第6話 図書室と幼馴染

 夏休みというのはあっという間に日が無くなっていくものだ。

 楽しい時間というのは早く感じる。

 早いもので、あれからもう二日が経っていた。

 その二日間の内容というのは実に単純だ。

 彼女と話し、ただただ笑い合う。それだけの日々だった。

 対して僕たちの本題についての進捗状況は全く進展がないままだ。

 話す内容は毎回同じで、新しい手がかりというのがないので進みたくても進めない。

 そんな状況が続いた二日間を終えた僕は今、学校にいる。

 この前まで死のうとしていた僕が、何故こんなところにいるのか。

 それは夏休みの課題である読書感想文を終わらすためだ。

 もうどうでもいいことのはずなのに、僕という人間はやらずにはいられなかった。

 長い間縛られ続けた習慣は、地獄のようなものであっても恐怖政治と同じように機能する。

 街にある図書館より学校の図書室を選んだのは図書館よりも遥かに学校の方が近いからだ。

 学校の人達とは会いたくなかったが、外はこの暑さだ。

 遠くの図書館に足を運ぶほど、僕の体力というのはなく、また自転車をこぐ気力というのもなかった。


「あっつ」


 いつもより暑い。そう感じるのはきっと周りの声がうるさいからだろう。

 野球部か、サッカー部か。他の部活かもしれないが、運動部の掛け声というのがこの熱い夏をさらに熱くさせていた。

 よく頑張るな、とグラウンドで部活動に励む人達を見ながら僕は下駄箱に靴を入れる。


「あれ? ゆーちゃん?」


 廊下の突き当たりにある図書室に向かおうとスリッパに履き替えようとした時だった。

 僕の背後からかかる声に聞き覚えがあった。

 それに、僕をゆーちゃんと呼ぶ人は一人しかいない。


「やっぱりゆーちゃんだ! おはよ。どうしたの? なんか用事?」


 みーちゃんこと、浅田美咲。僕の幼馴染である。

 昔と変わらないショートボブの髪型。

 学校指定のジャージを着ている彼女は、校内の廊下から手を振りながら近づいてきた。


「夏休みの課題を終わらしに来たんだ」

「課題って……あー! 読書感想文か!」

「あーうん。そうだよ」


 片耳を塞ぎながら、僕そう言った。


「あれ、けど夏休み前に貸し出ししてたよね?」

「借りるのを忘れてたんだ。本屋も図書館も僕の家からじゃ遠いから」

「なるほどね。だからか。でも、珍しいね。完璧超人ゆーちゃんがそんなこと忘れるなんて」

「僕にだって、そういう所はあるよ」


 完璧超人か……。まあ、彼女からしたら、僕はそう見えるのだろう。


「あ、そういえばさー。ゆーちゃん、今年は夏祭り行くの?」


 スリッパを履き終えて立ち上がった時だった。

 みーちゃんが僕の足を掴むようにそう言った。


「一体どうした。急にそんなこと言い出して」


 不自然な話題の振り方に僕は一歩引いた。


「いや、実は私もさっき図書室に行ってたんだけどさ、なんか夏祭り特集? みたいなのがあって滋賀県の夏祭りの由来みたいなのが載ってあったんだー」

「へーー、面白そうだな」


 無難な返事。


「いっつも駅前でやるじゃない?」

「あのうるさいやつか」


 琵琶湖沿いにある駅の近くから打ち上げる花火は僕の家からでも見える。音もすごいもんで、近くから見れば大迫力。他県からも人が多く来るらしく、滋賀県唯一の大型イベントとして認知されている。


