二話 狼少女と幼き少年

狼少女と幼き少年(1)

 これが滅びの美学とでも言うのだろうか。管理が人の手から離れた建物は途端に埃が積もり、汚れ、所々が傷んでくる。


 ここは町の小高い山の中腹にある神社である。

 建物などは取り壊されていないため、形としては残っている。入口にある鳥居をくぐり参道を歩くと百段ほどの階段があり、それを登りきった所の両端には狼の狛犬が立っている。右側には今は枯れてしまった手水舎があり、奥にある小振りな拝殿の中はガラクタをしまう倉庫と化している。


 こんな場所なので今は人が来ることもなく──────ん? 人の匂いがする。

 その匂いは徐々にこちらに近づいてくる。私は拝殿の正面から建物の横に身を隠し、様子をうかがう。正直、私の姿は人には視えないのだから隠れる必要はないのだが、元々私は人の前に出ることなどは殆ど無かったため条件反射のように隠れてしまった。

 そのまま、待っていること三分ほど。階段を上がってきたのは一人の男の子だった。八歳か九歳ぐらいだろうか。

 その子は百段の階段を上がってきて疲れたのかその場で少し休み、息を切らしながらゆっくりと拝殿の前までやってきた。

 周りをキョロキョロと見回して何かを探している。十円玉を片手に持っているところを見ると賽銭箱を探しているようだが撤去されていて今は無い。その子はお賽銭を入れるのを諦め、目の前にある鈴を鳴らし、パンパンと大きく手を叩くと随分と熱心に祈り始めた。

 その姿を見て何だか申し訳ない気分になってしまった私は、思わずその子の横に立って呟いた。


「もう、そこには誰もいないよ……」

「え?」


 その男の子が振り向き私を見る。

 ────え? 私が視えているのか?

「うわああああああっ!」

 男の子は私の姿に驚くと、背を向け慌てて走り、逃げ出した。そして階段に差し掛かった所で足を踏み外してしまう。

「あ……」

「危ない!」

 私は咄嗟にその場所まで飛んで行き、落ちる寸前で男の子を空中で抱きかかえた。宙に浮いている私の腕の中では男の子が落下の恐怖に縮こまっている。

「もう大丈夫だ」

 私の声を聞いた男の子はきつく閉じていた目を恐る恐るゆっくりと開けた。

「全く……もう少し足下に気をつけて……ん?」

 私の腕の中で、男の子は怯えた目でこちらを見ていた。

「そんな顔をされると、さすがに私も切なくなるな……」

 確かに私は人ではないが、そんなに怖い姿や顔をしているのだろうかと自信を無くしてしまう。子供相手だと、より辛い。

「え……あ、あの……ごめんなさい…………」

 男の子は私の心情を感じとったのか、謝ると急に申し訳なさそうな表情になった。少なくとも自分に害のあるものではないと理解してくれたようだ。

 私はそのまま境内まで飛んで行き、拝殿の前で男の子を下ろしてあげた。

「あ、ありがとう……」

「どういたしまして」

 男の子が怖がらないように、私は笑顔で答えた。

「本当にぼうやは私の姿がしっかりと視えるのだな」

「う、うん……」

 まだ少し不安げな顔をしている男の子。

 仕方ないか。私が何者かわからない上に、いきなり出て来て驚かせてしまったからな……。

「あ、あの……」

「ん? なんだ?」

 男の子が怖がらないように、出来るだけ優しく返事をする。

「お姉さんは……良い妖怪なの?」


 ──よ、妖怪ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ?


