少年と狼少女(6)

「……………………!」

 しばらく経っても何も起こらなかった。

 恐る恐る目を開けて見ると、女の霊が小刻みに震えてながら俺から少しずつ離れて行き、そのまま苦しみ出したかと思うと、霊の恐らく腹の部分であろう場所が歪み、そこから一本の腕が中から突き出した。

 その見覚えのある腕は闇を切り裂くように上から下へ勢いよく振り下ろすと、開いた空間から紗々良さんが現れた。

「ケホッ……ケホッ……何でこんな不浄のモノにまとわり付かれているんだ…………」

 紗々良さんは心底不快な表情をして、埃を払うように自分の身体に付いた女の霊の邪気をはたいていた。

「紗々良……さん…………」

「千晴!」

 安堵してその場でへたり込んでいる俺の元に、紗々良さんは急いで駆け寄ってくると俺の身体をペタペタと触り始めた。

「大丈夫か? 何処も怪我は無いか?」

「だ、大丈夫です……紗々良さんくすぐったいですっ」

「本当か! とりあえず身体に異常はないみたいだが……」

 相変わらずのスキンシップと過保護ぶりだが、今はこのお陰で、さっきまでの緊張も和らいで段々と気分が落ち着いてくる。

 紗々良さんは一通り俺の様子を見て、特に何も無いと確認すると安心したのか、今度はギュウウウッと、俺を抱きしめた。

「うん、お前が無事なら、それでいい……」

 顔に当たる柔らかな胸の感触が心地よくも恥ずかしい。俺ももう子供ではないので、本当はこういう密着はもう少し遠慮してもらいたいのだが。

 そんな俺の心情など知りもせず、俺の無事を肌で感じ取って満足した紗々良さんは、後ろにいる元凶へと振り返った。

「それで……原因はアイツか…………」

 紗々良さんは俺と話しかける時とは違い、低く迫力のある声で言った。

「この女、やはり千晴に憑いてきたか」

「紗々良さん、初めから俺の方が狙われると思ってたんですか?」

「どうせ憑いてくるなら能力ちからのある千晴の方が得だろう?」

 確かにそうだ。自分に利益のある人間に憑いていく方がいいに決まっている。写真を撮った本人が一番危ないと勝手に思い込んで、そんな単純なことをすっかり忘れていた。

「千晴の声、ちゃんと聞こえたぞ。後は私にまかせろ」

 紗々良さんは立ち上がると、手に持った御守りを見せ、笑顔で言った。

「それは、さっき女の霊に飲み込まれた御守り……」

 すっかり吸収されてしまったと思っていたが全くの無傷で残っていた。そうか、御守りが媒介になって紗々良さんと通じていたんだ。

「出来ればもう少し早く呼んでほしかったがな……」

 紗々良さんは着物の裾を払いながら言った。まとわり付いた女の邪気が余程不快だったみたいだ。

「すみません……」

「謝ることはない。悪いのはアイツだ。千晴を苛めた報い、きっちり受けてもうおう」

「い、いじ…………」

 ────紗々良さんから見れば俺はまだまだ子供なんだろうか。

 そんなことを話している間にも女の霊は崩れた身体をまとめ直して、こっそりと逃げようとしていた。

「逃がすか!!」

 紗々良さんがそう叫んだ瞬間、目の前が光り、ドンッ!と低い音が聞こえたかと思うと、女の霊の身体の側面が肉食動物に喰い千切られたようにえぐられていた。

「私の神鳴りの牙からは逃げられはしないぞ」

 紗々良さんの手元からは、刃物のように鋭く切れ味のよさそうな稲光がバチバチと音をたて光っていた。

 神鳴り。雷の語源とも言われる。紗々良さんはその能力ちからを用い、自分の牙として扱い相手を切り裂くのを得意としている。そして不成仏霊を浄化してしまう。

 今もその能力ちからをくらった女の霊はえぐられた部分を中心に身体が二つに分かれてしまった。

 その内の一つ、本体から分かれた黒い塊は更に分解して、多数のオーブの光となり、浄化され空に上っていった。多分女の霊に取り込まれた魂達なのだろう。

 だが、中心であった女の霊はまだ浄化されず、苦しみながら未だそこに残っていた。

「なかなかしぶといなコイツは。まあ、次で終わる」

 全く余裕の紗々良さん。やはり神使の能力ちからは凄い。流石としか言いようがない。油断するようなことはないと思うが、弱体化したとはいえ、強力な霊なのは変わりないので一応注意だけしておく。

「この霊さっき、俺を喰おうとした奴なので気をつけて下さいね」

「なに? 千晴、コイツに喰われそうになったのか!」

「え? はい。紗々良さんのお陰で間一髪で助かりましたけど……」

「か……かんいっぱつ…………」

 紗々良さんの身体がプルプル震えている。何か雲行きがあやしい……。

「本当に、何でもっと早く私を呼ばないのだ。お前は!」

「え……あの?」

 急に怒りの矛先がこっちに向いてしまった。

「お前にもしもの事があってからじゃ遅いんだぞ!」

「す、すみませんっ。あっ……お、お説教なら後で聞くので、今は早く後ろを向いてください!」

 逃げられないと判断したのか、背を向けた紗々良さんに女の霊が玉砕覚悟で襲いかかろうとしていた。

「うっとうしい!!」


 ────ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!


