第18話 働き蜂


 ルクトゥンと別れ、空中庭園を後にしたユウリ達は、さらに上の階層へと進む。


「ガーシュイン、この上には、何がある?」


 螺旋階段を昇りながら、ユウリは訊く。


「この上では……たしか、『地上の者』たちの素体を造っていたはずだ」


「…………」


 素体。『機械』が人間の精神をまとう前の、あの骨格のような姿のことだ。かれらはあの姿で生まれ、そして、人間の似姿を欲する。それは「本能」のようなものだ、と言っていたのは、ナイマであったか。


「おなじ『機械』であるとはいえ、その行動原理は全く別だ。私に分かることは、彼らにも、追い求めるべき『目的』があるということだろう。それを理解すれば、対話の糸口も見つかるはずだ。……そう思うのだが、キリアはどう考える?」


 ガーシュインに問われたキリアは、小さく頷いた。


「そうだね。対話ができるのなら、そうしたい。荒事になれば、たぶん負けるのはこっちだ。さっき会ったルクトゥンが言っていたことが確かなら、あからさまに敵意を持たれているわけじゃないんだ。冷静にならなきゃ、ね。僕らが暴発したら、それでもう、終わりだから」


 ユウリの銃、キリアのナイフ、ガーシュインの剣。

 それだけで道を切り開けるか。無理だろう。

 人間にとっての最大の武器と、最後の命綱。それはいつであっても「言葉」だった筈だ。

 『機械』たちに対話能力が備わっているということは、それを生み出した『何者か』にとっても、どこかで『言葉』への信頼があったということだ。

 言葉と、言葉に説得力を担保する『力』。

 そのどちらもが、これからは必要になるだろう。


「──ここが、次の階層への入口だ」と、ガーシュイン。


 いつのまにかユウリたちは、第一の空中庭園からの階段を昇りきっていた。

 存外短かったな、と思いながら、ユウリはガーシュインの指し示す扉へ向かう。

 把手に手を掛けようとしたところで、銃を構えようかと思ったが、やめた。


 ガーシュインが言う。

「……階層内部のデータは、ルクトゥンから受け取っている。危険はないはずだが、念のため私が先に立とうか」


「……いや、私が先に進む。あなたはキリアの護衛に専念してくれればいい」


 ことに「戦力」としては、ガーシュインは自分よりもはるかに有能だ、とユウリは思っている。かれを事故で失うわけにはいかない。それに、扉の向こうに立つ者が「敵意を持たぬ者」であったときに、銃を手にした自分をどう遇するか。


 銃を下ろすことは、銃を手にするよりも難しい。まるで、何者かに試されているかのようだ。

 ユウリは、銃を構えぬまま、扉の把手に手をかけた。小さな音とともに、ドアは自動的に開いた。

「──ここは」


 思わず、感嘆の言葉が漏れる。

 広大な空間に、整然と生産施設が並ぶ。せわしげに通路を行き来するのは、金属の素体むきだしの『機械』たちだ。かれらはまるで熟達の奏者のように、機器類を操作する。そこから発する音は、まるでミサ曲のように整然と連なって、頭上の空間へと響き、消えていく。


 ここが、『機械』たちの生まれる場所──。


 危険は感じなかった。だが、気圧された。

 ひとつの世界。ここが、この砂漠を統べる『機械』たちの原点なのだ。


「ガーシュイン、あなたたちの眷属も、ここから生まれるのか」


 そうユウリが訊くと、ガーシュインは首を横に振った。


「いや。ここはあくまで『地上の者』たちの生産拠点だ。我らの生産は、地下で行われる。あくまで私も、ここでは『よそ者』に過ぎない」


 そう言って、かれは巨大な生産設備を眺める。ガーシュインにとっても、ここはやはり、心動かされる場なのだろうか。


「ここを抜けなきゃ、上には行けないんだろう? きっとここにも、施設の管理者がいるはずだ。その人に話をつければ済むだろう」


 キリアの言葉に、ユウリも頷いた。しかし、この階層のどこにいるのかは、分からない。知識が欲しい。だが、それを得るためには、どうしても『機械』たちとなんらかの交渉を行う必要があった。


 ユウリは通路を歩き出した。生産設備の多くは自動化されているようで、あたりに立つ『機械』たちの姿は、それほど多くない。ユウリがその脇を通り過ぎると、彼らは硝子球のようなレンズをちらりと向けるだけだ。話しかけてくるわけでもない。その反応は、まるで、よく飼い慣らされた家禽のようだった。


「……このまま、黙って通り過ぎることができるのなら、それでもいいが」


 ユウリはそう呟いて、通路を黙々と進む。たしかにユウリたちは、かれらに認識されている。だが、これといった反応はない。

 しかし、やがて通路の中央に立つ、一体の『機械』と相対した。

 その『機械』は、作業に従事する他の機械たちと同様に、むきだしの素体のままだ。その外観からは、まったく表情を窺い知ることができない。だが、その言葉を信じるかぎりにおいて、敵意はないようだった。

