第39話★君はやっぱり大切な人



これは私が中学生になったばかりの頃のお話しーー。





『花音!ダメだよ、妊娠したらどうするの?!』


昨日、廊下でひぃくんが言った言葉。


それを思い出し、沸々ふつふつと怒りが込み上げてくる。


あんなに大勢人のいる前で……

私がどんなに恥ずかしかったか。

もう、ひぃくんとは口利かない!


そう決めた私は、一階へ降りるとリビングの扉を開いた。

私の視界に入ってきたのは、お母さんと楽しそうに話すひぃくんの姿。


……なんで毎朝いるのよ。

さっきだって、目が覚めたら私のベッドにはひぃくんがいた。


小さい頃から当たり前とはいえ、もう中学生なんだから辞めてもらいたい。

それに今、私は怒っているのだ。


お兄ちゃんに連れられて私の部屋から出て行ったひぃくん。

てっきり自分の家に帰ったと思っていた。


私を視界に捉えたひぃくんが、私に向けてヒラヒラと手を振る。

プイッと顔を背けた私は、そのままダイニングへ行くと席へ着いた。


「おはようお母さん、お父さん」

「おはよう」

「おはよう、花音」


私の挨拶に、笑顔で答えてくれるお母さんとお父さん。


「今日のご飯も美味しそうだねー」


そう言いながら、ひぃくんが私の隣に座った。


なんて図々しい人なんだろう。

毎朝当たり前のように我が家で朝食をするひぃくんに、私は呆れて小さく溜息を吐く。


誰もこの状況をおかしいとは思わないのだろうか?

チラリとお母さんとお父さんを見てみると、ひぃくんと楽しそうに会話をしている。


その光景を見た私は、また小さく溜息を吐いた。

お母さんもお父さんも、ひぃくんに甘すぎる。

二人共、絶対にひぃくんの見た目に騙されてるよ……。


どうやら私の味方はお兄ちゃんしかいないらしい。

ジッとお兄ちゃんを見つめていると、私の視線に気付いたお兄ちゃんが笑顔で口を開いた。


「花音、早く食べないと遅刻するぞ?」

「……はい」


私の気持ちに気付いてくれないお兄ちゃんに、ガックリと肩を落とす。


仕方なく黙って朝食を食べ始めた私は、横から話しかけてくるひぃくんをずっと無視し続けた。




※※※




その日のお昼休み、私は机の上に置かれた牛乳を見つめて溜息を吐いた。


牛乳嫌いなのに……。


私の学校では、昼食はお弁当なのに何故か牛乳だけは配給される。

私にとっては迷惑でしかない。


幸い、残しても何も言われないので問題はないのだけど……。

毎回必ず残すのだから、わざわざ配ってくれなくてもいいのに。


チラリと横を見ると、ニコニコ微笑むひぃくんと目が合う。

何でひぃくんが一年の教室にいるのよ……。


私が入学してからずっとそう。

お昼になると、必ずひぃくんは私の教室へやって来て一緒にお弁当を食べるのだ。


問題ないとはいえ、そんな事するのはひぃくんぐらいだ。

一年の教室に三年生がいるなんてあり得ない。


朝からずっと無視しているというのに、相変わらずニコニコと隣にいるひぃくん。


きっとどこかネジが緩んでいるんだと思う。

顔だけ見ればイケメンなのに……。


私はひぃくんから視線を外すと、机に置かれた牛乳を持って席を立った。


「花音、いつも言ってるけど、ちゃんと牛乳飲まないとダメだよ?」


心配そうな顔をしてそう告げるひぃくん。

そんなひぃくんを無視して、私は教室を歩き出した。牛乳を返却する為に。


牛乳なんて飲まなくたって生きていける。

ひぃくん心配しすぎ。


「花音!」


突然の大きな声に、驚いた私は立ち止まって振り返った。

教室中が、ひぃくんの大きな声に驚いて注目をしている。


「牛乳飲まないと赤ちゃんが大きくならないよ!?」


ひぃくんの放った言葉に、教室中が静まり返った。


呆然と立ち尽くす私。

私の手から滑り落ちた牛乳が、ポトリと床へ落ちた。


何を言ってるの……?

赤ちゃん……?

誰の?


クラスメイト達が、一斉に私を見る。


「……っ……!」


……そんな目で見ないで。

私……私……

赤ちゃんなんていないよ……。


昨日の妊娠発言といい、たった今放たれた赤ちゃん発言に、皆私が妊娠中だとでも思ったのだろうか?


