少年と狼少女(4)
「…………千晴は今、どうしているのだろう」
こんな呟きを漏らすのは今日何度目だろう。
少なくとも私が渡した御守りがあるのだから変なモノにからまれる心配はないだろうが……。
私は今、千晴の家から三十分ほど歩いた距離にある中学校にいる。妹の通っている学校だ。
千晴に言われて私は妹に付いてきたわけだが、思った通り特にこれといった事は無い。妹はまるで霊能力などの特殊な
──こんなことだったら、御守りに通話機能でも付けておくべきだったか……。
そんな私の心境など露知らず、学校指定のブレザーの制服に身を包んだ妹が自分のクラスの席でオカルト雑誌なるものをを読みふけっている。朝、登校して自分の席に座ると他の生徒と話したりもせず、黙々と雑誌を読んでいた。何とも浮いている。
その雑誌には私の目から見ても怪しいものばかりが載っていた。
──きゃとる……みゅーてぃれ……なんなんだ、これは?
こんな本を学校に持ってきても大丈夫なのだろうか? そもそも親しい友人などはいないのだろうか? 千晴みたいに……。
「ちょっと杉原さん、またそんな本持ってきて……」
そんな事を思っていたところ、一人の女子生徒が妹に話しかけてきた。
その女子は前髪を綺麗に切り揃え、背中まで伸びた真っ直ぐな黒髪が和風な雰囲気をかもし出していた。いわゆる大和撫子といった感じだ。その女子は怒るというよりは呆れた表情で妹を見ていた。
「これは私にとって勉強みたいなものなので、気にしないで頂きたいのです。レイちゃん」
「私も一応クラス委員長だからスルーってわけにはいかないのよね……それから私の名前はレイちゃんじゃなくて『うらら』、
飄々と答える妹に、麗という委員長の女子生徒は自分の名前を強調していた。妹にあだ名として「レイ」と呼ばれているのだろうが、恐らく抵抗があるのだろう。妹の趣味から考えてわからなくもないが……。
「知ってます。でも、三つの神にレイと読む事が出来る名前、格好良いと思うんですが」
妹が独自の感性で理解しがたい持論を展開した。
「何が格好良いのかわからないけど……まあいいわ、とにかく先生に見つからないようにしてね……」
ため息を付き、諦めたように言った。こんなやりとりは日常茶飯事なのだろう。
「それと注意した後にこんな事を聞くのも変かもしれないけど……」
委員長は机の上に自分のスマホを置いた。そして指先でちょいちょいと操作すると画面には写真が映し出された。
「昨日従姉妹から送られてきた写真なんだけど、ちょっとここ見て」
妹が画面を見ている横から私も覗き込んだ。
そこには何処かの学校の校庭で撮られたものだろうと思える、委員長とほぼ同い年に見える二人の少女が写っていた。その後ろにある木の葉が生い茂る部分に人の顔のようなものが見える。普通なら、ただ影が人の顔みたいに見えるだけと片付けられてしまうようなものだが、これには人が浮遊霊と呼ぶ霊が写っている。
「顔……に見えますね……」
「全く……いきなりこんなの送られてきて困ってるのよ……」
心底迷惑そうな顔をする委員長。確かにこんな写真を急に押し付けられても普通の人間は処理に困るだろう。
しばらく写真に見入っていた妹だが、顔を上げると委員長を見てキッパリとこう言った。
「これは、ただ顔みたいに見えるだけですね。気にしなくてもいいと思います」
……ん? 妹よ?
「そうよね、あなたがそう言うのなら、そうなんでしょうね……」
何か都合よく解釈して委員長は納得している。まあ、これは通りすがりの霊みたいなものなので放っておいても構わないが……。
「あと、もう一つあるんだれど……」
そう言って委員長がスマホを操作をした画面には、恐らく石垣と思われる写真が映し出されていた。恐らく、というのは、その中の一つの石が画面いっぱいに写されていたため、わかりづらかったのだ。前の写真同様その石にも人の顔のようなものが見えた。
「従姉妹の子が言うには、近所に古い空き家があって、その家の石垣に数ヵ月ほど前から人の顔みたいな染みが浮かんできたって……」
引き続き困り顔で説明をする委員長。このようなモノを信じようが信じまいが、やはり気にはなるのは人の性というものなのだろう。
だが、今度の写真は単なる染みだ。偶然顔みたいに見えるだけで、霊的なものは何も感じない。
「これは……何かを訴えるために出てきているのかもしれませんね。例えば自分の苦しみを他人にもわかってほしいとか……」
………………妹よ。
「え? どうしたらいいのコレ……」
……ほら、委員長が焦っているぞ妹よ。
「ひとまず、この場所にお線香と水、出来ればお米とお酒もお供えして様子を見るのはどうでしょうか?」
……まるで意味がないがな。
「わ、わかった……後で従姉妹には、そう連絡しておくよ!」
委員長が安心するのなら、それでも構わんが……。
これが、もし千晴なら正しい事を伝えられただろうに。今回は気にするほどの物ではないが、基本的に素人判断は危険だ。
千晴の存在は大きいな……。
「委員長~ 今日の数学の宿題写させて~」
気の抜けた声とともに頭の軽そうな女子がこちらに寄ってきた。
「藤崎さん、また宿題やってこなかったの? もう今日は見せてあげないからね」
「そんな冷たい事言わないでさ……アレ、委員長またフシギちゃんに構ってたの?」
フシギちゃんとは妹の事を言っているのだろう。好意的に呼んでいるようには聞こえない。
「その呼び方は良くないよ。藤崎さん」
「いいじゃん別に。どうせまた一人で怪しい本を読んでるんでしょ? 間違いじゃないじゃん」
委員長がたしなめるも全く聞く耳を持たない藤崎とかいう女。しかし妹は特に気にもせず雑誌の紙面に目を向けている。
藤崎とかいう女もそんな妹の様子などお構いなしに喋り続けた。
「それに、フシギちゃんのお兄さんて、お化けが見える~とか、よく嘘ついてたって聞いてるし、ある意味似た者兄妹だよね~」
──ムッ、この女……何も知らぬくせに千晴の悪口までペラペラと……天罰でも食らわせてやろうか……。
ダンッ!!!!
