第5話 人の牙

そして、数日が過ぎた。



 ユウリは、診療所のベッドにいまも横たわる彼の覚醒を、ただ待っていた。

 待つ、という局面は、ひとのさまざまな行いにおいて、必ず必要となる。

 時間とは、薬室に込められた銃弾のようなものだ。その雷管を叩く何らかのきっかけがあればこそ、弾丸たる現実は、はじめて有効に作用する。


 いまの私は、発火を待つ銃弾だ。そう、ユウリは思った。

 だから、いざ機会があらば、最善の行動をとらなければならない。

 失敗……不発、暴発は許されない。そのための、訓練であり、整備だ。



 いま、ユウリはベーキズ翁の前にいる。

 銃砲工房の技師である彼の手指は、それそのものが、さながら使い込まれた工具のようだ。

 ユウリの銃の機関部を分解し、銃爪の周辺を組み立てていく一連の動作は、全くよどみない。


「特に問題はないのう」と、ベーキズ翁。


「ありがとうございます」


「あとは弾丸じゃな。どういう弾がいい?」


「……また、近く『機械』たちの領域に行くことになりそうです。だから、彼らの装甲を射抜ける弾を下さい」


 機械、とユウリが口にすると、ベーキズ翁は髭の奥の口元をすこし歪めたようにも見えた。


「機械どもを射抜ける弾か。……そうじゃな、鉛のなかに、鋼の弾芯を鋳込めば良いだろう。そして、強い装薬で鉛が溶けぬよう、表面をまた別の金属で包む。手間はかかるが、当てになる弾になるはずじゃよ。……用意しておくよ」


「ありがとうございます」


「なに、こうして無事に生きて帰ってきてくれれば、それがいちばんいい。……いやな、それより、奴らに手出しをしないのが、一番じゃよ」


「…………」


「十年前の戦でも、同じような弾をいくつも作った。それは、確かに奴らの装甲を撃ち抜き、倒したものよ。……じゃが、それでも負けたのは人間じゃった。奴らはの、わしらが無くしてしまった昔の技術を、いびつではあるけれど、いまも伝えている。この世界では、劣っているのは……わしらのほうなんじゃ」


「……爺様、私は戦争をしにいくわけではありません。でももし……もしです。私の前に現れた『機械』が、真に倒すべきものであったなら、撃つ。そのときに頼りになるのは、爺様の銃と弾なのです」


 ベーキズ翁は白髭に手をやって、渋面をこしらえた。

 ユウリはその手を見る。欠けた指は、半世紀も前、まだ彼が未熟であったころに、弾丸を暴発させてしまったり、自動工具で飛ばしてしまったりしたものだという。そうやって鍛えに鍛えた技術をもってしても、なお及ばぬものが、あの『脊柱』にある。ならば、青二才の私に何ができる?


 ──劣っているのは、私たちのほうだ。ああ、わかっている。


 だが、敵に対峙したときに、己の劣勢を嘆くことは無意味だ。

 機械。まごうことなき、人類の天敵……。


 ベーキズ翁は、もう何も言わなかった。かわりに、ユウリの銃の細部を確かめていた。

 彼の右手が、銃の槓桿こうかんを引き、戻した。その動作に追従するかのように、排莢はいきょう口を泥から守るカバーが、なめらかに作動した。作動のたびに、澄んだ金属音が響く。最高の状態だ。

 のちに、銃身の被筒を掴み、横の止金を外しながら、弾みをつけて振る。すると、銃身の真下に備わった銃剣が、わずかなぶれもなく、正確に振り出された。


 磨き上げられ、研ぎ澄まされた刀身。これはベーキズ翁の作ったものではない。この集落の、最高の鍛冶師が鍛えたものだ。


 ユウリはそれを見たとき、なぜか微笑んでいた。いまはそういう場面ではない、とは思う。だが、目の前には、最高の技師によって、最良に保たれた道具がある。


 ──これが、私の力だ。


 そんなユウリの表情を見て、ベーキズ爺は少し困ったような貌をしていたが、やがて、こう言った。


「こいつがな、お前さんを守ってくれればいい。そう、願っておるよ」と。


 そして、彼もまた微笑んだ。



 + + +



 「進化教会」とは、考えてみればずいぶん不思議な名前だ。


 進化とは、獣と人との間に連なる、種々の変化を刻む階梯かいていを意味するのではなかったか。未来にあるべき現実を描きだし、そこに至るために、自分自身を変えていく。それが、進化というものだ。


 獣から人へ、そして、その先へ。


 ……だが、なにをもって「進化した」と判断するのか。

 それについて、教会は、ごく単純な指標を用意した。


 「争いを捨てること」だという。


 ユウリは、ものごころがついたのち、はじめてその教義を耳にしたときに、どんな表情をしたらよいのか分からなかった。

 教えてくれたのは、若き修道女であった頃のトウカだ。

 幼心にも、それがおそらくはとても難しいことだと悟った。


 なぜなら、それを語るトウカの、傷痕だらけの顔が、とても曇って見えたから。



 ユウリは、ベーキズ翁の工房の裏手で、受け取った銃の試射をしていた。


 盛土に置いた的まで、距離はおよそ二十メートル。

 照準の調整はすでに済ませてある。

 銃を構え、銃床に右頬を預け、銃身をしずかに標的へと向ける。


 ユウリの視線は、凹形の照門を経て、銃口の照星を経由し、まっすぐに的へと注がれる。

 そのまま呼吸を落ち着け、砂時計の砂が流れるように……銃爪を引く。


 銃声。


 その音は、射場の外へも響いただろう。

 そして、続けて数発を放ったのちに、ユウリは的を確かめた。

 若干、弾着にばらつきがあった。だが、これは銃の精度が悪いのではない。

 自分自身の雑念が、照準を乱しているのだ。


(気負い……か)


