第26話 還るべき場所

 説明しようもない気持ちに襲われて、ユウリはより力をこめて、キリアを抱きしめた。


 なにもかもが嘘。キリアがスーラを『懐かしく思った』のも、『情報を持ってこい』という指示を植え込まれた、その名残にすぎない、ということか。

 可哀想、という言葉を使うことさえ、できなかった。

 キリアは、スーラによって、その存在そのものを汚されたにひとしい。


 意を決して、ユウリは立ち上がった。

 ずっと、ずっと、キリアを抱きしめていたかったけれど。


「――スーラ、ひとつだけ、私も確かめておきたいことがある」


 言葉など交わしたくもない、汚らわしい相手だ。


「何かしら」


 スーラもまた、それを納得しているのだろう。険のある言葉。


「……『機械』であるはずのわたしたちが、世界に散らばって、まるで『人間』のまねごとみたいな暮らしをしているのは、なぜだ、スーラ。おまえのように力ある者ならば、なにもかもを支配下に置きたがるだろうに」


 これは、ここまでずっと留保してきた疑問だった。


 ……地上の者、地下の者、そして、今となってはそう呼ぶことも空しいが、人間。

 なぜ、それらがときに交わり、ときに争うような『仕組み』になっているのか。


 ――『機械』。それは、人工の道具を意味する。


 そして、それゆえに『機械』は、生み出された『意図』……設計思想に従うことしかできない。

 ユウリは、その疑問を口にした。


「スーラ。私たちの設計思想とは、なんだ。……私たちは、なんのために存在する? なぜ、この世界において、これほどに強大なお前が『支配者』でないんだ!」


 その疑問をぶつけたとき、スーラは意外にも穏やかな表情をしていた。まるで、その質問があらわれるのを、ずっと待っていたかのような。


「答えるわ。……わたしたちは『墓標』なのよ」


「墓標?」


「もう、この世界には、『人間』は存在しない。これまで『人間』と呼ばれていたあなたたちの正体は、いま、ベリテーが見せたとおり。では、ほんものの『人間』は、どうしたんだと思うの?」


「滅んでしまった、のか」と、ユウリは答える。


「そうよ」と、スーラはため息をつくように答えた。


「この『脊柱』が造られたとき、つまり『私たち』の意思が生じたときには、もう『人間』は、この世界のどこにも存在しなかった。人間によって生み出された『機械』でありながら、私たちには、仕えるべき相手はもう存在しなかった」


「でも、スーラ。お前は、自分自身の意思で、この世界を作ったのだろう。どうとでも作り直せただろうに」


 そうキリアが言うと、スーラはふいに俯いた。


「……私たち、いえ、『私』に意識がめばえたときに、周りには、手本になるべき存在は、どこにもなかった。この『精神』、データだけの世界で、私が手に入れられたのは、『人間』が生まれ、滅びていくまでの歴史だけ」


「……歴史しかなかったから、それを再生したかった、ということか」


「そうではなかった……と、今は思うわ。もう確定してしまった歴史を、ふたたび再現すること。それは、私には意味のあることだとは思えない。でも、かつて存在していた『人間』が遺したさまざまなものを、もっともっと、はっきりした形で示しておきたい。そう思ったの。とびきり素敵な『墓標』に、まずはなりたかったのかもしれない」


「目的を欲する心、か」と、傍らでベリテーが呟いた。


「スーラ、おまえがそうやってこしらえた物は、おまえが望むように機能しているか」


 そんな問いに、スーラはすこしいたずらっぽく微笑んだ。


「機能してたら、あなたみたいなはねっかえりが生まれるわけないでしょう。私は『王様』になりたいわけじゃなかった。ただ、このかりそめの世界で、ただの情報としてではなく、かつて生きた『人間』の精神が、往時おうじのままで、伸びやかに活動する……人間の魂が、ここで遊んでくれるような世界を、私は夢見るようになったわ」


 その言葉にやどる長い孤独に、ユウリはちくりと心を突かれた。

 だが、いかにスーラが苦しもうが、さらなる苦しみをほかの者に与えていいはずがなかった。


 ユウリは、あらためて心を硬くした。


「スーラ。おまえが苦しんだことは、理解した。だけど、いまのお前は、……私の、敵だ」


 あらためて、ユウリは告げた。

 いつしか嘆くことをやめたキリアは、その傍らで、じっとスーラを見つめていた。

 スーラは、まるでユウリとキリアに微笑みかけているかのようだった。


「……私を否定してくれる。私を敵だと示してくれる。この世界、いまの私は、もう孤独ではないわ。じゃあ、そろそろ決めましょう。――キリア」


 スーラがその名を呼ぶ。キリアは、まっすぐにスーラと相対する。


「キリア、もう、ここにいたるまでの情報は、これですべて。あとは、あなたに委ねるわ。あなたを取り巻くすべてのひとのところに戻るか。それとも、あなたの『精神』すべてを、私に与えるか」


「…………」


「あなたがわたしに抗うのであれば、それは骨肉の争いとなるわ。だって、生き残った側が、この『世界』……人間の遺したすべてを引き継ぐのだから。その重みに、その孤独に耐えられないのなら、あなたの『精神』をすべて寄越しなさい。あなたから得た情報をもって、この世界をより強固なものにしてみせるわ。それは、あなたたち『いまの人間』を守ることに、かならずや繋げましょう。……約束するわ」


