四話 危険な匂いと転校生

危険な匂いと転校生(1)

 その日は新月で、いつもより少しだけ薄暗い夜だった。

 今は昔と比べると街頭も明るくなったので、夜とはいえそこまで暗いわけではないが、それでも満月の日と比べると全体的な明るさが若干少ない。

 会社帰りなのだろうか、スーツ姿の二十台半ばほどの女性が住宅街を歩いていた。まだそんなに遅い時間ではないのだが、戸建の家が集中しているこの辺りでは人影は無く、その女性一人だけが歩いていた。しかし、そこは歩きなれた道、特に警戒することもなくいつもと変わらず家路を急いでいる。

 ただ、その日に限ってはいつも通りではなかった。女性の背後に何かの影が現れ、その影は音も無く女性に近づき、背後から首に噛み付いた。

「あ……あああ……ああ…………ぁ………………」

 女性は自分の身に何が起こったのか理解出来なかったが、身体の異変に気付いた時には、もう遅かった。痛みは感じないものの身体の力がどんどん抜けていく。やがて意識が薄れると気を失い、その場で崩れ落ちるように倒れてしまった。

 影は倒れた女性から離れ一瞥すると静かに夜の闇の中へ消えていった。その影は人間のものではなく三本の尾を持った獣の姿をしていた。


 ○ ○ ○


 次の日の朝。俺はいつものように学校へ行く支度をしている途中、スマホに手を伸ばし情報をチェックしていた。主に地元周辺について書いてあるものだ。いつもは出かける前にスマホを見たりはしないのだが、最近は近所で頻発する事件が気になっていて、それについて毎朝確認をしていた。ネット上には新たな情報が追加されていて、そこには昨日家の近所で気を失い倒れていた女性のことが書いてあった。しかし外傷などは無く、原因はわからないという。

 このような事件がこの付近では頻発していて、突然何かの薬を打たれたとか、嗅がされたなどの憶測も飛んでいるが、病院で検査をしても特殊な薬物反応は出てこなかったらしい。

「通り魔……なんですかね、紗々良さん」

「さあ……とにかく周りに気をつけて危なそうなものには近付かないことだな」

 特にお前の場合は色々とな、と付け加え忠告してくる紗々良さん。いつもながら苦笑いしか出来ない。

 俺達の会話に部屋の隅で妖精の姿のリイが不安そうな顔をしていた。犯人がもし人間ならばリイに傷を付けること自体不可能だと思うのだが、実質は関係なくその状況が怖いのだろう。

 支度も終わり部屋の扉を開けて廊下へ出ると、同じように廊下に出てきたばかりの奈緒と鉢合わせをした。

「あ、兄さん今から出るんですか?」

「ああ、お前ももう学校へ行くのか?」

「いえ私はもう少ししてから……例の怪事件ついて調べてから行きます。ちょっと気になりまして」

「間違っても余計なことに首を突っ込まないで、早く家に帰ってくるんだぞ」

 奈緒は霊感などは全く無い割には、妙に勘だけはいい。先に釘を打っておかないと、こいつ自身巻き込まれそうだ。

「やはり兄妹だな……お前たちは」

 そんな俺達二人を見て、紗々良さんがしみじみと呟いた。



「昨日また、事件があったんだって」

「あのOLさんが倒れてたって話?」

 学校に着くとクラスの中でも話題になっていた。今回は犠牲者が女性だったせいか、話しているのも主に女子だった。とは言っても、謎の事件ではあるが実際人が殺されたわけでもないせいか、さほど緊迫感も無く「私も気をつけよう」ぐらいで終わり、話題もすぐに他のものに変わってしまった。

 俺自身も事件に違和感を感じていて、あやかし関係が絡んでいるのではないかと毎朝スマホでチェックしているものの、結局何も情報を得られないので、とりあえず傍観している。仮に確証があって何かしようとしても、紗々良さんに止められると思うが。

 席に座ってぼうっと考えていた俺の側に仁科が近寄ってきた。仁科のことだから話題は事件のことではなく恐らくは……。

「おはよう杉原君。今日はリイちゃんは一緒じゃないの?」

 思った通りだった。仁科には今リイは俺の家にいると教えてある。

「今日も家で留守番してるよ」

 そもそもリイはいつも俺と一緒にいるわけじゃない。元々臆病な彼女は最近外に出ないで家にいることが多い。リイにとって今は俺の家が一番の安全地帯のようだった。

「そっか、残念……」

 仁科は本当に残念そうにガッカリしていた。前の一件以来、仁科はリイに対しては好意的だった。むしろ、会えるのを楽しみにしている。でも、元来リイ同様臆病な仁科は、リイが実体化する時には毎度のように驚いていて、その度にリイに、ごめんねと謝っている。

