第22話 すべてを捧げる
『脊柱』の根幹部に、トウカとナイマはたどり着いた。
(あきれるほどに、巨大な建物ね)
と、トウカは思う。
こうやって、実物に手を触れられる距離にまで至ったのは、これが初めてだ。
前の戦では、けっきょくここに近づくことさえもできず、撃滅されたのに。
「……みょうに感慨深げね」と、ナイマ。
「そうよ。感慨深いわ。ここは、いってみれば謎の根源。ここを『消そう』として、人間は戦いを挑んで、そして敗れた。今でも思うわ。こんなもの、なければいいのにってね」
「システムを壊そうとするからよ。危険は排除せざるをえないもの。『ただ、近づく』のが、たったひとつの正解よ」
傍らには、エンジンを停めた二輪車。火を落としても、キン、キンと、ときおり金属音を立てている。冷えていくエンジンの囁きだ。このエンジンから熱が消え去るまえには、ここに戻りたい。できるかどうかは分からないが。
『脊柱』の外壁に、ナイマが手を触れる。ぱしん、という音とともに、進入口が開く。
「ここから入りましょう」
ナイマは返事を待たずに中に入る。トウカも続いた。
『脊柱』の中は、ひどく殺風景な広間になっていた。
「何もないわね」と、トウカは呟く。
「ここは待機層。ここから上が、わたしたち『地上の者』の領域。地下にも施設はあるけれど、それはいまいましい『地下の者』どもの領域よ。用があるのは上だわ」
「……ふん、その傷、『地下の者』にやられたのね」
そうトウカが訊くと、ナイマは不愉快そうに鼻を鳴らした。
「そうよ。精神を持たない木偶人形。あいつらの行動原理は理解できないわ」
「理解できないものに近づいて怪我をしてるんだから、あなたも私たちと同レベルってことね」
「否定しないわ」
そして、ナイマに導かれるままに、トウカは上層を目指した。
ユウリとキリアは、この先にいるのだろう。
(――無茶、していなければいいけど)
そう、心のなかで呟いた。
*
ガーシュインは、目前の光景を、認識しかねていた。
そこに横たわるものは、なにか。
「これは……」
――『脊柱』、上層。この階層より上へは、人間や『地上の者』たち、つまり精神を持つ者たちのみが入れる領域となっている。そして、たったいま、同行者であったユウリとキリアが、そこへと旅だった。
旅立ちのすこし前、ふたりは寝台に横たわり、目を瞑っていた。その様子を、ガーシュインは見つめていた。
精神を持たないガーシュインは、かれらに同行できない。かれらがここに戻るまで、精神を失ったかれらの肉体を守ろうと思っていた。
だが、設備の作動がはじまったとたん、ユウリとキリアの肉体は、ごくわずかな時間のうちに、疾く変化していった。みずみずしかった外観は、すみやかに失われ、まるで……下層で見た、無名の機械のようになっていた。
もはや、それが『人間』であったとは全く思えない、簡素な身体。その身にまとったままの衣服と、傍らに置かれた武具……ユウリの銃とキリアのナイフだけが、かれらのもとの姿を示していた。
「……どういうことだ、これは」
その身体から目をそらすこともできぬまま、ガーシュインは傍らに立つゼムカに訊いた。
「……私にも分からない。人間もまた、『機械』の一員だったのか? 人間がここを使うのは、おそらくはじめてであるはずだが、こういう結果になるとはな。……情報が、欲しい」
ゼムカも驚き、そして苛立っていた。権限がないかぎり、上位に属する情報はけっして得られない。だが、情報を渇望する『感情』だけは模擬してある。
ユウリ、キリアたちが無事に戻り、なんらかの情報を持ち帰ってくれればよい。だが。
「……ゼムカ。上層に向かったユウリとキリアは、また、この肉体に戻ってこれるのか?」
本当に、このみじめな素体が、ユウリとキリアであったのか? 今となっては、その記憶さえも疑わしく感じてしまう。
ガーシュインの問いに、ゼムカは呟くように答える。
