小さな迷子と願い事(4)

 学校に戻って来た俺と仁科と紗々良さんは、自分達の教室には行かず、空き教室が連なる場所へと向かっていた。

「……やっぱり忘れ物って嘘だよね」

 仁科がうらめしそうな顔をして俺を見た。

「悪かったって……そのかわり、これから起こることには文句を言うなよ。何があっても自己責任だから」

「わかった……」

 俺の言葉に緊張気味の仁科。相手は無害な妖精とはいえ、怖い思いをするかどうかは別だ。そこだけは理解してもらわないと俺も責任は持てない。

「千晴、こっちだ」

 鼻をクンクンさせながら妖精の子の匂いを追って行く紗々良さん。俺は仁科を怖がらせないように無言で首を縦に振り、後を付いて行く。

 空き教室の並ぶ一帯に着くと、やはり人の影は無い。用がなければ、こんな寂しい場所に通常は来ない。妖精が見たいと騒いでいた仁科も少し怖いのか一言も喋らず俺の後をただ付いて来ている。

 そして、その中の一つの教室の前で俺達は止まった。

「この中にいる」

 紗々良さんが慎重な面持ちで静かに言った。大きな音を立てたら、また逃げてしまうだろうから。

 俺は教室のドアを音を立てないよう、そっと少しだけ開けて中を見てみる。誰もいない教室に無人の席が並ぶ中、窓際の後方に淡いピンク色の髪をした小さい女の子が一人で立っていた。女の子は何をするでもなく、大人しく周りをキョロキョロと見ている。

 あの姿は廃神社で一瞬だけ見た、妖精の子の人間の時の姿で間違いない。

「だ、誰かいるの? 杉原君……」

 恐る恐る小声で仁科が話してかけてくる。

「うん……静かに。物音立てないでね……」

 ぎこちなく首を縦にコクコクと振って意思表示をする仁科。別に緊張をする必要はないのだが雰囲気に飲まれてしまっているらしい。

「さて、ここからどうするかだな?」

 紗々良さんが腕を組んで考える。前に言っていたが、紗々良さんの咆哮を使って動けなくするほどの子でもないし、何より可哀想だ。それに今は横に仁科もいる。間違いなくこの娘は気絶するだろう。しかし、気付かれないように近づくのもこの状況では無理。接触するためには、とにかく逃がさないことを優先するしかない。難しいがなるべく怖がらせないように。

 俺は作戦と言えるほど大したものでもない手段を考え、二人に伝えた。厳密に言うとまず仁科に伝えた後、仁科を怖がらせないように小声で紗々良さんに伝えた。追う方にも追われる方も怖がりがいると色々と気を使って大変である。


 俺は教室の後方のドアに立ち、少しだけ開けた隙間から中を伺う。前方のドアでは仁科が待機をしている。

「仁科、俺が指示をしたらドアを開けて中に入ってくれ」

「……わかった」

 相変わらず仁科は緊張気味だ。こんなんで大丈夫だろうか。

 ちなみに紗々良さんは何処に行ったかというと…………。

 妖精の子が立っている背後の床下から、気配を消した紗々良さんがニョキニョキっと現れる。

「見つけたぞ、妖精。少々お前に聞きたいことが……あ、こらっ、待て!」

 予想通り、紗々良さんの言葉が終わる前に妖精の子は逃げ出した。俺がいる方のドアに向かって。

 そして、妖精の子が近づいて来たギリギリのところで俺はドアを開ける。

「ね、キミ……あ! ちょっと待って、大丈夫だから落ち着いて。俺の話を聞いて…………」

 突然の俺の登場に予想通り妖精の子は驚き、踵を返して逃げてしまう。当然、話など耳に入っていない。

 そのまま妖精の子は教室の前方のドアへと向かう。そこで俺はドアの向こうで待機をしている仁科に指示を出した。

「仁科、今だ!」

「えっ? え……え…………」

 心の準備はしていたであろうが、いざとなるとやはり躊躇したのか、ドアを開け、中に入るタイミングが遅れてしまう。そこに走って来た妖精の子が仁科と正面からまともに衝突してしまった。