 紗々良さんの咆哮が辺り一面に響き渡った。

 ──────ビリビリビリビリビリビリッ

 視界に入る、ありとあらゆるものが震えた。それは、空間全体を振動させるほど強力なもので、この場にあるもの全てを支配してしまうのに充分な力量を感じた。その力は俺の身体を通して魂まで揺さ振られているようだ。ここから離れた場所でも、少しでも敏感な感覚の持ち主だったら、異変に気付いたかもしれない。

 その咆哮を真正面から受けた女の霊は全身が硬直し、金縛り状態になっていた。

「千晴を喰おうとしたコイツには相応の罰を受けてもらう…………」

 前方へ突き出した紗々良さんの手から放電が始まると、次第にそれは足元へとまとまり、一匹の狼を形作った。その狼は身体中に雷をまとい、元々の見た目に輪をかけて獰猛さを感じさせた。

「行け!!」

 紗々良さんが手を振り下ろし命令すると、狼は矢のような速さで一直線に飛びかかり、女の霊の首と思われる部分に噛み付いた。

「ギイイィィィィィィアアアアアアグオオオオオオオォォォォォォォォ────────!」

 言葉にならない叫び声をあげ、苦しみ悶える女の霊。抵抗を試みるも狼の力と放電に動きを封じられ、急速に霊力を消耗していった。弱った女の霊は力無く抵抗を続けていたが、程なくして動きを止めた。力が尽きたようだ。

 その光景を傍で見ていた紗々良さんは、女の霊に引導を渡すようにこう言った。


「送り狼だ。然るべき場所へ連れて行ってもらえ」


 雷をまとった狼に女の霊は首を噛み付かれたまま引きずられいき、徐々に姿が薄くなっていくと、ダイヤモンドダストのように光をちらつかせ、静かに消えていった。

 然るべき場所という所に行ったのだろうか。想像すると、ちょっと恐ろしい。

「これ以上……失うのは…………」

 紗々良さんは小声で何かを呟いていた。

「え? 何ですか、紗々良さん」

「何でもない。気にするな」

 哀愁が漂う表情で紗々良さんは言った。しかし、それもつかの間、すぐに不機嫌な眼差しでこちらを見た。お説教タイム。

「……で、言いたいことはあるか?」

「う……紗々良さんを呼ぶつもりはあったんですけど、奈緒のことも頼んだりしたのに、俺の都合で振り回すのはどうかと思いまして……それに、あの御守りがあれば俺でも追い払うぐらいは出来るかと思って…………」

「…………………………」

 ち、沈黙が怖い。

「過信でした。すみません……」

 ハアッと紗々良さんは溜息をついた。仕方がない奴だという表情をしていた。

「いいか千晴、よく聞け。これから私は神使らしくないことを言う」

 真剣な表情で紗々良さんは語り出した。

「もし、お前の命と何万人の命、どちらかを救えというなら私は迷わずお前を助ける。それが間違いと言われてもだ。他の者など構わない。千晴が無事なら私は本望だ。私にとってお前はそれほどの存在なんだ。だから危険な状況になる前にもっと早く私を頼れ。いいか?」

「は、はいっ……」

 いつもは優しい紗々良さんだか、俺の命が掛かった時は途端に厳しくなる。それに、いつにも増して無茶なことも言う。こんなことを言わせてしまうのも、やはり自分の至らなさが原因ではあるのだが。

「全く……あんまり私を怖がらせるな…………」

 小さい声で紗々良さんが呟いた。

「え……何ですか?」

「何でもない。それより、この御守りは没収だ」

「ぼ、没収ですか?」

「理由は千晴自身がよくわかっているだろう?」

 確かに……今さっき自分が言ったばかりである。何も文句は言えない。

「安心しろ。私がいつも千晴の傍で守ってやるから!」

 うんうんと満足そうに頷く紗々良さん。心なしか機嫌も直ってきているように見える。

 結局、紗々良さんにとって俺はまだ子供同然で、守らなくてはならない存在のままなのだろう。心配をかけている時点で全てにおいて未熟なのかもしれない。今の俺では、まだまだ紗々良さんの役に立つなんて到底出来ない。


「それじゃ千晴。家に帰るか」

 晴れやかな表情で手を差し出す紗々良さん。一段落してスッキリとしたみたいだ。でも、このまま素直に帰るわけにもいかない。

「あ、ちょっと待って下さい」

「どうかしたのか?」

 疑問の表情を浮かべる紗々良さんに俺は奥に倒れている先生を指差した。

「……そんな所にオジサンがいたのか」

「気が付いてなかったんですね……」

 紗々良さんは興味の無いものは気にも留めず、視界に入っていないことも多い。

「先生です。このまま放っておくわけにはいかないです」

 こういう時のフォローをするのが今の俺が出来るせめてもの役目。でも、一応俺でも紗々良さんにしてあげられることはあるというわけだ。

「む~~~~~~~~~~~~~~………………」

 面倒くさそうに唸って考えていた紗々良さんは先生を指差して言った。

「送り狼に任せよう」

「何処へ連れて行くつもりなんですか?」

 その後、先生を起こし無事を確認すると、好都合にも取り憑かれている時の記憶が無かったので、適当に誤魔化したあと一応保健室に行くのを進め、変なボロが出てしまう前に俺達はさっさとその場を後にした。



 帰り道。横に浮いている紗々良さんが俺を見て冗談ぽく言った。

「千晴の送り狼は私自身だな」

「何処へ連れて行く気ですか?」

 先程のやり取りを思い出して俺は苦笑してしまう。すると紗々良さんは「そうだな……」と少し考え、そして満面の笑みで答えた。


「お前と一緒に安心していられる場所だ」

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