第6話 取引の代償
「……そうか、あなたがたが助けてくれなければ、僕は死んでいたのか」
ユウリが助けた青年は、もうベッドから起き上がれるようになっていた。
あの深傷を思えば、驚異的な回復力だった。
「そうだ、キリア」と、ユウリは言葉を掛けた。キリアとは彼の名だ。
「つまるところ、あの女……ナイマは嘘をついていたって事だ。きみを生かしておくつもりがなかったからこそ、きみの精神を根こそぎ奪ったんだ。……だから、もう『取引』はやめたほうがいい」
その言葉に反駁はんばくするかのように、キリアは一瞬だけ顔を上げる。だが、ユウリの言葉に抗うためには、確たる理由がいる。それを見つけられず、彼はうなだれる。
言い返せずにうつむくキリアの横顔は、ユウリが思った以上に幼く見えた。年齢は、ユウリよりもひとつ年下だという。そのせいか、かける言葉もつい柔らかくなってしまう。
ユウリは話題を変えようと思った。
「そういえば……」と、ユウリ。
「あのとき、もうひとりの『機械』が、きみを助けたんだが、キリア、スーラという名前に心当たりはあるか?」
そう訊くと、キリアはしばらく黙って考えていたが、「……知らない。スーラという名前の知り合いはいなかった」と答えた。
傍らでやりとりを聞いていたトウカは、窓辺の花に水をやりながら呟く。
「分からないことだらけね」と。
「でも、キリア君もユウリも、もうあそこに深入りするのはやめなさい。なんども言うけど、『脊柱』の周りは、機械たちの領域よ。あそこには、私たち人間が求めるものは、きっとない。関わらないのが、最良の選択なのでしょうね」
二人に呼びかける言葉ではあったのだろうが、トウカのまなざしは、ユウリに注がれていた。
(分からないものを分かろうとする努力が、常に正しいとは限らない。トウカはそう言いたいのかもしれない。でも……)
トウカの言葉は、常にユウリの指針となってきた。そう、だれよりも大事な人の言葉だから。しかし、『機械』たちを捨て置いていいものかどうかだけは、未だに分からない。だからこそ、ユウリは警衛隊に属し、その動向を見極めたいと思っている。
──そうだ。私は『機械』たちを、敵視してはいるが、理解したいと思っている。
その意思だけは、トウカには伝えられない。
そう思いながら、ユウリはキリアの横顔を見た。ユウリはトウカの言葉に頷いてしまうのだろうか?
キリアの答えは、迷いのないものだった。
「……申し訳ないけど、それだけは飲めません」と、キリアは返した。
なぜ、とトウカが訊くと、彼は傍らの雑嚢から、いつか見た短刀を取り出し、鞘から抜いて見せた。
「これは、僕が父から譲り受けたものです」
ユウリも、改めてその短刀を眺めた。刃に曇りもなく、鍔元に血の汚れもない。綺麗なものだ。どこにも禍々しい印象はない。
「それがどうしたの?」と、トウカが訊くと、キリアは「なにか金物を貸してください」と、まだ節の立っていない手をトウカに差し出した。
トウカは困惑しつつも、傍らの机に乗った金属の皿を差し出す。
キリアは短刀の刃を皿の縁に押し当て、柄を握る手に力を込めたように見えた。
すると、その刃はちりちりと耳に刺さる音を立てながら、まるで温めたチーズを切るかのように金属の皿に食い込み、そして両断した。
「……これは」
思わず、ユウリは呟いていた。これまでに見たどんな刃よりも鋭い……いや、これは尋常な刃物ではない。押し当てるだけで金属を断ち切れる刃。ありえない存在だ。
トウカの様子を窺うと、彼女も驚いた様子を見せている。当たり前だ。
そして、キリアはその剣呑な短刀を鞘にしまい、傍らに置きながら言った。
「これは……父が『機械』たちから得たものだそうです」
「取引か」と、ユウリ。
キリアは黙って頷き、言葉を続けた。