「ひゃっ! な、なに?」

 衝撃に驚いてよろける仁科。一方、妖精の子はその体格差から後ろに弾き飛ばされてしまい尻餅をついていた。

「あ……あれ、女の子? 何で?」

 目の前に座り込んでいる妖精の子に気付いた仁科は、状況が把握出来ずに戸惑っていた。現れたのは普通の女の子、と思いきや、綺麗なピンク色の髪をしているという普通ではありえない容姿にも思考が追いついていない様子だった。

 妖精の子は仁科と衝突した際に顔をぶつけたのか、赤くなった鼻を擦りながら目に涙を浮かべていた。

 それまで怖がって緊張していたはずの仁科も、その様子を見ると、自然と女の子のもとに駆け寄り優しい声をかける。そこは流石に女子というべきか。

「大丈夫? 痛かった? ごめんね」

「~~~~~~~~~~っ!」

 仁科は赤くなった女の子の鼻に触れる。しかし、それによって更に驚いた妖精の子は、目の前で忽然と姿を消してしまった。実際は妖精の姿に戻ったことで仁科には見えなくなってしまっただけだが。

「………………………………!!」

 ポテッとそのまま後ろに倒れる仁科。声も出せぬほど驚いて卒倒してしまったみたいだ。

「わーーっ、仁科。しっかりしろ!」

 俺は仁科の側に駆け寄り肩を抱き起こす。顔を覗くと仁科は完全に気絶していた。

 その間にも妖精の子は教室の窓をすり抜け逃げようとしている。

「千晴。後は私が追いかけて話をつけてくるから、お前はそのスピ女子の介抱をしてやれ。すぐに戻る」

「え? 紗々良さん。ちょっと待っ…………」

 俺の言葉を聞き終わる間もなく紗々良さんは妖精の子を追いかけて外に出て行ってしまった。話をつけるとはどういうことだろうとは思ったが、今は紗々良さんに任せるしかない。

 とりあえず今、俺がやらなきゃならないことは。

「保健室、今の時間でも開いてるかな?」


 ○ ○ ○


 まだ部活が行われている時間だけあって、保健室もまだ開いていた。

 気絶している仁科をおんぶで運んできた俺は、適当なことを言って誤魔化し、ベッドに寝かせると後は保健室の先生に任せてそそくさと部屋の外に出て来てしまった。長い間いるとボロが出てしまいそうだったからだ。

 廊下には妖精の子を追いかけていたはずの紗々良さんが既に戻って来て待っていた。

「お疲れさまだな、千晴」

「いえ、こうなるかな、と予想はついていましたし……」

 苦笑いしか出ない俺。紗々良さんも困ったものだなと言いたげな表情をしている。

「あの……妖精の子の方はどうなりました?」

 本来の目的の方を聞いてみる。もしかして、また逃げられてしまったか、それとも紗々良さんが一人で解決してしまったか。

「少し無理やりだったかもしれないが、捕まえて話をつけてきた。何か私達に用があるなら後で行くから例の廃神社で待ってろと」

 痺れを切らした紗々良さんが強引に取っ捕まえたのが目に浮かぶ。

「それじゃ、今からそこに行けば妖精の子はいるわけですね?」

「あのまま逃げていなければな。もし逃げていたら、私はもう知らない」

 プイッと横を向く紗々良さん。強引なやり方のせいで妖精の子が恐れをなして逃げていなければいいけど。


 学校を出た俺と紗々良さんは、先に家に帰ることはせずに直接廃神社に向かった。

 廃神社の参道の前まで来たものの、妖精の子の気配は感じられない。

「どうやら逃げないで、ちゃんといるようだな」

 紗々良さんは鼻をクンクンさせ、妖精の子の存在を感じ取っていた。恐らく気配を消しているのだろうが、俺には気付かれなくとも紗々良さんの鼻は誤魔化せないようだ。

 二人で参道を歩き、階段を上がって行く。妖精の子は境内にいるらしいが、自分達が近づくことによって逃げようとする気配は無さそうだと紗々良さんは言った。

 階段を上りきって境内全体を見回して見るが、妖精の子の姿はない。案の定、何処かに隠れているのだろう。

「おーい、妖精さんいるんだろう? 出て来てくれないかー」

 傍で知らない人が聞いていたら頭のおかしい人と思われるだろう台詞で呼んでみたが。

 ────────────シーン。

 何の反応もない。その状況に俺の横にいた紗々良さんがため息をつく。

「何も答えないというのは、放っておいて欲しいということかもしれないな」

「そうなんですか?」

 紗々良さんは妖精の子が何処に隠れているのかは、だいたい見当がついているらしい。ただ妖精の子を無理やり引っ張り出すことはせずに妖精の子が自主的に出て来るのを促しているようだ。