「そうそう、あのうるさいやつ! 昔よく行ったよね? そのお祭りの由来ってね、実は」

「おーい、美咲。待たせたな」


 みーちゃんがそう言って話し始めようとした時だった。

 見知らぬ声が彼女の肩を叩く。


「あ、雅也! お帰り、怪我は大丈夫だった?」

「擦りむいただけだって、そんなに大したことないよ」


 うちの高校のサッカーユニフォームを着ている彼は、そう言いながらみーちゃんの元へと駆け寄った。

 ああ、なるほどね、と僕は察した。

 声は聞きなれなくても、この高校の生徒で彼を知らない人物はいない。

 サッカー部キャプテン兼生徒会長、多田雅也。

 頭脳明晰、運動神経抜群、全てが完璧と謳われる。そんな何処かで聞いたことがあるような肩書きだ。まさに天才の大安売りだな。


「君、だれ?」


 そんな完璧超人様は、断ち切られた会話を放り出してコッソリと図書室に向かう僕の足を引き止めた。


「相沢……優ですけど」


 僕は彼の威圧的な態度に、彼と僕という存在と勝ちがしっかりと秤のメモリが合うように答えた。


「あぁ、相沢先輩の」


 弟か。彼はそう言った。


「まあ、はい…………そうです」

「君と美咲ってどんな関係なの? ずいぶん仲良く話してたみたいだけど」

「ただの、幼馴染ですよ」

「そうだよ雅也。そんな変な関係じゃないよ?」

「幼馴染? あぁ、そうなの」


 不満そうな彼だが、納得はしてくれたようだ。

 安心した僕はホッと胸をなでおろす。

 勘違いされたらどうしようかと思ってしまった。

 僕がみーちゃんとそんな関係である事なんて、絶対に有り得ないのに。


「美咲、行こう。多分みんな待ってるだろうし」

「あ、うん。そうだね大した怪我じゃないって言ってこないと」

「じゃあ、そういうことで相沢先輩の弟くん」


 多田雅也はそう言って運動靴へと履き替え、グラウンドへと向かって行った。

 まるで自分の後に続いて来るであろうみーちゃんを自分のものだと言わんばかりに。


「あ、ちょっと待ってよ!」


 それを追いかけるみーちゃんは、あっという間に僕の前から姿を消した。

 まるで嵐のようだ。

 それも一番タチの悪い大嵐。


「とんだ茶番だな」


 ぼくは静まり返った廊下を歩きながら、小さく呟いた。

 多田先輩の高圧的な態度の理由は理解している。自分の彼女、つまりはみーちゃんと親しくする僕に警戒していたのだろう。意地悪な言葉を使い、少し好戦的な彼の態度にはムカついていたが、同時に少し彼に同情してしまった自分がいる。

 可哀想だなと、僕は彼のことを見ていた。それは、浅田美咲という人物の本音の部分って奴が見えているからだ。彼女の本性を、性格を、全て知っているからだ。

 だからもう一度言う。今のは茶番であると。浅田美咲という一個人の欲求を満たす為の醜い劇であると。

 僕はこの茶番を何回も見せられてきた。

 みーちゃんの彼氏が変わるたびに毎回、毎回、同じことを繰り返している。

 彼女の顔にはこう書いてあった。「会話なんてどうでもいい。もう少し待って」と。つまり、あの不自然な話題の振りは全て多田雅也という人物を僕たちの会話に引きずり出す為のものである。

 なぜ彼女がそんなことをするのか、なぜ彼女が自分の男を僕に見せつけるような行為をするのか。その理由を僕は知っている。


 中学三年生の秋、受験勉強真っ最中の時だった。

 家族の期待、周りの目、兄との比較、そんな状況を背負っていた僕は、勉強以外に対して無関心であり、その頃の僕は色恋に励んでいる時間など当然無かった。朝に勉強、昼に勉強、夜に勉強。毎日を勉強に支配され勉強に生かされていた僕は、その支配に対し従順な下僕として働いていた。

