少年と狼少女(3)
「千晴、これを持っていけ」
次の日の朝の登校前、紗々良さんが俺の目の前に何かを差し出した。
「御守り……ですか?」
それは、神社に売られている物と同じように見えたが、淡いピンク色の袋の表面、普通なら神社の名称などが書かれている場所にデフォルメした狼の絵が描かれていた。
また、随分と可愛らしいなコレ……。
昨日の様子から何かあるだろうとは思っていたが、俺が寝ている間に、これを作ったんだろうか。それとも元々持っていた物なのだろうか。どっちにしろ、俺が知らないだけで紗々良さんは色々な術が使えるらしいので、何か考えがあって瞬時に作り出したのかもしれない。
「この御守りがあれば、ちょっとやそっとのあやかしモノなどは軽く弾く事が出来るぞ。普通の神社の物に比べたらかなりの優れものだ」
「本当てすか? ありがとうございます」
全部ではないとしても、これで多くのあやかし関係が近付いてこれないなら、それだけでも非常に助かる。
「こういう物を簡単に作ってしまうなんて紗々良さんは流石ですね」
「フフン、そうだろうそうだろう(これでまた、私の優秀さを感じて自分の傍に置いておきたくなるだろう…………)」
俺の賞賛の言葉に満足なのか紗々良さんはニヤニヤしていた。しかし、そこで俺はある事に気付く。
「あ、でも……」
「ん? どうかしたのか?」
「この御守りさえあれば、俺のために紗々良さんは振り回わされることなく、普段も家でのんびりと出来ますね」
ピキーーーーーーーーン!
紗々良さんが固まった。
あれ、何かまずい事を言ったかな? ショックを受けているみたいに見えるが……。
「あ、えっと……そうすれば紗々良さんも楽が出来るんじゃないかと思ったんですが?」
紗々良さんは俺から目線を逸らし、表情には焦りの色が見え隠れしていた。
「気合いを入れて作った物が逆効果になるとは……」
紗々良さんは小さい声で何かを言っていた。流石に心配になって俺は恐る恐る様子を窺ってみる。
「あの……紗々良さん?」
「千晴!」
「はいっ……!」
急に振り向いた紗々良さんに大声で呼ばれ、驚いて思わず声が上擦ってしまう。
「いいか、よく聞け。あくまでこの御守りは応急措置だ。わかるか?」
「お、応急措置?」
「そうだ! これはあくまで道具だ。結界の代わりだ。ただ近寄らせないだけで、浄化も撃退も出来ない。私の代わりにはならない!」
目の前で猛烈な迫力で力説する紗々良さんに圧倒され、俺は思わずじりじりと後退りをしてしまう。
「ただでさえ、お前はあやかしモノが憑きやすい。寄って来るモノの中には、悪鬼や魔物もいるかもしれない。こんな物だけで千晴を一人で行かせるなんて本当は不安でたまらないんだ」
────こんな物って……さっきはかなりの優れものだって言ってた気がするけど。
「でも、紗々良さんが作ってくれた物でしょ。俺は信じてますよ」
「え? そ、そうか? そうかそうか。…………じゃなくてっ!」
何か嬉しさと他の感情が入り混じって、紗々良さんは複雑な表情になっている。
「そうだ! この御守りを妹に持たせて、私はいつも通り千晴と一緒に行くというのはどうだろう?」
良案が思いついたとばかりに嬉々として紗々良さんは提案をしてきた。しかし今日に限っては妹の安全を考えても当初の予定は変えたくはない。
「あの……出来れば今日は一日奈緒に付いていてあげてほしいんですけど……」
「……むう」
見る見るうちに、不満顔に戻っていく紗々良さん。でも、こんな事を頼めるのは他にはいないので多少無理にでもお願いするしかない。
「こういう時頼れるのは紗々良さんしかいないんです」
紗々良さんの肩がピクッと動く。
「私を頼ってくれているのか?」
「はい。わがまま言って申し訳ないんですけど……」
そう言うと、小さく身体を震わせて色々と頭の中で葛藤をしている様子の紗々良さんだったが、やがて溜息をつき、ポツリと呟いた。
「……仕方ないな。他ならぬ千晴の頼みだからな」
「ありがとうございます!」
不満顔をしつつも紗々良さんは俺の頼みを聞いてくれた。今度何かお礼をしよう。いつも色々と助けてもらってるし。
「ただ一つだけ約束をしろ、千晴!」
とはいえ紗々良さんも、すんなり了承してくれたわけではなく、やはり条件があるらしい。
「もし何か大変な状況になったら迷わず大声で私を呼ぶのだぞ! いいな! すぐに駆けつけるからな」
「は、はいっ!」
