第16話 命の残滓


 『脊柱』を貫く、長い長い螺旋階段を昇る。


 上へ、上へと廻りながら、無心に踊るピルエットのように。

 三人を包む円筒の内壁には、各階層を示す光像が瞬いている。ただそれだけが、自分たちが「目的」に向かっている、という実感を与えてくれる。


 途中には、各階層へとつながる通路も見えたが、ガーシュインはそれらをすべて無視した。

 調べなくていいのか、とユウリは訊いた。彼は小さく頷いて、答えた。


「その先は、『地上の者』たちの整備施設だ。いまの我々には関係ない」


 ここが整備施設ならば、とユウリは考える。傷ついたナイマも、ここで身体を癒したのだろうか。あの危険きわまりない『機械』が。


 やがて三人は、ひとつの扉の前に至った。

 その巨大な扉には、ごく短いエピグラフが刻まれていた。

 ユウリは、ベリテーから受け継いだ記憶を頼りに、その語句をゆっくりと読み解く。


「──第一の空中庭園。ここより広がる。ここに集まる」


 広がる? 集まる? 何が、というのだろう。ユウリはキリアとガーシュインを見た。

 キリアは、困ったような顔をして、顔を横に振った。何もわからない、という仕草。

 ユウリはガーシュインを見た。兜のような貌のなかで、瞳がちらちらと瞬いた。


「……空中庭園、か。この階層、私の記憶では、ただのバルコニーに過ぎないはずだ。怖れる必要はない。階段がここで終わってしまった以上、扉の先に進むより他に途はない。行こう」


 そう言って、ガーシュインは扉を開き、空中庭園に足を踏み入れた。


「──なるほど、空中庭園、か。確かに、見晴らしはいいな」


 ユウリは呟いた。外壁は、透明度の高いガラスのようだ。視界が急に開けて、空の青さをはっきりと認識できる。思っていたよりも視点が高い。地上からはおよそ五十メートル。地上にあっては奔流のように激しかった砂嵐も、ここには及ばない。だが、外から見た『脊柱』の偉容は、雲をさえ貫く高さを誇っていた。あとどれほども昇れば、頂上へと辿り着けるのだろう。


 警戒しつつ、三人は周囲の様子を窺った。

 ガーシュインが正面に立ち、その背後からキリアが視線を走らせている。ユウリは後尾を守る。

 室内には、正面に構造物がひとつ。外縁には、青々とした植物が活けてある。

 拍子抜けするほどに、穏やかな光景だ。

 ガーシュインが、呆れたように言った。


「正直なところ、『地上の者』たちは、ここを守る気があるのかね? 侵入者を迎え撃つには絶好の位置だというのに。我らの守備する地下は、もう少し堅固だが」


「私も、ここには『機械』たち……『地上の者』が、もっとたくさん詰めているものだと思っていた」


 そうユウリが呟くと、キリアも頷いた。

 そう。ここまでの道程が、あまりに安易すぎた。

 『脊柱』のなかに入って、遭遇したのはスーラのみ。ナイマやベリテーもなりを潜め、その他の機械たちも、まるで無視するかのように、なんの接触も仕掛けてこない。


 このまま、誰にも遭わずに昇れたら──。


 そう思いながら、ユウリはガーシュインが歩き出すのを待った。

 だが、彼は動かない。


「ガーシュイン?」


 ユウリが訊くと、ガーシュインは、黙って前方を指さした。

 そこには、まるで作業机のようなコンソールに向かって、なにかの作業をしている者がいた。女のようだ。肩口で短く切り揃えられた栗色の髪に、白い肌。空色の衣服は一分の乱れもない。両眼には、眼鏡のような、繊細なフレームを装着している。ナイマやベリテーとは、身にまとう雰囲気が全く違う。「荒々しさ」が、ない。清潔そうなその姿を見ると、自分たちが「地べたを這う者」であることを強く意識してしまう。きっとここには、一粒の埃だって舞ってはいなかっただろう。われわれが来るまでは。


 その女が、コンソールに落としていた視線を上げた。ごく自然な所作で、顔から眼鏡状の器具を外す。


「──お客様ね。もう誰も来なくなって久しいから、どうおもてなしすればいいのか、忘れてしまいそうね」


 そう言って立ち上がった女の身体に、ユウリは素早く目を走らせる。武器の類は、身につけていないようだ。体格は、ナイマやベリテーと同じほど。おそらくは、『地上の者』たちは、その骨格が同一なのだ。


「……もてなしは求めていない。私たちは、ただ上に行きたいだけだ」


 ユウリがそう告げる。その女は、ただ一言、微笑みとともに答えた。


「どうぞ」


 拍子抜けするような返答。ユウリはそれに頷くことなく、問う。


「それは、あなたひとりの意思か、それとも、『機械』たち全員の総意か」


 女は、しばし目を瞑り、考えるようなしぐさをしていたが、やがて口を開いた。


「総意、とは言えないわ。ごくわずかではあるけれど、あなたがたの意思に沿わないものがいる。そして、大多数の者は、とりたてて関心を示していない。私も、この整備区画の管理者にすぎないから、あなたがたが先に進むのを、ことさらに阻むつもりはないわ」