 そんな地獄といえる時期だった。みーちゃんが僕に自分の好意を告白したのだ。よりにもよってこの時期に。


 みーちゃんが僕に対して抱いていた好意は前々から気付いていた。それは僕の力によるもので、彼女の言葉や、行動によって知り得たものでは無い。

 そして当然、僕が彼女の好意に答えられるわけがなかった。

 受験のことや家族の事情、理由は多々あるが、一番の理由はやはり、僕という個人の事情だ。

 僕のようなずるい人間が人と付き合うなどあってはならないからだ。


 一つ例え話をしようか。

 僕がみーちゃんと付き合ったとしよう。

 みーちゃんは思う、学校の帰りにどこかオシャレなお店でも寄ってパフェやケーキなんかが食べたいなと、そしたら僕が言うんだ。


「今日の帰りに寄りたいところがあるんだけど。何か甘いものでも食べに行かない?」


 そしたらみーちゃんは言うだろう。どうして私が食べたいって分かったのって。

 不思議に思った彼女に僕は答える。


「君の思ってる事ならなんでも分かるんだ」


 そう、見えてしまうんだ。

 喧嘩は起きない。だって全て先回りして彼女の機嫌をとることが気出るのだから。

 全てがうまくいく、喧嘩もない、不満もない、思い通りの素晴らしいカップル。

 ただし、僕以外の人間からしてみればの話だ。

 何がしたいとか、何が食べたいとか、不機嫌になった理由や、欲しいものだって全部分かる。

 もし、この力の存在をみんなが知ったら、みんなが欲しがる力だと思う。

 だけど、これってそんなに良いことか?

 僕はずるくて仕方がないと思う。偽の愛じゃないか、こんなの。本当の愛って、本当の恋って、こんな簡単なものじゃないと思う。

 だから、僕はみーちゃんを振った。みーちゃんのためを思って振った。偽の愛で形作られた偽物の恋愛で彼女を苦しませないために。幸せな愛で縛らないために。


 みーちゃんは大泣きした。なんで、どうしてって、泣いていた。

 僕はそれを黙って見ているしかできなかった。言いたくても言えない呪が僕を犯していたからだ。

 脳では僕の力に関しての情報を声に出していっている筈なのに、口がパクパクと動くだけで、喉からはその言葉が出ることは一切なかった。

 何かに書こうとしても、デタラメな字が書かれるだけで、残ったのは死にそうな程の頭痛と吐き気だけだった。

 みーちゃんが変わってしまったのはそれからだ。

 僕が彼女を振った三日後、中学で一番のイケメンである高橋君と仲良く手を繋ぎながら歩いていた。次に野球部の向田。その次はソフトテニス部の上野。そのまた次はバスケ部の川北。

 もう、その先からは覚えていない。とにかく新しい彼氏を作っては当てつけのように僕に自慢するようになった。

 さっきの多田先輩のように。

 だけど僕は彼女を責めることはできない。

 どんな嫌がらせをされても受け止めなければならない。

 だって彼女をそうさせてしまったのは紛れもない僕なのだから。



 図書室のドアを開け、涼しい風が僕を迎えた。

 蒸し暑かった廊下だったが、あまりにも冷房が効きすぎていて少し肌寒く感じた。

 みーちゃんが言った通り、図書室に入ると目立つところに祭の特集本が並べてあった。

「これで貴方も祭博士」なんて派手な文字と蛍光色で彩られた本は、単行本一冊程度の大きさだ。

 さっきまで誰かが読んでいたのだろうか。

 雑に扱われた本は半分ほどページが浮いている。

 そのページはみーちゃんが話していた祭りについての記事だった。

 何人訪れるだとか、こんな見世物が特徴的だとか、様々な情報が細かく書かれてあった。

 そして、夏祭りの由来というやつも。


「くだらない」


 僕はその先を読む前に本を閉じた。

 雑に、そして乱暴に。

 何故自分でもそんな事をしたのかよく分からない。

 ただ……少し、イライラしていた。

 みーちゃんの顔が僕の頭の中から離れないんだ。

 そんなみーちゃんの顔を見ていると、無性に腹が立った。 叫びたくなった。

 別にお前だけが辛い思いをしてるわけじゃないって、大声で。

 思いっきり、みーちゃんの前で叫んでやりたい。だけどそんな勇気、僕のポケットの中には一欠片も入っていなかった。

 それに、今更何を言ったって彼女の心というのは変わらない。僕の苦しみも、痛みも、気持ちも、何も伝わらない。

 もう完全に、完璧に、無邪気に遊んでいたあの頃には戻れないんだ。

 そんなどうしようもない感情を抱えながら、僕は本棚から一冊だけ綺麗に抜き出し、文房具と用紙を机の上に広げた。




 読書感想文はあっという間に終わった。

 借りて帰らずに図書室で課題を終われせたのは、もう少し冷房の効いた図書室にいたかったのと、僕が死んだ後にわざわざ親に学校まで返しに行かせる手間をかけさせたくないからだ。

