少年と狼少女(2)

 夕食を食べ終わり自室でまったり……ともいかず、俺は机の前で今日の学校の授業で出された宿題をやっていた。

「千晴、分からない所があったら私が教えてやるぞ」

「大丈夫です。自分で出来ますから」

 勉強に限った事ではないが、紗々良さんは何かと俺の世話を焼きたがる。それはそれで有難いし嬉しい事ではあるのだが、さすがに何でもかんでも紗々良さんに甘えるのは良くない。最低限自分で出来る事は自分でしなければ。

 それに今は……。

「遠慮する必要はないぞ。どれどれ、う……」

 紗々良さんは俺に近付き教科書を覗き込むと途端に顔が引きつった。そこには日本の文字でないものが連なっている。

「え、英語か…………」

「……そうです」

「う……あ……あう…………………………」

 冷や汗をかきながら唸り声をあげて紗々良さんは固まっている。自分で言い出した以上引けなくなってしまっているみたいだ。

「あ、あの……無理をしなくても結構ですから……」

「べ、別に無理など…………」

「………………」

「………………」

 数秒の沈黙の後、紗々良さんはガックリと肩を落としうなだれた。

「すまない……」

「き、気持ちだけで嬉しいですから……」

 落ち込んでいる様子に、こちらのほうが焦ってしまう。申し訳なさそうに彼女の尻尾も垂れていた。

 紗々良さんは頭は良く、学校に付いて来て俺の横で授業を聞いているだけで、大体の事は理解してしまう。しかし、英語だけは相性が悪いのか全く身に付かないみたいだ。

 苦手だといっても、日常的に出てくる英単語ぐらいなら特別問題はないのだが、文法になると全く手が出ない。元々紗々良さんは英語とは縁のない状況だったのを考えてみれば、仕方がないと思う。

 ちなみに教室内で紗々良さんの姿が見えているのは、もちろん霊能力のある俺だけで他の人には見えてない。授業の邪魔をするようなこともないので、特に問題はない。ただ、俺が先生に当てられた時、こっそりと答えを教えてくれようとするのは有難いのか困ったものなのか……。


「……ん?」

 急に紗々良さんが鼻をクンクンさせ、耳をピクピクと動かす。

「どうかしたんですか?」

「妹が来る」

 コンコン。彼女がそう言ってすぐにドアをノックする音がした。

「兄さん、ちょっといいですか?」

「いいよ」

 俺が返事をすると、妹は静かにドアを開け部屋に入ってきた。

 妹の杉原すぎはら奈緒なお。中学二年生だがショートボブで小柄な体格のせいか少々幼く見える。表情の変化が少ないため、付き合いの浅い人などは妹が何を考えているのかわからないかもしれない。

「兄さん、今誰かとお話をしていたようですが?」

「え……あ、今スマホで友達と話してたんだ」

「そうなんですか? ちょっと残念です……」

 溜息をついて奈緒は肩を落とした。

「何が残念なんだ?」

「見えない『何か』がいて、それと話しているのかと思いました」

 奈緒は俺が霊能力があるのを知っている。そして信じている。更に、その影響を受け心霊マニアになってしまった。しかし妹には全く霊感は無い。なので、俺の隣にいる紗々良さんの姿は見えていない。

 俺が紗々良さんと話していると、奈緒からしてみれば俺が一人で喋っているように聞こえ、この世の者ではない何かと話しているのでは勘ぐられる事も多いが、今ではもう誤魔化し慣れている。

「それより何か用でもあるのか?」

「あ、そうでした。実は今日学校帰りに心霊スポットに行ったんですよ!」

 奈緒は興奮気味に話し始めた。

 今日帰りが遅かったのは、そういう事だったのか。危ないからダメだっていつも言ってるのに……

「そこで写真を何枚も撮ってきたんですが、その中の一枚に変なモノが写っていたんですよ」

 人の心配を余所に、奈緒は意気揚々と一枚の写真を渡してくる。

「わざわざプリントアウトしてきたのか……」

「スマホの電池が切れてしまったので。それに、この方が写真ぽくていいじゃないですか」

 そんな謎のこだわりはどうでもいいのだが、どちらにしろ正直余り見たくはない。もし本当に写っていたら霊障を受けてしまう可能性もあるからだ。

 とはいえ、それこそこれが本物だったら、このまま見ないで返すのは尚更危ない。奈緒に何か危険が及ぶかもしれないからだ。

 俺の心中を察したのか、紗々良さんが傍に来て頷いた。その表情は自分がいるから大丈夫と言っているみたいだ。確かに紗々良さんがいれば安心だが、妹ともども世話になりっぱなしで申し訳ない。