「帰ったら会いたがってたよ、と伝えておくよ」

「ぜひ!!」

 目を輝かせて答える仁科。人間変われば変わるものだ。

 程なく担任が教室に入ってきて朝のホームルームが始まった。いつものように連絡事項だけで終わると思いきや、その日は担任の隣に一人の女子が立っていた。

 その娘は腰まで伸びた金色の真っ直ぐな髪と大きめの胸が印象的な美少女だった。そして、赤く吸い込まれそうな瞳はルビーを思わせた。クラス内の、特に男子はその容姿にザワついている。

 担任が簡単に転校生であることを告げると、その娘は黒板に自分の名前を書き自己紹介を始めた。

金森かなもり菊花きっかです。よろしくお願いします」

 金森と名のるその少女は、明るい笑顔でハッキリとよく通る声で自己紹介をした。緊張した様子もなくフレンドリーな雰囲気を漂わせている。

 金森がクラス内を見回している時、ふと俺と目が合った。すると彼女は一瞬驚いたような、何かに気付いたかのような表情したが、すぐに元の笑顔に戻った。

 担任に席の場所を指示された彼女はそのまま自分の席に着いた。席は俺の右、三列先の一番後ろだった。


「前はどこに住んでたの?」

「髪の毛綺麗~いいなあ~~」

 休み時間。事件の話もどこへやら。クラス中の興味は転校生に集まっていた。

「いきなり、凄い人気だね。彼女」

 俺の席の側で仁科がまじまじとその光景を見ていた。

「仁科はあの中に加わらなくてもいいのか?」

「私は今、あの中に入っていく勇気はないかな。杉原君こそいいの?」

 転校生、金森の周りには男女関係なく人が群がっている。その見た目から男の場合は下心丸出しのやつも多いだろう。

「別に同じクラスなんだし、何か用があれば話す機会もあるだろうし、急がなくてもいいんじゃない?」

「余裕だね~」

 別にそういうわけじゃない。ただ、今無理してあの中に突入して話したいことがあるわけじゃないし、面倒なたけだ。

「千晴には私がいるからいいんだよな」

 紗々良さんが何故か満足そうに頷いていた。

 次々と話しかけられる金森は嫌な顔ひとつせず、気さくに対応している。コミュニケーションのスキルが非常に高いようだ。

 その時、横を向いた金森と俺の目線が合った。

 彼女は一瞬、千晴に人懐っこそうな笑顔を見せると、すぐにクラスメイトとの会話に戻った。

「今、杉原君の方を見て、笑わなかった? もしかして知り合いだった?」

 仁科が疑問の表情を浮かべる。

「いや、知り合いじゃないし、会ったのも初めて」

「本当に?」

「だいたい、前に会ったことがあるなら、あれだけ目立つ容姿忘れるわけないよ」

 それもそっか、とあっさり納得する仁科。

 俺の方を見て笑顔を見せたのも、多分クラスメイトにも見せている、彼女のコミュニケーション能力の高さなのだろうと、この時は思った。


 昼休み。俺は購買でパンを買った後、紗々良さんと一緒に校舎の屋上で食べていた。食べるのは俺だけではあるが……。仁科は今日はリイがいないこともあり昼は他の友達と食べている。紗々良さんと二人の昼休みも久し振りのような気がする。

 屋上は穏やかな日差しが心地よく、風も弱く暖かかった。気を抜くと寝てしまいそうだ。いっそ、寝てしまって昼休みの終わりに紗々良さんに起こしてもらうのもいいかもしれない。

