危険な匂いと転校生(2)

 午後に入って一発目の授業は古文である。気候も良く、お腹も満たされた今、先生の読む昔の言葉は子守唄となって眠気を誘う。真面目に授業を聞いている者もいれば、ある者は船をこぎ、ある者は鹿おどしのように睡魔と戦っている。

 そんな穏やかな状況の中、俺は視線を感じていた。粘っこさを感じる嫌な視線だった。

 実はこの視線、午後になって感じ始めたわけじゃなく午前中から気になってはいたのだが、今回は直接俺に向けてではないようなので放っておいた。側にいる紗々良さんも当然気付いてはいるが、特に害は無いと判断したのか、やはり放置している。ただ、何とも気持ち悪い。


 このまま、午後の授業も終わり、帰りのホームルームも先生の連絡事項もそこそこに今日のお勤めから解放される。

 ふと横を見ると帰宅部のクラスメイト逹から帰りのお誘いを受ける金森の姿があった。人気者は大変だ。

 そんな彼女を横目に、俺はカバン代わりのリュックをかつぎ廊下に出るとすぐ後から仁科がついてきた。

「待って、私も一緒に帰る」

 リイの一件以来、彼女とも一緒に帰ることも多くなった。用も無いのにお互い干渉せず一人で帰るのは却って不自然になったとも言える。

「明日はリイちゃん学校にきてくれるかな?」

 主な目的はこれかもしれないが……。

「何も無ければ来ないと思うけど。今は無駄に移動する必要も無いし」

「今度は引きこもっちゃったわけだね」

 あの妖精の子にとっては家にいる方が安全だしね。

「どうしても会いたかったら家に来るか?」

「さ、流石に男子の家に行くのは勇気がいるなあ」

 家に来ればダウジング棒を教えてくれた張本人がいるよ、と喉まで出かかったが、それはそれで面倒になりそうなのでやめておいた。

 そんな雑談を仁科と話していると俺達二人の後ろを追いかけてくる生徒がいた。

「ちょっと待ったあ! 杉原君」

 さっき友達になったばかりの転校生の金森だった。

「あれ? 誰かと一緒に帰るんじゃないの?」

「今日はちょっと用事があるって断ってきた」

「何か俺に用なのか?」

「実は同士として頼みがあるんだけど」

 金森は顔の前で手を合わせ懇願してきた。

「それって、もしかして……」

 同士なんて言われ方されたら思い付くのはアレしかない。

「同士? 杉原君と金森さん、いつそんなに仲良くなったの?」

 金森と俺のやりとりを仁科は意外そうに見ていた。そんな、仁科と俺の顔を交互に見て、金森はニンマリと意味あり気に笑う。

「もしかして杉原君の彼女さん?」

「え? え……か、彼女っ?」

 仁科は真っ赤になってオロオロとうろたえた。それに対し俺は冷静に答える。

「いや、ただの物好き」

「……………………なるほど」

 金森もその一言で察したようだった。

「え……何? その反応……」


 俺は仁科には話しても大丈夫だろうと、他人に喋らないことを条件に昼休みのことを話した。

「金森さんも視える人なんだ」

 仁科は少し驚きはしたが、特に疑いもせず素直に信じた。俺みたいな前例があるから免疫が出来ているのかもしれない。

「でも、それなら仁科さんの前では遠慮なく私もお化け話をしても大丈夫なんだ?」

「え? 遠慮なく…………?」

 あからさまに顔に影が差し、引いている仁科。実は彼女が臆病なのを金森はまだ知らない。

