第17話 トウカと二輪車
集落のはずれに、ベーキズ翁の作業所があった。石造りの簡素な建物のなかで、翁はいつも銃砲の整備をしていた。
その外で、トウカと、ユウリが勤める警衛隊の隊長は、翁が出てくるのを待っていた。
「しかし、トウカよ」と、隊長。
「今からおまえが『脊柱』に向かったとして、それがなんになる? ユウリは利発な子だ。危険が分からぬほど愚かではないぞ」
ごつい顎にはえた髭をいじりながらそう尋ねる隊長に、トウカは腕組みをしながら答える。
「……うん、それは分かっているの。でもね、ちょっとくらいお節介したっていいと思うの。できれば……あの子たちには、あんまり怪我してほしくないもの」
そう言って微笑んだトウカ。その笑みは、顔にまで至った傷のせいで、すこしひきつったように見える。そのいびつな微笑みを見て、隊長は、そうだな、と返事をした。
「とくに、ユウリね。あの子は、今はあんなお転婆だけど、あと二、三年もすれば、きっと美人になるわよ。だから、何事もなく勤めを遂げさせてあげたいの。で、この街で最高の花嫁にしてあげたい」
「それが、先輩としての務め、というやつかね、トウカ。先代の隊長のもとで、お前がどんなに頑張ったかは聞いている。そして……」
「どうして、こんなざまになったか、もね」と、トウカは寂しそうに言う。
「悪かった。だが、その傷は、『機械』どもから皆を守ろうとして受けた、名誉の傷だ。それに、お前の美しさは損なわれていないと、俺は……思う」
「……ありがと。でも、これだけは忘れちゃいけない。私たちは、『機械』たちに攻め込まれたんじゃない。あのとき、私たちは恐怖と欲望に突き動かされて、『機械』たちを、攻め滅ぼそうとした。そして、返り討ちにされただけのこと」
「…………」
警衛隊長は黙りこくった。かつての戦の真実。『機械』たちに咎はなく、われら『人間』が、一方的に戦をしかけたのだ、ということ。かれがそれを知らぬはずがない。
そのときの人間に、どれほどの理があったのだろう。いや、戦に理などはいらない。いるのは力だけだ。だが、あのときの人間には、力すらもなかった。
劣った者が、優れた者に無策のまま挑み、負けた。それだけのこと。
多くの者が死んだ。たまたま死ななかった自分がどう扱われたのか。トウカは、その記憶をゆっくりと解き明かした。
──あのときの記憶は、いつも砂塵のなかから蘇る。
戦場。吹きすさぶ風のなか、周囲に転がるのは、切り刻まれた死体。そうだ。『機械』たちは、銃砲を使いさえもせず、たやすく人間のふところに斬り込むことができた。
(ああ、まるで私たちは人間は、雑草かなにかのようだ)
トウカはそう思った。あまりにも、あまりにも容易に、かれらは人を薙ぎ倒した。
そのとき、トウカははっきり理解した。
(かれらには、触れてはいけなかった)
圧倒的な力量差、という言葉では説明しきれない。触れ合うことが「敗北すること」。そうルールとして定められているかのような明白さだった。
ただ一撃で打ち倒され、砂漠に伏したトウカは、貌のない『機械』たちに囲まれた。彼らは、まるで野生動物が餌に群がるかのように、トウカの『精神』を奪い取った。肉体の外殻たる精神を奪われたことで、トウカの肉体はほとんど崩壊しつつあった。
だが……その群れのなかの一体の機械が、同胞達をおし留めていた。
その機械は、思考力を失いつつあったトウカに、ただ一言、告げた。
「わたしは、お前を、生かしたい」
「…………」
その言葉を、当時の自分がどう受け止めたのか。トウカはもう覚えていない。
だが、その理由は、のちに知ることとなった。
「執着」。その機械は、他の者よりも、なお深くトウカの精神を欲した。
ゆえに、殺さなかった。殺さず、生命の限界まで「精神」を絞り尽くしたのちに、すぐれた技術によって肉体の崩壊を癒した。かれらがひとを「癒す」こと。それは、彼らの「精神」を注ぎ込まれることだ。その精神がどのように作用しているかは、分からない。ただ言えることは、いまのわたしは、あのときのわたしではない。
そんな「機械」の作為によって、かろうじて一命をとりとめたこと。
……生きていること、生かされたこと。それ自体が、己に刻まれた、けして癒えぬ傷だ。
──その傷が、砂嵐のなかで疼くのだ。
(生かしておいたことを、後悔させてやる)
あのときに呟いた、あまりにも陳腐な誓い。その言葉はまだ己のなかに生きている。
