第24話 最愛の精神

 幼いが涼やかな顔に、流れるような黒髪。その肌を包むのは、純白のトーガ。

 はじめて出会ったときと同じ姿で、彼女はそこにいる。


 彼女の表情にやどる、やわらかな表情はなにか。

 その源は、いまのユウリには理解できた。


「そうか、ここにいたんだね」と、キリア。


 かれは、まるで思い出に心を遊ばせているような、おだやかな表情でスーラを見ていた。


「――そう。でも、姿は変わってしまったけれど、ね」


「構わないよ。あのときから、ずっと探していたんだ。いくら見た目が変わったとしても、あなたがなんなのかは、わかる。あなたが……あなたが、僕の家族の『精神』だったんだね」


 スーラは、キリアの、家族なんだ。

 キリアが思い起こしている、離別のときの風景が、いまはっきりと『蘇る』。



 ――どこだろう? ユウリの知らない集落だ。


 そこから商路へと旅立つ、ひとまとまりの家族。

 そこには、いまよりもすこし幼いキリアの姿があった。

 かれをとりまくのは、かれの父、母、妹か。


 古い、しかしよく手入れされた荷台付四輪車の運転席に座る、キリアの父。

 ハンドルを握る、ごつごつとした、でもやさしそうな手。

 その横には、キリアの母。その顔はキリアそっくりだ。かれは母親に似ている。


 運転席の後席には、キリアと、かれの妹。大人にはすこし手狭な後席も、キリアたちにとっては、まるで遊び場のように広々としていた。

 はしゃぐ妹を、抱きとめようとするキリア。妹のちいさな手が、キリアの顔や髪をもみくちゃにする。


 前席の母が、それをたしなめる。そして、父が四輪車のエンジンをかける。


 ――それじゃ、出かけるぞ。


 父の言葉とともに、車のエンジンが、ぶるん、と大きくわななく。


 そうだ。キリアは行商の家の子。

 そうやって、家族で集落と集落のあいだを行き来して。

 旅路に生きて、暮らす。

 それが、キリアのしたかったこと。それだけなんだ。


 ユウリは、いま、それがはっきりと分かった。

 しかし、その思い出が蹴散らされるところも、同時に、知る。


 ――賊だ。


 商人を待ち伏せて襲い、その財産を奪い取る。

 罠にかかったキリアの家族。地面に仕込まれた爆弾で、トラックが破壊された。

 周囲から、男たちの声が聞こえる。獲物を前にして襲いかかろうとする、獣の声。


 動かなくなった車のなかで、キリアの父は小銃を、母は拳銃を取り出し、交戦に備えた。

 そして、キリアの父は、キリアに一丁のナイフを手渡した。

 父はキリアに言う。



 ――なにかあったら、これで   を守るのだぞ。



(その名がなんなのか、ユウリには分からなかった)


 キリアも答えた。声が震えていることに、かれは気づいていたか。



 ――う、うん。ぼくが、   を守るよ。



 しかし、賊どもの数は多かった。

 キリアの父と母は、せいいっぱい戦ったが、やがて賊どもの銃弾に打ち倒された。


 昏倒した父母を捨て置き、賊はトラックの荷台を検分しはじめた。

 まるで、あたりまえのように、ひとのものを奪う。


 ――これが、……これが、人間のやることか!


 そのとき、キリアは父から受け取ったナイフを手に、車内から飛び出して、荷台にとりついていた賊の脇腹を、渾身の力をこめて刺した。

 そのナイフは、まるで人間の肉を、温めたチーズのようなたやすさで切り裂いた。

 賊が、人間のものとは思えぬ悲鳴をあげたその瞬間。

 キリアの肉体を、銃弾が貫いた。


 倒れたその身体を、他の賊が容赦なく、何度も蹴りつけた。

 薄れゆく意識のなかで、キリアは、妹が車内から引きずり出され、撃たれるのを見た。



「   !    !」



 キリアは、必死にその名を呼んだ。言葉とともに、口からは血のあぶくが漏れた。

 だが、妹はぴくりとも動かなかった。


 わずかな、ほんのわずかな時間で、キリアは何もかもを失った。


 そして、最後に残った命も、やがて、尽きる。

 キリアは、諦めきれぬすべてを残したまま、目を閉じた。



 …………。



 キリアは、再び目を開いた。

 どれほどの時間がたったのかはわからなかった。

 ただひとつ言えること。それは、自分が死ななかった、ということだけだ。

 身体じゅうをつらぬくような痛みをこらえながら、キリアは上体を起こそうとする。

 そして、周囲に視線を這わせる。


(父さんは。母さんは。……   は)


