狼少女と幼き少年(3)

 次の日、千晴は来なかった。

 次の日、その次の日、そのまた次の日も、やはり千晴は来なかった。


「どうしたんだ、千晴は……」

 最初はこんな日もあるだろうと思っていたが、これが数日間も続くとさすがに焦りも感じてしまう。特に先日のことを思い出すと、また悪いモノに追いかけられているのではないかと心配になる。

 また、それ以上に心配になってしまうこともある。

「もしかして千晴は私と遊ぶのに飽きてしまったのでは……」

 相手は子供なので、そういう心変わりも想定していたが、実際にこのような状況が続くと不安になってしまう。

「まさか、この前のお菓子は私への餞別せんべつだったのでは?」

 どんどん物事を悪い方へ考えてしまう。

「も、もし、他の人間達と仲良く出来ていて、ここに来られないというなら、むしろ喜ぶべきなのだろうか…………」

 正直複雑な気分になる。

 モヤモヤした気持ちで境内の中をウロウロしていると、遠くでよく知った匂いが微かにした。

「来たか?」

 私は期待を胸に拝殿の陰に隠れて様子を見た。匂いは確実にこちらに近づいてくる。しかし、そこで違和感に気付いた。匂いはよく似ているものの別の人間のものだった。

 拝殿の横に隠れ注意深く見ていると、階段を上って来たのは千晴よりも更に小さな女の子だった。

 その女の子はトコトコと拝殿の前まで歩いて来ると、思い切り手を二回鳴らし、一所懸命お願いをし始めた。

「もう、そこには誰もいないのだがな……」

 つい、あの時と同じ台詞が口から出る。しかし、女の子は何も気付いた様子は無い。この子供には能力ちからは無いみたいだ。

「お兄ちゃんが早く元気になりますように!」

 女の子はいかにも小さい子供らしく願い事を口に出して言っていた。

 たが、そんなことよりも、その子の言った内容が気になった。


 ────お兄ちゃん……元気に…………?


 参拝が終わると女の子はきびすを返し、神社を後にしようとする。

 千晴と匂いが似ている女の子。その子の先程の願い。嫌な予感が頭をよぎり、私は女の子の後を付いて行くことにした。



「そういえば、初めてかもしれないな。こうして外に出るのは」

 私は女の子の後に付いて町の中を見ていた。

 いつもは上から見下ろしていた町。一歩外に出れば普通に見られる特別なものでも何でもない普通の世界。だが実質、神社に引きこもっていたのと同様の私にとって、この普通の光景がとても新鮮に感じられた。

 女の子の後ろに付いて十五分ほど移動した場所にその子の家があった。二階、一戸建ての一般的な家である。

 玄関を開け、「ただいま~~」と女の子は家の中へ入っていった。

 私は一緒には入らずに外からその家を見上げていた。

 別に人様の家に勝手に上がるのが礼儀に反するとかの問題ではなく、この家に近づくにつれ、不快な臭いを感じたからだ。

 私は何者にも気配を感じ取られないように気を配りながら慎重に辺りを探る。静かに庭まで移動してきた私は不快な臭いを強く感じる二階の端の窓の下まで来ると、更に周囲に気をつけて宙に浮き、その部屋の中のモノに悟られぬよう注意を払いながら外から部屋を覗いた。

「…………!」

 尻尾が三本ある狐が宙を舞っていた。

妖狐ようこか……」

 文字通り狐の妖怪だ。その妖狐が漂っているしたにはベッドに横たわっているよく知った子供の姿があった。

 ────千晴!?

 この家の女の子と千晴は兄妹だったのか。道理で匂いが似ていたわけだ。

 しかし、千晴は何故あんな妖怪に取り憑かれているのだろう。霊に比べるとそこら中にいるようなモノでもないはずだが。

 妖狐が眠っている千晴の顔を舐めると身体がビクッと動いた。千晴の顔は青ざめていて、かなり衰弱しているように見える。妖狐が精気を吸い取っているのか。

「まずい! とにかく早く千晴を助けないと」

 私は妖狐に気付かれないよう気配を消し、壁をすり抜け部屋に入っていった。妖狐を逃がさぬよう追い詰めるためである。幸い妖狐は千晴に夢中でこちらには気付いていない。

 妖狐はまた味わうように千晴の顔を舐めた。また千晴の身体がビクッと動く。

 今のこの状況の原因が何であれ、妖怪ごときがベロベロと千晴の顔を舐める姿を見ていたら、無性に腹が立ってきた。自分の知らない所でこんなモノが千晴に手を出しているのが、とにかく許せない。

