一話 少年と狼少女

少年と狼少女(1)

 ……重い。身体が重い。


 重いといっても風邪を引いて熱があるというわけでもなく、他に体調が悪いというわけではない。だからといって特別身体が弱く体力が無いというわけでもない。背中に背負ったリュックに入っている学校の教材が重くて仕方がないというわけでもない。つい三十分前までは普通だったのだ。

 結局は何かというと、今もチラチラと視界の端に見える黒いもやのようなものが原因だ。

 良くないモノ。この世の者ではないモノ。未練などがあり未だに現世から離れられないモノ。世間一般で言われる幽霊。亡霊。お化け。

 学校を出る時は、こんな感覚は無かった。恐らく下校途中に何処かで拾ってきてしまったんだろう。

 俺は世間一般で言われる霊感体質というもので、昔から普通の人には認識出来ないものを見えたり聞こえたり、時には憑かれて大変な思いをする事もあった。大人になっていくとともに能力は薄れていくなんて話も聞いたこともあるが、俺の場合は高校一年になった現在でもそのままの状態をキープしている。

 そして、今もまた得体の知れない何かに乗っかられてしまっている。振り向いて見てみれば何かわかるかもしれないのだが、間違って目を合わせたりしたくはない。

「家に着くまでには何処かで落として行きたいんだけどな……」

 既に商業地区などではなく住宅街に入っていて、自宅までそんなに距離も無い。

 当然だが家には連れて行きたくはない。こんなモノが家の中に居るなど堪ったものじゃない。何より他の家族にも迷惑がかかる。

 何処でどうやって背中の上のコレを振り払おうかと考えているとその時、頭の上から俺を呼ぶ声が聞こえた。


千晴ちはるっ!」


 声と同時に上空から俺の背中へと風が吹き抜ける。

 パシンと乾いた音がしたかと思うと、あれだけ重かった身体が途端に軽くなった。横を見ると、声の主である一人の少女と、その先に俺の上に乗っかっていたであろう不気味な黒いもやが漂っていた。

「私がちょっと用で離れている間に、全く油断も隙もないな」

 彼女は黒いもやに動じる事もなく、凛とした態度で相手と対峙している。

 その少女の姿は、見た目は十七前後ぐらい、腰まで届く輝く長い銀色の髪に、巫女服をベースにした和風の着物だが、袴はミニスカート風キュロットのような物を穿いていた。そして何よりも特徴的なのが、頭には獣耳、お尻からはフサフサとした太めの尻尾が生えている。そう、彼女も人間ではない。

「不浄のモノよ、この者に憑くとはいい度胸だな……覚悟は出来ていいか?」

 少女は獲物を狙う猛獣のような目で相手を睨む。気の弱い人ならば、それだけで動けなくなってしまうぐらいの眼力があった。

 もやはその姿を見ると敵わないと感じたのか、向きを変えて急いでその場から立ち去ろうとする。

「逃がさない!」

 もやの動きを敏感に感じとった少女は、相手に向けて突然咆哮あげた。

「オオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォン!」

 その声は空気を振動させ、辺り一面に響き渡り、世界のすべてが震え上がっているような迫力があった。

 彼女を中心に周囲一帯がビリビリと振動している中、黒いもやもその力の前にもがき苦しみ、断末魔のような声をあげると、次第に動きを止め、最後には蒸発するように姿を消していった。