 ああ、分かっている、とユウリは呟いた。

 人間と機械たちが争ったのは、まだ記憶も定かではない十五年前。

 そのときの凄惨な状況など、いまさら知るよしもない。

 だが、その戦いの傷痕は、もっとも身近なところに刻み込まれている。


 ──トウカの、その身体に。


 かつての争いについて、彼女はなにも語らない。当時の痛みも、燃え上がる復讐心も、まるで聖堂の奥に仕舞いこんでしまったかのように。

 復讐を代行してやりたい……とさえ、思う。

 だが、こんな気持ちを抱えていることは、トウカには内緒にしておきたかった。


 心を鎮め、その時に備えて──。


(撃つ)


 ユウリは銃爪を引く。

 音高く銃声は響き渡り、放たれた訓練弾は、あやまたずに的を射抜いた。

 ユウリが銃を下ろした後も、右手には発砲の余韻が残っているようだった。

 そうだ。心のなかの黒いわだかまりも、それを保ったまま錬磨しさえすれば、やがては頼れる武器となるはずだ。


(……トウカ、ごめん)


 自分を駆り立てるものが、いまは要るのだ。どんなものであれ。

 いつかすべてが終わったときには、トウカに話せる日も来るだろう。



 + + +



 ──銃声が聞こえる。


 空に高々と響いた音に気づいて、トウカは病室の窓辺から空を見上げた。


「ユウリ、今日も訓練かしら」


 あの子は、ここのところ焦っている。


 何に? ――それはよく分かる。

 答えを欲しがっているのだろう。


 機械たちがいて、彼らが守る領域には『脊柱』が立つ。

 そこは、人類の知も力も及ばぬ領域だ。

 間近に見えていながら、その一片たりとも掴みえぬ知識。

 個々人との密やかな交わりはあっても、代表者同士による意思の交換はない。

 不可知。それは不安を呼び、不安はぼんやりとした敵意をいざなう。



 十年前の戦とは、いってみれば「わからないものを、わかりたい」という欲求によって開かれたものだ。

 そう。それこそがはじめての、人間集団による、機械たちへのアプローチだったのだ。

 最悪のファーストコンタクト。その結果は、トウカ自身の肉体に、はっきりと刻み込まれている。


 惨敗だった。


 まだ少女であったころの自分自身には認めがたかったほどに。

 幸いにして、その戦がさらなる荒廃を導いてしまうことはなかった。


 そう。彼らはわたしたちを皆殺しにできる。いつでも。それをしないのは、彼らの──理性、なのだろうか。

 だから、わたしたちはもう拳を振り上げてはいけない。

 知り得ない答えを、求めてはいけない。


(知識欲は……収集欲に通じるのかもしれないね、ユウリ。だから、わたしたちは「知らない」ということを許せない。どんな犠牲をはらっても、それを欲しがってしまう)


 ゆえにこそ、知識への渇望によって……人の世は興り、そして滅びる。



 ──再度、銃声が響く。



 それは、いま人間が持ちうるせいいっぱいの力の、吠え声。


(ユウリ……)


 それは、とても哀しい響きを帯びた音色だった。

 トウカは窓辺から離れ、室外に出て行こうとしたときに。


「…………」


 声にならぬ唸りとともに聞こえる、かすかな衣擦れの音が、トウカの耳に届いた。

 音の源に目をやる。すると、それはユウリが連れてきた若者の眠るベッドから生じたものだった。


 トウカはその傍らに進み、眠っているはずの彼の表情を窺った。

 顔色はいまだに血色が薄い。だが、その瞳は、わずかではあったが、いま開かれようとしていた。


 トウカは彼の頬に手を触れながら、そっと呼びかけた。


「ねえ、聞こえる?」


 その声に、若者は至極ゆっくりと頷く。確かに、彼は目覚めた。

 彼の唇が、まるで震えるようにして、こう呟いた。


「……ああ、銃の音が、聞こえた……気がしたんだ……」


 すこし不安がっているのだろうか、そう思ったので、トウカは「大丈夫、ここは安全よ」と、穏やかに告げた。


 だが彼は、そうじゃないんだ、と言った。

 なにが、とトウカが訊くと、彼はこう答えた。


「この銃声は……機械に向けて、あの子が、撃った……音だ」


 これはユウリの銃声だ、ということか。


 おそらくは、彼が弊れるまぎわに聞き、覚えていたのだろう。


「そうね。きっとあの子……ユウリの銃だわ」


 トウカはそう応じた。


 みなが仕舞い込んでしまった牙を、あの子は、ユウリはまだ持っている。

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