第五話 祈りとともに

「国王陛下が、王妃殿下を……」


 慌てふためくメアリの断片的な言葉から母の死を察して立ち上がったミレイユは、よろけたところをメアリに支えられ、再び腰を下ろした。


 彼女は今、自らの魂の記憶と呼ぶべきものを取り戻した。七度の生を授かり、兄と母の喪失に至るこれまでの全てを一瞬で生き直したことで、ありとあらゆる記憶と感情がミレイユの中で錯綜していた。過去の様々な人の声が重なって轟音となり、見てきた情景が矢継ぎ早に現れては消え、やがてそれらが一つに混ざり合い、奔流となり、渦を巻き、無数の飛沫を上げた。


「大丈夫ですか? 殿下」」


 メアリの言葉はミレイユに届いてはいなかった。巻き上げられた土煙が再び大地に鬱積するが如く、徐々に激感の波が収まっていくのをミレイユは待った。その間にも、ミレイユの心にある疑念が生じた。あの銀髪の娘は、己に何を悟らせ、何をさせたいのか────。


 確かに、母上が己を毛嫌いする理由は理解できた。さぞや薄気味の悪い娘だと思ったことだろう。だが問題は、未だ分からずじまいでいることの方だ。赤子だったミレイユの前で両親が交わした会話……その中に気にかかる言葉があった。


 “魔女の呪い”とは────?


 突然の兄の死や、父が母上を刺殺したこともそれに関りがあるのだろうか? 銀髪の娘については? 知らねばならない。だが、今はまず母上に一目お会いしなくては────。


 たっぷり半刻は混濁の中にあっただろうか。ようやく意識をはっきりさせたミレイユは、不安そうに己を見つめるメアリに尋ねた。


「心配をかけて済まぬ。やや疲れていただけです。母上はどこに?」


「王妃殿下はご寝室に。しかし……」


 メアリが暗い顔をしてその先を言い澱む。


「安心おし。あなたも付いてきて」




 ミレイユが母の寝室に向かうと、王妃エレオノーラは愛用の寝台に横たえられていた。寝台の周囲に集まった侍医や侍従らが永久とこしえの眠りに就いた王妃を見つめ、幾人かはすすり泣いている。


 天蓋が半ば閉じられていたのでその内側に入り母の状態を確かめると、既に血は拭い取られ、簡素な屍衣に身を包まれていた。青白く変色した唇は、王妃の身体から魂が抜け去ったことを如実に示している。苦し気な表情のまま身罷られたことに胸を締めつけられながら、ミレイユは母のすぐ側にひざまずいた。


「母上────」


 己を愛してくれた訳ではなかったにせよ、それでも掛け替えのない母であった。あの幼き時、余計なことを聞いたりしなければ、兄上と同じく愛して下さったのだろうか。


「私はあなたを────愛、して…………」


 途中から、ミレイユの言葉は嗚咽に変わった。なぜこうも悲劇は立て続けに起こるのか。せめて兄上の死を存分に悼むだけの猶予を与えて下さってもよいではないか。母の誤解を解き、共に愛する者を失った悲しみを慰めあうこともできたかも知れぬのに。天上の父よ、などてかような試練を我に与えたまいし────。


 母上、私はあなたをお恨みなど致しません。ただ、私を信じて頂きたかった。あなたの実の子である私を、恐れることなく愛して欲しかった。あなたの温もりを私は何よりも求めておりましたのに────。


 されどミレイユの触れし母の手は既に冷たく、固く強張り、己が子の手を握り返すことも永遠とわに叶わず。それでもミレイユは祈る。


 母よ、怖れも穢れもその静まりし胸を騒がせることはもはやなく、ただ厳かなる鐘の響きこそあなたをお守りするでしょう。死が優しい手で巡礼者たるあなたの瞳を閉じ、その魂を天の水晶の輝く至福の世界に導かれんことを。あなたの魂が天の主上の御許に迎えられんことを────。


 そして、ああ神よ、我が慕情を光で照らして下さい。


 悲嘆を押し殺して立ち上がったミレイユは涙を拭き、努めて冷静な口調で言い残した。

「神父様をお呼びなさい。私は父の元にいます」




 王妃の寝室を後にしたミレイユは、その足で父、アンドラージュ国王の部屋に向かった。父にどんな言葉を掛けて慰めるべきか、ミレイユには分からなかった。だがそれでも母との間に何が起こったのか、そして魔女の呪いとは何かを聞き出さなくてはならない。


 異国との戦が迫るこの時に尋ねるべきことではないかも知れぬ。それでも、“呪い”という言葉にミレイユは強く関心をそそられていた。


 王国は“呪い”によって滅びの運命を背負わされている────。


 ミレイユは漠然とではあるが、そのような予感を抱いている。六度にわたる自らの死、生誕時の両親の会話、兄の死、母の死、そしてあの銀髪の娘────。


 全てが見えないところで繋がっているような気がする。無論それを重臣たちに話したところで一笑に付されることをミレイユは承知していた。だからこそ、父と二人きりでの謁見を望んだのである。


 ミレイユは足取りもしっかりと、姿勢も正して落ち着き払った態度で父の元に向かった。王国の存亡がかかったこの時、今や王の唯一の実子たる己の言動一つが臣下の心に影響し、この国の命運すら左右しかねないということをミレイユは知っていた。


「父上、ミレイユです」

「入れ」

 

 短いやり取りの後、ミレイユは王の部屋に足を踏み入れた。メアリは外で待たせてある。これから話す内容を考えれば当然であった。父は礼服を着崩したまま安楽椅子に凭れ掛かり、酒瓶を呷っていた。髪が解れているためか、いつもより老けこんで見える。焦点の定まらぬ落ち窪んだ瞳をミレイユに向けた王は、向かいに座るよう顎でしゃくった。連日の御前会議に加え、継嗣と妻の死が重なっては流石に困憊こんぱいを隠せなかった。しかも妻の方は、錯乱していたとは言え己が手にかけたのだ。


「親愛なる父上────」


「余計な前置きはよい」


 国王は即座にミレイユの言を遮った。


「お前には話しておかねばなるまい。四十年前に起こった忌まわしき出来事を……」


 意外にも、父の話はミレイユの望んだ方向に進むようである。どちらかと言えば、母が殺された経緯をまず知りたかったが、流石に口にするのははばかられたのでミレイユは黙っていた。


 そして、王は語り始めた。

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