大変な状況というものが、どれ程のものかは想像出来ないが、いずれにしても大声で紗々良さんを呼ぶことは多分しないだろうとは思う。想像しただけでも小さな子供みたいで何とも恥ずかしい。ただ、やけに紗々良さんがムキになって訴えてくるので、ここは余計なことは言わないで素直に頷いておいた。
今一つテンションの上がらない紗々良さんに見送られ家を出た俺は、いつも通り、通学に使う電車が止まる最寄駅へといつもの道をいつも通り歩いて行く。そして、途中、いつも通る児童公園の横の道を歩いていると、そこには……。
いつも通りではない光景があった。
公園のブランコにはスーツ姿の男が座っていた。男は身体の色が薄く、全体的にぼやけて向こうの景色も透けて見える。確実にあれは人間ではない。
俺の場合、幽霊の視え方もその時によって様々で、半透明だったり、モノクロだったり、生きている人と変わらないぐらいクッキリと見えるモノもいれば、昨日のようにモヤみたいになって形を成していないモノもいる。
人以外でも、動物霊やよくわからない不思議な存在、時には神聖な存在まで様々なモノが見える。例えば紗々良さんとか。
いつからあの男がいるのか何処から来たのかわからないが、どちらにしろ視えているのがバレると憑いて来られる可能性があるので、ここは気付かないフリをしてさっさと通り過ぎてしまうのが一番。
……と考えていたその時、スーツ姿の男がこちらを向き目が合ってしまった。
気付かれた? と思った瞬間、男は音も立てず滑るように移動して俺の方に向かってくる。
──まずい。朝、紗々良さんに言われたばかりなのに……。
バシイィッ!
スーツ姿の男の霊は俺の目の前二メートル程の所で弾き飛ばされ、慌てた様子でそのまま何処かへ逃げて行ってしまった。
「……………………」
俺はポケットの中に入れてある御守りを手の平の上に出してみる。
「これのお陰……だよな。やっぱり……」
御守りに描かれているファンシーな狼を見ていると、その絵を通じて、
「どうだ、私の
と、ドヤ顔で話す紗々良さんが目に見えるようだった。
当然といえば当然だが。紗々良さんが言っていた通り、神社で売っている物とは効力がまるで違う。流石に直接神様に関係する神使が作った物なだけある。
「何故か途中からこんな物扱いだったけど、とても役に立ちます。紗々良さん」
俺はそう感謝を言葉にすると、御守りを大事にポケットにしまい足早に駅へと向かった。
紗々良さんは不安と心配していたが、この御守りの
俺の通う高校は最寄りの駅から電車で二つ先の駅まで乗り。そこから歩いて十分程の場所にある。
駅の外に出ると、俺と同じ学校に通う生徒達でごった返していた。電車通学の人は電車の到着時間で集中してしまうので、どうしても混雑してしまう。
学校は大通りから一つ横に入った道を歩いて行くとすぐに正門が現れ、その奥には校舎の正面玄関がある。
ちなみに運が良かったのか御守りの効果かはわからないが、ここに辿り着くまでにあやかしなどの類に遭遇する事はなかった。
下駄箱で靴を履き替え、自分のクラスの教室へ向かう途中、多くの生徒達が歩いている隙間から小さい女の子の姿が見えた。だいたい幼稚園ぐらいの子だろうか。腰まで届く長い黒髪に赤い長袖のワンピースを着ていた。
先生が何か事情があって一時的に連れて来たのだろうか? それにしても、あんな子が一人で廊下にいるのに、不思議と周りの生徒達はまるで気にしていないように見える。
その女の子はすぐに人混みに紛れ、見えなくなってしまった。俺も別に確かめるつもりも無かったので、それ以上気にせず自分の教室へと向かった。
教室に着いた俺は後方の窓際にある自分の席に座る。クラス内は仲の良い者同士で集って雑談をしているが、このクラスでも俺の
「おはよう、杉原君」
その、物好きの一人が話しかけてきた。
「おはよう、仁科」
俺に挨拶をしてきたその娘は
そして、俺はその趣味を気兼ねなく話せる数少ない存在なため、大人しい娘の割には積極的に話しかけてくる。
「あのね、今日の朝の占いでね、私の誕生月が身近な人にアドバイスを貰うと運気がアップするって言ってたの。それで聞くならやっぱり杉原君がいいかなって……」
「占いね……でも身近な人なら俺よりも家族の方がいいと思うけど?」
「だって杉原君だったら、大自然の精霊とか守護天使とかからメッセージを受信できそうだし」
そう、この娘はいわゆるスピリチュアルな話が大好きなのである。だが決して心霊マニアではない。むしろ怖いものは少々苦手である。