「動物みたいな耳と尻尾もあるし、もしかして……」

 チラチラと私の顔色を伺いながら男の子は問いかけてくる。

 確かに知らない人が見たら、そう思うかもしれない。……が、子供に妖怪などと勘違いされたままだと何だか非常に悲しいので、そこはしっかりと説明をする。

「私をそんなモノ達と一緒にするんじゃない。私はこの神社の神使、神の使いなのだ!」

「神様の使い!?」

 驚いてはいるが、さっきとは違い警戒をしている様子ではなく、何か凄いものを見る眼差しに変わってきている。これで少しは怖がらないでくれるだろうか。

「ここは少し珍しい狼の神様を祭る神社でな、ここで私は人と神様を繋ぐ役割をしていたんだ」

 痛み始めた拝殿を見上げながら私は言った。

「人と神様を繋ぐって?」

「簡単に言えば人の願いを神様に持っていく役目だな」

「お姉さんも狼なの?」

「まあ、化身のようなものだと思っていてくれればいい」

 私は階段の側にある狛犬を指差した。

「あの狛犬も狼だろう? ここはそういう場所なんだ」

 男の子にいかに私が素晴らしい存在かを威厳を持って説明をしたつもりだったが、それもすぐに現実に引き戻される。

「そういう場所だった……だな…………」

「だった?」

 私は無言で頷き、この神社の現状を男の子に伝えた。

「ここはもう終わった場所なんだよ……ぼうや…………」

「終わった……場所?」

 男の子はキョロキョロと辺りを見回していた。

「拝殿の扉の格子状になっているところから中を覗いてごらん」

 私に言われた通り、男の子は格子状になっている隙間から拝殿の中を覗き込んだ。

「ガラクタばかり……」

「神様は帰っちゃったんだよ」

 神社として言えば、この場所に移されていた御神体の分霊が本社に返されたいうことになる。

「どうして?」

「簡単に言えば、この神社を管理する者がいなくなって、維持が困難になってしまったんだ」

 男の子はわかっているのかいないのか首を傾げている。結局は人間の大人の都合と言われるものなので子供にはピンとこないのかもしれない。それでも神様がいなくなったことぐらいは理解出来るだろう。

「でも、それなら……どうしてお姉さんはここにいるの?」

 最もな疑問ではあるが、今の私にとっては少々耳が痛い。本来なら私がここにいる必要は無いわけだからな。

「そうだな……」

 私は少し考え、こちらの心情を悟られないように笑顔でごまかした。

「キミみたいな子がたまにこの場所に来るから……かな?」

 正直私にもよくわからない。未練なのか後悔なのか諦めなのか。それとも私を見つけ、必要としてくれる者を待っているのか。廃神社になった後も、私はここから離れる気にはなれなかった。

「……というわけだから、ここでは願いを叶えてあげることは出来ない。他の神社で頼む」

「うん……わかった…………」

 がっかりさせてしまっただろうか。いまいち気の無い返事をする男の子。とはいえ、ここでは何もしてあげられない。私は心の中でその子に謝った。

 空も段々と赤みを増し、日差しの届きにくい境内は普通の場所よりも早く闇に包まれていく。

「ぼうやも暗くならないうちに早く家に帰ったほうがいいぞ」

「お姉さんはずっとここにいるの?」

 ちょっと心配そうな目で私を視る男の子。こんな子供にも気を使わせてしまっているのだな、私は……。

「今までもずっといたし、こんな場所になってしまっても、それでもここは私の居場所だからな。心配は無用だ」

 そう言うと、男の子は少し安心したような顔をすると、ペコリと私に向かって一礼をして背を向けた。

「あ、ちょっと待った。折角だしぼうやの名前を聞いてもいいか?」

 私を視ることが出来る能力ちからを持った子供だ。記念に名前ぐらい覚えておいても損はないだろう。

「あ……ボクの名前は千晴。杉原千晴」

「杉原千晴か。私の名前は紗々良だ。縁があったらまた会おう」

 千晴は階段を下りる前に私の方へ手を振って、そして小走りに階段を下りていった。

「足下に気をつけるんだぞ!」

 私も小さく手を振り返しながら、その小さな背中を見送った。

 この場所にはもう用は無いだろうから、あの子がここに来ることもないだろう。

 ただ久し振りに誰かと話が出来たのが単純に楽しかった。神社が存在していた時から今までの長い間、私に気付く者なんて誰もいなかったから。



「……で、また来たのか?」

「うん!」

 そこには昨日と打って変わって笑顔の千晴が立っていた。

「昨日も言ったが、ここでは願い事は受け付けられないんだぞ?」

「わかってる。今日はここに遊びに来たんだ」

 ──あ、遊びに来た?

 それは、どういうことか? わたしに会いに来たということなのか? もしかして懐かれているのか? 私は懐かれているのか?

「そ……それは、私と遊びたいということか?」

「うん。紗々良お姉さんと」


 ────さ、紗々良お姉さん?