 背中の重みも気味の悪い嫌な感覚も無くなりホッとした俺は、助けてくれた少女に声をかける。


「ありがとう、紗々良ささらさん」


 俺の方へ振り向いた紗々良さんは、厳しかった表情が緩むと心配そうな表情に変わり、飛びついてきて俺の身体をペタペタと触り始める。

「大丈夫か千晴! 何処か痛い所とか苦しい所はないか?」

「だ、大丈夫ですっ、少し疲れはしましたが……というかくすぐったいですっ!」

 それでも、紗々良さんは俺の身体に異常がないか、確かめるように容赦なく触ってくる。ちょっと恥ずかしい。

「本当に不調なところはないんだな?」

「……はい」

 紗々良さんは顔を近づけジーッと俺の顔を見つめる。俺が強がったり我慢してないか確認しているみたいだ。目の前に紗々良さんの顔があるのは正直照れる。

 問題ないと安心したのか彼女の表情が緩み、穏やかな笑顔になると、突然俺に抱き付き、頭をワシャワシャと撫で始めた。

「ちょ、ちょっと紗々良さん……」

「私が少しお前の元から離れた隙にあんなモノに憑かれてしまうなんて、苦しかったか? すまない千晴っ!」

 能力ちからのない者は紗々良さんを視ることも触れることも出来ないが、俺みたいな人間は普通に触ることも出来る。ある意味、人と接するのと変わらない。それ故、こういう密着状態は色々と戸惑ってしまう。

「さ、紗々良さんのせいじゃないです。それより、また面倒をかけてしまって申し訳ないです……」

 実はこのような状況は今回に限った事ではない。人ではないモノに憑かれたり襲われたりした時、いつも紗々良さんに助けてもらっている。そのせいか、彼女は人間外のモノに対して少々過敏なところがある。

「謝る必要はない。あの低級霊が千晴に憑いてきたのがいけないのだ」

 俺から離れ、胸を張って自信満々に言い切る紗々良さん。本気で言ってくれているのが充分すぎるほどわかるので、お陰で俺も気分が楽になる。

 ────とはいえ…………。

「俺はその弱い低級霊でさえも祓う事も出来ないんだよな……」

「気にしなくたっていい、お前と私では違うのだ。何せ私は……」

 紗々良さんはそんなの当然とばかりに胸を張り、威厳を感じさせる態度でこう言った。

「狼の神使なのだからな!」



 彼女は町の小高い山の中腹にある小さな神社を守っていた神使だった。人と神様の仲介役も兼ねていたらしい。

 その神社は比較的珍しい狼の神様を祭る神社で、狛犬も獅子ではなく狼になっていた。ただ、その神社もだいぶ前に廃神社となり御神体も片付けられ神社としては機能していなかった。そこに何故か残っていた紗々良さんと小さい頃に出会い、気が付けばいつも行動を共にする仲になっていた。



「だが低級霊といっても油断は禁物だぞ。精力を吸われれば命の危険さえあるからな」

 紗々良さんが大事を取って念を押してくる。自分でも気をつけているつもりだが、正直どうすれば払えるのか、そもそも憑かれたりしなくてすむのかがわからない。

「何か憑かれない良い方法などはないですか?」

「あるぞ」

 良案があるのか、紗々良さんが目を輝かせ自信満々に自分の胸に手を当てる。

「私がいつも千晴の側にいれば問題ない。そうすれば、あのような不浄のモノなど全部消してくれる! 今日は不覚をとってしまったが……」

 想像した通りの答えだった。基本的に彼女は全部自分に任せておけば大丈夫という考え方だ。

「でも、それだと紗々良さんを束縛してしまってるようで……」

「まーったく問題ない。私が好きでやっていることだ。これが私の自由だ」

 何の曇りもない笑顔で紗々良さんは言った。そう言ってもらえるのは非常に嬉しいが、このまま彼女に頼りっきりというわけにもいかない。

「とはいえ、神様の使いの方を独占して世話になりっぱなしというのはいいんですか?」

「いい! 気にせずもっと私に頼ってくれ。小さい頃のようにベッタリと」

 きっぱりと言い切られてしまった。イタズラっぽい笑顔で、昔の話まで持ち出されて。

「こ、子供の頃の話はやめましょうよ……」

 あの頃は何かと紗々良さんにくっついてばかりいた。思い出すだけでも顔が熱くなってくる。

「小さい頃は敬語でもなかったし、いっぱい甘えてきてくれたのにな……」

「あ、あの頃は神使がどういうものか、わからなかったんですよ。どれだけ神聖な存在とか……」

 普通に考えたら無礼極まりない。罰当たりもいいところだ。

「神聖な存在か……そんな大したものじゃない。それに神使などと偉そうな事を言ったって……」

 紗々良さんの表情が曇っていく。

「私はあの小さな神社を守る事も出来なかったんだ」

 自嘲気味に微笑む紗々良さん。自分が守ってきた神社が目の前で寂れて、必要の無い存在となり潰れていく様子を、ただ見ていることだけしか出来なかったことは、彼女にとっても辛い記憶なのだろう。

