第20話 問答
──ここまで、どれくらいの高さを昇ってきたのだろう。
ふとユウリは、そんなことを考えた。
この『脊柱』の内部に入り、ここまでに『機械』たちの活動の源ともいえる施設を垣間見てきた。
『機械』たちの身体を生産し、維持・管理する。そのための施設は、もはやユウリたちの生活からは類推することさえもできないほどに高度だった。
人間が、手ずから工具を用いて生み出すもの。かつては、それこそが『機械』だった。
しかし、ここで見たものは、そのような素朴なものでは、決してなかった。
人間の、手と、目。これらの限界に縛られているうちには、絶対に到達出来ない領域があって、『機械』たちは、その高みに住んでいる。
技術の精髄。それが『脊柱』だ。
しかし、生産施設で出会った無名の機械は語っていた。
「私たちは、『精神』を求め、それを身に装う。その一部を『脊柱』に捧げる。私を含めた数多くの機械は、その規則に従って行動しているにすぎない。……『精神』について知りたくば、もっと上へと進むといい」
上へ。
そここそが、『精神』の行き着くところ──。
いま、ついにユウリたちは、上層部の門前に辿り着いた。
その階層は、これまでの無骨なつくりの外壁に比べると、いくらかは装飾的な要素が見られた。
「……『機械』たちも、なにかを飾ったりするのかな」
そうユウリが呟くと、キリアも、そうかもしれないね、と答えた。
華美であるとか、手が込んでいるとは感じない。ごく素朴な工作だ。
人間や、植物、鳥などが彫り込んである。丁寧だが、職人がこしらえたものとは思えない。また、同じような特徴を備えた模様が連続していることから、最初につくった雛形をもとに、なんらかの方法で繰り返し彫り込んだのだろう。
「なんだか、トウカが大事にしていたお皿の模様みたいだね」そう、キリアが言った。
すこし申し訳なさそうな様子からして、トウカの皿を壊してしまったことを思い出したのだろう。
これまでの無機質な空間とは異なる環境。ユウリは、ここならば確かに『精神』にも出会えるかもしれない、と思った。
門扉の前で、ガーシュインが把手を確かめている。
「……さて、これはどうやって開けたものかな。施錠されているようだが、アクセスするためのポートがない。何に反応するのか……」
アクセス以前に、その小さな把手は、ガーシュインの大きな手で開閉するのは難しそうだった。
「私が試してみる」と、ユウリ。
ガーシュインに代わって、扉の前に立つ。子細に見ても、鍵情報を入力するための端末もなく、ただ把手が突き出ているだけだ。
ユウリは把手に手を添えた。
(……!)
弾かれるような衝撃が指先に走ったものの、手を離すことができない。まるで吸い寄せられているようだ。
「なんだ、これは……」
まるで、手を触れた部分から、ごく小さな何者かが侵入し、内部を探っているかのような違和感。この感覚には、覚えがあった。
そう。これは、ベリテーに精神を吸われたときの感じだ。
彼女の唇が、自分の首筋に触れたときの……あの瞬間!
だが、その感触が続いたのは、おそらくはほんの数秒だったのだろう。気がつけば、ユウリは把手から離した指を、ただ見つめていた。
肉体が欠け落ちてはいない。精神も……おそらくは、無事。
「だ、大丈夫かい?」と、キリアが心配そうに呟く。
「……たぶん、大丈夫だから」と、ユウリは答えた。
ふたたび把手をよく見てみる。上部のパネルには、「通行可能」を意味する文字が浮かんでいる。とても幾何学的な字形。ユウリたち人間が示す文字とは、まったく異なる雰囲気だ。
ユウリは扉を開けた。内部空間の照度は、回廊内よりも、さらに暗い。
そこに足を踏み入れる。キリアとガーシュインも、それに従った。
まるで薄闇に包まれたような空間だ。だが、足音の響きようから察するに、ここもまた広大な空間だと確信する。
周囲には、まるでまばらに並んだ華燭のように、オレンジ色の弱々しい点光源がまたたいていた。その光源に沿うように、何か、やや大きなものが壁ぎわに並んでいる。オレンジの光は、一様に明滅を繰り返していた。これはなんの光だ?