「そう、取引です。僕がいた集落では、それは珍しいことではなかった。どんなものをやりとりしているのかは知らなかったけれど、すくなくとも、命を奪われるようなものではなかった……筈です」
「だから、あっさりとナイマに殺されかけたわけだ」
ユウリの言葉に、キリアは一瞬だけ険しい表情を浮かべたが、図星を突かれたせいか、すぐに俯いた。こんな棘のある言葉は使いたくはない。だが……キリアの向かう先にいるのは、けして一枚岩の対応を備えた存在ではなく、ナイマのように危険な者もいる。無制限に信頼できる相手ではない。
だが、キリアはその言葉だけで折れはしなかったようだ。
「……危険は、承知している。でも、あそこに……家族がいるんだ」
「家族? ……もしよかったら、教えてもらえるかしら」
トウカの問いにどう答えるか。ユウリは、キリアの言葉を待つことにした。
キリアは、過去を振り返りつつ、訥々と話し始めた。
「僕たちの集落から別の集落へと、いくつかの家族で連なって交易に出ていたときのことです」
そう語りかけるキリアの言葉は、いくぶん、かしこまったような調子だ。
「……『機械』たちとの交わりだけでは、僕らの集落を保たせることはできませんから。その途中で、僕たちは人間の賊に襲われました」
機械たちが一枚岩ではないように、人間もまた、同族同士で喰い合う。交易者たちのキャラバンを襲う盗賊団は、あるいは機械たちよりも明確な敵だ。ユウリたちの警衛隊にしろ、元はといえば、それらと戦うための民兵組織を発端としているのだ。
キリアは、語ることで思い浮かべた絵から目を背けるように、改めてユウリたちを見る。
「……そして、結果として、僕たちの隊商は壊滅させられました。僕も……ひどい傷を負って、身動きもできずにいた。家族……父と母、妹を探しても、視界には動いている人間はいなかった。だから、僕もすぐに死んでしまうのだろう、とだけ思っていました」
「でも、あなたは生きている。何があったの?」と、トウカ。
「……助けられたのだと、思います。『機械』たちに。意識を失いかけていた僕のそばに、まったく見慣れない、一体の『機械』が近寄ってきて、なんらかの手当を施してくれたような……。そして、その機械は僕のもとを離れていった」
「ずいぶんと曖昧なんだな」
ユウリは正直な感想を述べた。キリアもそれを否定しなかった。
「全てをきちんと覚えていられれば、どんなに良かっただろう。……そのあと、僕はすぐに意識を失ったのだけれど、最後に見たのは、僕の家族や、そのほかの者たちを抱えて、遠ざかっていく『機械』たちの姿だった。目覚めたときには、周りには捨て置かれた賊の死骸しか残っていなかった。家族や仲間たちはどこに消えたんだろう? その行き先は、……おそらくは『脊柱』だと思う」
「それで、『脊柱』のほうに行ったのね」
トウカは、得心がいったかのように頷いた。
そこまで話し終えると、キリアはベッドに深く腰かけ直した。まだ体力や気力が回復しきっていないようだ。
「ええ。もしかしたら、僕の父母、妹……そして集落の仲間たちが、『脊柱』か、あるいはその周辺にいるかもしれないから」
「…………」
そこまで語り終えたキリアの表情は、やはりすっきりとはしていない。『脊柱』に向かい、そこで出会った『機械』……ナイマとやりとりをした結果が、この現状なのだから。
ただ、すでにユウリは、キリアの軽挙を責め立てようとは思わなかった。
家族。そう、家族だ。
ユウリにとっては、もはや望んでもけっして得られぬもの。
それにわずかでも近づこうとするキリアの気持ちは、ユウリにも納得できた。
ユウリは改めて、キリアの顔色を覗き込んだ。
「やはりまだ、肌が青白いな」
「…………」
キリアは、反論しかけるそぶりを見せる。
「もうすこし体力をつけて、それから身の振り方を考えるといい。……それから」
この次につなげる言葉を、ユウリはぎこちなく呟いた。