「……わからない。誰もが踏み込んだことのない領域に、あのふたりは飛び込んでいったのだ。こういうとき、人間は『祈る』のだろう。……素朴な疑問だが、『祈る』とは、具体的に何をすることを指すのだろう」
「祈る、か……」と、ガーシュインもまた己のデータベースを探る。
「そうだな、……『神』、つまり上位存在を仮定し、その名を呼び、称え、救済を希望していることを告げる」
そう答えると、ゼムカは小さく唸り、呟く。
「そんなことで救われるのであれば、私は全能力をもって、その『神』の名と栄誉、そしてわが願いを、くりかえしくりかえし音声出力しよう。だが、それは空しいことだ」
「そうだ。我々は、ただ待つことしかできない……」
ガーシュインは、ユウリとキリアであった素体から、視線を離した。微動だにせぬ鈍色の膚を見ていると、そこに生命と精神が戻ることが信じられなくなってしまいそうだったからだ。
素体から離れた視線を彷徨わせていると、ふいに識別信号を検波した。
(――『地上の者』が、ひとりこの階層に来たか)
ゼムカを見る。かれも気づいたようだ。かつて通った、ガーシュインが開けなかった扉が、いまふたたび開く音を聞いた。
薄暗い部屋のなかで、ガーシュインは音源を探る。小さな足音だ。
そちらに目をやると、近づいてくる者の姿があった。
砂漠で身にまとうような、岩肌色の外套を身につけている。フードを目深にかぶっており、顔や髪色は分からない。
その姿に、まずゼムカが尋ねた。
「――何者か」
外套の者は答える。
「私は、ベリテー。『精神』を捧げにきた」
(ベリテー?)
ガーシュインは、その名をユウリがたびたび発していたのを思い出した。ベリテー。ユウリの精神を『買い』、その代償として知識を渡した者。
ゼムカは、こうやって『地上の者』が訪ねてくることに慣れているのだろう。広間の内壁にそって並ぶ設備を指さし、使うように指示していた。ベリテーと名乗った者は、それを黙って聞いていたが、すべての説明を聞き終えたところで、ゼムカに訊いた。
「……ゼムカ。では、私が捧げるべき『精神』の高は、わたし自身が決められるのだな」
「そうだ」と、ゼムカ。
「しかし、おまえたちが『精神』に抱く執着は、私も十分に理解しているつもりだ。務めとして差し出す高がどれほどの量なのかは知らないが、その積み重ねによって『脊柱』は、その機能を保っているという。私はただの警衛者にすぎないが、おまえたちの貢献には敬意を捧げよう」
ベリテーは、しばらく無言を保っていた。だが、やがて口を開くと、こう言った。
「ゼムカ。私は、この『精神』のすべてを、捧げる」
「すべてを、か。おまえがこれまでに蓄えてきたものをすべて差し出してしまえば、おまえはまた、ただの素体に戻る。……いや、その身体は再度『脊柱』の管理下に置かれることになるだろうから、次はどのような役目になるのかすら危ういな」
「それでもいい。……私は、この上に向かった『人間』たちを、追いかけたいんだ」
その言葉は、まるで自らに言い聞かせているようでもあった。不安定な『精神』をまとった者が、それでもなお、なんらかの決意を自らに強いるときに、かれらはいつもこのような物言いをする。
「……『地上の者』が、無事に上層へたどり着ける保証はどこにもない。もとより、おまえたちは、そのような目的を与えられていない」
「ならば、私の姿を子細に眺めていてくれ。そうすれば、次に同じようなことを企てる者に、よい助言ができるようになる」
「……そうさせてもらおう」
ガーシュインは、このベリテーという者の意図をはかりかねていた。目深にかぶったフードの奥で、この者はどんな顔をしているのか。
ゼムカも同様のようだった。壁際の設備から、ひとつを選んでそこに腰掛けたベリテーを、ただ黙って見つめていた。
ベリテーが、フードを下ろした。
茶灰色の髪が、相貌が、露わになる。やや鋭い目元と、まっすぐな鼻梁が目立つ。
(……どこか、ユウリに似ているな)
ガーシュインは、ユウリの顔を想起しながら考えた。交わした言葉、やりとりした『精神』だけでなく、ほかにもなにか相通じるものがあるのかもしれない。
