狼少女と幼き少年(2)

 その後も毎日、千晴は廃神社に遊びに来ていた。

 敷地が狭いために結局遊びという遊びも出来ず、殆どが会話をするだけだったが、千晴は飽きもせず毎日私の許に来ていた。

 千晴ぐらいの歳の子だったら、このような場所に来るよりも楽しいことがたくさんありそうだが、そこはあえて聞かないようにする。恐らく話して気分の良いものではないだろうと想像出来るからだ。

 千晴が楽しいのならば、今はまだこのままでも良いだろう。私にとっても有意義な時間なのだから。


 そんな日々をすごしている中、早くも懸念していたことが現実になる。


 それは、いつもと変わらず誰もいない廃神社でゆっくりとした時間が流れる中、拝殿の屋根の上に腰かけ、小さな客人が来るのを心待ちにしている時だった。

「うん。今日は雲一つ無い青空が広がって、とても気分が良い。こんな日は何か良いことがありそうだな」

 樹木の多い神社の敷地内では空一面を見ることは出来ないが、木々の間から覗く、澄み切った青い空を見るだけでも爽やかな空気を感じられた。

 また今日も千晴が遊びに来るのだろうし、天気が良いに越したことはない。

 ──ん? 千晴の匂いがする。早速来たようだな。

 だが、それと一緒にこの爽やかな空気を台無しにしてしまうものも感じられた。

「…………何だ、このニオイは」

 千晴の匂いと一緒に非常に不快な臭いがする。そして、その臭いもまた、こちらに向かって来ている。

「まさか……」

 私は文字通り屋根から飛び降り、神社の階段の上部から下を見る。そこには神社へと続く参道を、地面にうつ伏せで這ってくる男の霊と、それから必死に逃げる千晴の姿があった。

 男の霊は三十代ぐらいだろうか、血まみれで上半身しかない。何かの事故で身体が切断されてしまったのかもしれない。ほふく前進のように這っている割には千晴の逃げ足と変わらない速さだ。大人でもかなり気味の悪い光景だが、子供にとってはまさに地獄絵図以外の何ものでもないだろう。

 後ろを気にしながら逃げでいた千晴は、参道の砂利に足を取られ、つまずき転んでしまう。その間に男の霊に追いつかれ足を捕まれてしまった。

「千晴!」

 私は瞬時に地面を蹴って階段を飛び下り、同時に咆哮をあげた。

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォン!」

 周囲の空気は振動し、神社内の木々も私の咆哮に怯えるかのように反応して、ざわめき震えていた。

 千晴も初めて聞いたその声に驚いたのか、目を丸くしてその場で固まっていた。一方、男の霊は私の力によって動きを封じられ動けなくなっていた。

「不浄のモノよ、これ以上この場での不埒な行為はゆるさない!」

 私は男の霊に近づくと無理やり千晴から引き剥がした。

「ウ……ガ……カラダ…………カ……ラダ…………」

 男の霊は既に理性を失っており、無くした身体に執着するだけの悪霊と化していた。

 このままにしておいては千晴だけではなく、他の者にも危害が及ぶかもしれない。

「そもそも、こんな子供を襲う時点で放っておくつもりはないがな」

 私の右手は電気を帯びたように光り出す。神鳴りの能力ちからだ。

「ここにお前のいる場所は無い。これで然るべき場所へ送ってやろう」

 そう言って私は、手の中の光を投げ捨てるように男の霊に放った。

「グ……ガガガガガガガガガガガガガガ………………ッ!」

 放電する光の中で苦しみの声を上げる男の霊。魂が黒く染まってしまったモノほど、この光は苦痛に感じてしまう。どのような理由があって、このような姿になったかはわからないが、今の状態で現世を彷徨わせるよりは、強引にでも成仏させてしまうほうがこのモノにとっても最善だろう。

