第15話 断章・教会

 ──今日も、砂まじりの風が強い。


 この町から遠く離れた砂漠地帯、『脊柱』の領域から吹いてくる風だ。

 『脊柱』。その近辺だけは、まるで生体の侵入を拒むかのように、乾ききっている。

 そうだ、ヒトは、水のあるところで平和に暮らしていけば、いい。


(……ね、ユウリ)


 だから、早く帰ってきてね。トウカはそう呟いた。



 早朝の掃除を終えて、街の人々がここに訪れるのを待つ。

 空を見上げれば、薄曇りが薄膜のように広がっている。

 こんな日には、心が落ち着かない。

 そんな時には、込み入った話でなくてもいいから、誰かと話していたい。


 ここは『進化教会』。

 大げさな名前ではあるけれど、要は、街の人々の集会所だ。

 集まり、語らい、ひとときの心の暖をとる。そんな暖かさが集まって、ここで暮らす孤児たちは安らぐのだ。


(私も含めて、ね)


 この教会にも、かつてはさまざまな教義があったのだろう。

 しかし、長い長い時間の砂によって磨かれて、「誰が」「何を」語っていたのか……ほとんどのものが消え落ちてしまい、ただひとつ残ったものが、この言葉だ。


『争いを捨てよ。』


 それは、人と人との争いを指して語られた言葉か。

 いや、とトウカは思う。

 機械……彼らとの争いも、きっとそこには含まれているのだろう。


 だけど、と、トウカは己の腕を見る。刻み込まれた傷跡が、いまもしらじらとまとわりついている。

 機械たちのこと。その出自は、もはや歴史の砂に埋もれてしまい、なにも分からない。

 だけど、この傷は覚えている。彼らと戦い、負けたことを。いまも、ときおり疼く。


(人間は……いや、私は、彼らへの恐怖と憎しみを忘れることができるのだろうか?)


 幾度も繰り返される自問。だけど、答えは見つからない。心の奥底に残る怒りと怖れが、いまもふつふつと根付いていることだけは確かだけれど。

 でも、とトウカは思う。

 憎しみあった当事者が和解するのは難しくても、その子らの世代なら、もしかしたら平和な時代を築けるのかもしれない。

 それこそ、年長者の「教え」などにとらわれることなく。『争いを捨てよ。』などという、ありふれた箴言に言われるまでもなく。


(ね、ユウリ)


 トウカは心の中でそう呟くと、小さな決断をした。

 ──しばらく、この教会を留守にしよう、と。すこしだけ、自分のわがままで時間を使おう。……あの子たちを、あの子たちの未来を、つまらぬ危険から守ってあげたい。

 子供たちがいずれ手にする、ここでの「ひとときの安らぎ」を、もっと確かな、いつまでも続くものにするために。


 ユウリ、キリア。あの子たちを守るために受ける傷ならば、きっと痛くない。

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