しかし……ベリテーのまとう『精神』には、時折強いノイズが走るのが見えた。そのたびに、模擬された皮膚の奥底に、鈍色の素体が見え隠れした。
その様子を、ゼムカが指摘する。
「……ずいぶん、古い『精神』のようだな。整合性が乱れている」
その言葉に、ベリテーも頷いた。
「そのとおりだ。……この外見を構成する『精神』は、もう十年も前に得たものだ。メンテナンスを繰り返してきたが、もう、維持できる期間は長くない。だから、崩壊するその前にこそ、やるべきことをやらなければ、と思ったんだ」
最後の言葉を発したとき、ベリテーの横顔は、たしかにユウリによく似ていた。
ガーシュインは訊いた。
「……先へ進んだ『人間』を追う、というが、その者の名は、ユウリ、というのではないか?」
その言葉に、ベリテーはしばし怪訝そうな顔をしていたが、やがて頷いた。
「そうだ。彼女とは、この『脊柱』の外で出会った。彼女らは、ここを目指していると言っていたから、私は彼女に知識を売った。その代価として、ユウリの精神をいくらか受け取った」
「では、その取引が済んでもなお、ユウリを追うのはなぜだ?」
そう訊くと、ベリテーはあきらかに#逡巡__しゅんじゅん__#していた。
「……確たる理由は、ない。ただ――ユウリの精神に、好ましいものを感じたことは確かだ。もうすこしだけ手助けしてもいい。……そう思ったんだ」
「なるほどな」
どうやら、この者も、たしかな情報にもとづいて動いているわけではないようだった。だれもかれもが、答えを欲しがっている。もちろん、ガーシュインも例外ではない。
「――私も、地下でユウリとキリアに出会ってから、ここまで護衛を請け負ってきた。さいわい、たいした危険はなかったがね」
そう呟いたのは、ちょっとした気まぐれのせいだ。そう、ガーシュインは自分自身に説明する。
「見ての通り、私は『地下』に属する者。おまえたちのように『精神』を持たず、ここでおいてけぼりを食っているわけだ」
「それは……しかし、気に病むことではあるまい。あなたがた『地下の者』の目的は、人間たちのエスコート。あなたはそれを果たした。そういうことだ」
「とはいえ、あの二人の旅程を見てみたい、という気持ちはある。そして、そこまでに存在するであろう危険から、守ってやりたい、ともな」
「…………」
「そこで、だ。わが願い、おまえに託してもよいか」
そうガーシュインが切り出すと、ベリテーはわずかに苦笑した。
「おかしなことを。私があなたの思うとおりに動けるとでも? 私は……あなたのようには戦えない。そもそも、ユウリ達のところにたどり着けるかどうかさえ、分からないのに」
「そうだな。だが、ほかに託すべき相手もいないからな。ここで
「……おかしな機械だ。人間に感化されたのかな」
と、ベリテーは淡く笑った。ガーシュインも甲冑を鳴らして答える。
「そうだ。互いに感化しあわなければ、われら機械の時間は退屈に過ぎる」
そして、ベリテーは、腰掛けていた設備に横たわろうとした。その際に、その隣に並ぶ素体に目を走らせて、動きを停めた。
「これは、……なんだ?」と、ベリテー。
ガーシュインは、傍らに置かれた銃を指さした。
「見覚えはあるだろう」
「この銃。すると、この素体はユウリ達か。……なるほどな」
「驚かないのか」
「驚いている暇など、あるものか。目の前に提示された情報は、すべてが貴重だ」
だが、そう答えるベリテーの顔にも、わずかながら動揺が走っていることをガーシュインは知った。ベリテーも、『人間』のなりたちを知らない。
(すべては、上層か)
そして、ベリテーは寝台に横になり、その『精神』のすべてを上層へと捧げようとする。
深呼吸。胸郭が、おおきく上下する。その動作は生体の必然によってではなく、あくまで、揺れ動く『精神』を鎮めるためのものだ。
そして、彼女は、目を瞑る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます