第25話 記憶の中の名前


「……『地上の者』が、どうしてこんなにはっきりと姿を現せるの?」


 スーラがそう訊くと、ベリテーは答えた。


「この姿。これこそが、わたしの『精神』のすべてだ。ほんの細切れを差し向けようものならば、すぐにおまえに取り込まれてしまうからな。……そこの少年のように」


 そして、ベリテーはキリアに向き直った。


「――キリア! なにもかもを委ねるのは、もうすこし後にしたほうがいい。すこしだけ、私に時間をくれないか。君が知っておくべきことを、話そう。……君には、自分で納得できるような道を、選んで欲しい」


 ベリテーの言葉は、やはりトウカによく似ていた。ユウリが間違ったことをしてしまったときに、諭してくれたトウカの、声。……そして、顔。


 スーラに歩み寄りかけていたキリアは、足を止めて、ベリテーの言葉に頷いた。


「僕が、知っておくべきこと……。聞きたい、教えてくれ、ベリテー」


 スーラは、厳しい顔つきのまま、ベリテーを見つめている。ユウリもまた、ベリテーの言葉に惹かれたが、それでもスーラを視界から外すことはできなかった。


(スーラ……なにか、おかしい)


 その疑念を晴らす鍵が、ベリテーの言葉にあるはずだ。

 ベリテーの知覚が、空間に広がった。これまで強固だったこの環境が、一瞬にして揺らぎはじめる。

 そして、ベリテーの描いた情景を、ユウリとキリアは共有した。


「……なんだ、これは」


 その光景には見覚えがあった。

 『脊柱』を昇りつめたその先に存在した、『精神』の広間だ。

 機械の戦士ゼムカが守護する、物質と精神をつなぐところ。

 かつて見たとおり、壁面に沿うようにして、肉体と精神を分かつための寝台が並んでいる。そして、そこには二体の『機械』が横たわっていた。


 素体を剥きだしにした姿。それ自体は、なんの変哲もない存在だ。

 だが、その素体の傍らに置かれた道具には、はっきりと見覚えがあった。

 見間違いようもない。

 集落の技師、ベーキズ翁が丹精こめて造りあげた、一挺の対甲銃。

 そして、キリアが父から受け継いだ、宝物のような短刀。

 それらは、ユウリとキリアが物質の世界に残してきた、魂のような品物だ。


「……これは」


 ユウリは絶句した。銃の傍らに、まるで人形のように寝そべるその素体とは。


「……それって」


 キリアも同様だ。たったひとつの父の形見の隣に横たわる、その素体とは。

 そして、ベリテーは言った。


「見えるだろう。そこに横たわる素体こそが、ユウリ、キリア、きみたちの身体だ」


「そんな、……しかし、私たちは」


 ユウリが呟いた言葉は、しかし、混乱のせいでそこで途切れてしまった。


「そうだ、ユウリ。きみたちの身体は、私たちとまったく同じものだ。……私も、はじめて知った。驚いたよ。その真実は、これまでずっと秘匿されつづけてきたのだから」


 しかし、より強い衝撃を受けたのは、キリアのほうだったのかもしれない。

 キリアは、いつしかその場にへたりこんでいた。


「……これが、これが僕の正体だとしたら、僕の家族はどうなる? 僕の……『血のつながった』家族は、……僕の……」


 そのとき、スーラは告げた。


「家族、ね。もちろん、身体の……血のつながりなど、存在しないわ。でも、そんなことにどれほどの意味があるの? 肉体と、それに基づく生理現象には、たしかにそれなりの価値はあるでしょう。でも、それがなかったからといって、あなたが父、母、妹に寄せた思いは、すべてが嘘になってしまうの?」