「ガ……ア……ガガ…………」

 男の霊は光の中で次第に姿が霞んでいき、そしてボロボロと形が崩れ、消えていった。

 浄化が完了し一安心と後ろに振り向くと、目を丸くしたまま座り込んでいる千晴がいた。

「あ……千晴、驚かせてしまったか……もしかして怖がらせてしまったか?」

 私の能力ちからを見て、改めてあの男の霊と同様に私にも恐怖心を覚えてしまったのではないかと心配になってしまう。

 そんな私の心情をよそに千晴は首を横に振った。

「少しビックリしたけど怖くはないよ。それよりも凄かったよ! 助けてくれて、ありがとう。紗々良お姉さん」

 正義の味方を見るような目で私を視ている千晴。むしろ私の株が上がったみたいだ。

「礼などいらないさ。これも私の仕事みたいなものだしな」

 大きな態度をとってはいるが、怖がられたり嫌われたりしていなくて内心ではホッとしている。こんなことで、この有意義な時間が失われては、それこそあの男の霊を怨んでも怨みきれない。

「だが、さすがに怖かっただろう? あんなモノに追いかけられては」

 普通の子供ではあのような気味の悪い姿の霊を視たら、恐怖で動けなくなるばかりか心の傷としていつまでも残りそうだ。

「怖いけど……でも、慣れてるから…………」

 下を向いて諦めの表情で呟く千晴。

 慣れているほどこの状況が日常だということか。子供にとって、どれだけ苦痛なことだろうか……。

「そうだ! さっき転んだ時、ケガはしてないか?」

「うん、大丈夫だよ」

 千晴はズボンの裾を上にずらし、膝を見せる。少し赤くはなっていたが、大した傷も無く大丈夫そうだった。

「ならば、いつも通り境内うえに行くか」

「うん」

 私は千晴の手を引いて二人で神社の階段を登っていく。心なしか千晴の元気が無いように見えるが、あのようなことがあった後では、それも仕方がない。

「千晴はいつもあんなモノに追いかけられているのか?」

「あれだけ気持ち悪いのは珍しいけど、普通の幽霊だったらよく……」

 余程何かの目的があって動いている霊でもなければ、目に視えぬ存在を視たり感じとったりを出来る人は、彷徨っている霊の標的になりやすい。自分を理解してくれる数少ない存在だと思っているからだ。

 ──そういう意味では私も、彷徨っているモノ達と余り変わらないのかもしれないが……。

 階段を登りきり、拝殿の前の参拝をする場所にある段差の所で二人で腰を下ろす。

「今日は走って来て疲れただろう? ゆっくり休め」

 そう言って私は千晴の身体を傾け、膝の上に頭を乗せる。そのまま千晴は私に身を預け、特に何を話すわけでもなく、大人しくしていた。

 今日みたいなことがあった日は、静かに心を休めるほうが良いだろう。

 私も何も言わず千晴の頭をただ優しく撫でる。その拍子に額にかかった髪がはらりと垂れ下がり、髪の毛の生え際付近にアザが見つかった。

「ん? 千晴。これもさっきの霊にやられたのか?」

「え?」

 千晴は一瞬何を言われているのかわからないようだったが、すぐに私の言葉を理解し、額に手を当てアザを隠した。

「これは……さっきのじゃないよ……」

「新しいアザに見えるが、どうかしたのか?」

 大ケガではないものの、どうしても心の中で何かが引っ掛かってしまい、聞かずにはいられなかった。

「えと……ちょっと転んじゃっただけだよ」

 膝の上で顔をこちらに向け、エヘヘと笑う千晴。その笑顔は悲しそうで明らかに何かを隠していた。

「千晴。私の前では嘘はつくな」

「……………………」

 千晴は暫くの間目線を逸らし黙っていたが、やがて観念したかのように、ゆっくり起き上がってポツリポツリと話し始めた。

「クラスの子にホウキで殴られたんだ……」

「殴られた? 何故?」

「掃除の時間にさっきのとは違う別の幽霊が急に視えて、ビックリして声出しちゃって……」

「どうして、それだけで……」

「皆、知ってるから。ボクが幽霊とか他人ひとに視えないものが視えるの知ってるから……だから気味悪がられたり、怖がられたりして…………」

 ────それで、殴られたわけか……。

 人は目に見えないものは普通は信じない。単純に理由がそれだけという人間もいるが、中にはそのようなモノに対し恐れを抱き、それを感じる者に畏怖の念を持ち否定したり排除しようとする者もいる。普通の人間にとって千晴は変わり者か畏怖の存在でしかないのかもしれない。