 その者は、ユウリを前にして、言った。必要以上の抑揚のない、伝えることのみを目的とした音声だ。


「──下階層のルクトゥンから連絡は受けている。あなたがたが十分な自制心を持っているかぎり、われわれはあなたがたを排除せずにすむ。そのまま進むといい。必要があれば、私がこの階層の案内をしよう」


 そのことばに、ユウリは頷く。こういった仕草が通じるのだろうか、と思ったが、それを確かめるまえに、交わすべき言葉があった。


「……ありがとう。私たちも同じだ。あなたたちに害意がなければ、銃を抜きはしないつもりだ。ええと……」


 ユウリが名を問おうとすると、その素体はかるく手を振った。


「私に名はない。ここでの任務を終えたら、いずれ名と姿を欲して、人間たちと接触することになるだろうが、今はまだ、そのときではない」


「名と姿、か。今はまだ、というが、いつそれを手に入れられる?」


「いつ、か。……ある期間まで、私たちはこの『脊柱』のなかで、施設を維持するための作業や、眷属のメンテナンス、生産に係る作業に従事する。それが終わったら、『脊柱』の外へと出て、人間から『精神』を得る作業に移る。そうだな、たとえて言うならば、蜜蜂の社会における「働き蜂」のようなものだろう」


 人間の精神を集めては、ここへと舞い戻る。


「では、集めた精神は、どう扱われるんだ」と、ユウリは訊いた。


だが、その素体は、感情表現に乏しい身体を、小さく揺すった。


「……『精神』が、どう扱われるか。それは、私たちの知るところではない。私たちは、己の欲のままに、己にふさわしい『精神』を求め、それを身に装う。そして一部を『脊柱』に捧げる。私だけでなく、あなたがたが地上で会った『機械』たちも、おそらくは、その規則に従って行動しているにすぎない。……『精神』について知りたくば、もっと上へと進むといい」


 聞いてみれば、それはおそろしく単純な話だった。

 まるで、花の蜜を求めて飛び回る蜜蜂のようなもの、と。


 ナイマ、ベリテー、スーラ。彼女らも、いま目の前の『機械』が語った、単純なロジックに基づいて動作しただけなのだろうか。


 そのことについて考えていたときに、背後のキリアが『機械』に訊いた。


「もっと上へ……って、ここより上には、なにがあるんだ? いくら、あなたたちが敵意を示さないからといって、手探りで進むのはやっぱり怖いんだ。もしも『精神』が要るというのなら、僕が支払ってもいい」


 ユウリは慌てて振り向いて、キリアの顔を確かめた。こちらから取引を持ちかけるのには、まったく同意できなかった。


 キリアは、『機械』の反応を伺っているようだ。だが、『機械』は、値踏みをするかのように、顔面の視覚感知器をキリアに向けている。

 やがて、『機械』は音声を発した。


「先ほども言っただろう。私は、まだ取引を行える時期ではない。それに、くだらぬ忠告ではあるけれど、もっと君たちは『精神』を惜しむといい。私たちがそれを欲する気持ちは、君たちの欲望にたとえるなら……美と才能を求めることに匹敵するだろうから」


 その言葉の響きには、隠しきれぬ無念がにじみ出ている。たとえ人の姿をまとっていなくても、かれらにはかれらなりの欲があるのだ。


 とはいえ、ユウリはその答えにほっとしたのは確かだ。情報は欲しいが、これ以上、キリアに「精神」を切り売りさせたくはない。自分自身がベリテーに「精神」を売り渡したときの、あの苦しみを思うならば。


 その言葉を言い終えると、『機械』は「私にはこれ以上話すことはない。では、この階層の案内に移ろう」とだけ言って、この場を離れようとした。


「あ、待ってくれ……」


 と、ユウリはつい呼び止めようとしてしまった。


「──何か」


「いや、色々と教えてくれて、ありがとう。それを言いたかったんだ」


 ユウリがそう言うと、機械は視覚感知器をわずかに明滅させて、言った。


「礼には及ばない。その自制心を保ったまま、先に進むといい」


 あくまで淡々とした返答。戸惑いながら、ユウリは言葉を続けた。


「この塔につくまでに、いくたびか争いがあったんだ。それだけじゃない。過去には、私のいた街では大きな戦争も起こった。……私も、必要のない戦いはしたくないんだ。だから、この塔にいるすべての者があなたのようだったら、かつての戦は起こらなかっただろうに、と思ったから……」