 それに本選びというのも題材は推奨されていた物を読んだだけだし、書く内容は初めから大体決めていたから、それほど時間を食われることもなかった。

 靴を履き替え、外に出た僕を迎えたのは眩しい太陽だった。

 雲ひとつない晴天は今まで冷房の中で過ごしていた僕にとっては地獄で、数分も経たぬうちに汗がではじめた。

 仕方ないか、と僕は校内にある自販機に寄った。

 水分補給をしないと流石にやっていられない暑さだ。

 カバンに入れていた財布を取り出し、小銭を数えながら僕は二台並んである内の一台の前へと立った。


「うそだろ」


 売り切れ。売り切れ、売り切れ。また売り切れ。

 お茶や、スポーツ飲料水、炭酸飲料水の殆どが売り切れていた。

 残っているのは甘ったるいカフェオレと無糖のコーヒーのみだが、運がないことに僕はどちらも苦手だ。

 だが、待ってほしい。流石に二台目は大丈夫だろう。

 僕は恐る恐る隣の自販機を覗いてみる。


「助かったー」


 神は僕を見捨ててはいなかったようだ。

 緑茶がちょうど残っていた。売り切れのランプが点灯していないか何回も確認して、僕は小銭を自販機へと入れる。

 ボタンを押せば、ガコンと言う音でペットボトルが落下した。

 丁度これが最後の一本だったらしく。直ぐに売り切れのマークが点灯する。

 これを見れば、みんなどれだけ汗をかいて暑さに苦しんでいるか、単純な僕の思考は想像もできなかった。

 今日は見た感じ運動部の練習が多かった。家から持ってきた飲み物でも足りないと言うのだから、きっと僕は数分も持たないだろうな。

 そんな事を考えながら僕は水滴のついたペッドボトルの蓋を回す。

「あ、え、もしかしてお前のそれが最後っ?」

 僕が一口目を飲もうとした時だった。

 財布を持った多田先輩が、絶望したような顔で僕の顔を見ていた。

 売り切れという文字が赤く光る自販機を前に、先輩は硬く立ち止まっている。

 サッカーユニフォームに身を包み、タオルを首に巻いた先輩の額には尋常ではない汗が流れている。

 最悪だ。ここで飲まずに帰宅途中に飲むんだった……本当にまったく、今日の運はついてない。


「まいったな……」


 悄然とした口調で先輩は言った。

 肩が下がり、見るからに落ち込んだ様子だ。


「あの、よかった。これ、どうぞ」


 ペットボトルの蓋を締め直した僕は、そう言って緑茶を多田先輩に差し出した。


「え、いいの?」


 あんなにきつく当たったのに、多田先輩の顔には困惑の文字が浮かぶ。

「一口も飲んでないから、いいですよ。それに先輩、部活あるんですよね。僕はもう帰るんで」


 多田先輩に受け取らせた後、置いていたカバンを持ち上げた。


「え、あ、ありがとう……あ、おい。金は」

「あー、大丈夫です。部活、頑張ってください」

「あ、ああ。ありがとう」


 そう言って僕は学校後にした。

 多田先輩は困惑していた。強く当たって、あからさまに威圧するような態度を取っていた相手に優しくされれば誰だって困惑する。

 さらに部活頑張ってくださいなんて言葉、僕から聞くなんて思いもしなかったことだろう。

 別に多田先輩の事は嫌ってはいないんだ。僕が多田先輩に対して妬むことや嫌いになるところなんてどこにもない。むしろ尊敬できる。部活動に限らず勉強に対しても熱心で、生徒会で兄さんの下でよく働いていたことも良く知っている。

 そんな彼に僕が優しくしたのは、みーちゃんの個人的な嫌がらせに付き合わせてしまってすまないという心の表れだ。

 みーちゃんは多田先輩のことが好きなわけじゃない、容姿が良くて世間の目から見て僕よりも格上の人物であれば誰でもいいんだ。

 だから僕は本当に彼には謝らなければならない。そして、応援しなければならない。

 次の見世物が決まるまでみーちゃんの彼氏というポジションにいられることを。

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