「そもそも、お前は憑かれやすいのだから、好き好んであやかしモノに深く係わる必要も無いだろう。相手にその気が無いのなら、もうこれ以上係わらなくていい」

 そう言うと紗々良さんは帰れと言わんばかりに俺の身体を階段の方へ向けた。

「二度と、係わらなくていい……」

 低く響いた紗々良さんのその声は俺にではなく、もう一人の存在に対して言っているように聞こえた。

「ま、待って……」

 境内の奥からか細く可愛らしい女の子の声が聞こえた。

 振り向くとそこにはピンク色の髪の十五センチ程の小さな妖精の子が飛んでいた。

「やっと、出てきたか」

 紗々良さんがやれやれと疲れた表情で妖精の子を見ていた。焦らせて、早く出て来るように、わざと煽っていたみたいだ。

「え、と……キミだよね、昨日俺達のことを何処からかずっと見ていたのは?」

 俺はゆっくりと妖精の子に近付く。しかし、妖精の子は身体をビクッと震わせると瞬時に後ろに下がり距離を取る。

「あ……」

「少しは我慢しろ。話が進まないだろう」

 紗々良さんは呆れ顔で妖精の子に釘を刺す。妖精の子も紗々良さんをチラッと一目見ると、改めて気合いを入れて俺の前まで飛んできた。見るからにガチガチに身体が固まって緊張している様子である。そこまでしないと側に来れないほど俺は怖いんだろうか。ちょっとショックだ。

「絶対俺はキミに危害を加えたりしないから安心して」

 妖精の子は頭をカックンカックン上下に動かして無言で答えた。何かすごくテンパってるみたいで俺の言ってることがちゃんと頭に入っているか疑問になる。

「まず、キミをどう呼べばいいのかわからないから名前を教えてもらってもいいかな?」

 俺は相手を怖がらせないように、出来るだけ優しく声をかけた。

「リイ……」

 小さな声で妖精の子は答えた。よかった、何とかコミュニケーションは取れそうだ。

「リイって言うんだ」

 ────コクコク。

 リイはまた首を立てに振る。さっきよりも動作はスムーズだ。少しずつ緊張もほぐれてきたのかもしれない。

「俺は千晴で、こっちは神使の紗々良さんだよ」

 自分と一緒に俺は紗々良さんの方に手を向けリイに自己紹介をした。

「千晴……紗々良…………」

「呼び捨てとは中々の度胸だな」

「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」

 紗々良さんが不満を漏らすとリイは途端に涙目になり後ずさり、必死にペコペコと謝った。どうも紗々良さんはあやかし関係には厳しい。

「千晴様……紗々良様…………」

「お、俺はそんな丁寧に呼ばなくていいよ?」

 全然話が進まない。

「リイは人の姿にもなれるんだよね? たまにそれで町中を歩いたり、今日は学校の空き教室で何かキョロキョロしてたけど、何か探してるの?」

 ────フルフル。首を横に振った。

「あ、あの……」

 リイの目が泳いでいる。言おうかどうか迷っているみたいだ。しかし、すぐに観念したように口を開いた。

「わたし、人間になりたいんです……」

「…………は?」

 予想していなかった答えに俺は呆気にとられていたが、紗々良さんは予想していたかのように、またため息をついた。

「たまにいるんだ、こういうモノ達が」

「人間になりたがるモノ達がですか?」

 たまに、というからには今回が特別なわけではないということだ。

「人の世を見て、憧れ、同じことをしてみたい、同じになりたい。そう思い、姿だけ真似をして紛れ込む。そういう、あやかしや物の怪の類いは少なくないんだ」

「だとしたら、昨日リイが俺達をずっと見ていたのは、一体……」

 俺と紗々良さんはリイの方を見る。一斉に二人に見られて慌てるリイ。だが、すぐにオドオドとした様子で喋り始める。

「紗々良様に人間にしてもらえないかと思ったんですが……」

 本当に用があったのは紗々良さんの方だったみたいだ。

 だけど、リイは言いにくそうにチラッと紗々良さんを見る。

「こ……怖かったんですっ」

 目を瞑って声を絞り出してリイは言った。出来る限りの勇気を振り絞って。

「怖い? 私は怖いか……?」

 一方、紗々良さんは顔を引きつらせていた。仁科の時と違い、面と向かって言われるとやはりショックをみたいだ。でも、紗々良さんのリイへの態度を見ていると、それも仕方ないと思う。