 そうだ。トウカが生命を失いかけ、街に住んでいた多くの者が死んだ戦い。ユウリは伝え聞いただけだったが、その恐怖は、想像するに余りある。対話の余地さえあれば、もしかしたら争いは起こらなかったのではないか。ユウリはそう思ったことを告げたつもりだった。

 だが、『機械』は、そんなユウリの姿をしばらく眺めやったのちに、言った。


「……かつて街の人々と争った『機械』と、いま、あなたがたと話していた私が、異なるものだと思っているのか?」


 予想外の返答に、ユウリは戸惑ってしまった。


「違わないのか」と、背後からキリア。


ガーシュインは、沈黙を守っている。


「同じだ」


そう、その機械ははっきりと告げた。


「まったく変わらない。対話の余地など、いくらでもあった。人間にも、機械にもだ。それに、あなたがたは『自分たちなら、争いを回避できる』と思っているようだが、ならば、あなたがたは過去の人間よりも賢いのか? 過去の人間が、あなたがたよりも愚かだったとでも思うのか?」


「……それは」


 ユウリは言いよどんだ。自分が、ひどく愚かなことを口走ってしまっていたことを知って、頬が熱くなる。

 答えは、分かっていたつもりだった。

 人間は、人間だ。

 確かに、時間を積み重ねることで進歩させうるものはある。

 「経験」を連綿れんめんと伝え繋ぐことによって、人間は新たな局面に挑むことができる。

 こまやかに練り上げた律法によって、人間はおのれの獣性を縛ることができる。


 だが、人間の、心は?


 かつての人間は、いまの人間にくらべて、野蛮で好戦的だったのか?

 いまの人間は、時を経ることで、もとより持っていた心さえも、よりすぐれたものに変化しえたのか?

 そうではない。


 ……人間は、人間だった。


 ユウリは俯いた。

 自分の言葉が、トウカ達をおとしめるに等しいものであったことに、気づいてしまったから。トウカ達が愚かだったから争いが起きて、自分たちには、それを回避するだけの知性が備わっているとでも? 自惚れも、いいところだ。


 だが、そんなユウリに話しかけた『機械』の言葉は、どこか優しい響きを帯びていた。


「……だがしかし、だ。これから、お互いに争うことがないように、私たちは『経験』から学ぶことができる。私たちは、私たちの特質を、あなたがたに余さず伝えよう。あなたがたは、どうか私たちの理解しがたい部分を怖れずにいてほしい。分からないことは、分からないままでいいのだ」


 だが、そこでガーシュインが呟くように言う。


「……それは、おそらくは難しかろうな。『理解できない』ことへの恐怖と嫌悪は、人間の特質だ。それがあるからこそ、人間の進歩は素晴らしく速く、また、そのゆえにこそ、理解しえないものを、概念ごと消し去ってしまおうとする。仕方のないことだ」


 その発言に、『機械』はいらだたしげに身体を揺すった。


「まったく『地下の者』たちは、単純で良いことだ。ただの守り手。ややこしいことに触れぬまま朽ちていけるのだからな」


そう言って、機械はユウリとキリアをかえりみた。


「……悪かった。べつにあなたがたを責め立てるつもりはない。どうか、このまま先へと進んでほしい。危険と恐怖を乗り越えてまで『理解』しようとすること、それが人間の特質だから」


 ユウリは無言で頷いた。

 キリアは、すこし考えたのちに言った。


「ありがとう。でも、僕が上を目指すのは、そこまで難しい話じゃないんだ。僕の両親が、この先にいるかもしれないから。それだけなんだ」


 だが、その言葉に、機械は「──そうか」とだけ呟いた。


「私が、より高度な情報にアクセスできれば、それを全て伝えてやりたいのだがな」


「いや、それは自分で調べるよ」と、キリアは言った。


「そうか。では、私が話せることはこれで終わりだ。案内はいるか? ……とはいっても、この通りをまっすぐ進むだけなのだが」


 機械の申し出に、ユウリはかるく首を振った。


「いや。もう大丈夫だ。本当にありがとう。仕事の邪魔をして、悪かった」


「あなたがたの求めるものが、上層にあると良いな」


 そう言い残して、機械は生産施設の間に消えていった。

 かつん、かつん、という、軽金属が床面を打つ音とともに。


 そのときユウリは、この空間に存在する音に、ふたたび意識を向けた。

 どこかで響く、金属を加工・切削する高周波音。ごく精密なモーターから発せられる小さな唸りは、なめらかに音程を変化させつつ虚空へと消えゆく。

 規則的な周期で発せられる、音。

 それは、彼らにとっては、母の心音のようにも聞こえるのだろうか──。

 そう、ユウリはふと思った。とりとめもない空想ではあったが。


 ここは、『機械』たちの肉体を育むところ。

 その精神は、きっと、この上にある。

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