 な、何か身体がムズムズする。こんな感覚は初めてだ。気恥ずかしさもあるが、とにかく心が落ち着かない。

 しかし、私みたいな人ではない存在が、気軽に子供と遊んでもいいのだろうか。

「もしかして、迷惑だった……?」

「う…………」

 千晴が寂しそうに上目遣いで私を見る。正直その眼差しは反則じゃないかと思う。

「迷惑じゃないぞ。そもそも暇だし、やる事など何も無いからな」

「ホント?」

 花が咲いたように笑顔になる千晴。仕方が無い、あんな表情されたらさすがに断れない。

「紗々良お姉さん、凄い尻尾振ってるね」

「な?」

 気付かないうちに目一杯振っている尻尾を後ろで押さえつけ、適当なことを言ってごまかす。格好悪いところは余り子供には見せたくない。

「ち、近くに虫がいたんで追い払っていたんだ……」

「そうなの?」

 千晴は首を傾げて私を見ていた。

 自分でも気付かないほど心の奥では、この状況が嬉しかったのだろうか。

 ──今まで、こんなこと一度も無かったからな…………。

「とはいうものの……何をして遊ぶか?」

 この神社は敷地がやたら狭いので、鬼ごっこもかくれんぼも出来ない。だからといって最近の機械を使った遊びなど私には到底出来ない。

 ……と、そういえばその前に。

「余りにも普通に喋っていたので忘れていたが、千晴はいつからその能力ちからを持っているんだ? 私のような神使を簡単に視られるなんて相当なものだぞ」

「え……」

 千晴の表情が曇ってしまった。しまった、聞かない方が良かったのか。

 しかし千尋は戸惑いながらも、少しずつ話し始めた。

「いつからなんてわからない。小さい頃は自分が視えるものは普通だと思ってたから……」

 ──生まれつきか……。

「でも、ボクが誰かと話してたり、怖い人がいるって言っても誰も信じてくれなくて、そのうち、みんな変な顔でボクを見るようになって……それでボクにしか視えてない人達がいるのがわかったんだ」

 自分が視えないものを視える人がいるというよりも、自分が視えるものが他人には視えないということを知ってしまった方が恐らく心に与える衝撃は大きいのだろう。

「おかしい子だと思われて無理やり病院につれて行かれたりもして、だからそれからは他の人にはそういうことは言わないようにしているんだけど、たまに変なモノに追いかけられた時にまたバレたりして…………」

「そうか、千晴も苦労してるんだな」

 もう、これ以上話させる必要はない。千晴がこれまで苦しんできたことは充分に想像がつく。ならば、せめてこの場所にいる間ぐらいは、そんな苦しみから解放してやろう。これでも私は神使なのだから。

「フフフ……だとしたら、ここに来たのは失敗かもしれないな」

「え?」

 驚いて振り向く千晴の背後に回り、私は両手を大袈裟に振り上げた。

「ここにも変なのがいるじゃないか~~」

 場をなごませるつもりで、わざとふざけた口調で言っているので緊張感も何もないと思うが、少しは驚いて反射的に逃げるかと思われた千晴は微動だにせず、その小さな背中は私の腕の中にすっぽり包み込まれてしまった。

「あれ?」

 予想外の反応に戸惑っていると千晴は私の方に向いて苦笑いをして言った。

「紗々良お姉さんは変なものじゃないよ……」

「あ……」

 真面目に返され思わず私は赤面してしまう。自分のしたことが、ちょっと恥ずかしくなってしまって言葉が出てこない。

「ほら……変なものじゃない…………」

 そう言って千晴は抱きついてきて私の胸に顔をうずめる。甘えなのか、安心なのかわからないが、その体温から私を信頼してくれているのは充分に伝わってくる。

 そんな千晴の背中に手をまわし、私は優しく抱きしめた。

 私の中に暖かいものが流れ込んでくる。それと同時に、この子への保護欲が急激に高まっていく。自分にこんな感情があったなんて今日まで知らなかった。

 とにかく可愛く感じてしまって顔がニヤついてしまう。しかし、こんなに慕ってくれる子に自分のだらしない姿は見せたくない。やはり、この子にとって私は頼れる格好いい存在でいたいから。

「コホン!」

 私は何事も無かったように平静さを保ち、優しく千晴に話しかける。

「千晴」

「なに?」

 千晴は顔を上げ、何の疑いも持たない純粋な目で私を見た。

「今度、変なモノに追いかけられたら私の所に来るといい。どんな魔物だろうと追い払ってやるからな!」

「いいの?」

「あたり前だ。約束する」

 私は自分の小指を千晴の小指に絡ませ、指切りをした。千晴も嬉しそうな顔をしてくれた。


 神社が無くなってしまい、すべてを失ってしまわれたかと思っていた私に出来た小さな約束。でもそれは、本当に久し振りに私の心を満たしてくれた。

 ────私にも、まだ存在価値があるのだな。

「あれ?」

「どうかしたか?」

「紗々良お姉さん、また凄い尻尾振ってるね」

「……! いや……これはまた、虫がな…………」

 身体は正直だった。

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