 隣にいる強力なパートナーに感謝をしつつ、確認のために妹から渡された写真に目を向けた。

「……!」

 それにはトンネルが写っていた。

 そのトンネルは山のふもとに掘られた、ごく普通の二車線の道路で車が通るためのものだ。問題は、そのトンネルの左に金網などで封鎖された旧トンネルがある。ここは以前、交通事故が多発し、幽霊が出ると噂になった場所で、その後横に新たなトンネルが作られ、使われなくなっている。

 写真はその旧トンネルを写した物だった。

「どうですか兄さん。写真の左上の木の葉っぱの所に顔らしきものが写っていませんか?」

 確かに奈緒が言った場所を見ると顔のようなものが写っているように見えなくもない。しかし……。

「これは、ただ木の影がそう見えるだけだね。特に何も感じない」

「……そうですか」

 残念そうな顔をする奈緒。

「今度こそは……と思ったんですが、兄さんが言うのですからそうなんでしょうね」

 俺自身が能力者という事もあってか、俺の鑑定に奈緒はいつも素直に納得してくれる。

「この写真はこっちで処分しておくから奈緒はデータの方を消去しておけよ。ただ汚いトンネルが写っているだけの写真なんて持っていても仕方でしょ?」

「そうですね、私も単なる廃トンネルなど興味ありませんから」

 目的のモノが写っていないと分かると、途端に奈緒はその写真への興味は失ったようだ。

 縁起でもない物は、さっさと消去するに限る。

 しかし、残念ながらこの程度では俺の妹は全然めげたりはしない。

「次は見ていて下さい、兄さん。きっと凄い写真ものを撮ってきますから!」

「……程々に、な」

 奈緒は高らかに宣言すると部屋から出て行った。

「困った妹だな……」

 紗々良さんが呆れた表情をして溜息をついた。

「行くなって言っても、聞かないですし、そもそも内緒で行ってしまいますしね……」

 止められないなら、せめて無茶をしないように願うしかない。

 それに、今は奈緒を足止めして説得するよりも、先にしなくちゃいけない事がある。

 俺は手の中にある写真について紗々良さんに問いかけた。


「この写真、どう思います?」


「どうも何も千晴も気付いているのだろう?」

 紗々良さんの言う通り俺は気が付いていた。

 写真は奈緒が指摘した場所には何もいない。だが、実は画面右半分に大きな黒い女性の影が写っていた。正確に言うと、能力のある人だけが見えるモノで、普通の人がこれを見ても何も認識出来ない。

 こういう写真も時には存在するのでそれ自体は気にならないのだが、俺は別の部分が気掛かりでならなかった。

「この場所に……こんなのいましたっけ?」

「ここの霊気に引き寄せられた霊体かもしれないな」

 以前このトンネルには紗々良さんのボディーガード付きで行った事があるが、何体か不浄の霊がいたものの、この写真に見えるようなモノはいなかった。

「あんまり良いモノとは思えないですけど……」

「こんな所で彷徨っている時点で良いモノな訳はないが、特に妹に憑いて来ている様子もないから気にする必要はないと思うぞ」

 紗々良さんは奈緒が出て行った部屋のドアをチラッと見た。

「それに、これは単なる浮遊霊のようだし、ここにいないのなら何処か別の場所へ行ってしまっているだろう」

「それなら、いいんですけど……」

 それでも気になり考え込む俺の手から、紗々良さんは写真を摘み取って目の前でヒラヒラとさせる。

「こんな写真、千晴が持つ物ではない」

 静かに、しかし有無をも言わせぬ迫力を秘めた声が俺の耳に聞こえた瞬間、バチッという音と同時に紗々良さんの指先から火花が散ると、写真は炎に包まれ一瞬で塵となって消えてしまった。