妹が机を叩いて立ち上がった。その音に驚いた教室内の生徒が一斉に妹達がいるこちらに視線を向ける。
「兄さんは嘘つきではありません……」
クラス中から注目をされている中、妹は静かに、しかしハッキリとそう言った。
「そ……そんな事言ったって見えるっていう証拠は無いんでしょ?」
妹の目に見えない迫力に押されながらも反論する藤崎とかいう女。だが、妹は決して怯まない。
「確かに今は証拠として出せるものはありません……だけど、いつの日か必ず私がそれを証明して見せます!!」
妹は相手の目を見て、何の迷いも無く宣言した。
妹と藤崎とかいう女の間で重苦しい空気が流れる。それを断ち切ったのは傍にいた委員長だった。
「二人とも、それぐらいにしなさい!」
そう言うと委員長は藤崎とかいう女の腕を取り、引っ張った。
「ほらっ、宿題写すんでしょ? さっさとしないと時間が無くなるわよ。杉原さん邪魔してゴメンね」
「……いえ」
委員長はその場を何とか納め、自分の席へとその女を連れていった。
妹は大人しく席に座ると、何事も無かったかのように、また雑誌に目を通していた。
ずっと単なる興味本位で霊的なものに首を突っ込んでいたのかと思っていたが、この子にはこの子なりの思いがあったのだ。
妹には千晴に言われて仕方なく付いてきたが、特に何も無さそうなら、すぐに千晴の所へ行こうかと思っていたが、もう暫くここにいても、いいかもしれないな……。
○ ○ ○
真上に上がった太陽からさんさんと光が降り注ぎ、四時間目の始めから騒ぎ出した腹の虫を、家から持参した弁当でようやく沈めた後の昼の安らぎの時間、俺は校庭に出て日光浴をするわけでもなく、学校の図書室に来ていた。
図書室というと静かに生徒が本を読んだり勉強したりというイメージがあるが、ウチの学校では昼休みの図書室は主にお喋りの場になっていて、世間一般の図書館の音を立ててはいけないというようなイメージとは程遠い。ハッキリ言って安らぎの場所ではない。
だからといって本を読んでいて邪魔をされるわけでもないし、周りが静かじゃないと本が読めないという程、繊細過ぎる神経をしているわけでもないので、別に気にはしない。これぐらいで本を読むのに集中できないならば電車の中などでは絶対に読めない。
最初俺はここで、いつも俺を助けてくれる紗々良さんのために、廃神社の再起、または新たな神社を作る方法はないかと調べたが、わかったのはとにかく簡単ではないという事。特に金銭面に関しては個人レベルではどうしようもない。仮に神社を再建出来たとしても、紗々良さんがその神社の神使になれるのかまではわからない。紗々良さんの世界での規則などに関しては俺には介入のしようがないからだ。
結局はどうにも出来ないのでとりあえず保留という事にしておいて、図書室には普通に来ては本をたまに借りていくという単なる利用者になっている。
でも、借りた本は紗々良さんも読んで楽しんでいるみたいなので、それだけでも良いのかもしれない。
紗々良さんは小説などの物語の場合はハッピーエンドが好きで、
とはいっても、本を選ぶ時にいきなりオチから見るわけにはいかないので、事前に情報が無い場合は興味の有無で選び、後は運まかせになる。
「どの本にしようかな……」
俺は多くの生徒が騒いでいる机や椅子が並べてある読書スペースから離れた本棚の並んでいる区画で、何を借りようか迷っていた。
自分が読んで面白いのは当然だが、紗々良さんが読んでも楽しんでもらえる物が一番良いのだが。
そんな事を思って本を探している最中、ふと視界を窓の方へ向ける。窓の外は真っ青な空に綿菓子のような雲がプカプカと浮かび、そこだけゆっくりと時間が流れているように思えた。
「紗々良さんは今どうしてるんだろう……」
穏やかな空を見て、いつもは自分の横にいる神使の少女の姿を思い浮かべる。
紗々良さんは今、妹の奈緒の元にいるのはわかっている。朝、俺が頼んだのだから。ただ話し相手になる人がいないので退屈しているのではないかと想像してしまう。しかし、暇という事は何事も起こっていないという事だから、紗々良さんには申し訳ないけど、その方が良いのかもしれない。
奈緒の横で欠伸をして退屈そうにしている紗々良さんの姿を想像し、苦笑していた、その時……
──────────────────────!