 顔色の悪い仁科に気付いていない金森は、全く彼女に気を使うこともせず俺への相談内容を話し始めた。

「あのね最近、男の霊にストーキングされて困ってね……」

 明るい笑顔で、まいってねーと言う金森。まるで危機感が感じられない。

「あ……あわわわわわわわわ…………」

「仁科……先に帰っていいよ……」

 どんどん顔色が青くなっていく仁科。気の毒に思った俺は彼女に先に帰るよう進めた。このまま気絶されても困るし。

「う……うん、杉原君。私、先に帰るね…………」

 仁科はフラフラしながら前を歩いていった。

「あれ? どうしたの。仁科さん」

 不思議な表情でその様子を見る金森。

「俺達みたいな人を理解してくれてるといっても、霊が平気かどうかは別なんだよ」

「そういうものなの?」

 確かに仁科の平気とダメのボーダーラインはわかりにくくて俺も戸惑う。だいたい、リイの件で見てみても、本人でさえよくわかってないんじゃないかと思ってしまうくらいだ。

「俺だって視えるからといって、どんなものでも平気ってわけじゃないしね」

 そう思えば、そういうことなのだ。


 金森の詳しい話は校外に出てからにした。他の生徒に聞かれるのも余り良くないと思ったからである。

 内容としては二、三日ほど前から嫌な視線を感じているという。付かず離れずでずっと見られていて気持ち悪いので何とかしたいとのことだった。

 今日、教室で感じていたあの粘っこい視線がそうなのだろう。

「どこか人気ひとけの無い場所で逃げられないようにして、本体を見つけて祓いたいのよ。行動範囲を限定しないと追いかけても結局距離を取られちゃうし。どこかいい場所ないかな?」

 その条件に当てはまるような場所といったら思い当たるのは一つしかない。俺は紗々良さんを見た。

「私は構わないが……姿は一度も視たことはないのか? あれば私が探して祓ってきてやってもいいが」

 紗々良さんも、あれだけ視線を感じるほどの距離ならば恐らく近いところにいると思ったのだろう。それなら紗々良さんが退治したほうが早くすむ。

 しかし、金森は首を横に振った。

「残念だけど、姿は視てないの。それに、これは私のことだから自分で始末したいの。大丈夫、キミ達には迷惑かけないから」

 金森は俺と紗々良さんに向かってウインクをした。

「自分で……って…………」

 何の躊躇も見せず自信満々の彼女に一抹の不安を感じながら俺たちは馴染みのある場所へ向かった。いざとなったら自分が片付ければいいかという表情で、紗々良さんはため息をついた。

 全く物怖じしないというか、仁科とは逆方向に手のかかる娘なのかもしれない。



 そうして、いつもの廃神社の前。ここならば人気ひとけも無いし、敷地内に誘い込んで逃がさないようにするぐらい出来るだろう。

「わざわざ、こんな方まで来てもらってごめんね」

 金森の家がどこにあるかは知らないが、ここに来るために電車を使って来てもらっているのは確かなので、一応ことわりは入れておく。

「ううん。ここならバッチリ。ナイスだよ杉原君」

 どうやら彼女もこの場所を気に入ったみたいだ。後は計画通り物事を進めるだけだ。

 俺と紗々良さんと金森は鳥居をくぐり参道を歩いて行く。廃神社とはいえ元は神域。金森さんについて来るストーカー霊が嫌って入って来ない可能性もあったが、今も視線を感じるということは順調に後をつけて来ている証しだろう。

