。もしも、おまえたちと一緒に飛び降りていたら、互いに無事ではすまなかっただろうな」


 ゼムカも、身体の汚れを払いながら言う。


「なにはともあれ、全員無事でなによりだ」


 その言葉にユウリはうなずき、この場にいる者の姿を確認する。


 自分。キリア。トウカ。ガーシュイン。ベリテー。ゼムカ。ナイマ。……ルクトゥン。


「……えっ?」


 いつのまにか、そこには膝に手をつき、大きく息を切らすルクトゥンの姿があった。……思い返してみれば、ルクトゥンの管理する空中庭園には、たしかに彼女の姿はなかった。

 驚いた様子のキリアが訊いた。


「ルクトゥン! どうしてここに?」


 すると、ルクトゥンは肩で息をしながら、手のひらをキリアに突きつけた。「ちょっと待って」のサインだ。

 やがて、呼吸がすこし整ったルクトゥンが、面をあげた。ずり落ちた眼鏡を戻しながら、キリアに向き直る。


「……な、なにが起こったのかしら? ものすごい揺れがきて、私が管理していたフロアの施設が全部止まってしまったの。で、作業していた皆も、すべての動作がストップして……」


「上層部の中枢から、『脊柱』そのものを管理していた存在が、離脱したんだ」と、キリア。


「えっ」


「だから、コントロールされていた素体たちも、止まってしまった。すでに『精神』を得ているものだけが、いまも自律して動けているみたいだ」


 そう言いながら、キリアはベリテーとナイマを見る。ベリテーは頷いたが、ナイマは興味がなさそうに、そっぽを向いている。


 ルクトゥンは、キリアの発言にショックを受けていたようすだったが、やがて、諦めたように言った。


「それじゃ、私の仕事は……どうなるんだろうか……って、組み込まれていない事態だもの、どうにもならないわね。避難していようかしら」


「気をつけてね。なにが起こるか、僕らにも分からないんだ」と、キリア。


ルクトゥンは複雑な表情を浮かべながら、あいまいに頷いた。


「では、まずはここから距離をとろう。もし『脊柱』が完全に崩壊したとしたら、ここにいては巻き込まれてしまう」と、ゼムカ。


 他の者も、みな頷く。


「この戦いが終わったあとも、おそらくは、まだ『脊柱』は必要だ。失われなければいいが――」



 そう言って、『脊柱』を仰ぎ見たゼムカの、動きが止まった。

 これまでとは、まったく別種の音が聞こえた。まるで悲鳴のような摩擦音。



 ――なにか、巨大な存在が、『脊柱』の外壁を伝い降りてくる!



「……なんだ、あれは!」

 知らず、ユウリは後ずさっていた。


 そう、それは肉食獣が樹上から駆け下りてくるように、猛然たる勢いで降下してくる。

 そして、地上から数十メートルのところで、それは空中へと巨体を躍らせた。


「……飛んで……いる!」


 広がる、翼。背から伸びる、高いアスペクト比(※)の翼によって、巨獣は苦もなく滑空する。


 まったく、信じがたい光景だった。

 巨獣の姿。それはまさしく、いつしか物語のなかで見知っていた『龍』のようだった。

 さまざまな伝説のなかにあらわれた、荒ぶる存在。

 人間が想像した『強きもの』の象徴。

 龍は、空中に大きな円弧をえがいて旋回し、そのままユウリたちから十分に距離をおいて着地した。

 ……背後では、『脊柱』の崩壊が止まらない。


「スーラ!」


 ユウリはその名を呼んだ。


「――『地上の者』、『地下の者』、そして『人間』。こうやってあなたがたが、わたしの『敵』として立ち上がるところを見るのは、やっぱり、不思議な気分よ」


 その言葉とともに、龍とユウリたちの中間に、スーラの姿が現れた。

 だが、スーラの身体には激しいノイズがまとわりつき、あちこちには映像の欠損が見られた。


「どうしたんだ、その姿は」と、ユウリが訊くと、スーラは自分の手足を見やりながら、答える。


「……『私たち』のデータ量は、巨大に過ぎるの。この『龍』の身体……オルトースをもってしても、全てを納めることは不可能。だから、戦いに不要なデータは切り捨てた。そして、この身体を激しく駆動させ続ければ、データ保存のためのエネルギーも損なわれる。もう、長い時間は保たない……『私たち』は、この場に臨むために、それなりのものを捧げているわ。なら――」


 そして、スーラは目が覚めるように鮮やかな笑みを浮かべた。

 まるで、名誉ある決闘者のように。


「――あなたたちは、この戦いになにを捧げるのかしら!」


 スーラの姿が消え失せ、そして彼女の背後にいた龍……オルトースが、轟きわたる稲妻のような、長い咆哮をあげた。


 その咆哮には、『何か』の意志が込められていた。

 ユウリは背後に大きなざわめきを感じて、振り向く。

 そこに見たものは、『機械』の素体たちの大群だった。


「あの咆哮が……素体たちへの指令なのか」ベリテーが叫ぶ。


 ――挟み撃ちか。ユウリは一瞬、どちらに相対するべきか悩んだが、最大の脅威は、むろんスーラ……オルトースだ。


 そのとき、ベリテーが叫んだ。


「素体たちの様子がおかしい。かれらは、私たちを狙っているのではない」


 素体たちの群れが目指している方向。それは。


「――街だ。私たちの街を目指しているんだわ!」と、トウカ。


 街の人々は、はたしてこれほどの素体たちを相手に、持ちこたえることができるのか。

 ユウリは、ルクトゥンに言った。


「ルクトゥン、こんなことを頼める義理はないのだけど、私たちの街に、このことを伝えてくれないか」


 えっ、と、ルクトゥンは驚いたような顔をした。そして、続々と『脊柱』から現れる素体の群れと、ユウリの顔を交互に見る。


「……いいわよ。私にしたら、どちらも犠牲になってほしくはないもの。もちろん、あなたたちもね。でも私、戦いは不得手よ。戦闘技術データを入れる容量なんて、私の身体にはないもの」