 キリアは、その言葉をしばらく噛みしめているようだった。

 そして、ゆっくりと、ユウリとベリテーに向き直った。

 キリアは、ユウリに言った。


「……ユウリ。さっきはごめんね。みっともないところを見せちゃって」


 ユウリは、かれのために、精一杯の笑顔を浮かべようとしつつ、言った。


「キリア。みっともないなんてこと、私はぜったいに思わない。キリアは家族を捜して、ずっとひとりで『脊柱』を目指していたんだ。私には、とても真似できないよ。私だって、もしもトウカや……キリアがいなくなったら、私も、泣きわめいてしまうと思う」


「僕が……」


「キリア、行かないでくれるよね。私は、キリアのいない世界で泣きたくは……ないよ」


 ユウリは、キリアに寄り添った。自分よりも、すこしだけ背の低い少年に。


「ユウリ……」


 ユウリの華奢な手が、ぎこちなくユウリの背中に触れた。

 頬と頬。キリアの耳元で、ユウリは囁いた。


「……キリアは優しすぎる。本気で怒るまえに、いつも、相手のことを許してしまう。だから、『自分ひとりの精神をスーラに渡せば……』って考えてしまうかもしれない。でも私は、キリアに一緒にいてほしい。これからも、その先も、ずっと」


 そして、キリアの細い背中を、ユウリは抱きしめて、言う。


「――ここでさよならは、嫌だ。一緒に、街に帰ろう」


 そして、キリアの背中から、両腕を離した。



 ちゃんと、笑顔は作れていただろうか。そうユウリは思ったが、キリアは優しく微笑み返してくれていることに気がついて、頷いた。

 そして、傍らのベリテーが、ユウリとキリアに声をかけた。


「キリア、君がどういう結論を出したかは、すぐに知ることになるだろう。だが、ここに来るときに、ガーシュインから頼まれごとをしていてね」


「頼まれごと?」と、キリア。


「ああ。『ユウリとキリアを、私のかわりに守ってくれ』とな。だから、キリア。きみがここで消えてしまうというのは、ガーシュインはもちろん、私にとっても耐えがたい。私はな……きみたちの未来が、見たいんだ」


 そう行って淡く微笑むベリテーの顔を、ユウリはまじまじと見つめた。


「ベリテー。……あなたの言葉は、わたしの大事なひとのことを思い起こさせる」


「それは、誰のことか?」


「トウカ。私の、母親や、姉みたいなひとだよ」


 トウカの名を告げたとき、ベリテーはすこしだけ驚いたような顔をしていたが、やがて、にっこりと笑った。こんな笑い方もできたのか、とユウリは思った。


「トウカ、か。いずれ相まみえることもあるかもしれないな」


 そして、キリアはスーラに向き直った。

 スーラは、奇妙に穏やかな様子のまま、訊いた。


「キリア、決まったかしら」


 その言葉に、キリアは答える。


「――スーラ。僕の『精神』は、渡せないよ。これまでの僕の目的は、すべてがあなたの定めたものだった。でも、そのよりどころを失っても、まだ薄っぺらな僕のことを留めてくれるひとがいるんだ。……もとより僕は、情報を運ぶための『殻』でしかない、と、あなたは言っていたね。でも、僕は『殻』のまま消え去りたくはないんだ!」


 スーラの願いを、キリアは叩き伏せた。

 しかし、スーラはこのとき、はっきりと笑顔を見せた。


「――そう。ならば、戦いましょう。どちらかが消え去るまで。……いま、はっきり分かったわ」


「何が?」と、キリア。


「私の『設計思想』。私は、私を倒しうる存在を産み出すために、存在したんだ、ってね。たしかに孤独のなかに生じた『私』だけど、その行動原理は、かつての『人間』が定めたもの! 歴史を再現するのではなく、凍り付いたようなシステムを作って永続させるのでもなく。さあ、流転しましょう。どちらが勝つのか。さいころが振られ続ける限り、私たちは人間の歴史に属して、新しいページを生み出していける!」


 歓喜とともに、スーラはその姿をどこかに転送させつつあった。

 スーラは、まさに「戦い」を心から欲しているようだった。

 なによりも孤独を恐れた彼女は、自らの意のままにならず、そして自らに伍するほどの力を備えた『敵』をこそ、待ち望んでいたかのようだった。

 そして、スーラの転送が進んでいくごとに、急速にこの『空間』は崩壊しつつあった。


「ベリテー!」ユウリは叫ぶ。


「どうやって、ここから出ればいい?」


「今から探す」と、ベリテー。


 彼女の精神が、じょじょに拡散していく。こまかな粒子が、すみやかに空間内に広がってゆき、やがて、ある一点に凝集する。


「ユウリ、キリア。ガーシュインたちが待っているぞ。……かりそめの感覚を切り離せ。純粋な情報に戻るんだ。――ここから離脱する」


 ベリテーの示した一点からつづく経路に、ユウリとキリアは、自分自身を構成する情報を流入させる。

 そして、たどり着くのだ。


 なつかしい、わが身体に。

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