「この辺でいいかな?」

 金森は境内に上がる階段の手前で止まり振り返る。ストーカー霊も敷地の奥に入ったと判断したのだろう。

 紗々良さんが指をパチンと鳴らす。すると、神社の周りに結界が張られ、人ならざるモノや関係の無い人などの出入り出来なくなった。

「さて、もうこれで逃げられないわよ。出てきなさい! 私が相手をしてあげるからっ!」

 参道に向かって金森の声が高らかに響き渡った。

 すると、今まで感じていた気持ちの悪い視線が悪寒が走るほど不快な空気に変わり、参道から外れた木の陰から不気味な男の霊が現れた。

「グヘ……グヘヘヘヘヘヘヘ……ヘ…………」

 男の霊はボサボサの髪の毛にボロボロのTシャツ、ジーパン姿で顔は正気を失ってよだれを垂らしていた。まさに欲望だけで動いているようだった。

「ううっ……流石に私も生理的に受け付けない…………」

 俺の横にいた紗々良さんも身震いをしていた。女子には変質者の念がより強く感じるのかもしれない。

「ゲヘヘ……ゲヘッ……ヘ……」

 男の霊は不気味な笑い声をあげて金森へと近付いていく。

「金森は本当に大丈夫なのかな?」

「わからないが、それよりアレを私が祓ってはダメなのか? いくら廃神社とはいえ、あんなモノがここにいるのは我慢出来ない!」

 紗々良さんにとっては、この場所を汚されている気分なのだろう。

「待って! すぐ私が片付けるからっ」

 今にも暴れだしそうな紗々良さんを、金森の声が制止した。

「まあ、見てて」

 そう言って金森が右手を前に出すと、男の霊に向けた手の平から大きなシャボン玉のような透明な球状のものが現れた。

 金森がそのシャボン玉もどきを投げつけ男の霊に当たると、男の霊は一瞬にして全身をそれに包まれた。

 男の霊がいくらもがいても、シャボン玉は強固な殻のようにびくともせず、次第にバレーボールぐらいまで縮小すると金森の手の中へ戻って行った。

 金森の胸の前に出された両手の平の上のバレーボール大のシャボン玉もどきの中で今も男の霊は暴れている。

「フフン残念でした。絶対破れないよ」

 為す術が無くなった男の霊に金森は何も動じた様子も無く、明るい口調で言った。

「私に憑いてきたのが運の尽きだったね。バイバイ」

 シャボン玉もどきの中でもがいていた男の霊の姿は徐々に薄くなっていって、そして消滅し同時に玉も割れた。

 いとも簡単に男の霊を片付けてしまった金森を、俺と紗々良さんはただ呆然と見ていた。

 そんな俺達に気付いた金森は、俺達の方に向いて自慢げにウインクをした。

「ね。強いって言ったでしょ?」

「恐ろしい女だな……」

 紗々良さんもその能力ちからに驚愕していた。

「やっとホッとしたよ。協力ありがと」

 金森が俺達に近付いて来て安心した笑顔を見せた。

「うむ……そんな大したことじゃない」

 紗々良さんはまだ少し動揺しているようだった。

「せっかく、ここまで来たんだから上の境内まで行ってみるね」

 何事も無かったかのように金森は軽快に階段を登り始めた。紗々良さんと俺は、その後ろを黙って付いて行く。

 楽しそうな階段を登る金森の背中を見つめ、俺は思った。

 ────俺もあんな風になれたら紗々良さんに認めてもらえるのだろうか。

「俺もあれだけの能力ちからが使えるようになれば…………」

 思わず口から出てしまったその言葉に紗々良さんが更に動揺し出した。

「な? 千晴には私がいるじゃないか!」

「そうですけど、どうかしましたか?」

「どうもこうも無い。お前が無理にあのようになる必要はない。私に任せておけばいいんだ」

 不機嫌そうにプイッと紗々良さんは横を向いてしまった。

 ────俺、何か変なこと言ったかな……。


 階段を登りきり境内まで来ると、金森はその場で一周ぐるりと回って神社全体を見る。

「小さいけど良い神社じゃない。どうして廃神社になったの?」

「時代の移り変わりだな。早い話、管理する者がいなくなったんだ」

 紗々良さんが淡々と現状を説明した。最近は割り切ることが出来たのか感傷的な様子を見せることも余り無い。それでも、喋っていて楽しい話ではないだろうけど。

「守護霊さん、ここの神使だったんでしょ?」

「わかるのか?」

 特に意外そうな顔もせず紗々良さんは答えた。下であれだけの能力ちからを見せられた後なので別に不思議でもないのだろう。

「そこの狛犬も狼だったし、何より守護霊さんとここの場所の波長がね……」

 同じようなものを感じる、と金森は言った。しかし、すぐに金森は疑問の表情を浮かべ首を傾げた。

「でも、どうして今は杉原君の守護霊をやってるの? 普通ならありえないよね」

「うん? 聞きたいか。私と千晴のめを」

 さっきまで無関心な顔で話していた紗々良さんだったが一転、目に輝きが増す。

「やっぱりいいや。何となく想像つくし、話長くなりそうだし」

「なんだと! 私と千晴の深い絆の話を聞きたくはないのか?」

 話す前に腰を折られた紗々良さんが金森に詰め寄って文句を言っていた。

 俺としては金森があっさり引き下がってくれて助かった。多分、俺にとって生殺しのように恥ずかしい話しか出て来なさそうだし。

「それにしても、もったいないねココ。まだ使えると思うんだけどなー」

 拝殿の方を向いて改めて金森は言った。

「使えるとかいう問題ではないがな……」

 呆れ顔で紗々良さんはため息をついた。

「復活できるのなら俺が知りたいぐらいだよ。資格や資金面で見ても個人レベルでどうにかするには敷居が高すぎる」

 以前、色々と調べたからわかっている。しかし金森は、だからどうしたの? という表情で俺達を見た。

「正攻法で考えるからダメなんじゃない?」

「え? どういうこと?」

「何かあれば神社なんてあっさり出来るかもよ」

「何かって何だよ……」

「さあ? わからない」

 笑いながら無責任な発言をする金森。そんな簡単に出来れは苦労しない。

「でも本当に何かの拍子に、またここの神社が近いうちに復活するなんてこともあるかもしれないよ」

 どこまでが本当で、どこまでが嘘か、読み取れない能天気な口調で、金森は意味ありげな笑顔を見せた。

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