 その答えを聞いて、ユウリの横でキリアが言った。


「――ナイマ」


「なによ。また、変な頼み事をするの?」


 やはり、そっぽを向いている。


「うん。……もし、街の人たちと、あの『機械』たちが戦うことになったら、守ってあげて欲しいんだ?」


「嫌よ。そんな義理はないもの」


「……代わりに、僕の『精神』を渡すよ。君が納得するまで、僕は、僕が培ってきたものを差しだそう」


「……もう、あなたはそればっかりね」と、ナイマは心底あきれたような口調だ。


「でも、わたしは性格がいいから、おなじみの餌で釣られてあげるわ。そのかわり、あなたがここで死んだら承知しないわよ」


 そう言うがはやいか、ナイマはキリアの頭を片腕で抱きしめると、包み込むようにその頬にすばやく接吻した。


「…………!」


 その姿に、ユウリはつい動揺を示してしまった。自然に目尻がつり上がる。

 ナイマは、そんなユウリに向けて、にんまりと笑ってみせた。


「これだけ先にもらうわね。それじゃ、仕方ないから頼まれてあげる。……ルクトゥン、つきあってもらうわよ」


「……私、あなたの友達じゃないのに」


 ナイマとルクトゥンは、イオノクラフトによって地表から浮き上がり、そのまま最大速度で、ユウリたちの街をめざした。


 それと同時に、オルトースもまた動き出す。


「……いま……あるものが……すべて崩れ去って……何が、残るの……かしら!」


 頭蓋のなかに直接響くような、スーラの声。彼女の精神崩壊は、予想以上に速い。


「スーラ! 『脊柱』を壊し、なにもかもを無くして、おまえはどうするつもりなんだ!」


 ユウリは叫んだ。しかし、そんな言葉でオルトースは止まらない。


「……最初に……戻る……だけよ。また、ひとりで……なにもかもを……つくる」



 それは、スーラがもっとも怖れていたこと。

 ひとりに、なること。


 ユウリは叫んだ。


「ひとりになど、させてやるものか!」



 なればこそ、全力で抗ってやろう。それこそが、支配者になりうる力を持ちながら、支配者になろうとしなかった創造者への、ただひとつの手向けになるのだから。


 そして、オルトースを迎え撃つために、散開する。

 ガーシュインとゼムカが、正面に立つ。

 キリアは、短剣をかまえて、ガーシュインたちからやや離れた位置を取る。

 左翼にユウリ。右翼にトウカ。中央最後尾に、ベリテー。


 オルトースは、まっすぐにガーシュインたちを狙う。


「来るぞ!」


 ガーシュインは大剣を振りかぶる。

 オルトースの龍爪が、暴風のような横薙ぎの一撃を叩き付ける。


「うおぉっ!」


 受け止めることなど、ガーシュインの力をもってしてもかなわない。

 かろうじて受け流しつつ、ガーシュインはオルトースの腕に斬撃を加えた。

 腕に密集する龍鱗をはぎ取り、その内部の素体をあらわにする。


「素体の装甲も……強いぞ!」


 ガーシュインが唸るように言う。

 その逆側から、ゼムカも腹を狙った一撃を叩き込む。


 ――切り裂いたか。

 ユウリはそう思ったが、腹部もまた強固だ。通常の素体をたやすく切り裂く、ガーシュインやゼムカの振動剣でさえも、オルトースには手傷を負わせることができるのみだ。


 トウカが、遠間から対甲銃を撃つ。弾芯に鋼を鋳い込まれた、口径八ミリの撤甲弾は、正確にオルトースの頭部を狙い撃つ。命中するたびに、頭部表面を構成する装甲がはじけ、表面を構成する『精神』が崩れていく。が、それはオルトースをわずかにひるませるのみだ。


「ユウリ! こっちに来て!」トウカが叫ぶ。


 二十歩ほどの距離を、ユウリはオルトースを牽制しながら詰める。

 やはり、武器の間合いがもっとも近いキリアは、ぎりぎりの戦いを強いられていた。

 斜めから打ち下ろされる巨大な爪を、キリアはからくもかわす。


「これでどうだ!」


 体勢をくずしながらではあったが、キリアは短剣の一撃をオルトースの前腕に滑らせる。

 体重の乗り切らない、浅い一撃ではあったが、短い刀身はたしかにオルトースの装甲を切り裂いていた。その威力は、けっしてガーシュインやゼムカの剣に劣るものではなかった。