ユウリは、ゆっくりと進む。闇に目が慣れるまでは、もうしばらくかかる。機械たちならば、瞬時にして暗闇を見通すことができるのだろう。
不安感から、知らぬ間に歩幅が小さくなっている。足音も、気がつけば、まるで忍び足のように弱々しい。怖がっているんだ、と、ユウリは自分自身の感情を確かめる。
しかし、不意に響き渡る声があった。
「どうした? ここまで来た『人間』が、何を怖れている?」と。
ユウリはびくりと身を固くした。そして、声の源を探る。
「誰だ」と、ユウリは強く訊いた。
返答はなく、ただ正面から、硬い足音が響いてくるのみだ。
やがて、ユウリの正面に、何者かの輪郭が浮かび上がった。
その姿は……人や、ナイマ達のような『機械』とは異なる、大柄で、ごつごつとしたシルエットだ。
(ガーシュインに、似ている)
その姿がはっきりとしてくると、まさしくその姿はガーシュインと同類のようだった。
この空間の暗さのせいで、色合いはわからないものの、わずかな光でさえも反射するほどに磨き上げれられた身体は、おそらく白銀だろう。ガーシュインの装甲は、艶の乏しい赤銅色で、まさに戦闘機械の風合いがあるが、正面の機械が身にまとう装甲は、細部の意匠も凝っており、まるで典礼に備えた騎士のようだった。
ユウリ達からやや離れたところで、その『機械』は足を止めた。
声をひそめて、ユウリはガーシュインに訊いた。
「あれは、あなたの仲間か?」
だが、ガーシュインは「いや、あれは違う」と答えた。
「姿かたちは我々と似ているが、かの者の識別信号は、たしかに『地上の者』たちに属している」
ガーシュインの指摘に頷いたのは、『機械』のほうだった。
「そのとおりだ。私はこの階層を守護するために、ここにいる。昆虫……蟻の社会にも、働き蟻がいれば兵隊蟻もいる。私は、外敵に『勝つ』ことのみを目的としている」
生粋の門番、というわけか。ユウリはその姿を確かめる。
武装は、長剣を佩くのみだ。ガーシュインの剣ほどに無骨ではないが、あれもおそらくは、キリアのナイフと同じように、恐るべき切れ味を秘めているはずだ。
「──私の名はゼムカだ」と、その機械は名乗った。
「私はユウリ。ここにいるキリアの護衛だ」
ユウリの傍らから、キリアが一歩進み出る。
「僕はキリア。ゼムカ、僕たちはあなたにとっての『外敵』かい?」
キリアが訊くと、ゼムカは答えた。
「下層の者たちから、君たちがなにを求めてここに来たのかは聞いている。君はここに家族を捜しに来たのだったな」
「そうだ」
「──そうか。そうだな。しかし、上層へ昇るための階段は、ここで終わりだ。つまり、ここが行き止まりということになる」
「……でも、僕たちが歩いた距離は、どう考えても、『脊柱』を登り切るほどのものじゃない。いまは、嘘はやめてくれ」
キリアの苛立ちを、すぐそばでユウリは感じていた。
ここが最上階で、あるものか。『脊柱』は、雲をも貫く高さだ。
ユウリはガーシュインに訊いた。
「ゼムカの話は、ほんとうなのか?」
だが、ガーシュインは首を振る。
「我々『地下の者』には、もはやこの階層の情報は備わっていない。焦らず、話を訊こう。もし話がこじれて争いになったら、私がおまえたちを守る」
そう言って、ガーシュインは大きな手をユウリの肩に置いた。まだ出会ってそれほどの時間は経っていないが、ガーシュインの冷静さは、とても頼もしかった。
「そう、だね。ありがとう、頭が冷えたよ」
あらためて、ユウリはガーシュインに向き直った。
「たとえ道は途絶えたとしても、ここより上にも、まだ何かあるだろう。そうでなければ、あなたがここで『守る』必要があるはずもない。門番は、王様のところにはいてはいけない」
ユウリの言葉に、ゼムカは「確かに、な」と頷いた。
かれの装甲がきしりと軋んだ。
「――おまえたちは、この塔を『脊柱』と呼ぶ。では、脊柱の上には、なにがあると思う?」
ユウリは言った。「問答は嫌いだ」
しかし、傍らのキリアは、ぽつりと言った。「僕の背骨が支えているものは……頭、だな」
キリアの言葉に、ゼムカは頷いた。
「そうだ。難しく考えることはない。脊柱……背骨の上にあるものは、頭脳だ。そして、頭脳に向かうものはなにか」
再び、キリアが答える。
「精神だ」
「人間にとってはそうだろう。機械にとっては、情報信号か。……なんにせよ、そこに至るものは、外界にあるがままの姿では、けっしてそこにたどり着けない」
ゼムカの口上を聞いていて、ユウリはだんだん苛ついていた。
そして、言った。
「いい加減にしろ! くだらない問答で時間を取らせるな。この上には何があって、そこに行くためにはどうすればいいんだ! 答えろ!」
最後には、まるで叫ぶような言葉となっていた。なぜ、そこまで怒りを覚えたのかは、はっきりとは分からなかった。だが、キリアがここまで追い求めてきたもの……家族の存在が、ここにきてうやむやにされることが許せなかったし、それにはっきりと怒りを示さないキリアにも、なにかもやもやとしたものをユウリは感じたのだ。
ゼムカは、キリアからユウリに視線を移し。言う。
「……落ち着け。私がおまえたちに知らせるべきことは、すでに述べた。この『脊柱』の、ここより上層。そこは『精神』の領域であり、また、おまえたちは、いま用いている『肉体』を伴ったまま、上層に向かうことはできない。この二点だけだ。この情報をもとにして、おまえたちがどう動くか。決めるんだ」
そう言って、ゼムカはきびすを返して、室内の装置を眺めながら、ゆっくりと歩き出した。その姿は、まるで「おまえたちの決定には興味はない」とでも言っているかのようだった。
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