なんて最悪なの……。

……赤ちゃんて何よ。


「……あっ、赤ちゃんが大きくならないって何?!」


皆の誤解を解こうと、ひぃくんに投げかけた質問。

するんじゃなかったと、後に私は後悔する。


「だって……花音のおっぱい大きくならないよ?!」


一気に顔が真っ赤になる。


何て事を言うんだ……。

おっぱいなんて……おっぱいなんて大きな声で言わないでよ……っ。


周りの男の子達の顔もほんのりと赤く染まり、顔を俯かせながらチラチラと私を見ている。


し……死にたい……。


教室の真ん中で、一人立ち尽くして公開処刑をくらう私。


もう嫌だ……。

ひぃくんのバカっ。

もうひぃくんとなんて絶対に口利かないんだからっ。


私は涙目になった瞳をギュッと閉じると、羞恥に顔を俯かせたーー。




※※※




その日の放課後、私はお兄ちゃんを待たずに学校を出た。

だってひぃくんがいるから。


登下校は必ず一緒にするように、とお兄ちゃんからは言われているけど……

今はひぃくんの顔も見たくなかった。


ひぃくんのせいで、私の中学校生活はめちゃくちゃだ。


それでも、嫌いになれない自分が情けない。

小さい頃からずっと一緒だったひぃくん。


とっても変なひぃくんだけど、昔から私にとても優しくしてくれる。

そんなひぃくんを知っているから、どんなに振り回されても嫌いにはなれない。


私は小さく溜息を吐くと、トボトボと一人で住宅街を歩く。


チラリと目線を上げると、道路脇に一人の男の人が立っていた。

私はさほど気にも留めずに、すぐ横を通り過ぎる。


すると突然腕を掴まれ、そのまま脇道へと連れ込まれた。


ーーー!?


な、何!?

パニックになった私は、声も出せずに目の前の男の人を見上げた。


ハァハァと息を荒げる男の人。


「き、君……凄く可愛いね」


私を見てニヤリと笑う男の人。


怖い……。


ガタガタと震えだす身体。

恐怖で声の出なくなった喉は、小さく唾を飲み込んでコクリと音を鳴らした。


に、逃げなきゃ……。

そう思うのに、私の足は地面にピタリと張り付いて動かない。


ハァハァと息を荒げながら、男の人は私へ向けて手を伸ばしてくる。

その瞬間、張り付いていた足がほんの少し動いた。

その勢いのまま、私は背を向けて走り出す。


怖いっ……怖い!誰か助けて……っ!


通りに出る寸前、グイッと腕を引かれて後ろへよろける。

再び捕まった私は、男の人に後ろから抱きつかれた。


ハァハァと息を荒げながら、私に腰を押し付ける男の人。


何をされているのかよくわからない私は、ただただ恐怖に震えた。

胸の前でギュッとかばんを抱きしめ、ただ黙って身体を縮こませる。


怖いっ……怖いよ……。


気付けばパタポタと涙が流れていた。


「「花音っ!!!」」


聞こえてきた声に視線を上げると、お兄ちゃんとひぃくんが焦った顔をして走ってくる姿が見える。


「……っ……」


涙で視界がぼやけた時、ひぃくんが男の人を掴んで私から引き離すと、そのまま男の人を殴り飛ばした。


地面に転がる男の人。

それをお兄ちゃんが押さえつける。


「花音っ! 大丈夫?!」


クルッと私の方へ振り向いたひぃくんが、焦った顔をして私を見る。


相変わらず声が出せない私は、ギュッと鞄を抱きしめたままポロポロと涙を流した。

そんな私を見て、悲しそうな顔をしたひぃくん。

ゆっくりと私に近付くと、ひぃくんは私を優しく抱きしめた。


「怖かったね、よしよし。もう大丈夫だよ」


そう言って優しく私の頭を撫でてくれる。

私は堪らず、ひぃくんに抱きつくと大声を上げて泣いた。


「こわっがっ……だよぉ……っ」


鼻水を垂らして泣く私を、ひぃくんはずっと優しく抱きしめてくれた。


「うん、怖かったね。もう大丈夫、大丈夫だよ」


私を安心させるように、優しく頭を撫でながら何度も大丈夫だと言ってくれるひぃくん。


ひぃくん……ひぃくん……。

ごめんなさい……

無視してごめんなさい……。


ひぃくんはいつだって優しい。

私が無視していたって、こうして助けに来てくれる。


どんなに振り回されたって、ひぃくんを嫌いになんてなれない。


ちょっぴり変なひぃくん。

だけど私にとっては大切な人。


ひぃくんは……

昔から私の大切な人なんだーー。







ー完ー









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