「でも、それはあの神社を管理する人がいなくなったからですよね? 紗々良さんのせいではないと思います」

「確かに、そうだが……」

 神使でも、どうにもならないことだってあるだろう。これに関しては間違ったことを言っているとは思ってない。廃神社になってしまったのは残念だが、少なくとも紗々良さんに責任はない。

「それどころか、人によって居場所が失われたようなものですから、紗々良さんは何も気にすることは無いと思います」

「そうか? そう言ってもらえると心残りも無くなるな……」

「紗々良さん……そんな、まるで幽霊が成仏する時に言うセリフみたいなこと………」

 ──え? それって、まさか……。

「私が成仏か。それも面白いな」

「ち、ちょっと待って下さい…………」

 紗々良さんは笑いながら言っているが、俺はとにかく気が気でなくオロオロとうろたえてしまう。そもそも紗々良さんがいつまでも一緒にいてくれるとは限らないし、今までが特別だっただけで、いなくなると考えると途端に不安になる。

 しばらく、俺の様子を見ていた紗々良さんだったが、やがて耐えかねたように吹き出した。

「ハハハ、冗談だ。そんなに慌てるな。神社の件だってそんなに引きずってはいないし、私はここにいたいからな。まだ上の世界に帰ったりしないぞ」

 またも、イタズラっぽく笑う紗々良さん。からかわれたのかもしれないが、それでも俺は心底ほっとする。

 でも、紗々良さんの言葉にはまだ続きがあった。

「だが、もし千晴がもう私に頼る必要がないというならば、私は素直に身を引く」

 紗々良さんは微笑みながらも真面目な表情で俺を見つめて言った。

「どうだ? 千晴」

 また紗々良さんの冗談なのか、まともに答えるべきか少し迷う。しかし、本来は神使に嘘をつくような真似をしてはいけないし、それ以前にもしものことを考えてしまうと、冗談で返す度胸なんて俺にはない。

「ひ、必要です! 頼りにしてますっ……」

 改めて面と向かって言うとかなり恥ずかしい。たぶん顔が赤くなっていたかもしれない。

 俺の答えに満足したのか、紗々良さんは満面の笑みで俺に抱きついてきた。

「そうか、そうか。ならばもっと私に頼ってくれ! 遠慮は全くいらないからな」

 尻尾をブンブン振りながら、またも俺の頭をワシャワシャと撫で回す。ものすごくご機嫌みたいだ。

「でも、紗々良さん。ちょっとずるいです……」

 言わざるを得ない雰囲気を作って、恥ずかしい思いをした俺は少し不満を口にした。

「……最近お前が私から離れていっているような気がしてな」

 紗々良さんは俺から離れると、正面に立って優しく微笑んでこう言った。


「ずるくても、聞きたい言葉があったんだ」


 俺は紗々良さんに頼らないことなど、これからもないだろう。しかし、いずれは彼女に頼られる存在になり、いつかは彼女に認められ、そして叶えたいことがある。

 それが彼女の幸せとなるためには、俺ももっと成長しないと到底実現なんて出来ないだろう。今はまだ、全くの無力なのだから。


「さあ、私達の帰るべき場所へ帰ろう。千晴」

 先頭を切って機嫌良く歩いていく紗々良さんを後ろから見ながら、俺は思う。彼女が神使として、かつてこの町を見守ってくれていたと知っている人は、神社がまだ存在していた時代を含めても恐らく誰もいないのだろう。

 だけど、俺は知っている。

 たとえ彼女が誰からも必要とされなくなっても、忘れさられてしまっても、彼女が尊い存在である事を、そして大切な存在である事も。

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