その53 静かなる良人

 「静かなる良人」は赤川次郎七十四番目の作品。1983年に別冊婦人公論に掲載後同年中央公論社から刊行され、1985年に中公文庫に収録された。1994年には角川文庫から、2019年には中公文庫から新装版が刊行されている。

 物語の主人公、川谷千草は33歳の主婦。平凡な夫との生活に飽き、妻子ある男と不倫を楽しむごく当たり前(?)の女性。そんな彼女がある日愛人との情事の後帰宅すると、夫の洋三が何者かに刺され殺されていた。洋三の死後、周囲で奇妙な事が起こるようになり、さらに自分が近所から犯人扱いされていることを知る。耐えかねた千草は事件の真相を探るために、これまで全く関心を抱いたことのなかった夫の事を調べる決意をするのだが…。


 これまでこの連載でも何度か触れてきたが、赤川次郎という人は稀代のベストセラー作家であるにもかかわらず、むしろだからこそかもしれないが、決してその作風は万人受けする内容ばかりではない。ものによってはえぐみや苦み、人間の持つどうしようもない醜さなどをその軽快な文章にまぜてさらっと、時には乱暴に読者に投げつけてくることもある作家である。

 そしてその一方で、軽快さとえぐみ苦み醜さ、そしてさわやかさなどが絶妙な配合で混ぜ合わされた快作が多いのも特徴で、今作は間違いなくその筆頭である。

 主人公の川谷千草は、悪人ではないが多少自分勝手でわがままで欲望が強く、どんな時もいい意味でもそうでない意味でも前向きな、実に赤川次郎らしいヒロインである。物語は彼女の一人称で進むため、当初読者はそんな彼女に多少の苛立ちを覚えるかもしれない。しかし彼女が「不愛想で面白みのない中年男」だと決めつけていた夫の様々な側面を知るようになり、少しづつ彼女自身の内面も変わっていく。

 そう、これはある意味ではハードボイルドなのだ。孤独な一人の主人公が困難を切り抜けながら事件の真相に近づいていく、そんなハードボイルドミステリの変形といえる。

 読むうちに読者は千草と、そして冒頭で死んでしまった夫に親近感を抱くようになるだろう。だからこそ終盤で明らかになるある事実は、事件の真相以上に衝撃的である。

 赤川次郎だからこそ書ける、奇妙なハードボイルドであり恋愛小説でもある。胸を張ってオススメしたい。

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赤川次郎アーリーデイズ100 さかえたかし @sakaetakashi051

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