「……父さん、ありがとう」

 キリアが小さく呟くのを、ユウリはたしかに聞いた。

 わずかな記憶の断片ではあっても、キリアの家族は、キリアのなかで生きているのだ。


「キリア! 負けるな!」


 ユウリは、キリアを狙おうとするオルトースに、一撃、二撃と銃弾を撃ち込んだ。

 肉体の一部と化すまでに、使い込んだ銃だ。ボルトが弾倉から実包を引き出す感触さえも、ハンドルを握る右手に感じることができた。

 ユウリが放った銃弾は、前腕の付け根に命中する。

 さすがに関節部は、その他の部分よりも装甲が不十分だ。命中するごとに、オルトースの動作から、わずかずつ滑らかさが失われていく。


「ユウリ!」


 いつしかトウカが隣にいた。トウカは、ひとつの弾倉をユウリに手渡す。


「トウカ、これは」


「ベーキズ翁からの頼まれ物。特別製の弾丸よ。内部に炸薬が仕込んである。あの大きいのも、中身は精密機械のはず。内側から吹き飛ばしてやれば、きっと効くわ!」


「ありがとう!」


 ユウリはそれを素早く腰の弾薬盒にしまった。

 炸薬が仕込まれている、ということは、弾芯が省かれ、貫通力に劣る、ということだ。

 どこか一点。オルトースの弱点を見抜き、そこの装甲を貫ければ、炸裂弾の破壊力を活かすことができる。


 オルトースの隙をついて、ユウリは後方を確認する。


「ベリテー、オルトースの弱点は、分かるか」


「あの巨体のなかの……あちこちに、副記憶層が仕込まれている。それぞれが分散して、『精神』の保持、身体の制御を行っている!」


 ベリテーは、『精神』の領域で、帰路を探り当てたときとおなじように、己の『精神』を拡散させ、それによってオルトースの身体を探っていた。


「どこかに、スーラの『精神』が格納されているはずだ! そこを狙いたい」


 だが、ベリテーは苦痛に顔を歪めながら、言った。


「……くそ、あちこちにダミーデータが配置されている。もうすこしだけ、時間を……くれ!」


 ユウリは頷いた。ベリテーの精神はいよいよ薄れ、膚の下には、血の通わぬ素体が、もう明らかに見てとれた。

 だが、無理をするな、とは、とても言えなかった。

 ベリテーに報いるとしたら……この戦いに、すみやかに決着をつける必要がある。


「…………」


 ユウリは唇を噛みしめる。

 そして、オルトースは、空さえも叩き落とすような咆哮をあげた。

 身をすくめそうになるほどの重圧に、ユウリは必死に耐えた。


 ――戦いは、まだ始まったばかりだ。



+ + +



 地表の上を、這うように飛行するナイマとルクトゥン。

 人間を模した『機械』の身体は、けっして飛ぶためのものではない。いかに小型・高効率なエンジンといえども、その推力も、稼働時間も、航空機とは比べるべくもなかった。


「……ナイマ、見えてきたわ」


「それでは、先に行っておいて。わたしはここで、『素体』どもを食い止めるわ」


 ナイマはイオノクラフトの出力を停止した。そのまま、砂漠に着地。砂塵をまきあげつつ、その速度を殺す。


「……ナイマ、無理をしないでね。いくらなんでも、多勢に無勢だから」


 ナイマにとって、ここでぐずぐずと時間を使わず、すみやかに街へと向かってくれるルクトゥンは、存外に良いパートナーになりえた。


「……さすがに、街のすぐそばで『水際作戦』なんてやりたくないわ。あんまり人死にを出したら、キリアに嫌われちゃうからね」


 ナイマは、押しよせてくる素体たちの大群を見やった。

 まだ、距離は十分にある。オルトース……スーラの思念によってつき動かされる素体たちは、その身体にやどるポテンシャルを十分には引き出せないようだった。


(でも、やっぱり頭数よね)


 まったく、嫌な役回りだ、とナイマは思った。

 ここで頑張ったところで、キリアに見ていてもらえるわけでもない。

 正直、この世界がどうなろうと、知ったことではない。

 あのスーラという娘の理屈も、はっきりいって考えすぎの被害妄想に思えた。


「――ああ、なにもかもが、ややこしいわね!」


 大きな声で、ナイマは言った。

 そして、赤い外套のなかから、一振の長剣を取り出す。

 鞘から引き抜き、刀身をたしかめた。

 柄に手をかければ、呼応するかのように、刃がちりちりと振動した。

 これなら、なにもかもを切り裂ける。

 あの邪魔くさい素体たちも。

 くだらない小理屈も。


 ――すべてを。


 ナイマは鞘を捨て、剣の切先を、素体たちにすらりと向ける。


「さあ、いくらでもかかっていらっしゃい!」


 そう、高らかに告げた。






※アスペクト比……翼の細長さを表すのに用いられる。両翼端間の距離と前後の長さの平均との比。アスペクト比が大きいほど細長い。

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