いまも鮮明に思い出せる、痛みと、怒りと、……恐怖。
ことに恐怖だ。呪いのように心にまとわりつくこの感情を、かなうならば、解きはなってしまいたい。
だが。その言葉を封じて、どうして教会で「争いを捨てよ」などという言葉を掲げるようになったのか。
それは、その言葉が、「理想」などではなく、どこまでも深く現実に根ざした「処世術」にほかならないからだ。
──争うな。奴らは、思いつきで喧嘩を売るには強すぎる。
内なる闘争心、探求心を殺すことを示すことで、手に入れるものは……平穏。
それこそが、実利なのだから。
かたく唇をひきむすび、黙りこくってしまっていたトウカに、いつからか警衛隊長が心配そうなまなざしを向けていた。ごつい輪郭の顔のなかに、まるでちんまりとした宝石のような、優しげな瞳が光る。トウカは、この男のやさしい目が好きだった。
「……すまんな、昔のことを思い出させてしまった。だが、ユウリ達を助けたいがために、お前がまたつらい目に遭いはしまいか、それだけが気がかりだ」
しかし、トウカはつとめて明るい声を出した。
「なあに、大丈夫よ。わたしがしたいのはね、もしあの子たちが無茶をしそうだったら、ふんづかまえて戻ってくることなんだから。……でも、ありがとう。あなた、むかしは弱虫だったのに、いい男になったわね。また今度、教会にいらっしゃい。あなたが子供のころに大好きだった、蜂蜜とバター入りのパンを焼いてあげるから」
「昔のことを言うのはよせ。だが、お前が無事に戻ったら、そのときは招待にあずかろう」
「それは楽しみね」
そう言い終えたとき、作業所の奥で、ひときわ大きな物音がした。
そののちに、入口から、大きな機械を伴ってベーキズ翁の姿が現れた。
「それ、待たせたな。こいつを走らせるのも、久方ぶりだ」
その機械は、大型の二輪車だった。
大柄ではあるが細身の車体。エンジンからは、中間部で膨らんだ排気管がうねるように後方へと伸びている。すらりと長い前後サスペンションと、ごつごつとしたブロックタイヤは、不整地を走るためにこの二輪車が作られたことを物語っている。
ベーキズ翁は、その二輪車をトウカの前で停めた。間近で見ると、座席の上端が、トウカの腰よりも高い。おもわずトウカは呟いた。
「……大きいわね。これ、わたしに乗れるの?」
その言葉に、ベーキズ翁はううむ、と唸り、答えた。
「いちど跨ってしまえば、あとは着くまで走るだけだから大丈夫だろう。なんにせよ、この街にある、エンジンのついた乗り物は、この一台きりだ。乗りこなしてみてくれ」
「了解」
トウカはステップに足を掛けて、まるでよじのぼるようにして跨った。この腰高な車体は、荒地で車体底部が接地しないためのものだ。トウカの背丈では、両の爪先がやっとつくほどだ。
横で不安そうに見ていた隊長が訊いた。
「トウカ、これまでになにかを運転したことはあるのか?」
「前の戦のときに、四輪車なら。二輪車は初めて。……これ、左足で変速して、左手がクラッチね。じゃ、まずエンジンをかけなきゃ。よいしょ」
トウカは気化器のチョークを確かめたのちに、右足でキックレバーを起こし、踏み下ろす。踏み込みは重かったが、よく整備されたエンジンは、数度のキックで始動した。
低く、不揃いな爆発音が連なる。大排気量2サイクルエンジンの音だ。振動も大きく、ハンドルを握る両手が、すぐにしびれてしまいそうだ。
その様子を見て、ベーキズが言う。
「エンジンの状態はまずまずじゃな」
激しい振動に晒されながら、トウカはユウリのことを考えていた。
(障害無く、まっすぐに向かっていたとしたら、もうあの子たちは『脊柱』に着いている頃。……急がなきゃ)
そんな焦りを見抜かれたのだろうか、傍らの警衛隊長が言う。
「トウカ、二輪車で砂漠地帯を渡るときは、しっかりと後輪に体重をかけて、アクセルの加減は丁寧にしないと駄目だ。……焦るなよ」
トウカは笑みを作り、答えた。
「ありがと。やっぱり、焦ってるのって人にも分かるのね。……大丈夫。気をつけるわ」
そして、トウカはアクセルを捻りつつクラッチを繋いだ。
排気管からは、まるで獣が吠え立てるような音が轟く。有り余るエンジンの出力が、前輪をふわりと持ち上げる。
(ユウリ……)
トウカを乗せた二輪車が、いま走り出した。
──『脊柱』のそびえたつ、砂嵐のさなかへ。
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