「千晴。暖かくなってきてはいるが、風邪をひくかもしれないから寝てはダメだぞ」

 先に釘を刺されてしまった。紗々良さんには俺のことはお見通しみたいだ。

 こんな、ただただ平和な一時を過ごす中、屋上の扉を開く音がした。

「ん~~~~~~~~っ」

 外に出てきては、手を上に上げ、大きく伸びをするその人物は、本日転校してきた金髪美少女の金森だった。大きな胸がより目立つ。

「あ……」

 金森は俺に気付くと手を下ろし恥ずかしそうに笑った。

「えっと……キミは同じクラスの人だよね?」

「うん。俺は杉原千晴。よろしく」

 今更ながら俺は自己紹介をした。

「あれ? 一人なの? てっきり誰かが一緒かと思ったんだけど」

 クラスの男子逹が、学校を案内してあげるよとか言って取り巻きが出来てるかと思ったんだが。

「質問攻めも一段落したみたいなので、逃げて来たんだよ」

 イタズラっぽい顔で言う金森。まあ、流石にいつまでもアレではたまったものではないだろう。

「ところで杉原君……だったよね? キミはここで一人でいるのかな?」

「え?」

 変な質問をするなあと思った。普通なら、一人で何してるの?とか聞くのが普通だと思うのだが。

「一人だけど、何で?」

「ん~~本当に?」

 金森は俺の顔を覗き込み、その赤い瞳で俺の目をジーッと見た。

 俺は照れくさくて、つい目を逸らしてしまう。

「ん? 何かやましいことでもあるのかな?」

 やましいことなんか何も無いが、普通そんなに顔を近付けて見られると恥ずかしくて凝視なんてしていられないと思う。

「ほらっ、こっち見なさい」

 金森が俺の手を握り自分のほうへ引っ張る。リアルな女子の大胆なスキンシップにドキドキしてしまう。

 そして後ろにいる紗々良さんのイライラが手に取るように伝わってきて、違う意味で更にドキドキしてしまう。

「千晴をたぶらかす奴は許さない…………」

 紗々良さん……相手が聞こえないと思ってか、声に出ちゃってます。

「おっと、飼い犬に噛まれる前に離れた方がよさそうだね」

 ステップを踏むように軽やかに後ずさる金森。

 ────え? 飼い犬?

「誰が飼い犬だ! 誰が! 私はこれでも誇り高き狼のっ……」

 それを聞いた紗々良さんが今にも金森に食ってかかりそうになる。俺はそれをすぐさま止めにはいった。

「うわっ、ダメです紗々良さん! 落ち着いて……」

 ───あ……。

 金森の方に視線を向けると彼女は、にやーっとイタズラが成功した子供のような表情をした。

「やっぱり視えてるんだね」

 やっぱりって、それって……。

「ま、まさか、金森さんも視えてるの?」

「キミの後ろに人の姿はしてるけど凄い力を感じる狼さんがね。犬なんて言ってごめんね。それから私のことは菊花でいいよ」

 驚いた。霊能力はあっても神使である紗々良さんをまともに認識する人は初めてだったからだ。

「この娘、相当な能力ちからを持っているみたいだな」

 紗々良さんも俺と同じように思っているみたいだ。朝のホームルームで彼女が俺を見て一瞬驚いた表情をしたのは、そのせいだったんだ。

「でも、能力ちからのことを隠そうする気持ちはわかるよ。私も内緒にしてるから」

 金森は、頭をポリポリ掻きながら苦笑いをした。

 能力ちからを持っている者だけの苦労を彼女もよく知っているのだろう。

「でも、俺はクラスのみんなに知られていて、避けられているけどね……」

「あらら。そうなの?」

 俺がついポロッと漏らしてしまった真実に金森は困った表情をした後、気を取り直したように胸を張り、その大きな胸を叩いた。

「大丈夫! 私はキミの苦労はわかるから。私は避けたりしないからね!」

 そう言ってくれるのは嬉しいが、可哀想なものを見る目で同情され、気を使わせているのが少々悲しい。

「これでも俺によって来る物好きもいるから全くのぼっちではないし、気にしなくても大丈夫だよ」

 例えば仁科とか仁科とか仁科とか…………。

「それより、金森の方がバレないように気をつけた方がいいよ。せっかくクラスメイトとも仲良く出来そうなんだから」

「御忠告ありがと。それと、菊花でいいって言ったんだけどなあ」

 俺には今日初めて会った女子を名前で呼び捨てなんてハードルが高すぎる。普通に名字で呼びます。

「それから……」

 金森は俺から紗々良さんに目を移す。

「この人? は杉原君の守護霊さんということでいいのかな?」

「まあ、そういうわけだ。お前も色々と聞きたいこともあるかもしれないが……」

 紗々良さんの姿がまともに視られるほどの能力ちからがあれば普通の守護霊ではないというのは一目瞭然だろう。それでも、これ以上聞いてこないのは能力ちからがある故、自分が立ち入ってもいい領域を把握しているのだろう。

「お前が千晴の友人になってくれるのはいいことだと思う。恐らく同じ苦労を経験してきた者同士だろうからな」

 紗々良さんもさっきまでのイライラも治まり落ち着きを取り戻したようだ。

「だが、千晴を危険に巻き込んだりしないように行動には気をつけてくれ。いいな!」

 紗々良さんが厳しめの口調で言った。それもそうか、これで霊に付き纏われる状況が二倍に増えたようなものだからな。

 しかし、そんな心配をよそに金森は笑顔で平然と答えた。

「大丈夫。私、強いから」

 金森の言葉に俺と紗々良さんは呆気に取られてしまう。

「「強い?」」

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