 三人の姿は、あるべきところにはなかった。

 かわりに、賊どもの死骸が、周囲に散乱していた。

 この状況を把握できぬまま、どうにかして動こうと立ち上がりかけたそのとき。

 キリアは、そこに立つ、ひとりの少女の姿を見た。


 純白のトーガをまとう、黒髪の少女。その周囲には、茫洋とした三つの光が、まるで少女に寄り添うようにして瞬いていた。



 あの、光は……父さんや、母さん、それに   の、魂なのか……。



 痛みに耐えかねて、薄れゆく意識のなかで、キリアはそう呟いた。

 その少女は、ただ静かにキリアを見下ろしていた。

 やがて、彼女は口を開き、言った。

 その言葉は、キリアにはこう聞こえた。


 ――待っているから。


 と。


(あの少女は……スーラ?)


 そんな、ちいさな違和感を覚えたときに。

 キリアの記憶は、途絶えた。



 …………。


 いつしかユウリの知覚は、またさきほどのように、スーラとキリアの姿を捉えていた。ふたりの姿に変わりはない。すべての感覚は、かつて肉体の器官を通じて得ていたものと同じように機能している。


 しかし、たったいま垣間見た、キリアの記憶。

 最後に現れた少女。

 あれはたしかにスーラだった。

 ユウリはキリアの様子を窺う。


「……スーラ、僕の家族の魂は、あなたとともにある。……そうなんだよね」


 キリアがそう訊くと、スーラは、そう、と頷いた。


「あの盗賊たちを追い散らしてから、私はあなたたちを助けようとした。……あなたは、助けることができた。でも、あなたのお父さん、お母さん、妹さんは、助けることができなかった。だから、朽ちゆく肉体から『精神』だけを回収して、ここにつれてきたの」


「……『精神』が回収された、ということは、ここで……ここで、父さんや母さん、   にも会えるのか!?」



 不思議だ、とユウリは思った。どうしても、ユウリにはキリアの妹の名前を聞き取ることができないのだ。


 そんなユウリの違和感を差し置いて、スーラは答える。

 だが、その表情は曇っている。


「……もう、あなたたちみたいに、『個』として……ひとりの存在としては、もう、いないわ。キリア、あなたの家族の精神は、『私たち』とともにある」


 キリアが、ひどく落胆するのが、ユウリにもよくわかった。

 ……こんなことで、いいのか。そうユウリは思った。キリアの旅路の結末が、こんなことで!


 なにかを考え、逡巡していたキリアは、やがてスーラを見据えながら、言った。


「では、ぼくも、スーラたちのところに行けるかい?」


 その言葉を聞いたときのスーラは、まるで花開くような笑みを浮かべた。


「もちろんです。……ここまで来てくれて、ありがとう、キリア……」


 キリアが、一歩近づく。



(……だめだ、キリア。なんだかうまくいえないけど、……だめなんだ!)



 ユウリがキリアの腕を掴もうとした、そのとき。


(――なにも説明せぬまま、そのかわいそうな子を引き込むつもりか、スーラ)


 この世界を揺るがす強い意志が、ユウリに伝わった。

 そこに込められた感情は、大きく激しい怒り。


 ユウリ、キリア、スーラ。三人しか存在しなかったこの空間に、もうひとりの姿が現れる。



「……ベリテー」


 ユウリは現れた者の名を呟く。

 そうだ。かつて、ユウリに知識を与え、かわりにユウリの精神を欲した、あの『機械』。


 ベリテーの姿を、検分するかのようにスーラは眺めた。そのまなざしには、幼い外見からは想像できないほどの鋭さが宿っていた。

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