「そんなことは……ない! ないけど!」


 キリアが叫んだ。

 その言葉に、スーラは優しげに頷いた。


「……いまはまだ納得できないかもしれない。でも、あなたの思い出を大事にしてあげて。その思い出を受け入れるところは、ここにあるわ……」


 そう呟き、キリアを誘う。


 もう、キリアには、その言葉に抗うだけの理由など、どこにも残っていなかった。

 かれはスーラに歩みよる。一歩、また、一歩……。


「待つんだ、キリア」


 ベリテーは鋭く制止した。


「なんでだよ!」


 そう叫んだキリアの目には、もう涙が浮かんでいた。その姿を見ていることができず、ユウリはキリアに近づき、うつむいたまま、その手を黙って握った。

 かけるべき言葉を、見つけることができなかった。それでもキリアは、助けを求めるかのように、強く握り返してきた。触れあうことで、キリアの心がもっとはっきりと分かるようになれば。そう、ユウリは思った。


「まだ、なにかあるんだな」と、ユウリ。


 キリアのかわりに、ベリテーに問うた。


「……ある。スーラが、きみたちをここに招きよせた理由、だ」


「ベリテー、私たちは、招かれたんじゃない。キリアの意志で、私たちはここに来た」


 そうユウリが言うと、ベリテーはキリアに訊いた。


「その意志、真実なのだな」


 当初、キリアは強く頷こうとしていた。だが、その意志はまるでしおれてしまったかのように見えた。


「……僕は、父さん、母さん、妹に会いたくて……。あのとき別れてしまってから、ずっと……」


 そう言いかけて、キリアの言葉が止まった。

 悲しみに耐えきれなくなったのか、とユウリは思った。

 キリアは、そのとき崩れるように座り込み、嗚咽を漏らした。

 ユウリもすぐに、その傍らに座る。


「キリア……」


 すこしでも気遣おうと、ユウリが言うと、「……違うんだ」と、キリア。


 そして、面を上げたキリアは、まるで泣き叫ぶように、言った。


「思い出が、ないんだ……! あのときのこと、僕たち家族がばらばらになったこと。……それだけしかないんだ! それ以前のことが……もっともっとたくさんの思い出が、いくらでもあったはずなのに、それだけしか思い出せない!」


「キリア!」


 激しく嗚咽をもらすかれを、ユウリは抱きしめた。そして、耳元で囁く。


「……キリア、私がベリテーに『精神』を捧げたときに、きみは私にこう言ってくれた。『思い出を、ひとつひとつ辿っていけばいい』って。今度は、私がキリアを助ける番だ。……キリアがすべてを思い出すまで、私が……私でよければ、ずっといっしょにいるよ」


 しかし、キリアは激しくかぶりを振った。


「だめなんだ、ユウリ! かけらも、出てこないんだ……」


 そして、力尽きたかのように、その場に両手をついた。


 その様子を見ていたベリテーは、「……残酷だな、スーラ」と、漏らすように呟いた。


「たしかに、気の毒だとは思うわ」と、スーラ。


「でも、この強い執着によってこそ、キリアはここまで『精神』を運ぶことができた。その執着を補強する周辺情報など、必要ではありません」


「周辺情報……」


 ユウリには、スーラの真意は分からなかった。だが、その物言いには、まるで胸のなかを食い荒らされたかのような怒りが湧いてくる。


「ベリテー、説明してくれ」


 黒々とした心のゆらめきを押さえながら、ユウリは言った。


「――私は『機械』だ。だからこそ、スーラの意図を、その防御をかいくぐって、窺い知ることができる」


「スーラの……」


「彼女の意図。それは、単純なことだ。『外界の情報が、欲しい』それだけだ。そうだな、スーラ」


「そうよ。『私たち』には『脊柱』をつうじて外界を管理する責任がある。そのために、正確なデータを折に触れて手にいれる必要があった」


「そのデータの器こそが、キリアだった……ということだ」と、ベリテー。


 彼女もまた、俯きつつそう呟く。



 ――あの記憶のなかで、キリアが血を吐くようにして叫んでいた、家族の名前。

 そんなものは、キリアの中には『存在』しなかった。


(だから、私には聞こえなかったんだ……名前が)


 あったのは、ただ『脊柱』に来るためだけの、理由づけ、それだけだった。

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