「どうしてボクはこんな能力ちからがあるんだろう? 無ければ、もっと皆と普通に…………」

 千晴の目から涙が零れ落ちる。今まで本当に辛い思いをしてきたのだろう。千晴を苦しみから解放してあげる方法は……ある。

「千晴。私ならお前のその能力ちからを消すことも出来るが……」

「え?」

 驚いた表情をして千晴は私を見る。

「そうすれば、これまでみたいに霊などに悩まされなくて済むぞ」

「本当?」

 不安そうにしつつも千晴は希望を見出した眼差しで私を見る。

「その代わり、私の姿も視えなくなってしまうが…………」

 そう言うと一瞬で千晴の表情が曇った。

 ────私はズルい……。こんなことを言えば千晴がどう答えるかわかりきっているのに。本当は何も言わず能力ちからを消して、普通の人間と同じように暮らしていたほうが幸せだとわかっているのに。ただ自分の存在を気付いてもらえなくなるのが寂しくて、こんな子供を困らせようとしている。

 フルフル……千晴は首を横に振る。予想通りの反応だった。

「紗々良お姉さんに会えなくなるのはイヤだから」

「そうか……」

 それでも、私は内心ホッとしていた。自分のわがままでこんなことを言わせてしまったことに罪悪感を感じながらも。


 ──だから、せめて……。


「他の人間がお前を否定しようと、どんな悪霊がお前を襲ってこようとも、私はいつでも千晴の味方でいるからな。絶対に」

「うん……」

 千晴は今日初めて嬉しそうな笑顔で私を見た。この子は私を本当に信頼してくれているのだ。そんな千晴を私は騙すようなことをしてしまった。この無垢な笑顔に私は何度も謝罪をして、改めて何があってもこの子を守っていこうと思った。

 私と一緒にいる時は何も心配せず、嫌なことも忘れ、いつも安心していられるように。



 次の日。

「千晴。どうしたんだ、それは?」

 千晴の手に持っている袋の中にはたくさんのお菓子が入っていた。

「えっと、お供え……というよりも、昨日助けてもらったお礼」

 いかにも小学生の子供が選びそうな物ばかりだったが、千晴なりに考えて少ないお小遣いで買ってきてくれたみたいだ。

「別にそんなに気を使わなくてもいいんだぞ?」

「でも、他にどうお礼したらいいかわからなくって……」

 ──まあ、せっかくの千晴の気持ちだからな。

「今回はありがたく頂いておくよ。次からは普通に遊びに来てくれるだけで私は満足だから」

「うん、わかった」

 こんな子供に自分のためにお金を使わせるのは、さすがに忍びない。

 私はお菓子がいっぱいの袋を受け取り、その中から煎餅の入った袋を取り出した。そして、私は千晴に声をかける。

「千晴も一緒に食べよう」

「でも、それは紗々良お姉さんに買ってきた物だから……」

 子供らしくなく律儀に遠慮をする千晴。だが、子供を目の前に自分だけ食べるほど私は図々しくはなれない。

「ここで一人で黙々と食べるより二人で食べたほうが美味しいだろ? 千晴が食べないなら私も食べないぞ」

「食べる! ボクも食べるから」

 お礼を受け取ってもらえないと思ったか千晴は焦っていた。逆に千晴はもう少し子供らしく図々しくても良いのではないかと私は思う。

 私と千晴は拝殿正面の段差に座り、二人でそのお菓子を食べた。そのお菓子は神社が顕在だった頃に供えられた物よりも美味しく感じ、持ってきた千晴も食べながら満足そうに笑っていた。

 細かく砕いた煎餅を地面に撒くと、近くにいた小鳥達が降りてきて、懸命にそれをついばんでいた。そんな微笑ましい光景を見て、二人でまた笑った。


 空は蒼く澄み渡り、時より吹くそよ風は境内の木々を優しく揺らす。そんな穏やかに過ごす時間が少しでも永く続いてくれることを私は祈った。

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