「俺は携帯の基地局じゃないよ……」
溜息混じりに俺は答えた。
もし、メッセンジャーがいて必要あれば話ぐらいは聞くかもしれないが、好き勝手に頭の中にメッセージを放り込まれたら俺自身がパンクしてしまう。
「で、でも、この前私しか知らないはずのプライベートな事、当てたでしょ?」
仁科は頬を赤く染め恥ずかしそうに呟いた。
「杉原君だけが見える何かに聞いたんじゃないの?」
「あ……あれは……」
その日、朝に弱い仁科は寝ぼけてベッドから落ち、癖っ毛が故になかなか直らない寝癖と格闘し、気が付くと既にいつも家を出る時間より遅くなっていて、急いで学校に向かったものの途中で弁当を忘れたのに気が付き取りに帰って、結果学校に着いたのは遅刻ギリギリだったのだ。
今日のような会話の流れから、そんな事を喋ってしまったのだ。
当然その時も彼女は顔を真っ赤にして恥ずかしがっていたが、それと同時に完全に言い当てられたことに感心をしていた。
実は俺は相手の過去を直接視るような霊視は出来ない。仁科の言う通り、目に見えない誰かに聞くしかない。あの時は傍に紗々良さんがいて、いわゆる霊視をして俺に耳打ちしてくれたのだ。だが、仁科には良くも悪くもそれで変な誤解を与えてしまったみたいだった。
俺がその時の出来事を思い出していると、仁科がもじもじしながら上目使いで俺を見て言った。
「ああいうのは……ちょっと反則だよ?」
「い、いや、あれはもう少し物事に気をつけて余裕を持って行動しなさい……というメッセージなんだよ……」
「ううぅ……そう言われると何も反論出来ない…………」
俺の咄嗟の言い訳にもスピリチュアル的な解釈をし、納得してしまう仁科。少し罪悪感を感じてしまう。
「でも、やっぱりいいなあ杉原君。そういうスピリチュアルな能力持っていて。きっと私達とは違う世界が見えてるんだろうなあ」
目をキラキラと輝かせ、羨ましそうに俺を見る仁科。
確かに違う世界が見えているのだろうが、実際俺が持っている能力はそんなファンシーなものじゃない。どちらかというと彼女が怖がりそうなものだ。大自然の精霊だとか、守護天使などとコンタクトをとった事もない。
──神使なら、いつもなんだけどね。
仁科はスピリチュアルに夢や憧れを持ちすぎているのかもしれない。
「俺が言うのも変かもしれないが、怪しい宗教や占い師などには引っかからないでくれよ……」
「え? うん、わかってるよ?」
本当にわかってくれているのだろうか?
そんな事を二人で話していると、教室の前にいる女子のグループから気になる会話が聞こえてきた。
「そういえば朝、校舎内で小さい女の子みなかった?」
「え? 私知らない」
「私チラッと見たけど、すぐに何処か行っちゃって……」
──他にも見た人いたんだな。
「どうかしたの?」
急に黙り込んだ俺を仁科は不思議な顔をして見た。
「いや、前にいる女子達が話してた小さい女の子、俺も見たからさ……」
「小さい女の子? 私は見てないなあ」
「最初は、まさかまた見えてるの俺だけ?……って思ったんだけど、他の人も見たなら先生の誰かが何か事情があって連れてきたのかもね」
「……怖い話じゃなくてよかったよ」
仁科は「ふうー」と息をつくと、小振りな胸を撫で下ろしていた。苦手な幽霊話になるかと思ったんだろう。
「小さいおじさんだったら良かったのにね」
気を取り直したように楽しそうに話す仁科。
小さいおじさんとは都市伝説などで妖精などと語られているモノである。ちなみに俺は見たことはない。
同じ実体が無いモノのはずなのに、幽霊の類はダメで、小さいおじさんは歓迎という仁科の基準がよくわからない。
「でも、その女の子勝手に一人で学校中歩き回って怒られないのかな?」
「さあ、それ以前に目を放した隙にいなくなったんだったら、職員室はパニックになってるんじゃないか?」
「そうかもね」
俺の適当な憶測に仁科は苦笑いをしていた。
そんな朝の団らんも担任が教室に入ってきた事により終わり、クラスメイト達は慌ただしく席に着くと朝のショートホームルームが始まった。
教室の前の女子が小さな女の子について担任に聞いていたが、全く知らないし、そういう話も聞いていないと言う。
……だとしたら、いったいあの子は何処の誰なんだろう?
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