第28話 再会

 もはや、それを『精神』と呼ぶのはおかしいのかもしれない。


 この世界では、もとより『人間』と『機械』は同じものであった。ただ、役割が異なるだけ。

 『人間』の役割とは、かつての、ほんものの人間の生活を模擬すること。その中ではぐくんだデータを、『機械』たちを媒介として、『脊柱』に届ける。それだけのことだった。


 『精神』とは、ただの、情報。それこそが、『人間の証』だと思っていたもの、そして、自分を自分たらしめていたものの正体だった。


 だが、ユウリは思う。いまさらそんなことに絶望してどうなる。

 まるで通貨のようにありふれた、たやすくやりとりできるもの。


(だけど……それこそが『私』だ!)


 そして、ユウリはひとつらなりの情報として、ふたたび脊柱の上層へと戻る。



 ――一瞬、意識をふくめたすべてのものが停止した。

 そして、すみやかに知覚がよみがえっていく。


 視覚。高い高い天井が、揺らいでいる。

 聴覚。どこか遠くで響く、何かを打ち壊すような音。

 触覚。再び肌をつつむ衣服。手に触れる、どこまでも手になじんだ銃。

 味覚。舌先に感じる、緊張の味。

 嗅覚。鼻腔の奥に届くのは、鋼と汗の臭い。


 そして、意識はよりどころを取り戻す。



 ――私は、いま、ここにいる!


 ふたたび得た肉体を、手早く確かめる。腕。足。悪くない。万全の状態で銃をあつかえる。

 ユウリは寝台から跳ね起きた。隣の寝台をつかっていたキリアも、同じように体を起こしていた。


 そして、すこし離れたところに、ベリテーの姿が見える。だがその姿は、ひどく消耗しているように見えた。


「ベリテー、なにがあった」と、キリア。


「……『精神』の領域からの脱出路をみつけるのに、しょうしょう手こずった。心配はいらない。私は自力で動ける」


 苦しそうなベリテーの身体には、奥の素体が見え隠れしていた。


「感謝する、ベリテー。いろいろと教えてくれて、ほんとうにありがとう」


 ユウリが礼を言うと、ベリテーは眉をひそめて、そっぽを向いた。


「いずれ、御代はいただく。ユウリ。きみの『精神』が、ほしい」


「もちろんだ。でも、もう大事な思い出は渡せないぞ」と、ユウリ。


もう、トウカのことを思い出せなくなるのは、まっぴらだった。


「わかった」


 寝台を降りると、ガーシュインとゼムカが待っていた。


「無事に戻ってこれたな」と、ガーシュイン。


「……これまで、『機械』が捧げた精神が、戻ってこれた例はなかった。おまえたちには、運がある」と、ゼムカ。


 力づよい赤銅の戦士と、優美な白銀の騎士。このふたりは、はたしてスーラの行いを、どう判断するのだろうか?

 ユウリは、ガーシュインたちに、『精神』の世界で起こったことを手早く説明した。


 スーラは、『脊柱』を中心とした世界を構成した、最初の知性だということ。

 そして、キリアは、スーラに情報をもたらすために呼び寄せられたこと。

 ……そして、キリアの家族のこと。これは、キリアが自分から説明してくれた。


 黙ったまま、じっと聞いていたガーシュインは、やがて、頭上にひろがる空間を見上げながら、言った。


「つまり、スーラとは決別し、かの者も、この『脊柱』のどこかに降りつつある、ということか。……この世界を統べる、巨大な精神だ。それを受け入れる肉体となると、われわれのものとは比較にならぬほどのものだろう。心しなければ、な」