「狐……その子供から離れろ…………」

 怒りのせいか、私の言葉には思い切り殺気がこもっていた。

 しかし、妖狐は驚くことも恐れることもなく、余裕さえ感じる仕草で振り返った。

「……ん……なに? 狼?」

「だったら、何だというんだ!」

 私は神鳴りをまとった手を妖狐に振り下ろす。もちろん千晴に被害が及ばないように威力を落とし手元も狂わないように注意をしている。

 妖狐はひらりと私の攻撃をかわし、部屋の端に降り立った。

「狼の神使か……こんな場所で何をしているのかしら?」

 どうやらメスの妖狐みたいだ。

「そこにいる子供は私の知人だ。貴様こそここで何をしている」

「あら、愚問ね。あなた見てたんでしょ、ワタシが何をしていたのか。なるほど……この匂い、あなたが先に唾を付けていたのね。そのせいで、この子の精気が少しずつしか吸えなくて邪魔で仕様がなかったわ……」

「下品な言い方をするな!」

 妖狐の言い様は気に入らないが、毎日私と一緒にいたのが功を奏して、千晴を簡単に襲うことは出来なかったみたいだ。

「それなら、二度と千晴に手を出せなくしてやる。もどかしい思いもしなくて済むぞ」

 手に神鳴りをまとわせ私は妖狐を睨みつける。

「遠慮しておくわ……」

 妖狐はふわりと浮くと、そのまま壁をすり抜け逃げ出した。

「逃がさない!」

 私もすぐさま後を追いかける。いつもなら咆哮を使って動きを止めるなりするところだが、家の中では目立つことはしたくない。少し面倒ではあるが普通に後を追うしかない。

 私には鼻もあれば脚もある。そう簡単には逃がしはしない。

「あのような危険な妖怪……放っておくわけにはいかないからな」



 数分は追いかけただろうか。私と妖狐は隣町の住宅地へ来ていた。妖狐はひらりと飛ぶと近くの家の屋根に降り立ち、私も続けてその隣の家の屋根の上に飛び乗った。

「全く……しつこいわねぇ」

「だったら、いいかげん観念したらどうだ!」

 外にいるのなら好都合。更に人の少ない場所にでも移動してくれれば、私も能力ちからを使いやすくなる。しかし、妖狐は不敵な笑みを浮かべ余裕を見せた。

「こんな所でワタシに構っていていいのかしら?」

「何だと? どういうことだ」

「あの子、今頃どうしているかしら?」

「何が言いたい……」

「少しずつではあったけど、だいぶあの子の精気を吸ったもの……あとどれだけ身体が持つのかしら?」

「…………!」

 いくら人と違う能力ちからを持っているとはいえ千晴はまだ子供だ。体力面では大人には到底及ばない。怒りにまかせてつい外に出て来てしまったが、早く戻らないと千晴が危ない。

 私は振り返り、今来た道を戻ろうとする。

「あら、ワタシのことは見逃してくれるのかしら?」

 妖狐はニヤニヤとバカにした目で私を見る。

「くっ……この…………」

 こんな不浄のモノに見下され、背中を見せなければならないというのは非常に屈辱的だが、今は何より千晴の命が最優先だ。

「貴様……次に会った時は無事では済まないと思え…………」

 苦し紛れの台詞を私は吐いて、妖狐に隙を見せ後ろから襲われないよう気をつけ、その場から離れた。妖狐も暫くはこちらの様子を伺っていたが、自分をもう追ってはこないと判断したのか姿を消し、どこかへ逃げて言った。



 千晴の家に戻ってくると私は二階の壁をすり抜け、寝ている千晴の許へと急いだ。

 顔は青白く危険な状態ではあるが、命に別状は無さそうだ。私はすぐにベッドに座ると、千晴の頭を自分の膝に乗せ、額に手を当てると気を送り始めた。

 私達神使の気は人間よりも強いため、細心の注意を払い少しずつ丁寧に送っていった。更に千晴は子供なので、より慎重にしなければならない。無理に気を注ぐと逆に身体に負担をかけてしまう。

 気を使いながら暫くの間処置を続けていると徐々に千晴の顔色も赤みを増していった。

「…………ん」

「千晴、気がついたか」

「……紗々良…………お姉さん?」

「もう大丈夫だからな。安心していいぞ」

「うん……紗々良お姉さん……ボク…………」

「今は何も言わなくていい、元気になってからいくらでも聞くからな。だからゆっくり休め」

 そう言うと、千晴は軽く頷き眠りに落ちていった。今度は穏やかな表情で静かな寝息を立てている。もう心配は無いだろう。

 更に私は千晴に気を送りながら小声で語りかける。

「神社には完全に回復したら来るんだぞ。それまでは立ち入り禁止だからな」

 そうでも言っておかないと、千晴は無理をしてでもやってきそうだからな────。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る