音が無くなった。
読書スペースで騒いでいる生徒達や窓の外から聞こえる運動場や学校外などの喧噪。全ての音が消えていた。
まるで自分だけが、この世界に取り残され、他の存在全てが消滅してしまったような感覚だ。張り詰めた空気だけが、この場を支配している。声を出したらこの空間を構成している目に見えない物質が破れ、一気に弾けて壊れてしまいそうな緊張感が漂っている。
その場で周囲を見渡すと他の生徒がいる読書スペースは見えないものの、本棚など視界に入るの室内の様子は特に変わった所はない。
陽光が入ってくる窓には、外の景色とガラスにうっすらとだが室内の様子が写っているのだが、その中には室内に立つ小さな女の子がハッキリ写っていた。
「──────────!」
その女の子は朝に見た、長い黒髪で赤い長袖のワンピースを着た幼女だった。
窓ガラスに写っている女の子の姿は同じくガラスに写っている室内よりも濃く、ハッキリしていた。まるで窓の外に立っているみたいに。その光景は異様さしか感じなかった。
──やっぱり、この子は人じゃない。
生気を感じないその姿は明らかに女の子がこの世の存在ではない事を認識させた。
辺りに充満する張り詰めた空気のせいか、俺は身体が固まったかのように動かせず、後ろに振り向くことが出来ない。その場で立ち尽くし、ガラスに写る女の子の姿をただ見ているだけしか出来なかった。
何分経ったのか、それとも何秒しか経っていないのか、時間の感覚が曖昧になっている。だが、俺にはそれがとても長い時間のように感じた。身体中に悪寒が駆け巡り、額には冷たい汗が流れる。
紗々良さんから貰った御守りがあるから大丈夫。そう気分を落ち着かせ、とにかくこの危機的状況から脱する事を考えていると、女の子は俺の考えを見透かしたのか、沈黙を破り動き出し、歩くのではなくゆっくりと床の上を滑るように俺の方へ近付いて来た。
「…………!!」
窓に写る女の子の姿も徐々に大きくなってくる。
──マズイ、マズイ、マズイ!
全身に戦慄が走る。頭の中で警告音が鳴り響く。逃げろ、逃げろと身体の奥から聞こえているのに、恐怖で身体が動かない。
女の子が間近に近付き、薄い笑みを浮かべる。もうダメか……そう感じた俺は、助けを呼ぼうかと紗々良さんの御守りを握りしめた。その時、聞き覚えのある声が俺の名前を呼んだ。
「あれ? 杉原君」
本棚から顔を覗かせるようにして、そこには仁科が立っていた。
「……え……あ…………仁科?」
「どうしたの? 汗びっしょりだよ!」
俺の異変に気付いた彼女は心配をして小走りに傍に寄ってきた。
あの張り詰めた空気とあの女の子の気配は無くなっていた。ひとまず危機的状況は脱したみたいだ。
「あ……え、と……何でもないよ…………」
俺は仁科を心配させまいと無理に笑顔を作って答えた。
「……何でもないって顔じゃないよ?」
そんなに酷い顔をしていたのか疑わしい表情で仁科は俺を見ている。だからといって、本当の事を言うわけにはいかない。仁科はスピリチュアルは好きでも、幽霊などの怖い話系は全くダメなのだから。
「き、急にお腹が痛くなってさ……」
先程の一件に気付かれないように、適当な事を言って何とか誤魔化そうとしてみる。
「何か悪い物でも食べた?」
「そういうわけじゃないけど……とりあえず保健室で薬を貰ってくるよ」
そう言って具合が悪そうなふりをしながら、この場から離れようとする。良かった、一応納得してくれたみたいだ。
結果的には偶然に彼女が呼びかけてくれたお陰で、俺は助かったわけなのだが……。
「今更だけど、仁科も図書室に来てたんだな」
「うん、借りてた本を返しに。それで何か別の本でも借りようかなって……」
「そうか……」
一歩間違えれば彼女にも危険が及んだかもしれない。巻き込まれなくて本当に良かった。
まだ少し心配そうな顔をしている仁科に、嘘をついていることに心の中でゴメンと詫びながら図書室を出て行った俺は、なるべく人の多い場所を選び教室まで帰った。
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