「……その、君のいきさつも知らず、家族を大事に思っていることにも気がつかず、ただ無謀さをなじるような事を言って、……すまなかった」
最後の謝罪は、ひどく小さな声になってしまった。だが、キリアはその言葉に微笑みを浮かべて、言った。
「いいや。君が助けてくれたからこそ、こうして機会をつなげることができた。ありがとう。……ただ」
「どうした?」
語尾を濁すキリアに、ユウリは訊く。
「もしかしたら、……ナイマは、君たちと出会うこと、そしてもうひとりの『機械』、スーラがやってくることを見越していたのかもしれない」
「なぜ?」
「つまり、ユウリやスーラが来なければ、僕は確実に死んでいた。逆に言えば、ふたりが来てくれることが分かっていたからこそ、限界いっぱいまで『精神』を得ることができた。どうかな」
「すこし飛躍しすぎているようにも感じるが……」
ユウリは呟いた。だが、それを否定する理屈も肯定する理屈も、いまはまだ立てられない。
「まあ、いいさ。全てはこれからだ。まずは、キリア。身体を癒すことが最優先だ。そうだろう、トウカ?」
と、ユウリはトウカのほうに向き直った。
「そうね」と、トウカはその言葉に頷く。
「それじゃ、二人ともゆっくりしていきなさい……それから」
不意に、トウカの言葉のトーンが落ちる。
「……どうしたんだ、トウカ」
急変。
ユウリがおそるおそる訊くと、トウカは忘れていた敵意を思い出したかのように、ユウリとキリア、二人をじろりと睨みつけた。
「……え?」
キリアが怯えたような声を上げた。目覚めてからは穏和なトウカしか知らなかったのだろう。ベッドのなかで、じり、じりと後ずさりしている。
「どうしたんだ、トウカ。なにかあったのか?」
ユウリが訊くと、トウカはうなずき、傍らの机の上に置かれた金属片を指さす。
「キリア君の大事なお話があったから黙ってたけど、……お皿、これ、切っちゃったのよね。こないだ買ったばっかりなのに」
「あ……」
「隣の集落から持ってきてくれた……ほら、ここにお花と猫ちゃんの彫刻が入っていて、とっても素敵だったのに……」
その皿は、キリアが短刀の尋常ならざる切れ味を示すために切ったものだ。内側の彫刻は、無残にも両断されている。可愛らしい小物を好むトウカにとっては、それは皿一枚分には換算できない衝撃だった筈だ。
今にして思えば、何かいらない金屑でも渡しておくべきだった……と、ユウリは小さくため息をついた。
キリアのほうに向き直ると、彼は心底後悔しているかのような、絶望的としか言いようがない表情を浮かべていた。こればかりは、もうどうしようもない。
助け船を出しておこう、とユウリは思った。
「あの、トウカ。あの流れではキリアも悪気があったわけではないし、もちろん止めなかった私も悪いのだから、私に何かできることがあったら……」
そう言い出してみると、トウカは黙って掌を向ける。これ以上言うな、のサインだ。
「ユウリ、それにキリア君」
一段とトーンが低くなった声のトウカが言う。
「罰として、二人にはしばらく敷地中の掃除のお手伝いをしてもらうわ。思い切りこき使うから……覚悟しておきなさい」
「……はい」
思わず声が揃う二人だった。
ユウリはそっとキリアの様子を窺った。彼は、むしろほっとしたかのような顔をしている。掃除程度で許されるのなら、いくらでも頑張ろう、とでも思っているのだろう。
とんでもない、と、ユウリは心のなかで呟いた。
トウカの「こき使う」は、まさしく穀草から実を掻き落とすかのような使いようなのだ。
うなだれながら、ユウリは皿の修繕をだれに頼めばいいかを考えていた。
すこしでも現状に近づけなければ、トウカの「しばらく」は、ユウリやキリアの想像を超えるような期間となるに違いないのだから。
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