 彼女は俺に害が及ぶ可能性のある物は一時でも近くに置いておくのを非常に嫌い、即それを排除してしまう。

「これであと、『ねが』とかを処分すれば大丈夫だろう」

「残念ながら今、写真は大半はデータなんですよ」

 現代の主流を紗々良さんに冗談っぽく教えて、奈緒の部屋のある方向を見る。

 データが消えないなどと言ってこないところをみると、無事に消去は出来たのだろう。

 でも一応、もしものために先に手を打っておいた方がいいかもしれない。紗々良さんには、また面倒をかけてしまうが。

「紗々良さん、お願いがあるんですけど……」

「ん? 何だ。何でも言ってくれ」

 尻尾を振って寄ってくる紗々良さん。何だかとても嬉しそうだ。どうやら機嫌は良さそうなので、ここは彼女に甘えてしまおう。

「紗々良さん、明日一日奈緒に付いていてもらっていいですか?」

「……は?」

「いえ、やはり心配ですし、それで明日一日何も無いようならば、とりあえず問題も無いかと思って……」

「え、あ……むむむ…………」

「紗々良さん?」

 何か複雑な表情をして悩んでいる。まずい事でも言ったかな。

「あの、もしダメなら無理とは言わないですけど……」

 俺の不安な内心を察知したのか、紗々良さんは慌てて俺の言葉を遮るとせきを切ったように喋り始めた。

「む、無理ではないぞ。他ならぬ千晴の頼みだからな」

「本当ですか? いつも色々と迷惑をかけてすみません」

 申し訳なさそうな態度を取る俺に紗々良さんは不満そうな顔を見せる。

「何を謝っている。私は千晴から謝られるような事は何もされていない。ただ、お前は私がいなくても大丈夫なのか?」

 確かに今日も霊に憑かれて紗々良さん祓ってもらったばかりだし、少々不安ではあるが……。

「大丈夫です。まかせて下さい!」

 紗々良さんに心配をかけないように力強く答えた。


「!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 あれ? 何か紗々良さんがショックを受けたみたいに固まっている。尻尾もヘロヘロになってしまっている。

「いなくて……いい…………いらない……わたし…………」

「あ、あの……」

 何か勘違いをしてしまったのか、紗々良さんは放心状態で、このままでは文字通り真っ白になってしまいそうだった。

「えっと、いつもいてくれる紗々良さんがいないのは、ちょっと寂しくはあるんですが……」

「ほ、本当か? 千晴!」

 俺のフォローの言葉に紗々良さんは目を輝かせ身を乗り出して迫ってきた。

「私がいないのは寂しいか? 本当か?」

「ほ、本当です。俺も明日は我慢します。だから……」

「そ、そこまで言うのなら仕方ないな」

 まだ渋々ではあるが、了承はしてくれたみたいだ。とりあえず元気は出たみたいだし良かった。

「明日のことは私の方でも色々と考えておくよ。千晴も危険な目に遭わないようにな」

 紗々良さんも協力してくれる気になったみたいだし、こちらの無理を聞いてもらったのだから、細かいことは彼女に任せよう。きっと良い方法を見つけてくれるだろう。

「ありがとう紗々良さん」

「礼なんかいらないさ。お前のためだからな」

 ひとまず、これで明日は安心だ。奈緒も紗々良さんが一緒にいれば問題はないだろう。心の中で改めて感謝をする。

「出来れば一緒が良かったがな……」

 何か紗々良さんがボソッと言ったのが聞こえた。

「どうかしたんですか?」

「何でもない。ただ明日の準備をどうするか考えていただけだ」

 そう言って紗々良さんは再び小声で何かを呟いた。

「まあ、いい。明日一緒に付いていなくても、改めて私のことを凄いなと思わせるものがあれば、千晴もまた私と一緒にいたがるだろう……」

「紗々良さん?」

「何だ?」

 彼女は爽やかな笑顔でこちらを見た。きっと何か名案が浮かんだのだと思った。

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