少年と狼少女(5)

 昼休みの終了間際、心配そうに俺の座っている席に寄って来た仁科に、わざと元気そうに振る舞って体調の回復をアピールしたのだが、それが不自然だったのか、逆に不審な顔で見られてしまった。

 実際、体調は本当に悪くはないのだが、先程の図書室の件が頭から離れないせいか、態度が変にぎこちなくなっていたみたいだ。もしくは顔に出ていたのかもしれない。どちらにせよ誤魔化すのがヘタなんだなと思う。

 紗々良さんにも、すぐバレるし……。

 そもそも、俺がしっかりしていないのがいけない。結局、朝も昼休みもそうだったが、いつも慌ててしまって俺がまともな対処が出来てないからだ。もう少し冷静な態度を取ることが出来ればいいのだが。

 正直俺は、いつも紗々良さんに頼ってばかりなので、小さい頃から今現在も一人でどうにかすることが出来ない。まずは最低限、自分の身を守れるぐらいにはならないと話にならない。俺の目的を達成するためにも、もっと自分自身が強くならないと。

 それに、このままあの女の子の霊を放っておくのはまずいと思う。正直余り良い感じはしなかったし、今もこの学校内にいるのなら、他の生徒が襲われない保証はない。能力ちからの無い人にまで姿を見せる事が出来るほどの強い力を持った霊を野放しにするのは、やはり危険だと思う。とは言え、確実に存在を感じとれるのは恐らく俺だけ。幸い今は紗々良さんから貰った御守りがある。倒したり浄化するなどは出来なくても、見つけ出して学校から追い出すぐらいはなら出来るかもしれない。

 いずれにしても紗々良さんは今近くにはいないし力を借りられないので、今度は慌てないように気をつけて、取りあえず自分に出来ることをやってみよう。



 放課後。

 リュックを教室に置いたままにして、適当に校舎内を歩き回った。廊下には部活に行く生徒や帰宅する生徒などで溢れている。まだ人の多いこの時間、他の学年の階などは行きにくいので、先に人の少なそうな別の場所に行ってみる事にする。どうせ、あの小さな女の子の霊も人の多い場所で何かするとも思えない。

 その場を離れ、階段を下りていくと踊り場で一人の先生に声をかけられた。

「キミ、ちょっといいかね?」

「はい?」

 その先生は、白髪混じりの七三分けで眼鏡をかけ、中肉中背の五十代後半ぐらいのベテラン男性教員だった。俺は直接習ってはいないので面識は無い。

「もし急ぎの用が無ければちょっと手伝ってもらえないだろうか?」

「何ですか?」

 本当は暇ではないのだが、一見ブラブラしているようにしか見えないこの状況では断りにくいので、一応用件だけは聞いてみる。

「実は今日と明日、娘夫婦が共に用事で家が留守になってしまうため、私が孫娘を預かっているのだが、一人には出来んのでつい学校へ連れてきてしまったんだ」

「え? じゃあ今日見たあの小さい女の子は……」

「孫を見たのかね? ならば話が早い」

 助かったという表情をして先生は話を続けた。

「孫娘は鬼ごっこかかくれんぼでもしているつもりなのか校内を勝手に遊びまわっているみたいで、今も何処にいるのかわからないんだ。すまんが一緒に探してくれないか? 姿を知っているなら教える手間も省けるし……」

 顔の前に手を合わせて懇願する先生。考える必要もなく俺はそれを引き受けた。

「いいですよ」

「本当か? 助かる」

 どうせ俺もその子を探していたんだし断ることはない。それよりも、そういう事態なら昼休みの図書室の状況は別の意味でまずい。あの女の子から感じた異様な気配、もし、あの子が何かに取り憑かれているのなら尚更このまま放っておくわけにはいかない。早く見つけないと、もしものことが起こってからでは大変だ。


 そのまま俺と先生は一緒に校内を探しまわる。

 別々の場所を手分けして探した方が効率的だと思ったのだが先生いわく、

「もし見つけられても逃げられたら、私の足で追い付けるかどうか……」

 という理由で共に行動する事になった。

 もしもの時の状況を考えると一人の方が都合はいいのだが、全力で走りまわる子供を相手にするのは確かに先生の歳では大変そうだ。そう考えると仕方が無い。

 先生の後ろに付いてまわり探しているうちに、空き教室が並んでいる区画に来た。生徒の姿は無く、辺りは静まり返っている。

「誰もいませんね」

 何処かの教室に隠れていれば別だけど……。

「確かに誰もいないようですね」

 そう言うと先生は俺から離れ、先へと歩いて行った。そして数メートル先で立ち止まりこちらに振り向くこともなく、そのままの姿勢で言った。

「では、かくれんぼも、もう終わりですね……」

「えっ、見つかったんですか?」

 辺りを見渡すが、それらしき姿は俺には見えない。

 キョロキョロと周囲を探している俺に先生は振り向くと、こう言った。

「見つかりました……強い力を……近くに……感じますよ…………」

「え?」

 先生はニタッと不気味な笑みを浮かべると、脳震盪を起こした人みたいに全身の力が抜け、膝から崩れ落ち、その場にに倒れた。

 急な事態に状況が飲み込めず、先生の元に駆け寄ろうとしたその時、俺は異変に気付き足を止めた。

 先生の身体から、あの小さな女の子が這い出てきたからだ。

 ──しまった。取り憑かれていたのか……。

 少女の霊は身体を左右にふら付かせながら立ち上がり、ゆっくりと俺に向かって近づいてくる。ゆらりゆらりと歩く姿は生気を全く感じさせない。図書室にいた時と同じ空気、身体も心も押し潰されそうな恐怖や重圧がこの場に充満する。