「紗々良さんは、怖くないよ」

 それでも俺は、自分の素直な気持ちを言った。

「誤解されるようなこともあったかもしれないけど、紗々良さんは今まで俺が困った時、悲しい時、苦しい時、いつも親身に助けてくれた。本当に優しくて素晴らしい神使なんだ」

 紗々良さんの方を見ると、顔がほんのり赤くなっていた。少し照れてるのかな?

 でも、この嘘偽り無い気持ちはリイにも伝わったようだ。さっきよりは警戒心は無く見える。むしろ紗々良さんの方が困惑気味に見えるのだが。

「全く……千晴、お前という奴は…………」

「え? 変なこと言ってました?」

「そうではないが……まあいい」

 よくわからないけど気を取り直してくれたようだ。

 紗々良さんはリイに向き直ると、その願い事について答えた。

「結論から言ってしまえば人間にすることは出来ない」

 今度はリイがその言葉にショックを受けていたが、俺には何となく想像は出来ていた。

「そもそも、ただの神使にそんな能力ちからも無ければ権限も無い。そんなのは神がやる仕事だろう」

 いくら強い能力ちからを持った紗々良さんでも、そんなことが出来てしまったら世の中滅茶苦茶になってしまう。流石にそれは無理だろう。

「でも、リイは人の姿になれるんだろう? それだけじゃダメなの?」

 人間になれなくとも、同じことをしてみたいだけなら、それでも良いと思うんだが。

「人の姿では一日十分ぐらいしか、いられなくて…………」

「そうなんだ……」

 確かに、大きな能力ちからを持っている子ではなさそうだからな。

「だいたいなったとしても、あんな臆病でどうやって生きていくつもりだ」

「え、あの……それは…………」

 紗々良さんに痛いところを突かれ口ごもるリイ。

「で、でも、わたし……それでも人間になりたくて…………」

 必死に訴えるリイ。それだけ人間に憧れてるってことなのか。

「そうは言っても、後はもう生まれ変わりぐらいしかないぞ」

 紗々良さんも困った表情をしていた。神使とはいえ出来ないものは出来ない。

「でも、紗々良さん。そもそも妖精って死ぬんですか?」

 人間みたいに肉体があるわけじゃないのに。

「あるぞ。ただ人とは違って身体自体が霊的なものだから、死ぬと姿が保てなくなって、たまゆら……要は球体状になって空へと上がっていくんだ」

 だが、肉体が無い分長命で、普通は簡単に死なないそうだ。人のように自ら命を絶つことも出来ないらしい。

「だったら……わたしを天に送ってくれませんか?」

「私にお前を殺せと言うのか?」

 紗々良さんが険しい表情をした。

「ま、待って、それはダメです! 紗々良さん」

「当たり前だ! 何の悪事もしてない奴を消すことが出来るわけないだろう」

 そんな悪霊がするようなことを頼まれるのは紗々良さんにとっては屈辱なのだろう。

 しかし、リイは怒りの感情を見せる紗々良さんに怯えながらも、更に言葉を付け加えた。

「それなら……わたしが悪いことしたら……退治してくれますか?」

「「な?」」

 流石に紗々良さんも俺も驚く。この大人しい子が、ここまで言うとは想像してなかったからだ。

「…………ん」

 リイは何かを決心すると、また小さく気合いを入れ、突然その場を飛び去った。

「あ……リイ!」

 俺が声をかけた時にはもう遅く、リイは空高く飛んで行ってしまった。

「紗々良さん、放っておいていいんですか? もしかしたら……」

 紗々良さんも俺が言わんとしていることがわかったらしいが、慌てている様子はない。

「あの妖精なりに悪事を働こうとするつもりみたいだが、あの性格だ。まともなことは出来ないだろう。だが……」

 紗々良さんはそれ以上は言わず、リイの背中を見ていた。

 俺も同様に遠ざかるリイを見て思案に暮れていた。

 ────どうして、そこまでして人間になりたいんだろう……。



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