「無関心、ということか。正直、訳が分からなくなっているんだ。ええと……」


「ルクトゥンよ。あなたは?」


「ユウリ。一緒にいる大きいのがガーシュイン、小さいのがキリアだ」


 その紹介に、ガーシュインは不満そうに呟く。


「ぞんざいな紹介だな」


 キリアも、拗ねたように言う。


「ぼくが小さいんじゃなくって、ユウリが女の子のわりに大きいんだよ」


 キリアの最後の一言にわずかに心乱されたが、気を取り直して、ユウリはあらためてルクトゥンに訊いた。


「……そう。無関心さだ。どうして、私たちをそこまで捨て置けるのだろう。この塔……『脊柱』は、侵入者を放っておいてもいいくらいに、無価値なところなのか?」


 ユウリの問いに、ルクトゥンは即座に首を振った。


「まさか。ここは、わたしたちの城塞にして、かつてあなたがたの先人が築いた「知識」の宝庫。とくに、知識……これを無価値と呼ぶことは、あなたがたの先祖に唾つばするも同じこと。あなたなら、きっと価値が分かるはず」


「……失礼した。無価値などとは、もう二度と言わない。それに、ここには、キリアの両親がいるのかもしれないんだ。だから、ここの設備を損ねるつもりも、無益な戦いを起こすつもりもない。このまま通してくれればいいんだ」


 ユウリの言葉は、最後には請願になっていた。ルクトゥンは、ユウリの言葉を静かに訊いていたが、やがて、小さく頷いた。


「そう、そこの男の子の両親がここにいるのかもしれない、と。……でも、残念だけど、私には最上階のことは分からないわ。自分の職責を超える知識にアクセスするには、『資格』が要るもの。知りたくば、もっともっと先に進みなさい」


 と、ルクトゥンは「上」を指さして、微笑んだ。ユウリは頷く。


「……それで、だ。ここから上に進むには、どうすればいいのかな?」


 その問いに、ルクトゥンはくるりと半回転して、キリアに行く先を示す。


「この先に、また螺旋階段があるわ。あなたたち『異物』が侵入したことで、エレベータの作動はロックされてしまったから、先へ進みたいのなら、その二本の足で進みなさい」


 その言葉に、ガーシュインが首をひねった。


「……貴様たち『地上の者』の発言は、理解しがたいな。進むことを拒みはしないが、ひと飛びに頂上へと向かわせはしない……と」


 そんな疑問に、ルクトゥンはくすくすと笑った。


「さっきも、すこし触れたかしらね。ここは、人類が築いた『知識』の宝庫。頂上に辿り着くまでの間の、ささやかな展覧会を楽しみなさい、ってことね」


「……我ら『地下の者』は、人間が目的地に辿り着くまで、守り抜くのが務め。余所見をする暇など、あるものか」


「そういう単純なロジックで動けることって、すこし羨ましいわ」


 そう言って、ルクトゥンは目を細めた。そんな彼女を見て、ガーシュインは身じろぎをする。甲冑がぎしりと軋んだ。


「機能を果たしうるかぎりにおいて、論理は単純であるほど堅牢だ」


「そうね。だから私たち『地上の者』は、あなたがたより弱い」


 そう呟くルクトゥンの顔には、人間には窺い知れない翳りが見える。『機械』たちも、彼らなりに考えるところがある、ということだ。それはユウリが言葉を差し挟むべき筋のものではない。そう、思った。


 ユウリは手にしていた銃を背負い直した。


「……では、先に進ませてもらう。いろいろと教えてもらって、助かった。感謝する」


 ルクトゥンは、ユウリの言葉に頷き、微笑んだ。


「行ってらっしゃい。この塔は、あなたがた人間によって解き明かされるのを待っているから」


 別れ際に、ユウリはあることに気づき、訊いた。


「ルクトゥン。あなたも、誰かの『精神』を吸ったのか?」


 ルクトゥンは、机から眼鏡を取り上げようとした手を止めて、ユウリを見る。


「……そうよ。私たち『地上の者』は、ひとの精神に、どこまでも憧れるものであるから。私もそう。あなたがたが血と本能に抗えないように、私たちも、定められた設計思想から逃れることはできない」


「その誰かを、殺したのか」


「いいえ」と、ルクトゥン。


「この精神の主は、知識を求めていたわ。この世界を解き明かすための答えを。だから、私は、私が知るかぎりの知識を売り渡した。かれからは、すこしずつ、すこしずつ、その清新な心を受け取った。けしてその心と生命を損なうことがないように」


「その人は?」


「もう、遠い昔のこと。人の寿命は短いから、かれも土へと還ったことでしょう。でも、私はその残滓でしかないにせよ、かれの精神は、ここに残っている」


 言いながら、ルクトゥンは己が掌を見つめた。まるで宝物のように。

 そして、呟く。


「……だからかもしれないわね。あなたがたを応援したくなるのも」


「…………」


 ユウリは何も言わなかった。ただ、一礼した。頭を上げると、どこかでわだかまりが消えたような、ルクトゥンの淡い笑顔が見えた。

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