「……ニオイをかんジテ……ツイテきた…………おマエの…………」

「……匂い?」

「チカラのある……タマしい……ニオイ…………」

 俺みたいに視える人間は、普通の人より大きな力、又は、他の人には無い特殊な能力ちからを持っているって紗々良さんが前に言っていた。付いてきたと言っていたけど何処で連れてきてしまったかは全く心当たりが無い。

「くう……オマエ…………そうすれば……ワタシ……もっト………………」

「…………!」

 俺を取り込む気か、この子? いや、子供の姿をしているけど子供じゃない。この禍々しい気配は既に魔物と言ってもおかしくない。到底俺の手に負える奴ではないが、だからといって、このまま逃げるわけにもいかない。俺が連れてきてしまった以上倒れている先生を放っていくわけにもいかない。

 幸い今は紗々良さんに貰った御守りがある。これで何とかここから追い払うだけでも出来ないか?

「うフ……ウフふふフふ………………」

 少女の霊は不気味な笑い声をあげながら徐々に俺に近づいてくる。


 ────ニイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ……………………


 彼女は片方の口の端を吊り上げ歪んだ笑みを浮かべた。

 すると突然足を動かすこともなく、立ったままの姿勢で廊下を滑るように俺の方へ突進してきた。

「うわっ……!」

 驚いて俺は無意識のうちに紗々良さんの御守りを目の前に出す。

 バシイィッッ!!

 宙で放電したかのような音と光と共に少女の霊は弾かれ、よろよろと数メートル後ろに離れていった。

「き、効いたのか?」

 少女の霊は陽炎のように揺らめくとその形は崩れ、幼い女の子の姿だったものは黒いモヤとなり、消えてくれるかと期待をしたのも束の間、形を失った黒い塊は途端に倍以上の大きさに膨れ上がり、見覚えのあるモノに変貌した。

「……黒い影の女?」

 それは昨日、妹の奈緒が持ってきた写真の中に写りこんでいた、大きな女性の影だった。

 ただ、目の前にいる女の霊は写真で見たモノとは違い、形のあやふやな身体には、先程までの姿だった少女の顔を含め、二十代ぐらいの青年や女性、中年のおじさんやおばさんなど、若い人やお年寄り、子供など年代や性別関係なく様々な顔が貼りついていた。恐らく多くの霊体を取り込んで自分の力にしてきたのだろう。ひたすらグロテスクな姿だ。

「この霊、俺に憑いて来ていたのか……というか、奈緒はこんなヤパイ奴を連れてきたのか……」

 奈緒には少し心霊スポット巡りをするのを控えてもらったほうがいいかもしれない。

 グロテスクな化け物と化した女の霊は、その大きさにはそぐわぬ速さで再び俺の元へ突進してきた。

 先程と同様に俺は自分の前に御守りを掲げた。しかし今度は悪魔のように尖った指をした女の霊の黒い手に弾かれ、俺の手から離れた御守りは宙に舞い、女の漆黒の身体に吸い込まれていった。

「まさか……お守りの力まで取り込んだのか?」

 本人ほどの力が宿っているわけではないとしても、紗々良さんの作った物をそんな簡単に飲み込むなんて……。

 予想を超えていた。御守りがあるからって過信していた。そもそも俺が相手をしてもいいような奴じゃなかったんだ。すぐにでも紗々良さんを呼ばないと、このままでは俺も先生も命が無くなる。だけど、どうやって呼べばいいんだ?


『千晴! もし何か大変なことがあったら迷わず大声で私を呼ぶのだぞ。いいな!』


 俺は朝の紗々良さんの言葉を思い出す。でも、本当にそんな物理的な方法で、離れた場所にいる紗々良さんに俺の声が届くのか?

 だが、ふと頭に浮かんだ疑問に答えを出す暇も無く、俺は飛びかかってきた女の霊に押し倒され、身体の上にのしかかられた。

 醜い化け物と化した女の霊はまさに俺の目の前で、顔と言われる部分を通り過ぎるまで裂けた口を大きく開き、俺を飲み込もうとしていた。

 何も抵抗する手段も無くなり、ただ相手に喰われるだけしけ出来なくなった俺は、恐怖の余り無意識にその名前を呼んでいた。


「紗々良さんっ!!」


 なすすべのない俺はただ目を瞑り、自分の無力さを噛みしめるしかなかった。

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