 『脊柱』は、いまも揺れている。巨大な何かが、この世界に現れつつある。

 そして、ガーシュインとゼムカは連れ立って歩き出す。

 ガーシュインが、まるで勇を鼓するかのように、言った。


「ユウリ、キリア! せっかくここに戻ってきてくれたのだ。必ずや、きみたちをもとのところに戻してやろう」


 その、どこか時代がかった物言いに、ユウリとキリアはくすりと笑いあった。

 やっぱり、戻ってきてよかった、と。


 ひときわ大きな振動。巨大な『脊柱』が、揺らいでいる。


「急ぐぞ!」

 先頭を走るガーシュインが叫ぶ。


「これほどの振動だ。『脊柱』そのものが崩壊しかねんな」


 その横を、ユウリとキリアは併走する。

 息をはずませながら、ユウリは訊いた。


「……間に合うと、思うか?」


「間に合わなければ、この建物が墓標になるだけだ。……これは、私たちの墓標ではないだろう?」と、ガーシュイン。


 こすれあう重い装甲が、ぎしぎしと大きな音をたてる。

 上層の広間をすぐに離れ、ここまで昇ってきた螺旋階段を、急いで駆け下りる。


 かなりの勢いで、上層からは遠ざかっているつもりだった。

 しかし、徐々に強くなる振動からは逃れられない。さまざまな何かが砕かれるような騒音のなかに、まるで異世界の獣がおたけびをあげるような音も混じりだした


「……スーラ、君はいったい何になるつもりなんだ」と、キリアが呟く。


 おそらくは、これまで見ていたような少女の姿を捨てて、戦いにふさわしい姿となって現れるだろう。

 くりかえしくりかえし廻りながら降りていく。

 そして、階段が途切れたところで、閉ざされた扉の前に立つ。壁面に描かれた表示を認識する余裕もない。ここはたしか、『地上の者』たちを生産するところだったか。


 ドアを開く。広大な空間に密集する生産施設は、強い振動によってトラブルが発生したのか、あちこちで警告音を立てていた。


「……ひどい状況だ。これでは、再稼動させるには一苦労だ」と、ベリテー。


 『精神』の消耗は、ベリテーの動作にも悪影響を与えているようだった。


「――くっ」


 何かにつまづき、激しく倒れたベリテーを、ユウリは抱え起こした。


「ベリテー、あとすこしだけ我慢してくれ」


 そう言うと、ベリテーはやせ我慢の笑みを浮かべる。


「ユウリ、きみのような子供に心配されたくはない。心配するのは大人の仕事だ」


「ほんとうに、口が減らないな」


 そして、ふたたび走り出す。より、急いで。



 ――空中庭園。ユウリたちが『脊柱』を下り、たどり着いたところだ。


 そこで出会った、管理者のルクトゥンの姿は、すでになかった。

 しかし、そこでユウリは、信じられないものを見た。


「トウカ……トウカ!」


 その名を、歓喜とともにユウリは叫んだ。

 真白い、しかしあちこちに傷が刻まれた顔。

 あざやかな金髪は、塵埃で汚れてはいたが、それでもなお美しく輝いていた。


「ユウリ! キリア! 無事だったのね!」


 やっと会えた。自分を叱り、誉め、導いてくれた、このやさしい声に。

 ユウリは、トウカの胸に飛び込んだ。子供のようだったわ、と、あとで言われても構うものか。その暖かさに包まれたかった。


「もう、ユウリってば、いつもは無愛想なのに、甘え出すと止まらないんだから!」


 嬉しそうなトウカの声を耳元で聞き、そして、離れる。

 ユウリの目の前にいるのは、トウカだけではなかった。


 あざやかな紅衣に、豪奢な金髪。そして、断ち切られた左腕。

 見間違えようはずもない。ナイマだ。


「――久しぶりね」と、ナイマ。


 あきらかに不機嫌そうなその目は、ユウリの傍らに立つガーシュインに注がれていた。


「あの時の『地上の者』か。なにか、もの言いたげな目をしているな」


 ガーシュインが言うと、ナイマは眉をつり上げた。


「あたりまえでしょ。あとで、きっちり落とし前をつけてもらうから……えっ」


 そのとき、ひときわ激しい衝撃が、空中庭園の全体を揺るがした。ガラスのような透明の外壁に、大きな亀裂が入り、砕けた。


「まずいな、想像以上に崩壊が進んでいる」と、ゼムカ。


「そういえば、『地上の者』たちには、小型・高効率イオノクラフトが装備されていたな。この階の高度なら、それを使うことで着地できないか?」


「……最大出力で噴射すれば、おそらくは大丈夫だ」と、ベリテー。


「ならば、そこの大穴から出よう。……ユウリ、キリア。私にしっかりとつかまれ」


「この高さ、から……か」


 つい、ユウリは弱音を吐いてしまう。


「でも、行くしかないんだろうなあ」と、キリア。


 ユウリはベリテーの首に抱きついた。キリアも、ベリテーの細い身体にしがみつく。


「……年若い者を抱きしめるのは、いいものだな」


 ベリテーは下手な冗談を言った。


 その一方で、トウカはナイマの背中を押して、外壁のそばに立った。


「ほら、ユウリたちが降りるんだから、私たちも行かなきゃだめでしょ」


 トウカがそうせかすと、ナイマは、ふう、とため息をついた。


「……わざわざここまできて、また降りるなんて、ばかみたいね」


「いいじゃない。手間がはぶけたわ。昇るよりも降りるほうが、はるかに楽よ」


 そう言いながら、トウカはナイマに抱きついた。


「あら、けっこういい身体なのね。すてきだわ」と、トウカは嬉しそうに呟く。


「あなたに言われても、ぜんぜん嬉しくないわ」と、ナイマ。


 ガーシュインとゼムカを除いて、皆が崩れた外壁のそばに立つ。


「行くぞ!」


 ベリテーが、その身を空中に委ねる。ナイマも続く。

 ほんの短い間の自由落下。そして、ベリテーの脚部、背部からの、激しい噴射音。

 重力に従い落下する身体を、イオノクラフトの出力が押しとどめる。


 そして、地上へ降り立った。

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